第5部 第7話『その炎は、お前のものじゃない』
【前回のあらすじ】
フロスティアで、ネビュロスたちはエナ、リト、ミナと向き合った。カイとレクスも、子供たちを従わせてきた側として、その言葉を受け止める。失われたものは戻らなくとも、自分の思いを口にできるようになった子供たちに見送られ、一行は旧組織の実験施設へ向かった。
※本作品の執筆にはAIを活用しています。
山道が途切れ、谷に架かった鉄の橋が見えた。
対岸の建物は山肌に半ば埋まり、窓がなかった。煙突だけが高く突き出し、薄い煙を吐いている。
車を降りたグリムが、橋の途中で止まった。
門の上から、丸い機械が浮かび上がったのだ。
腹の下に三枚の羽。その中央に赤い結晶がある。
「……まだ、これ使うとんのか」
機械が向きを変えた。
グリムは欄干を蹴り、胴体を掴んだ。そのまま橋へ叩きつける。
砕けた羽が谷へ落ちた。
腹の結晶だけは残り、掌から漏れた熱を吸って光った。
グリムの指に力が入る。
その横から、氷が結晶を包んだ。
「握り潰せば、また吸われる」
ネビュロスが言った。
グリムは機械を放し、靴底で踏み砕いた。
「寝ようとした頃に飛んでくるんや、こいつら。やっと撒いた思うても、次の晩にはまた来よる」
ライガが足元の破片を見た。
グリムの炎を回収していた機械。以前、聞かされた話が形になって、そこに落ちていた。
カイが身を屈めかける。
「触んな」
グリムの声が飛んだ。
カイの手が止まった。
「……結晶の型を確かめたかった」
「俺に聞いてからにせえ」
カイは手を引いた。
グリムはその横を通り、門へ向かった。
ライガが半歩遅れてついていく。
フロスティアでは、同じ教室の前で子供たちを待った。一緒に食事もした。だからといって、グリムとカイの間に何が変わったというのか。
カイを連れてきたのは自分だ。
そのことを、ここへ来てから思い出すようでは駄目だった。
*
門の警告灯が点いた。
『回収対象、確認』
扉が開いた。
待っていた兵士が四人、銃を上げる。
「対象のみ入れ。ほかは――」
「退け」
グリムが銃身を掴み、横へ折った。
殴りかかってきた兵士の腹へ肘を入れる。
左右から上がった銃口は、紫の蝶に包まれた。
「夢幻蝶」
鱗粉が炸裂する。
ヴェルミリオンが笑った時には、ネビュロスの氷が兵士たちの脚を床へ縫いつけていた。
ライガが銃を奪い、レクスが残る一人を押さえ込む。
奥の職員が逃げた。
アシュレイが追いつき、隔壁の閉鎖スイッチへ伸びた腕を掴む。
「中にまだ人がいるだろうが!」
職員を壁へ押しつけ、その手から鍵を奪った。
セイジは傍らの操作盤へ端末をつないだ。
「搬入口は開けておく。戻る道はここだ」
グリムは返事をせず、通路の奥を見ていた。
台車の上に赤い結晶が並んでいる。
手を伸ばす前に、それが何か分かった。
身体の奥が熱くなった。
同じように、結晶の光も強くなった。
*
通路は吹き抜けの作業場へ続いていた。
太い炉が中央を貫き、その周りに八つの寝台が並んでいる。
横たわる者たちの胸に、輪が浮かんでいた。
ネビュロスが足を止めた。
フロスティアへ戻った兵士たちと、同じ輪だった。
床を走る赤い光が、寝台へ流れ込んでいる。
一人の男が腕を曲げた。指先が震え、開きかけた口から息だけが漏れた。
「何をしている」
ネビュロスが職員へ訊いた。
レクスに腕を押さえられた男は、炉を見たまま答えた。
「補充だ。管理者の欠損分を――」
「この者たちに、何をしていると訊いた」
男は黙った。
ネビュロスが寝台へ近づく。男の口が、また動いた。
顔を寄せても、言葉にはならなかった。
グリムは炉の前に立った。
赤い光が、内側から彼の頬を照らしている。
「これが、溜め込んだ分か」
ポルクが台車と炉を見比べた。
「回収した結晶を、ここへ集めています。今も、あの人たちの身体へ送っている」
グリムは寝台を見た。
追われて、焼き払い、また追われた。
あの夜も、その次の夜も。眠れずに殴り返した分が、ここへ届いていた。
知っていたことだった。
それでも、その炎で指を動かす人間までは見たことがなかった。
拳を握ると、炉の光が揺れた。
「……気色悪いねん」
