第4部 第7話『名前のある沈黙』
【前回のあらすじ】
エセリアで、ヴェルミリオンはアシュレイに自らの過去を語った。貴族の裏切りを契機に毒の力が覚醒し、街を滅ぼしたこと。その後、自ら恐怖を広め、「魔王」と呼ばれる役を受け入れたこと。そこへ現れたレヴェリオは彼を救おうとするが、拒絶されても力を引かない。未回復のヴェルミリオンは外殻を破られ、二人の退路も塞がれた。
※本作品の執筆にはAIを活用しています。
「今だ」
紫の影が、柱の左へ走った。
アシュレイは逆へ踏み込み、ヴェルミリオンを抱えて路地へ入る。
直後、背後の柱が砕けた。
幻影だけを狙った攻撃ではなかった。
柱ごと足場を崩し、二人の逃げ口を潰していた。
「止まりなさい」
降り注ぐ破片の向こうから、声が追ってきた。
「右だ!」
ヴェルミリオンの声で、アシュレイが身を投げる。
さっきまで立っていた石畳が、丸く陥没した。
地面を削った力に、身体が触れるところだった。
「くそ……!」
アシュレイは片膝をつき、ヴェルミリオンを抱え直した。
路地の先へ走る。門へ戻る道は、もう使えない。
「建物の中へ。裏に、出口がある」
扉の外れた家へ飛び込んだ。
割れた食器を踏み越え、裏口へ向かう。
先に、裏の壁が内側へ倒れた。
アシュレイが足を止める。
崩れた壁の向こうに、レヴェリオが立っていた。
「次は、避けられない」
彼女が手を下ろした。
瓦礫が床へ落ちる。
通れる場所はあった。
ただし、彼女の前を通らなければならなかった。
*
ヴェルミリオンは、アシュレイの肩から腕を外した。
「下がっていろ」
「立てもしねぇくせに」
「なら、倒れたら拾ってくれ」
壁に手をつき、身体を起こす。
レヴェリオは、逃げるための隙を与えなかった。
指が動く。胸へ見えない力が食い込んだ。
ヴェルミリオンの背が壁へ叩きつけられた。
「が……っ!」
両足が浮く。
腕を動かそうとしても、肩から押さえ込まれていた。
アシュレイが飛び出しかける。
その爪先の前へ、床板が突き立った。
「そこから動かないで」
レヴェリオは、彼を見もしなかった。
「彼を連れていく。邪魔をするなら、君も拘束する」
「……誰の、許可で」
ヴェルミリオンが喉から声を絞った。
「君は、自分を傷つける方へ戻ろうとしている」
「だから……押さえつけるのかい」
「今は、そうする必要がある」
肩の傷が開いた。
彼女はそれを見た。力は緩まなかった。
「君を追い詰めた者たちの罪を明らかにする。その間、君に自分を罰する真似はさせない」
薄い紫が、ヴェルミリオンの指先に灯った。
壁沿いに霧を広げれば、彼女の視界を塞げる。
狭い室内だ。わずかな毒でも、吸わせる機会はある。
アシュレイが、すぐ下にいた。
彼には外殻も、身を守る魔力もない。
掌から溢れかけた霧を、握り込んだ。
あの夜は、そこで止めなかった。
誰が吸おうと構わないと思った。
レヴェリオの指が閉じる。
肋骨が軋んだ。
それでも、掌を開かなかった。
「……口を、閉じていろ」
ヴェルミリオンはアシュレイに告げ、残った力を自分の顔の前へ集めた。
ごく狭い範囲に、紫の霞が立つ。
レヴェリオから、彼の輪郭が見えなくなった。
彼女は距離を取らなかった。
腕を振り、霞ごと壁を押し潰した。
ヴェルミリオンの身体が、崩れた壁の外へ落ちる。
圧力から逃れたのは、落ちる一瞬だけだった。
「掴まれ!」
アシュレイが床を蹴った。
瓦礫の上を滑り、ヴェルミリオンの上着を掴む。そのまま二人で外の斜面を転がり落ちた。
上から石が降ってきた。
アシュレイの額が切れた。顔を拭う暇もなく、相手を引き起こす。
崩れた家の向こうに、門の側面が見えた。
その外に、車があった。
*
助手席へヴェルミリオンを押し込み、アシュレイは運転席へ飛び乗った。
扉を閉める前に、エンジンをかける。
車が走り出した。
背後で、金属が裂けた。
後部が持ち上がり、窓に亀裂が走る。
「伏せろ!」
アシュレイがハンドルを切った。
掴まれた後部の部材が引き千切れ、車体が激しく跳ねた。
背後の門に、レヴェリオが立っている。
引き剥がされた金属が、彼女の脇へ落ちた。
追ってくる。
アシュレイはアクセルを踏み込んだ。
車は進んだが、後輪の辺りから異音がした。長く走れる状態ではない。
助手席で、ヴェルミリオンが息を詰めた。
「この先……曲がった所に、道の下へ抜ける水路がある」
「そこに隠れんのか」
「車を追わせる。僕らは、降りる」
アシュレイは前方を見た。
道は下り、崩れた石壁の陰へ曲がっている。そこを越えれば、門からは見えなくなる。
