最終話 僕らの明日
―――裏山の中は、すでに霧に包まれそこだけ時代が遡ったかのような異質な気に満ち満ちていた。
「瑞希、ここか?」
悠人に問われ、瑞希は頷いた。さっきまで夢で見ていた情景と山の木々が立ち並ぶ辺りの風景が重なる。今の自分は起きている状態なのか確かめるために、腕に爪を立てた。
社まで続く道を上り、瑞希は神経を研ぎ澄ます。
(絶対に、ここにいるはずだ。あの子はずっと、ここで待ってた。ここを離れることは出来なかったはずだ)
瑞希がそう、心の中で独り言ちた時、社の片隅で倒れている小さな影を見つけた。
「……!」
「……うわっ!」
悠人と二人で駆けよって、思わず絶句した。
それは粗末なボロボロの着物を身に着けた、すでに白骨化した子供の骸だった。
悠人は見ていられず、視線を背けたが瑞希は膝を着き、その骸に手を伸ばした―――しかし、その頬骨に触れるか、という瞬間すぅっと掻き消えた。
「あっ……」
「……200年前、僕は生きながら野生の狼のえさになり、この場所で命を落とした」
どこからともなく、やや甲高い少年の声が響いた。幼い声に似合わない、やけに落ち着いた口調だった。
「驚いたなぁ、瑞希。まさか君の夢から僕の意識まで辿って僕の過去まで探り当てるなんて」
「エン……なんでお前があたしを男に変えることにそんなに執着していたのか分かった。……お母さんへの愛情の裏返しだったんだね」
宙に浮かびながら興味深そうに見下ろすエンを、瑞希はしっかりと見つめ返した。
「優しいね、瑞希。僕に同情してくれるんだ?……そうだよ。僕は母親に捨てられたんだ。新しい男に気に入られるために死んだ旦那との息子の僕が邪魔だったんだって。ああ、なんて浅ましいんだろうねぇ女ってやつは。男のために実の子供すら手に掛けられるんだ。畜生にも悖る汚らわしい生き物だよ」
くすくす笑いながらエンはまるで舞台役者の様に大仰な仕草で語りだした。
「僕の魂はね、この地に縛り付けられてしまったんだよ。絶望して、また新たに女の腹から生まれることを拒んだんだ。輪廻の輪から外れた僕は、この地で他の強い念と結びつくようになった。それは人の想念だけじゃない、この土地に元々宿っていた精霊や木霊達。人間が彼らの領域に侵食して来たことで住処を失った獣達……僕を食らった狼もね、僕と融合したんだ。だから僕はこんな姿になったんだよ」
そう言ってエンが小首を傾げる仕草をすると彼の尾が銀色に輝きながらピン、と反れた。
「瑞希、そろそろ観念しよう?君の中の汚らわしい女の性質を消し去ってあげよう。これは元々君が『願った』ことなんだからね?」
エンがまるで瑞希を抱きしめようとするかのように、両手を大きく広げた。
「やめろっ!瑞希っ!!」
悠人が瑞希を庇い、遮るように間に入った。エンは小さく舌打ちすると、悠人に向かって小さな手の平を突き出した。その瞬間、目に見えない衝撃波のようなもので悠人は後方に吹き飛ばされた。
「悠人っ!!」
一瞬、瑞希が悠人に気を取られた隙に、エンは瑞希のすぐ目の前にやって来ていた。真ん丸の漆黒の瞳が、瑞希を捉えた。
「あっ……」
瑞希は背筋に変な汗が伝い、肌が粟立つのを感じた。
まるで意識そのものを乗っ取られそうな、嫌な感覚が瑞希の中に入り込んで来る。
まずい、気をしっかり持たなければ、また相手の思うままに弄ばれてしまう。瑞希は侵入して来るそれに必死に抵抗した。無意識に体を庇うようにかざした瑞希の腕で、ブレスレットの鈴が『鳴った』。
「その……鈴、……そうかその鈴の音で僕の魂の記憶まで辿って来たのか。まったくプライバシーの侵害もいいとこだね!」
エンはそう叫ぶと、パンっと両手を合わせた。
「あっ!」
ブレスレットの糸が切れ、瑞希の腕から石と鈴がバラバラに散らばり落ちて行った。
直後、さっきよりもより強大な禍々しい気が、荒波の様に瑞希の意識を散り散りに引き裂こうとする。もう駄目だ、瑞希が思わず弱気になった、その時―――。
「やめなさい!」
鋭い声音と共に、何かが空気を切り裂きながら駆け抜ける音がした。
「なっなんだ!」
エンの慌てたような声にハッと瑞希が意識を取り戻すと、いつの間にか瑞希を守るように玲が立ち塞がっていた。玲は以前の破魔の儀式をした時と同じ狩衣姿に、手に破魔弓を持っている。
「玲!」
「遅くなってごめんね、瑞希。もう大丈夫だから」
振り返って笑った玲に、瑞希は胸が熱くなるのを感じた。十数日ぶりに会えた玲が、なぜかとてつもなく眩しく思えて、ドキドキした。
