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李家の娘達  作者: チョコバナナ


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第二章

第二章

李清瞳はふと目を覚ました。

手は小さく、胸も平らで、身体は子どものまま。

現実は何一つ変わっていなかった。

部屋はしんと静まり返り、

車の通る音も、話し声も、機械のうなりもどこからも聞こえない。

まるでこの世界に、自分ひとりだけが取り残されたようだ。

胸の奥に寂しさが膨らみ、

目にじんと熱がこみ上げ、涙が頬を伝った。

窓から差し込む月明かりは冷たく、部屋も一層寒く感じられた。

――このまま、この体で育ち、この時代で結婚し、この時代で死んでいくのだろうか。

紗のカーテンの外で、ろうそくの炎が揺らめいた。

その光がカーテン越しにぼんやり影をつくった。

やがて小玉がカーテンをそっと持ち上げ、心配そうに覗き込んだ。

「お嬢ちゃん、また悪夢を見たの? 小玉はここにいますよ。怖がらないで」

十歳そこそこの少女に慰められることに、二十八歳の清瞳は複雑な思いがこみ上げた。

「眠れないの、小玉。……ここで一緒に寝て。お話、聞かせて」

小玉は清瞳の涙を見て、ゆっくりと頷き、彼女の横に身を横たえた。

清瞳は小さな声で尋ねた。

「外の世界はどんなところなの? 寧国って……どんな国?」

小玉は少し恥ずかしそうに微笑んだ。

「小玉の知っていることだけですが……世界には五つの国があります。

西に斉、南西に夏、北に安、南には陳、そして東に寧国です。

寧国が一番大きく、一番強い国。お嬢ちゃん、私たちはその首都・鳳城にいるんですよ!」

小玉の目がきらきらと輝く。

「鳳城は広いんです! 東から西まで馬で走っても、何時間もかかります。

元宵節は一番綺麗なんですよ。杜寧河には提灯がたくさん浮かんで、お祭りみたいで……まるで仙境です!」

(……寧国なんて、歴史にない。

本当に異世界に来てしまったんだ)

清瞳は内心で呟いた。

落ち着いて考えれば、悪いことばかりではない。

この体はまだ六歳。李家は右宰相の家柄。

衣食に困ることはない。

弁護士資格は役に立たないが、

「人間を理解する能力」

「交渉術」

「トラブル処理の経験」

「ネットワークビジネスで培った人心掌握」

これらはどの世界でも使えるはずだ。

(芸術はダメでも、学べばいい。詩も歌も……現代の財産を応用できる)

そして、ヨガ、空手、料理。

現代で身につけたものはすべて武器になる。

清瞳の胸にあった恐怖は、少しずつ引いていった。

唐園は広大な李家屋敷の最奥で、

七夫人の周りの召使は張婆と小玉の二人だけ。

装飾は優雅だが、豪華な金銀細工はない。

七夫人自身も質素な簪と真珠の花飾りを少し身につけるだけ。

(……他の夫人たちから、あからさまに疎まれている)

それは七夫人の出自――娼館、という背景が原因なのだろう。

李相が寵愛していないのも一因かもしれない。

(……この家で、生きていくには慎重に立ち回らなければ)

宰相に気に入られるのは得策ではない。

権力の目に触れれば、その分だけ嫉妬と敵が増える。

“出る杭は打たれる”世界だ。

だからこそ――

(今は時を待つしかない。私はまだ六歳。焦る必要はない)


夜明け前、清瞳はそっと起き上がった。

小玉も眠そうな目をこすりながら起きる。

「お嬢ちゃん、どうしてこんなに早起きなのですか?

