第5部 第11話『その拳を、届かせろ』
【前回のあらすじ】
エルゴスの本部へ乗り込んだ一行は、その圧倒的な力に追い詰められた。少年時代の記憶を奪われ、カイを肯定するよう意識を補正されていたと知ったレヴェリオは、それでも自ら戦うことを選ぶ。ライジングレヴェリオレッドへと変身し、ライガ、カイとともに反撃。エルザの処置によって三魔王の魔力も戻り、奪われた帰還路を巡る戦いは、ついに正面からの激突へ移る。
※本作品の執筆にはAIを活用しています。
「ここからは――俺らも殴るで」
グリムが、返された腕輪を天へと掲げた。
その両脇で、ネビュロスの魔導書が猛烈な吹雪を孕み、ヴェルミリオンの波打つ紫髪を妖艶な紫の魔光が照らし出す。
「「「魔導展開!!」」」
赤熱した魔力の奔流が、グリムの全身から火山のように噴き上がった。
胸から肩へ黒曜石の重装甲が隆起し、両腕を覆う手甲の継ぎ目にマグマのような灼熱が走る。脚を包む無骨な外殻が床を踏み砕き、背部の排熱口から爆炎が噴き抜けた。
その爆炎の中央で、剥き出しの顔が凶悪な牙を見せて笑う。
ネビュロスの足元には、巨大な蒼い霜の花が咲き誇った。
幾重もの氷晶が胸、肩、膝へと美しく噛み合い、蒼銀の甲冑を形作る。最後の結晶が手の甲へカチンと収まった瞬間、広間を漂う粉塵すらもが白く凍りついた。
ヴェルミリオンを包むのは、深紫の艶を帯びた滑らかな外骨格。
流線型の装甲が四肢を覆い、背中で半透明の妖翅が開く。舞い上がった鱗粉が空間の光を乱反射させ、彼の姿を左右へ幾重にも揺らめかせた。
真・魔導外殻。
借り手たちの手から本来の主へと戻った鎧に、三魔王の真の力が満ち溢れる。
それを迎え撃つように、エルゴスの機械腕が正面から伸びた。
狙うのは、グリムの胸部。先ほどレクスとアシュレイをまとめて床へ叩きつけた悪魔の腕が、同じように関節を裏返して迫る。
だが、グリムは一歩も退かなかった。
ドンッ!!
腹に響く重低音が広間を震わせる。
黒曜石の手甲と金属が正面から激突し、グリムの足元から蜘蛛の巣状に亀裂が走った。だが、彼の胸を貫くはずだった鋭利な先端は、両掌の間で完全に停止していた。
「ほう」
エルゴスが腕を引き抜こうとする。
微動だにしない。
逆に、グリムが一歩、重く踏み込んだ。
「さっきから、ようあいつら振り回してくれたな」
黒曜石の指が、ミシミシと金属へ食い込む。
グリムは腰を深く沈め、万力のように掴んだ機械腕を力任せに横へ振り抜いた。巨大なエルゴスの身体が中央へ引きずり出され、バランスを取ろうと残る二本の腕が床を掻く。
その一本へ、絶対零度の蒼い氷が蛇のように駆け上がった。
「氷鎖・零結陣!」
ネビュロスの声と共に床から無数の氷鎖が噴き出し、機械腕を床へ縫い留める。
エルゴスは咄嗟に残った最後の一本をネビュロスへ突き出した。先端が蒼銀の胸を貫いた――かに見えた瞬間、その姿は無数の紫の蝶へとほどけた。
「そこにはいないよ」
幻影を残して退いたネビュロスの代わりに、ヴェルミリオンは既にエルゴスの肩の上に舞い降りていた。
機械腕を軽やかに蹴って跳び、翅の縁を鋭利な刃へと変えて振り抜く。銀灰色の肩甲から激しい火花が噴き出し、分厚い装甲が一枚剥がれ落ちた。
彼が着地するのと入れ替わりに、引き寄せられた巨体へグリムの豪膝が突き刺さる。
装甲の凹む鈍い音。エルゴスの巨体が「く」の字に折れ曲がった。
