第4部 第13話『帰ってきた者』
【前回のあらすじ】
第六居住区では、人々の記憶や帰りたいという願いまで「補正」されていた。登録処置から逃れたライガは、リドラムからの移送票と古い帳簿の一枚を持ち出す。追っ手が迫る中、タワーの瓦礫が残る保守通路で、重力の向きが変わる場所へ踏み込もうとしていた。
※本作品の執筆にはAIを活用しています。
ライガは金属棒を握ったまま、片足を前へ出した。
踏み出した脚が左へ引かれる。腰も引かれ、靴底が床を離れた。
棒を支えにして、両足を左の壁へつける。
身体を回すと、それまで壁だった面に立つことができた。今度は、背後の通路の床が垂直に見える。
右手の包帯に血がにじんでいた。棒から手を離し、瓦礫へ持ち替える。
「そこから先は危険です!」
追ってきた保守員が、境目の手前で止まった。
ライガは振り返らず、階段の残骸を越えた。その先にある裂け目から、崩れたタワーの柱が見えた。
腕を差し入れると、外の冷たい風が袖に入ってくる。
肩を通し、柱の根元をつかむ。
腰まで抜けたところで、身体を引く方向がまた変わった。ライガは肘をつき、腹ばいになって残りの身体を引きずり出した。
頬の下に、細かい砂があった。
空が見える。周囲には、焼けた金属と砕けた外壁が積み重なっていた。
戻った。
ライガはすぐに裂け目を振り返った。
白い通路が細くなっている。縁に引っかかっていた石が砕け落ちると、向こう側の明かりも消えた。
「待て……!」
身体を起こし、今出てきた隙間へ手を伸ばす。
小さな瓦礫を二つ退けた。奥には、折れた鉄骨と土が詰まっていた。白い壁も、追ってきた保守員も見えない。
ライガはそれ以上、石を動かさなかった。
周囲を見回し、折れた柱と外壁の位置を確かめる。場所を忘れないために、足元の平たい石へ金属片で大きく印をつけた。
上着の内側から紙を出す。
折り目は潰れていたが、文字は残っていた。
あの男は、まだ向こうにいる。
今度は、人を連れて戻らなければならない。
*
「ポルク。応答してくれ」
ライガは腕のサングへ呼びかけた。
雑音が続いた後、向こうで何かが床に落ちた。
『……今、誰が』
「俺だ。ライガだ」
『ライガさん? 本当に……ライガさんなんですか?』
「ああ。戻った」
ポルクは返事をしなかった。
通信の向こうで、何度も息を吸い直す音がした。
「ポルク?」
『聞こえてます……聞こえてますから。そのまま、切らないでください』
ライガは瓦礫に腰を下ろした。
『タワーが崩れて、誰も居場所が分からなくて……呼んでも、返事がなくて』
「すまなかった」
『謝らなくていいです。今、どこですか。怪我は?』
立て続けに聞かれ、ライガは自分のいる場所を伝えた。
右手と脇腹に傷はある。出血しているが、歩ける。
『歩けるって……』
「そっちは無事か」
その問いに、ポルクの声が変わった。
リドラムの広場でレヴェリオが兵士を殺したこと。レクスたちが止められなかったこと。グリムは今、回復カプセルで治療していること。
『俺は、そのそばにいます。エルザさんに、迎えを――』
「待て。広場からは出られるのか」
『兵士に見張らせています。勝手に通すなと……』
「なら、迎えはいい。誰かを無理に出すな」
ライガは折れた柱につかまって立った。
「そっちへ行く。通信は、つないでおいてくれ」
『……はい』
今度の返事は、はっきり聞こえた。
*
ライガがリドラムの広場へ着いた時、レクスは救護所の入口に座っていた。
ポルクから連絡は届いていた。それでも、通りの向こうに姿が見えた瞬間、椅子の肘掛けをつかんで立とうとした。
「おい、動くな!」
アシュレイが肩を支える。
レクスはその腕を握り返し、通りを指した。
裂けた上着を着た男が、壁に手をつきながら歩いてくる。
間違いなかった。
「ライガ……」
通りをふさいでいた元兵士が振り返った。
「ライガ隊長!」
広場にいた者たちも、その声で顔を上げた。
アシュレイはレクスを椅子へ戻すと、入口を飛び出した。
兵士がライガの前へ腕を出しかける。
「入れて」
演台の前から、レヴェリオが言った。
「その人にも、ここで話してもらう」
兵士が腕を下ろした直後、アシュレイがライガの前に立った。
顔を確かめるように見つめ、それから上着の肩をつかむ。
「お前……」
「アシュレイ」
「帰ってこねえかと思っただろうが!」
ライガが何か言う前に、アシュレイはその左腕を自分の肩へ回した。
強く引き寄せられ、ライガが息を詰める。
「悪い。どこだ、痛むの」
「右の脇腹だ」
「最初に言えよ、そういうことは……」
言いながら、アシュレイはライガの身体を支え直した。
手は震えていた。
ライガは少しだけ体重を預けた。
「戻ってこられた」
「見りゃ分かる」
アシュレイは前を向いたまま、救護所へ歩いた。