いつもは起きるの大嫌いなのに……」

清瞳は微笑んだ。

「昨日、式で父上様に褒められたから……嬉しくて、眠れないの。

ねえ小玉、張婆に服を作ってもらえない? 動きやすいやつ」

小玉はぱっと顔を明るくした。

「小玉、何でも作れますよ! どんな服がいいですか?」

(そうか……小玉の体に転生してたら、絶望してたかも……)

清瞳は内心で苦笑しながら言った。

「あとで型紙を描くわ。

それから……小玉。朝は七夫人に挨拶に行くの?」

「七夫人は静かなお方です。朝は大夫人様にご挨拶してから、お部屋で刺繍などをしてお過ごしです。

お嬢ちゃんは行かなくて大丈夫ですよ」

清瞳はほっとした。

「じゃあ……何か習いたくなったら誰に言えばいいの?」

小玉は驚いた顔をした。

「お姉様たちは先生がいますけど……お嬢ちゃんは以前、先生を何人も追い出しちゃったので、今はいません。

でも、七夫人こそ本物の才女!七夫人に習えば何でもできるようになりますよ!」

清瞳は胸が熱くなった。

(目の前に最高の味方がいる……!)

彼女は小玉の目を見て言った。

「少し散歩したいの。案内してくれる?

それに……美しい母ちゃんに、上手になったところを見せたいの」

小玉は顔を赤らめ、嬉しそうに頷いた。

「お嬢ちゃん、今日はどうしちゃったんですか?

いつもは庭から出もしないのに……!」

清瞳は静かに答えた。

「美しい母ちゃんが泣くのを見るの、我慢できないの。

この庭に閉じ込められたままなんて……可哀そうすぎる。

小玉、手伝って。

私たち、いじめられたくないの」

小玉の目に涙が浮かんだ。

「お嬢ちゃん……急に、大人になられたみたいです……」

清瞳はふっと微笑む。

「お姉様たち、夫人たち……偉そうね」

小玉は慌てて周囲を見回して囁いた。

「気をつけてください……三夫人と四夫人は、良い家柄です。

ほかの夫人たちも皆そうですが……七夫人だけは違う。

七夫人は……娼館の出で……初夜に大金で李相に買われたのです。

だから、皆が七夫人を軽蔑するのです」

清瞳は心の中で毒づいた。

(……この世界、本当に最悪!!

七夫人の身分、私の身分……犬以下の扱いなの?)

そのあと一時間、清瞳は唐園を歩き回り、構造を頭に叩き込んだ。

部屋に戻り、小玉を七夫人のもとへ様子見に向かわせると、

清瞳は机に向かい筆を取った。

庭園、回廊、小さな門、菜園、竹林——

すべてを正確に記憶し、地図として描き起こす。

唐園は李家の広大な敷地の端。目立たず、人もあまり来ない。

(……この位置なら、塀を越えても気づかれない。必要なら、外へ出られる)

六歳の小さな手で描かれた地図を眺めながら、清瞳はゆっくり息を吐いた。

——ここからが、本当の“生存戦略”の始まりだ。

  七夫人は、小玉から“清瞳が早起きしてお稽古を学びたいと言っている”と聞くや否や、ほとんど飛ぶように清瞳の部屋へ駆け込んできた。

「清瞳! 何を習いたいの? なぜ学びたいと思ったの? 母ちゃんに教えて!」

興奮に頬を染めた顔で清瞳の手を握りしめる七夫人。

その温かい眼差しを受け、清瞳は小さな手でそっと握り返した。

「母ちゃん……私は才女になりたいわけじゃありません。普通でいいの。

父上様に怒られるのが嫌なだけなんです」

七夫人の目にうるんだ光が宿った。

「清瞳は私の娘よ。才能がないなんて、そんなはずないでしょう?

あんなに美しい詩を詠んだのよ? 清瞳にはきっと素晴らしい才があるわ」

(“才女”なんてどうでもいい。私はこの家から自由になるために勉強するんだ)