「これが、持ち主の殴り方や!!」
続く裏拳が、老人の頬を無慈悲に捉える。
エルゴスの首が横へ跳ね、巨体が氷鎖を軋ませながら床を削って吹き飛んだ。
後方で、アシュレイがその一撃をあんぐりと口を開けて見ていた。
自分の拳では凹ませるのがやっとだった装甲が、今、グリムの拳の形にひしゃげている。
「……あんなの、まだ出んのかよ」
悔しさと頼もしさが入り混じった笑みを浮かべる彼の横を、レクスが駆け抜けた。
「車を下げる! 退避路を空けてくれ!」
*
レクスが管制車を急発進させて入口側へ退かせる間に、アシュレイは坂を塞いでいた重い瓦礫を力任せに押しのけた。
車内では、エルザとポルクが三つの試作デバイスの最終調整に張り付いている。奪い取った六区の管理を守り抜くための戦いも、まだ終わってはいない。
セイジは車とは反対側、奥の接続装置へ向かって走った。
あそこへ辿り着けば、六つの帰還路すべてを確保できる。だが、外殻を失った生身の脚では、死風の吹き荒れる戦場の中央を突っ切ることはできない。
頭上を黒い槍が掠めた。
壁際へ身を伏せたセイジの前に、蒼銀の戦士が降り立つ。
「行け」
ネビュロスが魔導書をパラリと開く。
槍を受けて砕けた氷壁の奥に、瞬時に次の一枚が立ち塞がる。
「後ろは私が見ている」
セイジは顔を上げた。
かつては、その冷たい氷に閉じ込められ、絶望した。だが今は、同じ氷の内側を、背中を守られながら走っている。
胸にこみ上げるものを押し殺し、彼は短く答えた。
「任せる」
セイジは壁際を駆け抜けた。
坂の手前では、アシュレイがようやく巨大な岩塊を押し倒し、管制車がその脇をすり抜ける。レクスは車体を折れ曲がった通路の死角へ入れ、広間からの射線を完全に切った。
運転席から飛び降りた彼へ、ポルクが焦燥に満ちた声を掛ける。
「三人とも、まだ戦線に戻れます! これが完成すれば!」
レクスの視線が、車内で調整中の三つのデバイスへ向いた。
どれも、まだ腕へ着けられる状態ではない。
「……分かった」
血のにじむような声で答え、広間へ向き直る。
今すぐ欲しい。自分も再びあの戦いの中へ立ちたい。だが、完成を急ぐ二人へ怒鳴ったところで、仲間の助けにはならない。
「アシュレイ。こっちは俺たちで死守するぞ」
「言われなくても分かってる」
生身の二人が、退避路の左右に仁王立ちになった。
*
グリムの剛拳が、再びエルゴスの腹部へめり込んだ。
だが、潰れた装甲の内側から、不気味な金属繊維が蛇の群れのように噴き出す。それが手甲を絡め取ろうとする寸前、グリムは舌打ちと共に腕を引いた。
背の機械腕を縛っていた氷鎖が、一本、また一本とピキピキ音を立てて割れ始めている。
「魔力は戻ったようだが、その傷ついた肉体はそのままだ」
エルゴスが右手を無造作に振るう。
グリムは顔面への拳を弾き、続く鋭い膝蹴りを肘でガードした。
だが、その強烈な衝撃に、痛む右肩がビクリと引き攣る。
グリムのガードが、一瞬だけ下がった。
エルゴスは、その死角へ機械腕を容赦なく突き込んだ。
黒曜石の脇腹が深々と抉られ、グリムの身体が真横へ吹き飛ぶ。踏みとどまろうとした右脚へ、床から這い出た黒い鎖が蛇のように絡みついた。
「先ほどから、右を庇っているな」
巨体が覆いかぶさる。
視界を埋め尽くすほどの、巨大な銀灰色の拳。
グリムが迎撃に左腕を上げた、その直前――純白の翼が、二人の間に割り込んだ。
ズドォォン!!