(きっと衣装のせい……?それか、ちょっと背が伸びたせいかも)
こんな時に場違いなことを考える自分に恥ずかしくなりながらも、玲の登場に途端に安心する自分がいることを自覚した。
「びっくりしたなぁ、もう。また邪魔するんだ。君も懲りないねぇ」
玲が放ったと思われる矢は、半透明のエンの白装束を社の柱に縫い付けていた。動きを封じられたエンが大げさにため息を吐く。
「でもいくら君が霊力を高めても、今までと同じさ。君に僕の術を破るのは無理さ」
「それはどうかしら?エン……いや、縁」
「!!!!」
エンの顔が驚愕に歪んだ。漆黒の瞳が張り裂けるほど見開かれ玲を睨めつけた。
「貴様ぁ!!なぜ、我の真名を……そうか、瑞希の夢を読んでいたのだな!!貴様が瑞希の夢から逆探知しておったのか!!!」
そう怒りに吠えたエンの顔は狼のように口が裂け、目が鋭く伸びた。
玲は目をつむり、破魔弓を体の前に付きだし、もう一方の手で印を結ぶように構えた。
「高天原に神留坐す 神漏岐 神漏美の命以て 皇親神伊邪那岐乃大神 筑紫の日向の橘の 小門の 阿波岐原に 禊祓ひ給ふ時に 生坐せる 祓戸の大神等 諸々(もろもろ)の禍事罪穢を 祓へ給ひ 清め給ふと 申す事の由を 天津神 地津神 (くにつかみ) 八百万神等共に 聞こし食せと 畏み畏みも白す」
「や、やめろ……」
エンは自分の頭を庇うように両手で押さえた。
「縁、これからお前とお前に結び付く数多の怨霊、妖、精霊の繋がりを断つ。そしてこの地に縛られたお前の魂を、輪廻の輪に還してやろう」
ビイィィン……
ビイィィン……
破魔弓を構えた玲が、祝詞を詠唱しながら弓を打ち鳴らすと、その度にエンが苦しそうに悶えた。呼応するように その体から、いくつもの光が抜け出て、天へと昇って行く。
「い、やだぁああ!また、女の腹から生まれるのは!!また、捨てられるのは!!!」
エンの呪いによって繋がっているせいだろうか、エンが苦悶するたびに、瑞希にもその痛みが伝わって来た。幼い神の、悲鳴が直接頭に響いた。
「おのれぇえええっ!許さんぞ、矮小な人間風情が、200年この地に宿って来た僕を滅ぼそうなどと!!」
エンがもがきながら、呪いの言葉を吐き散らす。結びついていた他の想念達を留まらせようと、抵抗するも玲の力に片っ端から調伏されて行く。
「縁、もういいよ、苦しまなくて」
瑞希は、涙を流しながら少年に駆け寄り手を伸ばした。
「もう、いいんだよ、自分を責めなくて。お母さんに愛されなかったのは、縁のせいじゃない」
「なに……を、言っている……!?」
瑞希は半透明の少年の頬をなぞる仕草をした。
「もう、いいんだよ。悲しかったんだよね、寂しかったんだよね……でも、お母さんに迎えに来て欲しかったんだよね。名前を、呼んで欲しかったんだよね」
瑞希は少年を抱きしめた。
「200年は長すぎたね。迎えに来たよ、縁。人の世に帰ろう?今度は、ちゃんと愛されるから」
瑞希の言葉に大きく裂けていた口が、尖っていた目が元に戻って行く。狼の耳が、震えた。
「縁、縁……大丈夫、もう怖くないよ。こっちにおいで」
小さな手が、瑞希の腰に回された。
「……おかあ、さん……。僕を、許してくれるの?」
「誰も縁に怒ってないよ」
「……僕、雪割草を見つけられなかったんだ」
「代わりに綺麗な椿を見つけてくれたね、ありがとう」
「僕は、帰ってもいいの?」
「そうだよ、一緒に帰ろうね」
そのあとは、グスッグスッと鼻をすする子供のしゃくり上げる声が響いた。
瑞希はその頭を優しく撫でた。
「縁……もう一度、生まれておいで、この世界に。次は、きっと優しい世界になるから」
瑞希が微笑むと、少年は涙にぬれた顔を上げた。狼の耳も、尾も、すうっと空気に溶けるように消えた。
「瑞希……意地悪して、ごめんね。戻してあげるね」
少年が、そう呟いた途端、社の木戸がひとりでに開き、中にある姿見から光が放たれた。その光はあたりを真っ白に変えるほど、強烈なものだった。
「瑞希……約束だよ。今度会った時には、僕を、愛してね」
そうあどけない声が甘えるように呟いた時、瑞希はなぜか温かな感触を下腹部に感じた。
―――光が弱まり視界が正常に戻るにつれ瑞希は懐かしい感覚とともに、全てが生まれ変わったような心境になった。
恐る恐る目を見開くと、対角線上にあった社内の鏡に映る自分が見えた。
ほっそりとした丸みを帯びた肩や腰、細い顎、長い睫毛。見慣れていたのに、新鮮なような、女の子の体の自分。
(戻って……る!)
