第4部 第4話『止めた時間の、その先へ』
【前回のあらすじ】
レヴェリオを追い、セイジとともに故郷フロスティアへ戻ったネビュロス。そこには十年前、襲撃と洗脳から生徒たちを守るため、禁術《時葬氷獄》で村ごと時間を止めた過去があった。兵士も住民も教え子さえも凍らせたその姿を、人々は恐れ、「氷の魔王」と呼んだ。
※本作品の執筆にはAIを活用しています。
広場のエナに背を向け、ネビュロスは教室へ歩いた。
入口を塞ぐ氷に掌を当てる。二人が通れるだけの隙間が開いた。
リトは、まだ顔を上げていた。
ミナは、焼けた本を胸に抱いていた。
ネビュロスは少女の前に膝をつき、片眼鏡越しに封印を確かめた。
自分の外套が、小さな肩を覆っている。
「……命は失われていない」
セイジが隣に屈んだ。
「時間そのものを止めたのか」
「《時葬氷獄》だ。氷だけを砕けばいい、というものではない」
「では、触れずに調べる」
端末を取り出したセイジの手が、不意に止まった。
「君たちは、また一緒に立つんだね」
倒れた机の向こうに、人影があった。
長い黒髪。カイの顔。
その目だけが、二人を初めて見るもののように眺めていた。
セイジが立ち上がった。
「レヴェリオ」
「タワーでもそうだった。傷ついて、勝てる力も残っていないのに」
彼女はミナへ目を移した。
「ここにも、守りたいものがあるんだね」
ネビュロスも立った。弟子と彼女の間に、半歩だけ身体を入れる。
「何をしに来た」
「記録を見た。書物の焼却も、子供への処置も。……誰も責任を問われないまま、片づけられていた」
カイの手が、教室の外を指した。
「君を追い詰めた者たちを見つけ、裁く。そのために来た」
*
戸口の外に、銃を構えた兵士がいた。
十年前、最後の氷壁を破って踏み込んできた男だった。
銃口は今も、教室の奥へ向いている。
レヴェリオは、その前で足を止めた。
「この者も、生きている」
「ああ」
「なら、まだ裁ける」
彼女の指先に、細い紫の光が灯った。
光は凍った兵士の胸元へ集まり、鋭い一点になる。
「待て」
ネビュロスが手首を掴んだ。
触れた瞬間、指の先が痺れた。
タワーで叩き伏せられた時と同じ力が、その細い光の中にあった。
レヴェリオは手を振り払わなかった。
掴まれた手首を、不思議そうに見た。
「なぜ?」
「その一撃で、兵士の身体まで砕くつもりか」
「この者は、君の生徒へ銃を向けた。裁かれるべきだよ」
「見えている」
「許せるの?」
「許してなどいない」
ネビュロスは兵士の顔を見た。
引き金にかかった指。その向こうに、リトがいる。
掴んだ手に力が入った。
「今でも、憎い」
レヴェリオの表情が、わずかに和らいだ。
「そうだろう。君は間違っていない」
慰めるような声だった。
「君を追い詰めた者たちが悪い。あの子たちを凍らせるしかなかったことも、君が魔王と呼ばれたことも。君が背負わなくていいものだ」
ネビュロスは答えなかった。
その言葉を聞きたかった夜が、なかったわけではない。
教室を離れても、掌には弟子の体温が残った。誰かに正しかったと言われれば、それを握り締めていられたかもしれない。
「この者を裁いて、リトは姉と話せるようになるか」
レヴェリオの目が、教室へ動いた。
「……その前に、奪った者へ報いを与えるべきだ」
「その前、か」
ネビュロスは、静かに繰り返した。
「私も、そう考えてきた。正義を根絶やしにするまでは、あの子たちを目覚めさせられないと」
「危険を残して戻すわけにはいかない。君の判断は正しい」
「十年だ」
声が低く落ちた。
「あの子たちの次の朝を、私は十年待たせた」
レヴェリオの指先で、紫の光が揺れた。
「守るためだった」
「ああ。だが、守ったと言えば、それで私のすることが終わるわけではなかった」
ネビュロスはリトを見た。
姉ちゃんも、助けてくれる?