清瞳は心の中だけで悪態をつきつつ、静かに頷いた。

その日から七夫人は毎日、琴と絵を丁寧に教えるようになった。

六歳の脳の柔らかさに加え、二十八歳の知識と集中力——

清瞳の吸収速度は驚異的だった。

琴を弾くうちに、いつしか清瞳は琴そのものを好きになっていた。

ときには現代のメロディを弾きながら歌い、七夫人を驚かせて喜ばせた。


ある日、清瞳が「水調前奏曲」を弾き終えると、七夫人はそっと涙を流していた。

「清瞳……本当に美しい曲ね……。あなたの演奏は、清蕾のものより……ずっと胸に響くわ」

清瞳は驚き、思わず問い返した。

「曲が良いからでしょう? 私の演奏のせいじゃないわ」

そう言いながら、「梅花変奏曲」を続けて弾き始めた。

七夫人は誇らしげに頷いた。

「母ちゃんは四歳から琴を習って、十五の頃には鳳城で右に出る者はいなかった。

その母ちゃんが言うのだから間違いないわ。清瞳の琴には梅の香りが宿ってる。寒さに負けない誇り高さまで見えるのよ……。清瞳、あなたは母ちゃんの誇りよ」

喜びで瞳を輝かせる七夫人を見て、清瞳は息を飲んだ。

(……鳳城で一番の音楽家がそう言うなら、本当なのかもしれない)

琴の本質を掴む力は、子どもの天性だけではない。現代で経験した感情の厚みと、人生を知る大人の視点があるからこそ。清蕾にはまだ理解できない深みが、清瞳にはあった。

やがて清瞳は真剣な顔で耳打ちした。

「母ちゃん……このこと、誰にも言わないで。

清瞳は母ちゃんのためだけに琴を弾きたいの」

七夫人は微笑んだ。

「お姉様たちの妬みを買いたくないのね?」

清瞳はきっぱりと頷く。

「琴は、分かる人のために弾くものよ。

もし私がお姉様より上手と分かったら、来客のたびに弾けと言われる。そんなの嫌だわ!」

七夫人はくすりと笑い、清瞳を腕の中にぎゅっと抱きしめた。

「……本当に賢い子。清瞳は母ちゃんのすべてよ」

清瞳は七夫人を抱き返しながら心に誓った。

(絶対に、この人を自由にしてみせる。現代のわたしより若い、この優しい七夫人を……必ず)


毎朝、清瞳は小玉が作った動きやすい上着とワイドパンツに着替え、走り込みをした。竹林まで疾走し、その後は空手の型を繰り返す。夜はヨガを三十分。七夫人も張婆も小玉も巻き込んで、皆で身体を鍛えた。

清瞳の顔色は日に日に良くなり、からだも強くなっていった。


そして三ヶ月ごとの「式」の日が再びやってきた。

清蕾も清飛も前回より格段に腕を上げ、李相を喜ばせた。

そして清瞳の番——。

今回は歌を披露した。

歌詞は美しく、声も澄んでいるのだが、時折音程がわずかに外れる。

李相は前回の詩を「七夫人が教えたもの」だと思い込んでいたため、今回は詩を書かせなかった。

しかし歌を習っているのを知って満足し、優しい言葉をかけた。

一方、夫人たちは七夫人を「また李相の注意を引くため娘を利用している」と陰で罵っていた。

その嫌悪は確実に深くなっていた。

だが七夫人は誰とも争わず、ただ静かに唐園で暮らしている。

その優しさがかえって他の夫人の苛立ちを煽っているのだ。

清瞳は毎回、囲碁や刺繍、琴など様々な技を“それなり”に披露した。

どれも形にはなったが、どれも突出したものではない。

李相は初めは喜んだが、徐々にため息を増やしていく。

(……まあ、これでいいのよ)

清瞳は心の中でほくそ笑む。突出しなければ妬まれず、目立たない。七夫人を守るためにも、いまは爪を隠す方がいい。

「清瞳よ、いつまで才能を隠しておくつもりなの?」

七夫人がある日問いかけた。

清瞳は悪戯っぽく笑って答えた。

「母ちゃん、兵法には“鷹は爪を隠す”って書いてあるのよ。

子どもがいない他の夫人たち、最近は私に優しくなったと思わない?」

七夫人は娘の成長に驚きながら、どこか安心したように微笑んだ。

こうして歳月は流れ、

清瞳は十二歳に、

清蕾は十六歳に、

清飛は十四歳になった。


三人の姉妹の運命は、これから大きく動き出そうとしていた——。




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