炉の表面に、自分の顔が映っていた。
*
上階の管理室で、職員が記録を消そうとしていた。
アシュレイが椅子ごと引き離し、セイジが端末を押さえた。
「第六区への搬送記録がある。古いものも残っている」
エセリアの名が現れた。
フロスティアへの兵員配属。回収班の出動記録。
ヴェルミリオンが、画面の端を指した。
「その承認者。同じ名が続いているね」
エルゴス・シュタイン。
カイがその文字を見た。
覚えのある署名だった。書類を差し出す時、この男はいつも、自分で読んで決めたまえと言った。
カイが望んだ結論へ辿り着く材料だけを、机の上へ並べて。
「開いてくれ」
カイが言った。
古い実験の一覧が表示される。
その端に、村の写真があった。
「待て」
グリムが画面へ近づいた。
屋根の角が欠けた、小さな家。
雨が降ると母が桶を持ち出した。うるさいと文句を言ったら、先に屋根を直してくれと笑われた。
「そこや」
セイジが記録を開いた。
広場に、村人が並ばされていた。
腕を押さえる兵士。注射器。倒れた者を引きずって退ける手。
母がいた。
グリムの肩が上がった。
息を吸ったのに、胸へ入ってこなかった。
母は横を向いていた。
肩を押さえられても、何かを捜している。
グリムは画面の端を見た。自分は映っていなかった。
どこにいた。あの時、どちらから母を呼んだ。
母の身体が折れた。
腕から火が噴いた。
グリムの手が画面へ伸びた。
もう一度見せられるのだと分かっているのに、目を離せない。
炎をまとった母が走る。壁へ手をつく。石が赤くなり、穴が開く。
その向こうに、小さな自分がいた。
『隔壁破損。逃走個体確認』
「止めろ」
映像が止まった。
母の手が伸びたまま、宙に残った。
グリムは、画面の下の文字を見た。
母を見た。
もう一度、文字を見た。
「……これだけか」
声が掠れた。
「おかんがしたこと、これだけなんか」
誰も答えなかった。
グリムの手が胸元へ上がった。
指に引かれ、細い鎖の先から小さな銀のロケットが覗いた。表面には細かな傷が重なり、縁が少し潰れている。
母の遺品だった。
グリムは蓋を開けず、掌に包んだ。角が皮膚へ食い込んだ。
握り直すほど、映像の手が遠く見えた。
*
「カイ」
グリムは画面から目を離さずに呼んだ。
「お前、どこまで知っとった」
カイは、承認欄の日付を見た。
十年前。まだ科学者と会う前だった。
そう答えれば、事実にはなる。
だが、グリムは日付を訊いていなかった。
「炎を回収されている魔族がいることは、知っていた。原初の火を持つ生存個体として、資料が来ていた」
「生存個体」
グリムが繰り返した。
「君と初めて対峙した時、報告の対象だと判断した」
「せやろな」
振り向いたグリムの顔に、驚きはなかった。
「お前だけ、初めて見る目ぇやなかった」
カイは頷いた。
ライガが、横から彼を見る。
「俺たちには伏せたままにしたな」
「ああ。供給側の情報は、作戦には不要だとした」
「俺が何を使って戦っているかもか」
カイの唇が動いた。
そうだと答えるまでに、間があいた。
グリムが近づいた。
「俺の村を襲わせたんも、お前か」
「違う。この実験は、私が組織へ入る前だ。回収班もエルゴス側の指揮下にあった」
「ほな、お前は関係あらへんと」
「そうではない。回収された力を使い続けた。生体由来だと知っていて、供給を求めた」
「その力で、俺らを殺しに来たんやな」
カイの視線が、グリムからライガたちへ動いた。
かつて、そこには四つの赤いスーツが並んでいた。
自分が命じれば、動いた。
「ノクタリアを変えるには、理想だけでは足りないと思っていた。抵抗を押し切れる力と、その力に適合する者が必要だった」
「必要やったら、奪ってええんか」
「……私は、そうした」
グリムが一歩近づく。
カイは退かなかった。
「魔族から精製した生命エネルギーを動力にして、奪った魔力の特性をスーツへ組み込んだ。炎は、君から回収したものを二つに分けた」
アシュレイが顔を上げた。
「バーニングと、ブレイズか」
カイが頷く。
「守ろうとする時の炎は、ライガに。怒りとともに噴き出す炎は、アシュレイに。扱える者を選び、それぞれに合わせて調整した」
