第4部 第5話『罪の記録、毒の記憶』
【前回のあらすじ】
フロスティアでレヴェリオと対峙したネビュロスとセイジ。二人を退けた彼女は、自らの判断で断罪を先送りし、粛清を命じた者たちを追って去った。傷を負ったネビュロスは、生徒たちの時間を動かすため、封印と向き合い始める。
※本作品の執筆にはAIを活用しています。
「その机は、窓際へ」
セイジが持ち上げた机を、ネビュロスは左手で示した。
「そこは隙間風が入る」
「ミナは暗い所では本を目に近づけすぎる。窓の方を塞いでくれ」
言ってから、ネビュロスは口を閉じた。
ミナはまだ、氷の中にいる。
セイジは机を窓際へ運び、壁から剥がれかけた板を調べた。
「釘が要るな」
「裏の物置にある。錆びていなければ」
「見てくる」
戸口で一度、足を止める。
「リトの席は」
「前だ。外が見える席では、私の話を聞かん」
「分かった」
それ以上は言わず、セイジは出ていった。
夜が明けても、村の氷は変わらなかった。
動くのは、この教室にいる二人だけだった。
右腕を固定した布が、胸元で擦れる。ネビュロスは顔をしかめ、机に広げた紙へ左手を戻した。
生徒の名前。
凍らせた時にいた場所。
傷の有無。近くにいる兵士。手にした武器の向き。
一人を目覚めさせるためにも、確かめることがあった。
リトの名の隣で、筆が止まった。
――姉ちゃんも、助けてくれる?
ネビュロスは、エナの名前を同じ紙に書き加えた。
解除の順番を決める欄には、何も書けなかった。
*
昼前、リドラムとの通信が繋がった。
『寝床と食料は相談できます。でも、診られる人を何人、いつ送れるかは、まだ……』
エルザの声の向こうで、人を呼ぶ声がした。
あちらでも、必要なものは足りていない。
「確約は要らない。必要なものを先に伝える」
ネビュロスは紙を読み上げた。
子供用の衣服。毛布。保存できる食料。それから、心を傷つけられた者を診られる人間。
『怪我の手当てだけでは足りないんですね』
「ああ。目覚めれば、終わるわけではない」
エナの前では、両親が殺されたままだ。
彼女の時間を動かしても、それより前には戻せない。
『受け入れる側にも、事情を説明しないといけません。フロスティアの名前だけでは……』
「私が村を凍らせたと伝えて構わない」
通信の向こうが、静かになった。
「子供たちだけではない。住民も、襲った兵士もいる。封印は私の術だ。解除も、私が行う」
『……分かりました』
セイジが端末へ手を伸ばした。
「名簿は途中だ。分かった分から送る。負傷者の情報は別にまとめる」
『お願いします。手伝える人が見つかったら、知らせます』
通信が切れた。
ネビュロスは、しばらく端末を見ていた。
魔王が凍らせた村へ来いと頼んだのだ。どれだけの者が応じるか、分からない。
「来なければ、次を探す」
セイジが言った。
「私が言う前に答えるな」
「顔に出ていた」
「……君も、ずいぶん遠慮がなくなった」
セイジは返事をせず、記録の続きを開いた。
*
午後は、教室の外を回った。
ネビュロスが一人ずつ名を告げ、セイジが位置を記録する。
パンを焼いていた女。物置の修理を引き受けていた男。子供を背中に庇った母親。
広場の入口で、セイジが立ち止まった。
逃げる姿勢の男の足元に、布袋が落ちかけている。口から覗いていたのは、何冊もの本だった。
「彼も教師か」
「雑貨屋だ。教室で使えるものがあれば、取っておいてくれた」
ネビュロスは氷越しに、男の顔を見た。
「私には、余り物だと言っていたがな」
その隣には、兵士がいた。
伸ばした手は、男の襟元へ届く寸前で止まっている。
セイジは二人を別々に記録した。
「兵士の名前は」
「知らない」
「仮の番号を振る。身元不明として残す」
端末を操作する音だけがした。
ネビュロスは、兵士の腰の剣を見ていた。
レヴェリオなら、この男を殺すことに迷わないだろう。