轟音とともに、光の羽根が吹雪のように散る。
カイが肩から強引に押し入り、エルゴスの拳の軌道を外へ逸らしていた。受け止めた光翼には、無惨な大穴が開いている。
「右は私が受ける。前へ出ろ!」
グリムの目が、咄嗟にカイを睨んだ。
かつて村で命令を下した男。自分たちから奪った力を、冷酷な兵器として使った男。
それが今、自分の身を挺して盾になっている。
胸の奥に燻る怒りは、決して消えはしない。だが――。
「遅れんなよ」
グリムはそれだけを吐き捨て、足元の鎖を力任せに踏み砕いた。
カイの傷ついた光翼を足場にして高く跳躍し、エルゴスの胸へ豪快な蹴りを叩き込む。押し戻された巨体の左側へ、赤い閃光が回り込んだ。
「爆熱剛拳!!」
ライガの白炎の拳が、装甲の剥がれた肩の奥深くへ突き刺さる。
エルゴスが仰け反った隙に、カイがグリムの背後へ迫っていた機械腕を斬り弾いた。
ライガは二人と目を合わせ――何も言わず、さらにもう一歩深く踏み込んだ。
「次、来るぞ!」
三人が同時に天を仰ぐ。
広間の頭上から、絶望的な数の黒い槍の雨が降り注いできた。
*
広間の床が、次々と槍に串刺しにされていく。
ヴェルミリオンは飛び退きながら妖翅を羽ばたかせ、仲間の姿を幻影へ紛れ込ませる。しかしエルゴスは、姿が消えた一帯を丸ごと薙ぎ払うように槍の雨を降らせた。
避けた先から、さらに槍が生える。
「散れ!」
ネビュロスが極厚の氷壁を斜めに展開した。
滑り落ちた槍が火花を散らして床を裂く。その氷の陰へ滑り込んだライガは、白炎を傷ついた右腕へ限界まで圧縮した。
「胸だ! さっきから、あいつあそこを庇ってる!」
先ほどの連携でカイが裂いた胸の装甲には、まだ白く焼けた亀裂が残っていた。
エルゴスはそこを左腕で覆い隠すようにしながら、背の腕だけで攻撃を仕掛けている。再生する金属繊維は、装甲の奥で赤く不気味に光る『何か』から伸びていた。
レヴェリオが、静かに翼を畳んだ。
脚を狙う槍を軽やかな跳躍でかわし、エルゴスの側面へ滑り込む。
その両手を胸へ向けた途端、裂け目を守るエルゴスの左腕が立ち塞がった。
「そこまで見せるつもりはない」
掌から、空間が歪むほどの黒い重圧が噴き出す。
レヴェリオは両腕を交差させ、翼の刃を床へ食い込ませて耐えるが、それでもジリジリと後ろへ押されていく。
紫のバイザー越しに、胸の裂け目が徐々に閉じていくのが見えた。
「閉じるな……!」
片手を決死の覚悟で前へ伸ばす。
自分へ迫る致死の圧力を、残る片腕と翼だけで受け止める。銀の縁が悲鳴を上げて軋み、背中が焼け焦げるように痛んだ。
だが、エルゴスの胸甲の再生も止まった。
閉じようとする左右の装甲板が、見えない重力の腕で強引に外へ引っ張られている。
その奥に――ドクン、ドクンと脈打つ、禍々しい赤い球体があった。
「見えた!」
声を上げた瞬間、死角から機械腕が彼女の細い首へ迫った。
避ければ、胸を押し開く重力場が途切れる。
しかし、レヴェリオは微動だにしなかった。
「カイ!」
閃光。
光の剣が目の前を一閃し、機械腕の先端が切り落とされて彼女の足元へ転がった。
「見ている!」
カイが剣を構え直して盾となる。
反対側からは、グリムの炎が彼女へ迫る槍の群れをまとめて焼き払った。
「呼べや! 一人で全部止めんな!」
レヴェリオは、バイザーの下で一瞬だけ笑った。
深く息を吸い込み、両手を胸の裂け目へ突き出す。
もう、力を振り分ける必要はない。背後の脅威は、信頼できる仲間たちが全て止めてくれる。
メキメキと音を立てて、左右の装甲が大きくこじ開けられた。
「真ん中、壊せる!」
エルゴスの灰色の瞳が、驚愕に見開かれ、レヴェリオを射抜く。
「その力を、一体誰が――」
「知ってる!」
レヴェリオが、エルゴスの言葉を遮って叫び返した。