グリムの指が、ロケットから離れた。
母を助けたかった。
助けられなかったから、全部焼きたかった。
そのどちらにも、こいつらは使い道を見つけた。
「よう、都合よく分けられたもんやな」
エルザが口を開いた。
一度、息を飲み直した。
「調整したのは、私たちよ」
グリムが彼女を見た。
ポルクも、隣で俯いていた顔を上げた。
「渡された素材とデータを使って、装着者の身体に負担がかからないように調整したの。出力を抑えて、流し方を変えて……二人が扱えるところまで」
エルザは自分の手を握った。
試験のたびに、装着者の脈を見た。熱に耐えられるか、神経を傷めないか。異常があれば、何度でもやり直した。
その手で、今までグリムの傷も診てきた。
「グリム、あなたの炎だとは知らなかった。スーツの赤の正体も、あなたたちに聞いて初めて分かったの。でも、魔族を生体部品にする実験があることは、組織を出る前から知っていたわ」
グリムの胸の火傷から、目を逸らさなかった。
「何も知らなかったとは、言えない」
「知っとって、続けたんやな」
「ええ。怖くて、黙っていたの。担当の仕事を続けていれば、それ以上は関わらずに済むと思っていた」
エルザはカイへ向き直った。
「あなたの計画も知っていたわ。住民の意志を消して、演算に使うことまで。それでも、止めようとしなかった」
カイは彼女を見た。
開発局の主任。その隣にいる助手。
今は名前も顔も知っている。治療を受ける者へ向ける声も、工具を握る手も。
だが、当時の仕事を思い返して浮かぶのは、完成した装置と報告の数値だった。
「君たちが仕事を続けている限り、それでよかった。何を恐れているかは、確かめなかった」
「黙って働けば、私たちは安全だと思っていたわ」
エルザの声が硬くなった。
「あの施設が爆発するまでは」
ポルクが息を飲んだ。
足元へ目を落とす。床は揺れていない。
それでも、工具を抱えて座り込んだ時の振動が、膝に戻った。
「カイさん」
呼ぶと、カイがこちらを向いた。
それだけで、言葉が喉につかえた。
「僕たちが、まだ中にいるかどうかは……確かめたんですか」
カイはすぐには答えなかった。
「職員が残っている可能性は、分かっていた」
「可能性じゃなくて」
ポルクの声が、少し大きくなった。
「いたんです。エルザさんは脚を挟まれてて。僕じゃ、瓦礫をどかせなくて」
エルザの手が動き、途中で止まった。
ポルクは、カイを見ていた。
「誰が残っているかは、調べなかった」
カイが答えた。
「生きて出すことより、証拠を消すことを選んだ」
ポルクの眼鏡がずれた。
直そうとした指が、うまく上がらなかった。
「……あなたを車に乗せた時も、思い出しました。今は何もしないって分かってても、扉が閉まる音で」
カイの視線が下がりかけた。
ポルクは、もう一度口を開いた。
「こっちを見てください」
カイが顔を上げた。
「ライガさんが戻ってこなかったら、僕たち、そこで死んでたんです」
ライガの手が握られた。
引き出したエルザの身体の重さと、瓦礫の熱を覚えていた。
カイは彼へ助けを求めるように目を向けかけ、ポルクへ戻した。
「ああ。君たちが死んでも構わないと判断した」
ポルクの唇が震えた。
返事をもらえば言えると思っていたことが、出てこなかった。
エルザが、その隣へ並んだ。
「あなたと話していると、今もあの時のことを思い出すの。それでも、あなたが怪我をしたら診るわ。見捨てたくはないから」
カイは、彼女の目を見た。
「でも、もう許されたとは思わないで」
「……分かった」
「私たちだって、助けてもらえたから終わり、とは言えないわ」
エルザがグリムへ顔を戻した。
「あの施設で私たちが何をしていたか、作ったものが誰を傷つけたか。あなたたちに助けてもらっても、その事実は残っているもの」
グリムは二人を見た。
自分の傷へ触れる手だった。壊れるたびに、腕輪を直す手だった。
その手が、かつて自分を殴った鎧も作っていた。
「お前らの仕事まで、カイ一人に喋らせんなよ」
エルザが頷いた。
ポルクも、震えの残る指で眼鏡を直した。
「はい。……僕たちが、話します」
グリムはそれ以上、二人へ近づかなかった。