思わず見た両手も、一回り小さくなっている。体を一つ一つなぞって、感触でも確かめる。ああ、間違いない。
「瑞希……!」
悠人の声に、瑞希は振り返った。
「ようやく戻れたな!どこも痛くないか?」
「う、うん……どこも、痛くない。ねぇ、変なとこない?全部元通り戻ってる?」
心配そうに瑞希は左右に体をひねり、問いかける。
「あ、ここ前と違うぞ!!」
「えっ、どこどこ!?」
悠人が急に出した大声に、瑞希は肩をびくっとさせた。悠人は大笑いしながら、瑞希の肩を指さした。
「髪、前よりも伸びてる。お前今までずーっとショートだったもんなぁ、こんなに長いの初めてじゃねぇ?」
「悠人!!脅かすなよっ!!」
ふざけた口調の悠人に瑞希はこぶしを振り上げながら、ふと、玲が一言も発さないことに気付いた。
「れ、玲……?どうかした?あたし、どこか変?」
瑞希が恐々と玲に顔を向けると、玲は顔を真っ赤にして立っていた。
「玲!?どうしたの!?熱あるの!?」
驚いた瑞希が玲に近づき、熱を測ろうと額に手を伸ばす。すると、玲は弾かれたように凄い勢いで顔を背け、瑞希の手を避けた。
「玲……?」
思いっきり拒絶されたことに、瑞希は驚いて恐々と呼びかけた。どうしたんだろう、という心配と、拒絶されたことに傷ついている自分を自覚した。
「あっ……ごめ……!アタシ、そういえばアンタのホントの姿、初めて見るんだったなって……!」
「えっ……?そーいや、そーだね。でも……それが、どーかした?」
「……わなくて」
「え?なに?」
あまりにも小さい声で何かを言った玲に、瑞希は困惑して耳を近付ける。
「アンタが……こんなに可愛い女の子だったなんて思わなくて」
「…………!!!」
恥ずかしそうに、ややぶっきらぼうな口調で告げた玲の言葉に、もろに耳元でそれを聞いた瑞希は、みるみるうちにゆでだこのように全身を真っ赤にした。
「あー!!やってらんねー!!邪魔者は退散しますかねー!!」
直立不動で二人して真っ赤になってる瑞希と玲に、わざとらしく悠人は声をかけた。悠人の大声にビクッとなる二人。
「俺は学校に戻るからな、玲、しっかりやれよ」
「えっ、ちょっ悠人!?何しっかりって!!」
「瑞希も、今度は素直になれよ」
「えっ?は、悠人!?」
わたわたしている二人に、悠人はやや呆れ顔になった後、それぞれの背中をバシッと叩いた。
「ま、瑞希、泣きたいときはいつでも胸貸してやっから。……親友としてな」
そう胸を親指で指すような仕草をして、悠人はニヤッと笑った。そして、二人に背を向け、来た道を帰り始めた。
悠人が去ったのを見送って、残された瑞希と玲は気まずそうに互いの目を見合わせた。
「瑞希、ホントに体どこも痛くない?」
「うん。……ねぇ、もうほんとに全部、元に戻ったのかな。皆の記憶とか……」
瑞希の質問に玲はうーん、と腕を組んだ。
「そうねぇ……アンタが男だっていう認識は、皆記憶をいじられて思い込まされてただけだろうし、その暗示は解けただろうけど、1ヶ月以上も男だったわけだしね。その影響が全く残らないとは言い切れないわよ。……でも、ま、大丈夫じゃない?元々人間の記憶自体曖昧なものだから」
「そっか。……なんか、その格好だと、玲いつもと違って見えるよね。ちょっと男っぽさが増すって言うか」
瑞希の言葉に玲はうん?と小首を傾げ、何か含みのある笑みを浮かべた。
「なーに?アタシに惚れちゃった?」
「なっ!ふ、服のこと言ってるだけじゃん!!」
再び耳まで赤くなった瑞希に、玲は少し睫毛を伏せて微笑んだ。