ライガの腕を、入口へ着いても離さなかった。
レクスが椅子から手を伸ばした。
ライガは空いている右手を出しかけ、包帯の血に気づいて止めた。レクスはその手ではなく、上腕を握った。
「お前を、残して……」
「俺が残ると決めた」
「それでも――」
レクスは続けられず、顔を伏せた。
ライガも、しばらく何も言わなかった。
「タワーから、みんな逃げられたんだな」
レクスが頷く。
「ああ。お前以外は」
「なら、これで揃った」
レクスの指に力が入った。
ようやく顔を上げた時、その目は赤くなっていた。
「……よく、帰った」
*
エルザはライガの上着を見て、奥の寝台を指した。
「先に横になって。話は手当てをしながら聞く」
ライガが広場を振り返った。
演台には毛布をかけられた遺体があり、その前で別の兵士が膝をついている。レヴェリオは書き取らせた紙を読み、兵士へ次の質問をしていた。
ライガと目が合うと、彼女は紙を下げた。
「君の順番も来る。タワーの話も、その後のことも聞かせて」
ライガは返事をせず、アシュレイと奥へ進んだ。
入口にはレクスが残った。住民たちも、まだ広場から出られない。
治療室では、ポルクがカプセルの横に立っていた。
ライガを見るなり一歩踏み出し、すぐに表示を振り返る。数値を確かめてから、寝台へ運ばれてくるライガを迎えた。
「……本当に」
ポルクはその先を言えなかった。
ライガの破れた袖へ触れ、肩へ手を移す。確かめ終わると、唇を噛んで俯いた。
「声だけじゃ、まだ……」
「心配をかけたな」
ポルクは何度も頷いた。
ライガはその肩を左手で軽く叩き、カプセルへ顔を向けた。
グリムは目を閉じていた。
胸がゆっくり上下し、蓋の向こうで治療が続いている。
「まだ、起こせません」
「起こさなくていい」
ライガはカプセルのそばで足を止めた。
「戻ったぞ。……今は寝ててくれ」
声をかけてから、隣の寝台へ腰を下ろした。
「君が戻らないと、彼がまた捜しに行くと言い出しかねないからねぇ」
壁際の寝台から、ヴェルミリオンが言った。
笑いかけた顔が、ライガの脇腹を見て曇る。
「その血、今も出ているのかい」
「途中で傷が開いた」
「……軽口は、手当てが済んでからにしようか」
ヴェルミリオンは手元にあった清潔な布をエルザへ渡した。
エルザはライガの上着を脱がせ、傷につかないよう薄い服を持ち上げる。
「ここまで、よく歩いたわね」
「途中で何度も休んだ」
「ここでも休んで。今度はちゃんと」
包帯が外されると、ライガは寝台の端を握った。
ポルクが布を受け取り、エルザの手当てを手伝う。グリムのカプセルから音がすると、すぐに振り返って表示を確かめた。
『ライガ。聞こえるか』
机の端末からセイジの声がした。
「聞こえる」
『……そうか』
一度言葉が途切れた。
『話せるなら返事をしろと、何度も呼んだんだぞ』
「悪かった」
『次からは、返事ができるうちにしろ』
「ああ」
少し離れたところから、ネビュロスの声も聞こえた。
『戻れたのなら、まず治療を受けなさい。詳しい話は、それからでいい』
ライガは枕へ頭を下ろした。
瓦礫の下でも、白い街でも、聞けなかった声がしている。
「……ただいま」
ポルクは包帯を持ったまま、目元を腕で拭った。
「お帰りなさい」
*
手当てが一段落すると、ライガは脱いだ上着を指した。
「内側に紙がある。二枚だ」
エルザが取り出し、机へ広げた。
ライガは第六居住区で目を覚ましたことから、順に話した。
そこには実際に人が暮らしている。だが、決まった時刻に「補正」が行われ、妹の話をしていた男は、その妹を忘れてしまった。
「俺も、帰りたいと言ったら処置をされかけた」
アシュレイは眉を寄せた。
「怪我の治療じゃなくてか」
「治療もされた。だが、帰ることまでやめさせようとした」
エルザは移送票の出発地を見た。
「リドラム……」
「その街から連れていかれた者も、あそこにいるはずだ」
間仕切りの向こうで、椅子を引く音がした。
父親が顔を出し、エルザを見た。
「今の話、聞かせてもらっていいか」
エルザが頷くと、父親は寝台のそばへ来た。
「俺の息子も、そこにいたのか」
ライガは身体を起こしかけ、エルザに止められた。
横になったまま、父親へ顔を向ける。
「名前を教えてくれ。持ってきた記録と確かめたい」
父親が紙を出した。
エルザが二つの名前を見比べたが、移送票に息子の名はなかった。
「この一枚には、載っていないわ」
「……そうか」
「書類はほかにもあった。住民全員に会えたわけでもない」
ライガは父親へ説明した。
「だが、俺が戻った道は閉じた。場所に印は残してきたが、今すぐ連れていくとは言えない」
父親は紙を折りかけ、手を止めた。
「じゃあ、どうしたらいい」
その声は小さかった。