「だから今、こう使う!!」
*
奥の接続装置で、セイジが顔を上げた。
六つの区画の表示は、まだ途切れていない。帰還路をつなぐこの装置は、エルゴスの本体とは独立して稼働していた。
「ポルク、帰還路を確保する! そっちで受けてくれ!」
『はいっ!』
画面の赤いエラー表示が、パキパキと音を立てて緑色へ変わっていく。
第一から第六まで、すべての経路が繋がった。
まだ誰かを闇雲に歩かせるわけにはいかないが、エルゴスを倒した後に帰る道を、もう探し直す必要はない。
セイジは広間の仲間たちへ叫んだ。
「接続は守った! そいつを倒せ!!」
エルゴスが忌々しげに奥へ顔を向けた。
その一瞬の隙を突き、ヴェルミリオンが軽やかに指を鳴らす。
「君の相手は、こっちだよ」
無数の紫の蝶が、エルゴスの視界を完全に埋め尽くした。
蝶は次々と鏡へと変わり、そこからグリムの剛拳が飛び出す。ライガの白炎、カイの光剣、レヴェリオの翼刃。四方八方から襲い来る幻影の連撃に、機械腕がパニックを起こしたように迎撃に跳ねた。
拳は空を切り、剣は砕けた鏡へと戻る。
しかし、その万華鏡の奥から突き出した紫の刃だけは、本物だった。
「万華鏡の終焉!」
鏡面が一斉に弾け飛ぶ。
殺到する幻影の刃が、再生しかけた肩の装甲と、背中から伸びる赤黒い管を容赦なく切り刻んだ。エルゴスが全方位へ防御の槍を放つが、刃は鏡の破片を渡り歩き、迎撃の内側からさらに肉を削いだ。
たまらず、残る三本の機械腕が本体を守るために外へ開く。
「ネビュロス!」
ヴェルミリオンの合図に、蒼銀の魔王が魔導書を力強く押し開いた。
頁を押さえる指から血が滲む。彼は限界を超えた魔力を込め、腕を振り下ろした。
「凍滅零界!!」
蒼白い絶対零度の奔流が、床を凍てつかせながら走った。
跳ね上がっていた機械腕が空中でカチンと凍りつく。脚を包んだ氷河が腰まで一気に駆け上がり、エルゴスの巨体を広間の中央へ完全に縫い留めた。
管の中を巡る赤い光すらも、分厚い氷の下で脈動を鈍らせた。
老人の顔から余裕が剥がれ落ち、苦痛に大きく歪んだ。
レヴェリオが右手を引く。
左手の重力だけで胸を開き続け、高く掲げた右手へ漆黒の雷を極限まで圧縮する。
ライジングレヴェリオレッドの翼が、深紅の内側と銀の刃を大きく晒した。
「黒雷槍!!」
投擲された黒雷の槍が、胸の裂け目を真っ直ぐに貫く。
赤い球を守る内側の殻に突き刺さり、黒雷が脈打つたびに、伸びかけた再生の繊維が内側から黒焦げになって千切れた。
エルゴスが、その口を大きく開く。
喉の奥に、致死の赤い光が収束し始めた。
「まだ、喋る気か!」
カイが正面から飛び込んだ。
六枚の光翼が、持つ剣の刀身へ極光となって収束する。かつてこの男に差し出し、利用された手で、今度は自らの意志で剣を振り上げた。
「聖翼断光!!」
白銀の絶対刃が、喉元から胸へ向かって一直線に振り下ろされた。
発射寸前だった光線が斬り裂かれ、左右へ無惨に噴き散る。分厚い内殻が真っ二つに割れ、その奥底で、赤いコアが完全に露出した。
カイは剣を引き抜き、横へ跳躍する。
入れ替わりに、白炎の戦士が猛スピードで突っ込んだ。
「炎の突撃!!」
ライガの渾身の拳が、突き刺さった黒雷槍の柄へ杭打ちのように叩き込まれた。
槍がさらに深々と奥へ食い込む。その周囲を白炎が駆け巡り、コアへ繋がろうとする無数の繊維をチリ一つ残さず焼き払った。
エルゴスの胸で、再生の光が完全に途絶えた。
「グリム!!」
ライガが横へ身を投げる。
剣から背へ戻ったカイの光翼がその身体を受け止め、ネビュロスが正面の氷だけを砕き割る。
エルゴスのコアへ至る、真っ直ぐな一本の道が開かれた。
*
グリムは、もう地を蹴っていた。
右脚が激しく痛む。