階下の炉が唸った。
母の手は、まだ画面の中で止まっていた。
「カイ」
ライガが呼んだ。
「俺となら世界を変えられると思ったって、言ったな」
カイの目が戻る。
「その適合も、含めてか」
「……ああ」
ライガの顎が、わずかに引かれた。
「君の考えを信じたいと思った。それも本当だ。だが、適合の結果を見て、君なら私の計画を実行できると喜んだ」
「俺が、どうしたいかよりもか」
カイは返事をしかけ、止まった。
ライガが自分に従っていた頃は、同じ未来を望んでいると思っていた。
違うと言われた時には、相手の方を変えようとした。
「君が私に逆らった時、私はそれを認めなかった」
ライガは唇を結んだ。
ここで、自分だけが利用された顔はできなかった。
その炎を纏い、グリムへ拳を向けた感触まで、自分のものだった。
「じゃあ俺は、壊したがる奴が欲しかったからか」
アシュレイの声が割って入った。
「怒りを力に変えられる者が必要だった」
「俺が何に怒ってても、よかったんだな」
カイが黙った。
アシュレイは笑いかけ、失敗した。
自分を見つけてくれたと思っていた。初めて、ここにいていいと言われた気がした。
それをまだ、全部嘘だったと言い切れないことが惨めだった。
グリムへ顔を向けた。
「俺たちのスーツが、魔族の命で動いてたのは聞いてた。知らなかったなんて、今さら言わねえ」
グリムは黙っていた。
「でも、あれで暴れて、俺は喜んでた。やっと俺にも力があるって。……お前の母ちゃんが死んだ時の怒りを、俺は」
「そこまで言わんでええ」
グリムが遮った。
アシュレイの喉が動く。
「俺の怒りがあったから、お前が人を焼いたんか」
「……違う」
アシュレイの手が、ゆっくり握られた。
「俺が、焼いた」
グリムは頷かなかった。
その答えを聞いたまま、カイを見た。
セイジが端末から手を離した。
「ネビュロスの力も使ったんだな」
「そうだ。保存と停止の魔力を解析したものを、君の先読みの演算に転用した」
「波長が反転していたのは、そのためです」
ポルクが言った。
以前、地下で気づいた一致を、今は本人たちの前で口にした。
セイジはネビュロスへ向き直った。
「私は、君より正確に先を読めると思っていた。それで君に勝とうとした」
「覚えている」
「その仕組みまで、君から奪っていたんだな」
ネビュロスの指が、魔導書の表紙を撫でた。
「私は、あの子たちを連れていかせたくなかった」
セイジの目が伏せられた。
「その力で、君たちは次に誰を捕らえるかを計算していたのか」
セイジはすぐには答えられなかった。
昨日、ミナが星を指していた手が浮かんだ。リトの隣に座るエナの顔も。
端末の中では、名前より先に危険度を見ていた。
「……そうだ」
ネビュロスは目を閉じ、開いた。
「その返事を、忘れるな」
セイジは頷いた。
開いたままの資料へ目を戻す。供給先の欄を辿っていた指が、別の項目で止まった。
「ジャッジにも転用の記録がある。精神干渉の補助機能……元の資料はエセリアのものだ」
レクスが近づいた。
ヴェルミリオンも、画面を覗いた。
「へえ。僕までいるのかい」
笑みはあったが、声は低かった。
カイが答えた。
「君の幻惑を解析し、相手の恐怖を強め、抵抗を鈍らせる働きに変えた。ジャッジのスーツに組み込んだ」
エルザが資料へ目を通した。
「この部分は、威圧を補助する機能とだけ説明されていたわ。誰の力なのかは、書かれていなかったの」
「怖がらせて、従わせるために?」
ヴェルミリオンの問いに、カイが頷いた。
「……気に入らない使い方だね」
ヴェルミリオンがレクスを見た。
「君は、どうだった。怯えて膝をつく顔を見るのは」
レクスの肩が固まった。
剣を掲げれば、相手は身を縮めた。
それを、自分の判決に逆らえないからだと思っていた。
「正しい者の前だから、怯えるのだと思った」
言いながら、唇が歪んだ。
「自分が間違っているとは、考えずに済んだ」
ヴェルミリオンの笑みが消えた。
「僕を見て、言ってくれるかい」
レクスが顔を上げた。
「お前から奪った力で、俺は、自分の方が正しいと信じた」
ヴェルミリオンは何も返さなかった。
レクスはその目から逃げず、続けた。