昨日、自分が止めたものの続きを、ここで行うだけだ。
「解除するときは、武器を使わせない準備が要る」
ネビュロスは言った。
「子供たちとは、離す」
「記録した」
「……彼の名も、調べてくれ」
セイジは一度だけ目を上げ、頷いた。
広場の奥には、エナがいた。
ネビュロスは、その前で膝をついた。
両親の姿が視界に入り、呼吸が浅くなる。
リトを先に起こせば、姉を捜すだろう。
エナを先に起こしても、弟の名前を呼んでくれるとは限らない。
どちらからなら傷つけずに済むかと考えて、そんな順番はないのだと、ようやく認めた。
「ここも、記録するか」
背後から、セイジが訊いた。
「ああ」
ネビュロスは立ち上がった。
「ただし、子供たちに見せる資料とは分けろ。説明する時は、私がいる」
「分かった」
今度は、黙ったまま掌を伸ばして終わらせない。
ネビュロスはエナの名の横へ、左手で書き込んだ。
――弟、リト。互いの状況を確認すること。
字はひどく歪んだ。
それでも、読めた。
*
夕方、セイジは校舎の戸口に積もった雪を除けた。
人が来ると決まったわけではない。それでも、入口を塞いでおく理由はなかった。
教室では、ネビュロスがミナの本の続きを描いていた。
星を結ぶ線が、途中で逸れる。
「その腕では無理だ。今日は休め」
「あと一本だ」
「さっきも聞いた」
セイジが紙を押さえた。
ネビュロスは彼を見て、それから筆を置いた。
「明日、続きを頼む」
「机を動かす方か」
「両方だ」
窓の隙間は塞がった。
名簿はまだ半分にも届かず、封印には触れられない。
それでも教室には、二人分の作業の跡が残っていた。
ネビュロスは凍った生徒たちへ向き直った。
「今日は、ここまでにする」
返事はない。
「また明日だ」
昔なら、騒がしい声が返ってきた言葉だった。
*
リドラム旧行政区の地下資料庫。
レヴェリオが開いた記録には、既に結末が書かれていた。
エセリア。
風紀粛清が行われた、かつての歓楽街。
彼女は粛清の報告から、その後の被害記録へと頁を送った。
兵士たちの帰還報告はない。
街は毒に覆われ、失われた。
画面に残っているのは、生きた者の居場所ではなかった。
「……もう、死んでいる」
処罰する相手を探していた指が止まる。
続く記録では、ヴェルミリオンが街を滅ぼした魔王として扱われていた。
粛清を受ける側だった者が、次の記録では惨劇を起こした者になっている。
レヴェリオは、二つの記録を並べた。
最初の暴力を取り除けば、その後は起きなかった。
彼女には、それが明らかに思えた。
なのに、後の記録だけを読めば、彼一人が怪物になる。
「君が、こうなった理由がある」
指先が、画面の名に触れた。
フロスティアで、ネビュロスは自分の言葉を受け取らなかった。
彼は子供たちを守った。それでも、自分がしたことを消してほしくないと言った。
ヴェルミリオンも、同じことを言うだろうか。
レヴェリオは街の図面を開いた。
粛清の行われた広場。そこへ集まる道。
この記録が切り捨てたものを、現地で確かめる。
彼に必要なものを、今度こそ見つけるために。
画面を閉じる時も、街で死んだ者たちの人数が、隅に残っていた。
*
翌朝、エルザからヴェルミリオンへ連絡が入った。
セイジの報告を受け、彼女は旧行政区の資料庫を調べていた。レヴェリオが命令の記録を追うなら、再び資料を使うかもしれない。
そこには、カイの認証による新しい閲覧履歴が残っていた。
『最後に開かれていたのは、エセリアの記録と街の図面です』
「……そう」
ヴェルミリオンは、短く答えた。
『向かったかどうかまでは、分かりません。でも、ネビュロスさんの次に、あなたの過去を調べているなら……』
「放ってはおけないね」
通信を終えても、指は端末を握ったままだった。
隣で名簿を束ねていたアシュレイが、顔を上げる。
「エセリアって、あの毒で滅んだ街か…以前記録でみた」