「そうねぇ、実際、今のアタシは精神的にも前より『男』よりになってんのよね。霊力を高めるために、男と女の中間に合わせる必要があったから」
「えっ!そ、それって、大丈夫なの?玲の精神に悪い影響あるんじゃ……」
瑞希は不安になった。そもそも、玲は女性の心を持っていて、本当は女性として生まれたかったんじゃなかったか。
「まーね、確かにこれから反動がないとは言い切れないかもね。すんごい男よりになっちゃったり、逆に前よりも女っぽくなるかもしれないわ。ま、この口調は癖だけど」
「えええっ大丈夫!?」
心底心配そうに自分を見つめる瑞希に、玲は言い知れぬ愛しさを感じて、瑞希をギュッと抱きしめた。
「玲……?」
「どんなアタシになっても、一緒にいてくれる?」
「え?も、もちろん」
「……一生?」
「え?う、うん」
「ちなみに友情的な意味だけじゃなくて、恋愛的な意味も含むんだけど分かってる?」
「……!!」
自分の腕の中でフリーズした瑞希に玲は苦笑して、一度体を離す。やっぱり瑞希にとって自分は女友達の枠でしかないのか、と少し切なくなりながらも。
ごめん、冗談。困らせるつもりじゃなかった。
今にも泣きそうな瑞希の顔に、玲がそう言おうとした時。
「恋愛的な意味がいい……玲が好きだもん」
瑞希は玲の首にしがみ付いて、それを阻んだ。
やっと自分の気持ちが何なのか分かった。玲といると、ドキドキしたり、切なくなったり、安心したりするのは玲が特別だから。恋愛事に疎い自分はまた、自分の気持ちに気付くのにこんなにも時間がかかってしまった。
でも、今度こそ、後悔したくない。
「瑞希……いいの?アンタは片山君みたいな男らしい子が好きなんじゃないの?」
「人を好きになるのに性別は関係ないって玲が言ったんじゃん!玲が男っぽくても女っぽくても、あたしはありのままの玲が好きだ。たぶんこれからもずっとそれは変わらないよ。それに……あたしだって、今も男っぽいままだし、前は自分のそういうとこすごいコンプレックスだったけど、玲はそんなあたしでも受け入れてくれるんでしょ?」
何故か怒ったような口調で、顔を真っ赤にしながら涙目で訴える瑞希。玲は一瞬、きょとん、とした後におかしくなって噴き出した。
「そうだったわね……!まぁ、アタシ達はそれでバランスがとれてるのかもね」
それに、と玲はおもむろに瑞希の肩に腕を回し引き寄せた。「んん?」と突然のことに瑞希は目をぱちくりと瞬く。ふっと温かな息が耳元をくすぐった。
「男でも女でも、アンタを飽きさせないから安心しなさい」
「ふぁっ!?」
片目をつぶって色気たっぷりに微笑んだ玲に、思わず素っ頓狂な悲鳴が漏れた。
「ちょ、れ、れ、玲!?」
「やーね、まだちょっと肩を抱いただけじゃない。こんなん序の口よ」
「な、何が?」
ドキドキしながら問いかけるも、その答えを聞くのが何故か怖いと感じた。玲は実に楽しそうに瑞希の顎に指をかけた。「ひゃっ!?」とまた変な声が出て瑞希はさらに赤面する。
「これからはメイクやオシャレだけじゃなく、恋愛についても手取り足取りたっぷり教えてあげるからね♡」
「お……お手柔らかにお願いします」
そう言いながらも、ほんの少し、いやだいぶ、これから変わっていく未来に期待する気持ちを否定は出来ない。
一筋縄ではいかない複雑な毎日が待っているのだと、瑞希は確信した。
(完)
初投稿から随分時間がかかってしまいましたが、これにて完結となります。癖の強い作品を最後までお読み下さり、ありがとうございました。