「動く車から、お前を放り出せねぇぞ」
「一度だけ、止めてくれ」
ヴェルミリオンは上着を脱ぎかけ、肩の痛みで動きを止めた。
アシュレイが片手で袖を引いた。
「何秒、誤魔化せる」
「……数えたくないね」
「十分だ。やれ」
車が曲がり角へ入った。
アシュレイはブレーキを踏み、車体を石壁の陰へ寄せる。
ヴェルミリオンが上着を助手席へ残した。
紫の光が一度だけ走る。
座席に、頭を垂れた二人の姿が重なった。
走る分身は作れない。
窓越しに見える顔と肩だけを、座席に留めた。
アシュレイが彼を抱えて降りる。
ブレーキを解いた車を押し出すと、車輪が坂を転がり始めた。
二人は道の縁から、水路へ身を滑らせた。
冷たい泥が背中へ入った。
アシュレイは息を殺し、ヴェルミリオンを暗い開口部へ引き込んだ。
頭上を、足音が通った。
次の瞬間、坂の下で轟音がした。
*
車の前輪が、地面へ沈んでいた。
後輪だけが空回りしている。
レヴェリオが歩み寄り、助手席の扉へ手を掛けた。
扉は蝶番から外れた。
座席の人影が、薄紫の粒になって消えた。
残ったのは、血のついた上着だけだった。
レヴェリオは振り返った。
道の曲がり角を見た。
「……そこまでして、拒むんだね」
車から手を離す。
壊れた車体が落ち、ガラスが砕けた。
彼女は、来た道を戻り始めた。
*
水路の天井から、砂が落ちた。
アシュレイがヴェルミリオンの口元を見た。
呼吸が荒い。自分の息も、うるさかった。
上で、石を動かす音がする。
続いて、何か大きなものが地面へ落ちた。
捜している。
アシュレイは端末の音を切り、画面を胸へ伏せた。
今、ここで光を漏らすわけにはいかない。
ヴェルミリオンが、暗がりの奥を指した。
水路は道の下で曲がり、その先へ続いていた。
立ち上がれる高さはない。
アシュレイは片腕を相手の胸へ回し、泥の中を這った。
止まれば、連れ戻される。
曲がり角の向こうに、細い光が見えた。
出口だ。
アシュレイは相手を引きずった。
膝が石に擦れた。構わず進み、草の生えた縁へ手を掛ける。
ヴェルミリオンを外へ押し出した時、背後から鈍い衝撃が伝わってきた。
入口の石が、引き剥がされる音だった。
見つかった。
アシュレイは水路を振り返らず、相手を抱えて窪地へ下りた。
道からも、水路の入口からも見えない、低い草地へ。
*
空が赤くなり始めていた。
アシュレイは草の陰へヴェルミリオンを横たえ、初めて端末を開いた。
現在地。車両喪失。二人とも負傷。
レヴェリオは近くにいる。接近せず、まず連絡を待ってほしい。
短い報告を送り、すぐ画面を消した。
「……派手に、負けたね」
ヴェルミリオンが呟いた。
「喋るな。まだ近くにいる」
アシュレイは傷を押さえる布を当てた。
額の血が目に入り、袖で拭う。
ヴェルミリオンが、その赤い染みを見た。
「すまない」
「そりゃ、帰ってから聞く」
布を結ぶ手が、一度止まった。
「さっき、建物ん中で毒を止めたよな」
ヴェルミリオンは目を閉じた。
「君が、いたからね」
「俺をどかせばよかっただろ」
「どく前に……吸わせるかもしれなかった」
声が途切れる。
あの夜と同じように放てば、少なくとも、部屋を毒で満たすことはできた。
それがレヴェリオに効くかは分からない。
アシュレイを巻き込むことだけは、分かっていた。
「今度は、分かっていてやるところだった」
アシュレイは、結び目を締めた。
「やらなかっただろ」
ヴェルミリオンは返事をしなかった。
過去が変わったわけではない。
だが、隣の男は生きている。
まだ、その息が聞こえる。
遠くで、石の崩れる音がした。
二人とも顔を上げた。
アシュレイが肩を差し出す。
「歩けるか」
「……君の衣装まで、泥だらけだね」
「お前より安物だ。気にすんな」
ヴェルミリオンは、その肩へ腕を回した。
道へは戻らなかった。
低い地形を辿り、互いの足音が聞こえる距離で進む。
背後には、まだレヴェリオがいた。
(第8話へ続く)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
二人はレヴェリオを退けられず、車も失いました。僅かな幻影と地形を使って視線を外せても、追跡は続いています。
かつて「誰が巻き込まれても構わない」と毒を放ったヴェルミリオンは、今回は隣にいるアシュレイを巻き込まないため、毒を止めました。それで過去が清算されることはありませんが、同じ選択を繰り返さなかったことは、今ここに生きている相手へ繋がっています。
評価・ブックマーク・感想も、執筆の励みになります。