「有名だろう? 魔王の誕生には、ぴったりの舞台さ」
いつもの調子で言った。
アシュレイは笑わなかった。
「今は誰もいねぇんだろ。あいつは、そこで誰を裁く気だ」
「さあね。死んだ人間にまで判決を出すつもりかもしれない」
ヴェルミリオンは立ち上がった。
「でも、僕が行けば、生きた当事者が一人増える」
「一人で行く気か」
「彼女が僕に用事なら、話は早い」
「ネビュロスたちがやられた相手だぞ」
「聞いているよ」
「だったら、勝手に話を早めるな」
アシュレイは名簿を閉じた。
その表紙を一度見下ろしてから、近くで作業する者へ声を掛ける。引き継ぐ場所と、まだ照合できていない名前を伝えた。
ヴェルミリオンは、その様子を黙って見ていた。
「君も忙しいんじゃなかったかい」
「だから引き継いでんだろ」
「今の君を連れていっても、彼女と殴り合ってはもらえないよ」
「分かってる。連絡も運転もする。やべぇと思ったら引っ張って帰る」
「僕が帰りたくないと言ったら?」
「そん時は揉めるだろうな」
ヴェルミリオンの口元が、わずかに動いた。
「ずいぶん頼もしい同行者だ」
「嫌味は道中で聞いてやる」
*
車両の手配と連絡を済ませ、二人はリドラムを出た。
グリムたちには閲覧履歴と行き先を伝えた。接触を急がず、まずレヴェリオの所在を確かめる。
アシュレイが運転する隣で、ヴェルミリオンは窓の外を見ていた。
街が遠ざかり、人の姿が減っていく。
「お前、あそこで何があったか、全部はまだ話してねぇよな」
「君にはね」
以前、仲間たちに語ったことはある。
檻のことも、貴族のことも。自分を否定した者たちへ毒を放った夜のことも。
あの時のアシュレイは、まだ敵だったから。
「聞きたいのかい」
「知らねぇまま、聞くわけにもいかねぇだろ」
「僕の話は、都合がいいかもしれないよ」
ヴェルミリオンは窓へ顔を戻した。
「……街を出た時は、静かでいいと思ったんだ」
車輪が、道の継ぎ目を踏んだ。
「笑う奴も、石を投げる奴もいない。僕を呼びつける声もない。ようやく黙った、って」
アシュレイは前を向いたまま聞いていた。
「でも、声のする場所だけを毒で覆ったわけじゃない」
その先は、言葉にならなかった。
誰がどこにいたか。
何人いたか。
自分を見てもいなかった者が、どれだけいたか。
知らない。
あの夜、確かめなかった。
「……着いてからでいい」
アシュレイが言った。
「ここで全部、話し終えなくてもよ」
ヴェルミリオンは、返事の代わりに息を吐いた。
やがて、道の先に街の輪郭が現れた。
傾いた門。
崩れた屋根。
色の抜けた看板が、風に揺れていた。
煙は上がっていない。
門を通る人も、二人を見咎める番人もいない。
アシュレイは車を止めた。
「ここから先は、歩いた方がよさそうだな」
返事がない。
隣を見ると、ヴェルミリオンが門を見つめていた。
「入口、あっちなのか」
「……いいや。ここで合っている」
ヴェルミリオンは扉を開けた。
足を地面につけた瞬間、風に揺れる看板が、短く軋んだ。
昔、客を呼び込む声が響いていた方角だった。
薄く笑おうとした唇が、うまく動かなかった。
(第6話へ続く)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ネビュロス編は、ここでひとまず一区切りです。
生徒たちはまだ氷の中にいますが、彼は目覚めた後の暮らしを考え、人の手を借り始めました。「また明日」と言った教室へ、これからも戻っていきます。
そして、追跡の先に浮かんだのはエセリア。
かつてヴェルミリオンが毒に沈め、今は誰も暮らしていない街です。そこへ向かうレヴェリオと、アシュレイを伴って戻るヴェルミリオン。次回から、この廃墟で彼の過去を掘り下げていきます。
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