踏み込むたびに、脇腹の傷が開き、血が滲むのが分かった。だが、拳へ流れる炎は少しも途切れなかった。
腕輪を借りてボロボロになるまで戦ったアシュレイの背中。カイを庇って立ち塞がったレヴェリオ。何度地に這っても、自分の前へ戻ってきたライガ。
彼らが命懸けで繋いでくれたこの一撃を、止める理由などどこにもない。
エルゴスの左手が、最後の足掻きのように持ち上がった。
黒い槍の先端が、掌に形成される。
グリムは、その手首へ左の裏拳を容赦なく打ち込んだ。
「焔魔王連撃・不知火!!」
槍が明後日の方向へ逸れ、天井を穿つ。
続く右の肘打ちが顎をかち上げ、豪炎の膝蹴りが腹の装甲を粉砕する。左、右、踏み込みからの強烈な回し蹴り。氷に縫い留められ逃げ場を失った巨体へ、火山の噴火のような連撃が次々と叩き込まれる。
エルゴスの右腕が、致命傷を防ごうと立ち塞がった。
グリムは、構わず殴り抜けた。
手甲の下で、己の骨が悲鳴を上げて軋む。
痛みに牙を食いしばり、そのまま拳を強引に押し込み、立ち塞がる銀灰色の前腕ごと、胸の奥深くへ潰し込んだ。
目の前に、憎き老人の顔があった。
母を奪い、自分の炎を奪い、残った仲間たちまで実験の部品として嘲笑った男。
故郷の村の焼け跡を、「実験の結果」として冷酷に語った口。
「おかんはな」
右拳を、限界まで引き絞る。
仲間たちが開いた道の先で、拳へ集めた炎が――純白に染まった。
「お前の実験のために、俺を逃がしたんちゃうぞ!!」
エルゴスの目が、恐怖に見開かれた。
純白の炎を纏ったグリムの拳が、赤い球体へ深々と突き刺さる。
ドォォォォォォンッ!!!
白炎が、コアの内側から大爆発を起こした。
胸の奥で赤い球が木っ端微塵に砕け散る。それに接続されていた全ての管が連鎖的に破裂し、銀灰色の重装甲が内側から風船のように膨れ上がった。
グリムが腕を引き抜き、蹴りを出して距離を取る。ヴェルミリオンがすかさずその身体を横から引いて退避させた。
次の瞬間、エルゴスの上半身が、天を衝くような白い火柱に完全に呑み込まれた。
凍りついていた三本の腕が根元からへし折れる。
巨体が膝から崩れ落ち、凄まじい地響きと共に床へ叩きつけられた。
走ろうとしていた再生の繊維は、全てが焼け焦げたまま、二度と戻ることはなかった。
最後に残った右手が、虚しく床を掻く。
指が一度だけ曲がり――そして、完全に機能を停止した。
*
焼けた金属の欠片が、パラパラと落ちる音だけが広間に響いていた。
グリムは荒い息を吐きながら、片膝をついた。
拳を開こうとしたが、指は固まったまま動かない。黒曜石の手甲には無数の亀裂が走り、隙間から赤黒い血が滴り落ちている。
「……しぶとい爺やで、ほんま」
ヴェルミリオンが隣へしゃがみ込んだ。
「最後、僕が引っ張らなかったら一緒にこんがり焼けてたよ」
「引くやろ、お前なら」
ヴェルミリオンは一瞬目を丸くし、それからふっと小さく笑った。
「まったく」
ネビュロスが静かに魔導書を閉じる。
肩の氷晶がいくつかカチンと剥がれ落ちた。彼もまた、息を整えるまでは声を出せなかった。
レヴェリオは、背の翼をゆっくりと畳んだ。
カイがその隣に立つ。
今度は、どちらも相手を庇うために前へ出ることはしなかった。
「……今のは、合ったね」
レヴェリオが横顔を向けて言う。
「ああ」
カイが光剣をスッと下ろす。
レヴェリオは、小さく拳を差し出した。
カイは一度その拳を見つめ、自分の手甲を軽く当てた。
コツン、と乾いた小さな音が響いた。
ライガはそれを見届け、グリムの前に歩み寄って膝をついた。
「立てるか」
「先に道、確かめろ。親父が待っとるんやろ」
ライガが力強く頷いた。
奥では、セイジが第一区の監視映像を開いていた。白い廊下の向こうに、人影が見える。遠くからこちらを覗き込む者、扉の前で不安げに立ちすくむ者。