少年が求めたものを、まだ返していない。
「敵を倒す。その後で、この子たちに向き合う。……私は、その順番にしていた」
「君まで自分を責めなくていい」
「君に、私を責めてほしいのではない」
ネビュロスは彼女へ視線を戻した。
「この子たちのためにするべきことを、これ以上、後に回したくない」
*
「カイも、悲しむ者をなくそうとしていた」
レヴェリオが言った。
「けれど、最後には人の心ごと管理しようとした。私は、傷ついた者にそんなことはしない。傷つけた者に、報いを受けさせる」
彼女は、掴まれていない方の手を見た。
「今は、私にもできる。誰かの中で、言葉を返すだけではなく」
手を握る。
それを確かめるように、ゆっくりと。
「自分で選んだ答えか」
「そうだよ」
「なら、私の答えも聞け」
ネビュロスは手首を離した。
兵士との間からは、退かなかった。
「私は、この子たちを目覚めさせるために動く。襲った者の罪も、凍らせた私の責任も、そのために調べ、残す。ここで殺して終わりにはしない」
「目覚めた子供たちが、君を責めるかもしれない」
彼女は、穏やかなまま言った。
「守った君が、なぜそんな言葉まで聞かなければならない?」
「私が、あの子たちの先生だからだ」
ネビュロスは答えた。
「質問を許して、答えが気に入らなければ黙らせる。そんな授業をした覚えはない」
レヴェリオは、彼を見つめていた。
その傍らへ、セイジが進み出た。
「私も、記録を調べる」
「君は、カイに利用された」
レヴェリオの声には、確信があった。
「私は知っている。カイ自身が、そう認めていた」
「聞いていた。だが、私が出した指示も、切り捨てた人間も消えていない」
セイジは端末を開いた。
リドラムで集めた名前が、画面に並んだ。
「向こうが悪かった。それだけで終えれば、私はまた、この人たちを見なくて済む」
レヴェリオの視線が、文字列を辿った。
「それでも君たちは、自分の傷を後にするんだね」
セイジは少し黙った。
「傷つけられたことと、傷つけたことが、両方ある」
レヴェリオは、二人の顔を順に見た。
「……だから、苦しみ続けるんだね」
指先の光が伸びた。
ネビュロスの肩越しに、凍った兵士の胸を指す。
「もう、その必要はない」
彼女の手首を掴んでいたネビュロスの腕が、紫の圧に弾かれた。
「ネビュロス、下がれ! 魔力が集まっている!」
セイジは生身のまま、端末を抱えて教室の内側へ退いた。
レッドに変身できず、今の彼にできるのは、ネビュロスを支え、記録を守ることだけだった。
ネビュロスの身体を蒼い魔力が覆う。
氷晶の装甲が肩から背へ組み上がった。
《魔導外殻》。
それを展開できるのは、魔王だけだ。
ネビュロスは装甲の内側で魔導書を開く。
「《氷鎖・零結陣》!」
足元から走った鎖が、レヴェリオの腕を跳ね上げた。
紫雷が空を裂く。教室の屋根を越え、遠くの雪を白く噴き上げた。
セイジは端末を戸口の内側へ滑らせ、教室の陰へ退いた。
生身の自分が前に出れば、ネビュロスの足手まといになる。
その代わり、レヴェリオの動きを見極める。
「左だ! 避けろ!」
レヴェリオの視線が動くより先に、ネビュロスが鎖を引く。
彼女を、教室から離す。
氷の道に靴底が細い跡を刻んだ。
レヴェリオは腕に絡んだ鎖を見た。
「君を傷つけに来たのではないよ」
「ならば、その手を下ろせ」
「君が止めるからだ」
鎖が、不自然に沈んだ。
次の瞬間、ネビュロスの身体が前へ引き倒された。
石畳に膝を打つ。鎖一本が、村の鐘楼ほどの重さになっていた。
セイジが叫んだ。
「鎖を切れ! 重力が伝っている!」
ネビュロスは即座に鎖を断ち切った。
氷が石畳にめり込み、砕ける。
セイジは攻撃には加わらない。
教室の陰からレヴェリオの腕と足元を見て、次の動きを伝える。
「背後、足元だ!」
魔導書の頁が翻った。
彼女の背後で、二本目の鎖が跳ねた。
足元を走らせておいた鎖だった。手首を巻き、掌を閉じさせる。
銃口も、教室も、攻撃の先から外れた。
レヴェリオの瞳が、わずかに動いた。
「……生身で、よく見ているね」
セイジは答えず、端末を抱えたまま、さらに教室の奥へ退いた。
前線に立つ力はなくても、記録を失わせるわけにはいかなかった。
教室の床が軋んだ。
セイジは端末を胸に抱え、倒れた机の陰へ身を投げた。
机ごと、床へ叩きつけられる。
肺から息が抜けた。端末は、腕の中に残っていた。
レヴェリオが手を開く。紫の光が鎖を伝い、ネビュロスへ走った。
切り離すより、速かった。