ライガは父親の顔を見た。
「名前を控えさせてくれ。俺を助けた男も、向こうに残っている。戻る方法を捜す時に、あんたの息子のことも調べたい」
「……調べる前に、知ってる奴を殺さないでくれ」
ライガはエルザを見た。
彼女が、広場で起きたことを短く話した。父親が何を頼み、レヴェリオが何をしたのか。
話が終わるまで、ライガは黙って聞いた。
「分かった。生きて話を聞く」
父親は紙をエルザへ渡した。
「写したら、返してくれ」
*
エルザが送った記録を、フロスティアでセイジとネビュロスが確認していた。
古い帳簿の紋章を見たネビュロスは、左手で端末を引き寄せた。
「村へ来た者たちが使っていた印だ」
「組織が消えた後も、施設が使われていた可能性はあるな」
セイジは、新しい移送票も並べて表示した。
「だが、今の運営者はまだ分からない。同じ印があるだけで、同じ者が動かしていると決めるな」
通話先で、ライガが答えた。
『門にはジャスティスフェイスの接続規格が使われていた。サングで、一度だけ開いた』
セイジはその情報も書き留めた。
古い組織の記録と、新しい組織の移送票。名前が変わっても、人を送る仕組みは引き継がれていたのかもしれない。
だが、その先を調べに行くことさえ、今はできない。
*
救護所の外から、レヴェリオの声が聞こえた。
「次の名前を」
ライガは声のする方へ顔を向けた。
アシュレイが入口を見に行き、戻ってくる。
「まだ続けてる。書き取った名前を、一人ずつ確かめてやがる」
ライガは腕のサングへ触れた。
タワーで使った白い炎が、再び出る保証はなかった。出せたとしても、この身体で最後まで戦えるか分からない。
寝台から起きようとする前に、エルザが言った。
「今出ていったら、傷を開いて終わるわ」
「分かっている」
ライガはサングから手を離した。
「カイに呼びかけた時、反応はあったか」
アシュレイが首を横に振った。
「レクスが呼んだ。返ってきたのは、あいつの言葉だけだ」
「それで、カイがいなくなったと決まったわけじゃない」
「分かってる。だから、あの身体ごと潰すわけにもいかねえんだろ」
ヴェルミリオンが寝台の上で姿勢を変えた。
「こちらがためらう理由を、向こうは分かっているだろうねぇ。今の僕たちでは、その前に押し切られるけれど」
ポルクがカプセルの表示を見た。
「グリムさんの治療は進んでます。でも、今出したら、さっきまでと同じです」
「続けてくれ」
ライガは答えた。
「俺も治療を受ける。その間に、分かっていることを合わせたい。カイの意識が残っているか。レヴェリオだけを止める方法があるか」
『魔導書が反応した時刻と、放送の記録がある』
セイジが声を落として言った。
『まだ原因は分からない。彼女の異変と関係があるかも含めて、こちらで調べる』
『封印に似た反応があったからといって、同じ術が使えるとは限らない』
ネビュロスが続けた。
『だが、確かめずに攻撃するよりはいい。私も調べよう』
ライガは頷いた。
これで勝てるとは、誰も言わなかった。
入口の方で、住民の声が上がった。
「いつになったら帰れるんだ!」
「名前を確認してからだよ」
レヴェリオの返事は、治療室まで届いた。
「関わった者が、この中にいるかもしれない。終わるまで、誰も通さないで」
兵士が何か答えた。住民の声は、それ以上続かなかった。
ライガは父親から聞いた息子の名前を書き写した紙と、移送票を見た。
向こうの街へ戻る方法も調べなければならない。だが、ここにいる人たちも、今は自由に帰れない。
「ポルク」
「はい」
「治療に必要なことを教えてくれ。俺が勝手に動かないように、ちゃんと言ってくれ」
ポルクが顔を上げた。
アシュレイは寝台の横へ椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「言われなくても、押さえとく」
ライガは小さく息を吐き、枕へ頭を戻した。
「頼む」
ポルクが新しい包帯を取り、エルザが傷を確かめる。
端末の向こうでは、セイジが放送記録の再生を始めた。
ライガは目を閉じた。
次に立つ時は、一人で残るためではない。
ここへ帰ってきた仲間と、カイを取り戻すために立つ。
(14話へ続く)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ライガがようやく仲間のもとへ帰ってきました。待っていた側にも、帰ってきた側にも、その事実を確かめる時間が必要だったと思います。
広場の断罪は続き、全員が傷を抱えています。それでも、今度は一人で背負わずにどう戦うか。ここから決戦へ向けて動き始めます。
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