「道は繋がっている! 向こうへ、迎えに行けるぞ!」
セイジの弾んだ声が広間に響き渡る。
レクスが車の影で長く息を吐き、アシュレイがズルズルと壁へ背中を預けた。
「……やっとかよ」
確保した道を通って、まだ誰一人として故郷へ帰ってはいない。
それでも、彼らの帰還路を理不尽に塞いでいた巨大な悪意は、確かに目の前で砕け散っていた。
*
――だが。
黒焦げの残骸の中で、白い点が不気味に瞬いた。
レヴェリオの翼が、危険を察知してビクリと跳ねる。
「待って」
黒く焼け焦げたエルゴスの指先から、細い光が糸のようにほどけ出ている。
それは、金属の再生繊維ではなかった。四角いデジタルノイズのような光の欠片が宙へフワリと浮き上がり、残骸から離れていく。
胸、肩、割れた頭部。
完全に破壊されたはずの身体の各所から溢れ出した無数の光が、広間の中央の空間へ吸い込まれるように集まっていく。
カイが、戦慄と共に剣を構え直す。
「全員、下がれ!!」
集束する光の渦の中から、冷酷な声が響いた。
『肉体の損失を、私の終わりと同一視するな』
グリムが顔を上げる。
床に転がる機械腕は動いていない。砕き割ったコアも、再生してはいない。
それなのに、光の粒子の上に、巨大な人の輪郭が立ち上がっていた。
半透明のホログラムのような身体へ、漆黒の板が次々と空間から現れて吸い付く。
腕、脚、胸。板と板の隙間には、赤い肉も蠢く管もなく、ただ白く発光する細かなデータコードが滝のように流れ落ちている。
老人の顔が最後に浮かび上がり、その両側から閉じた黒い面へズブズブと沈み込んだ。
無機質な顔の中央に、白い縦線が一本、不気味に灯る。
背後では、巨大な幾何学の輪が後光のようにゆっくりと回転し始めた。
先ほどまでの無骨な機械腕に代わり、六枚の漆黒のモノリスが、寸分違わぬ間隔でその周囲を浮遊している。
新たなるエルゴスの足先は、床に触れてすらいなかった。
ネビュロスが、戦慄きながら魔導書を開く。
「……己の意識データまで、別の器へ移したというのか」
『お前たちに施す前に、私自身が既に到達している領域だ』
無機質な黒い指が、静かにこちらへ向けられた。
『デジタル・エデンに、朽ちる肉体など必要ない』
ライガが咄嗟に白炎の弾丸を放つ。
エルゴスは避けようともせず、ただ掌を横へスッと滑らせた。
ピタッ。
白炎の先端が、空中の何もない場所で「折れ曲がった」。
燃え尽きたのではない。炎の通り道となる空間そのものが直角に歪められ、熱線は誰もいない天井へ向かって突き刺さった。
天井が崩れ、巨大な石片が落ちてくる。
しかし、その全てが、エルゴスの肩より上の空間で見えない壁に阻まれたようにピタリと静止した。
ライガの拳が、震えて止まる。
レヴェリオも両翼を開いたまま、宙に浮く石片に釘付けになっていた。
重力を変えた時の感覚とは全く違う。石も、炎も、空間のバグのように同じ境目で不自然に向きを変えられている。
『次は、お前たちの番だ』
背後を浮遊する六枚の黒い板が、一斉にこちらを向いた。
その鏡のような表面に、傷つきながらも構えを解かないグリムたちの姿が映し出される。
入口の陰で、ポルクが三つの試作デバイスを見た。
まだ、最後の調整が終わっていない。
隣でエルザが顔を上げ、地獄と化した戦場を一度だけ見た。
「ポルク。急ぐわよ」
「……はいっ!」
グリムは、開かなくなった右拳を左手で強引に支えた。
血まみれの足を踏ん張り、再び立ち上がる。
「人間やめたくらいで、殴られへんとでも思うたか……!」
砕けかけた黒曜石の手甲に、不屈の白炎が再びボワリと灯った。
(12話へ続く)
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