「だが、判決を口にしたのは俺だ。剣を振ったのも、俺だ。その仕組みを知っても、俺がしたことは変わらん」
グリムがレクスを見た。
「せや。お前が言うたんや。俺らに、死ねってな」
「ああ」
短い返事の後、誰も話さなかった。
炉の低い音が、床から響いてきた。
グリムは、部屋の中の顔を見た。
作った二人。纏っていた四人。
一緒に飯を食い、傷を診てもらい、背中を預けた相手ばかりだった。
その全員が、止まった母の映像の前にいる。
誰かが自分を苦しめようとしているわけではない。それが余計に、息苦しかった。
「力だけやのうて、こいつらの心まで、使い道で見とったんか」
カイが口を開きかけた。
「こいつらがしたことは、こいつらに聞く」
グリムは先に言った。
「せやけど、お前は知っとって渡したんやろ。俺らから奪ったもんで、こいつらに何をさせるかまで決めて」
グリムは、カイの白い襟を掴んだ。
背中が机へぶつかった。
「それで、俺らを何や思うて見とった」
カイの目が、間近の赤い瞳を捉えた。
以前なら、怒りで判断を誤った敵だと考えただろう。
声を荒らげ、先に手を出す。交渉できない。管理しなければ周囲を巻き込む。
そう判じるたび、相手の言葉を聞かずに済んだ。
「排除すべき障害だと」
グリムの指が締まった。
「私の秩序を壊す、制御できない敵だと思っていた」
「誰が、そうした」
カイは答えられなかった。
「俺らの村を潰して、逃げた先まで追い回して、殴り返したら今度は凶暴な魔族か。お前らの役に立つ時だけ、俺の炎やったんか」
「……私の責任だ」
「何の話しとんねん!」
机が軋んだ。
カイの肩越しに、母の手が見えた。
綺麗な服。汚れていない顔。そんな姿で母の映像の前に立つこの男を、グリムは殴りたかった。
レヴェリオと戦った時、背を向け合った。
だから何だ。
半年、同じ街にいた。
それが何だ。
今この男を前にしても、母はあの炎の中にいる。
ライガが近づいた。
「ライガ。止める気やったら、どけ」
グリムは睨んだ。
ライガの手が、一度上がりかけた。
だが、カイを掴んだ腕へは触れなかった。
「カイ。責任だと言って終わるな」
カイが彼を見た。
「グリムが聞いていることに答えろ。何を奪ったか、まだ話しているだろ」
ライガはグリムへ向き直った。
「カイの話を、俺が代わりに答える気はない。最後まで、こいつに聞く」
グリムの目が細くなった。
「……俺が聞いとるんや」
「カイをかばって、お前に我慢させる方が嫌だ」
カイが、握り込まれた襟を見た。
ライガが間に入れば、グリムは手を離すかもしれない。
ほんの一瞬、そう期待した。
それに気づいて、顔が熱くなった。
また、自分を受け入れる場所をライガに用意させようとしていた。
「私は……君が憎かった」
グリムの視線が戻った。
「君は、私の言うことを聞かなかった。従う理由がないと、正面から言った。ライガまで、君の言葉を聞くようになった」
カイはライガを見なかった。
「君の怒りを認めれば、私が正しいという前提が崩れる。だから、凶暴なのだと決めた。君が何を言っても、聞く必要がないことにした」
グリムの腕が、わずかに震えた。
「この映像は、今、初めて見た。だが、見ようとすれば見られたはずだ。私が受け取ったものの前に、何があったか」
カイの目が、母の伸ばした手へ向いた。
燃料の報告には、母親という欄はなかった。
なくてよかったのだ。そうでなければ、自分の手で消さなくてはならなかった。
「知らなかったままで、使いたかった」
口にすると、喉が痛んだ。
グリムの拳が上がった。
カイは目を閉じなかった。
フロスティアで、子供に嫌いだと言われた顔が重なった。
言い返さず、そこに立っていた。
あれを見ていなければ、殴れた。
見たところで、許せるものは何もない。
グリムの拳が、カイの頬の横を抜けた。
机の天板が割れ、端末が跳ねた。
「……腹立つわ」
腕を引いても、震えが止まらなかった。
「お前が今、何考えとるかまで、見せられなあかんのが」
襟を放す。
カイは机に手をついたまま、立っていた。
「仲間になった覚えはないで」
「ああ」
「お前に、おかんのことを分かった顔で言われたない」