右腕が跳ねた。
紫雷が胸部の氷晶装甲を打ち砕いた。
魔導書を取り落とす。衝撃に、声さえ出なかった。
倒れながら、教室へ手を伸ばす。
戸口に薄い氷壁が立った。
それ以上、指が動かなかった。
レヴェリオは、その壁を見た。
次に、石畳へ頬をつけたネビュロスを見下ろした。
「自分を守ればよかったのに」
教室の陰で、セイジが肘をついた。
立とうとした背を、見えない重みが押し伏せた。
彼女は、もうそちらを見ていなかった。
ネビュロスは左手で地面を掻いた。
弟子たちへの道を塞ぐには、あと半歩、身体を動かさなければならなかった。
届かない。
レヴェリオの靴が、その手の前で止まった。
「君は、あの子たちを目覚めさせられるんだね」
「……そのために、やるべきことがある」
「君がここで動けなくなれば、それも遅れる」
彼女は屈み、落ちた魔導書を拾った。
開いた頁を揃え、彼の左手の届く場所へ置く。
ネビュロスは、彼女の手を睨んだ。
いま自分を叩き伏せた、その手を。
「この者の裁きは、今は保留する」
レヴェリオが言った。
「君が言ったことが、あの子たちに何を返せるのか。私が見届ける」
ネビュロスは魔導書を掴んだ。
「君の……許しを、求めた覚えはない」
レヴェリオは一瞬、黙った。
それから、教室を見た。
「それでも、今日は待つよ。君たちが私を止めたからではない。私が、そう決めた」
背にかかっていた重みが消え、セイジが激しく咳き込んだ。
止めたのではなかった。
彼女が、やめただけだった。
「命じた者たちの所在と記録を調べる。見つけたら、必ず裁く」
レヴェリオは立ち上がった。
「君はもう、あの子たちのそばを離れなくていい」
労わるように告げ、凍った広場へ歩いていく。
自分が与えた傷よりも、彼らをここまで苦しめた者への怒りを胸に。
ネビュロスは呼び止めようとした。
口から漏れたのは、浅い息だけだった。
*
気配が遠ざかっても、しばらくは起き上がれなかった。
先に膝を立てたセイジが、ネビュロスへ肩を貸した。
数歩進んでは止まり、二人で教室の戸口まで戻る。
「私の支援では、彼女の動きを止められませんでした」
セイジが呟いた。
ネビュロスは答えず、差し出された布を右手に巻いた。
指はまだ震えている。
村の外では、彼女を遮る者がいない。
「街へ知らせてくれ。レヴェリオは、命令を出した者を追うつもりだ」
セイジは拾い上げた端末で、エルザへ短い報告を送った。
その間に、ネビュロスは左手で魔導書を開いた。
「休んでからでいい」
「読むだけだ。……今日はまだ、封印には触れない」
セイジは彼の右手を見て、頷いた。
隣に腰を下ろし、端末に新しい記録を開く。
「今すぐ解除できるのか」
「一度に解くわけにはいかない。外の兵士も動き出す。それに、エナたちの受けた処置は、時間を戻しただけでは消えない」
「停止を解くことと、暮らしを取り戻すことは別か」
「ああ。まず、生徒たちの封印を個別に解けるか調べる。街へ戻れば、受け入れ先と、処置の記録を探したい」
セイジが項目を入力した。
「名簿はあるか」
「焼かれた」
ネビュロスは、白紙を一枚取り出した。
「だが、覚えている」
左手に持ち替えた筆が、ぎこちなく動いた。
リト。ミナ。エナ。
ほかの弟子たちの名も、一人ずつ書いた。
数字の横に名前を足すのではなかった。
名前から、始めた。
セイジはそれを受け取り、最初の欄へ打ち込んだ。
ネビュロスはミナの前に屈んだ。
焼けた本から、布の栞が覗いている。
続きを問われた頁を、まだ覚えていた。
空いた紙に、星を一つ描く。
次の星を置き、その下に名前を書いた。
氷の中の少女は、まだ読めない。
それでも、書き始めた。
(第5話へ続く)
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ネビュロスの前に現れたのは、彼を責める言葉ではなく、「君は間違っていない」という肯定でした。その言葉に救われることもあるはずです。それでも彼は、先生として残してきた仕事へ戻ることを選びました。
カイの身体を得て、自分の答えを選び始めたレヴェリオ。二人の抵抗を力で退けたうえで、レヴェリオは「自分が裁きを保留する」と決めます。命じた者を探し出す意思は変わっていません。
まだ氷は解けていません。書き始めた星の頁が、いつかミナの手へ届くのか。見守っていただければ嬉しいです。
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