カイは頷いた。
謝罪の言葉を探しかけて、やめた。
黙っていればいいということでもなかった。答えなくてはならないことが、自分にはまだ残っていた。
*
『よく話せるようになったな、カイ』
声がした。
カイの背筋が、反射的に伸びた。
その動きを、ライガが見た。
母の映像とは別の画面に、一人の男が映った。
白髪を後ろへ撫でつけた、六十前後の男だった。頬は削げ、目元に深い皺がある。痩せた身体を包む長い白衣には、汚れが一つもなかった。
黒い襟の上、右の首筋に細い金属の継ぎ目が見えた。
男は、カイの返事を待つように微笑んでいた。
「……エルゴス」
名前を呼ぶ前に、博士、と言いそうになった。
六年前、論文を読んだと声を掛けてきた男。
自分の考えを最後まで聞き、初めて、それを実現できると言った男。
あの時と同じ顔で、画面の向こうにいた。
『襟を直したまえ』
カイの手が動いた。
胸元へ届く前に、止まった。
エルゴスの灰色の目が、その手を見た。
それから、グリムへ移った。
『君も、ようやく来たか』
「ここにおるんか」
『そこにはいない。回収の報告が来たのでね。母親の記録まで見せる予定ではなかったが』
グリムが画面へ歩いた。
「予定になかったら、何や」
『君を逃がしたのも、予定にはなかった。あの女の行動は――』
「おかんや」
グリムの声が低くなった。
「実験が失敗して逃げたんやない。おかんが、俺を逃がしたんや」
エルゴスは、止まった映像を見た。
母の手を眺め、ゆっくり頷いた。
『そうだ。あの母親は、私の兵士よりよく君を動かした』
グリムの息が止まった。
『投薬だけでは出なかった力が、あの直後に現れた。君の反応を記録できたことには、大きな価値があった』
画面の下の机が、焦げ始めた。
「……その口で、おかんの話すんな」
男は怒らなかった。
身を引きもしなかった。
グリムがどんな顔をしても、視線を外さず見ていた。
この男の手は、綺麗だった。
母の手は、あんなになっていたのに。
『捕らえようとして部隊を失うより、放出した力を拾う方がよかった。君は抵抗をやめなかったからね』
「だから、何年も追わせたんか」
『得られた成果は、君も見ただろう』
エルゴスの目が、下階の炉へ向いた。
『カイは使いこなせなかったが、無駄にはしていない』
カイが顔を上げた。
「人を、何だと思っている」
エルゴスは微笑んだ。
『君がそれを訊くのか』
カイの口が閉じた。
『今は彼らに認められたいのかな。昔から変わらないね。居場所をくれる者の言葉を、君は正しいと呼ぶ』
ライガがカイの横へ出た。
カイは、彼へ伸ばしかけた手を握った。
「私がしたことを、この男と同じだと言われても否定できない」
カイはグリムへ言った。
それから、画面へ向き直った。
「だが、もうお前の供給は受けない。今、寝台につながれている者も渡さない」
『受け取る力がないだけだろう』
エルゴスは手元へ目を落とした。
『その施設から何を持ち出すかも、君が決めることではない』
下階で、金属音がした。
寝台の縁から拘束具がせり上がり、八人の身体を押さえた。
一人が身をよじった。
声にならない息が、階段の下から聞こえた。
「やめろ」
ネビュロスが駆け出した。
エルゴスは彼の背を見送った。
『まだ調整中だ。連れ出して、どうする』
「お前の手から離す」
グリムが答えた。
胸元のロケットを、服の内へ押し込んだ。
『君の力で動いているものを、壊すのか』
「俺の炎やったな」
腕輪へ手を当てた。
「ほな、よう見とけ。今度は何に使うか」
赤黒い炎が床を舐めた。
天井の蓋が開き、回収機が降りてくる。
腹の結晶が、こちらを向いた。
「魔導展開!」
溶岩のように赤熱する装甲が、グリムの身体を覆った。
背から炎が噴き出す。
伸ばした拳が、回収機を結晶ごと床へ叩き潰した。
「もう一欠片も、お前にはやらへん」
グリムは手すりを越え、炉の前へ飛び降りた。
(8話へ続く)
第7話をお読みいただき、ありがとうございます。
次回、奪われた炎の行き先を断つ戦いへ続きます。
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