第二十八話 錯綜
(なんで玲、学校来ないんだよ……)
玲が登校しなくなって、3日目、瑞希は言い知れぬ不安と寂しさに苛まれていた。ラインメッセージで体調不良かと聞いてみても、「大丈夫」という返事だけで詳しく言って来ない。週末に会いに行こうか、と言っても神社の用事で忙しいと断られてしまう。
ただ玲は来なくなった日に、保健室の夏目先生のところに行け、という不可解なラインメッセージを送って来た。言われた通り瑞希が保健室を訪ねると淑乃が玲から預かって来たというパワーストーンで出来たブレスレットを渡して来た。そのブレスレットは水晶とヒスイ、そして小さな金色の鈴が二つついていた。鈴には中の玉は入っていないのか、揺らしても音はしなかった。
「先生、これを玲があたしに?」
「そう。魔除けのお守りだって言ってたわ。絶対肌身離さないでって」
「ふーん……」
呟きながら、瑞希は何だか面白くなかった。
玲にブレスレットをプレゼントされたことは嬉しい。でも、なんで人づてに貰わないといけなかったのだ。
玲の住む葦原崗神社は、高校からもそう離れていない。学校帰りに瑞希が寄ることだって出来なくもないのに。何より、体調に問題ないなら何故玲は学校に来ないのだ。
そう不満に思いながらも、同時に瑞希はある可能性を考えてしまった。
(あたし……いよいよ愛想尽かされたのかな)
これまで散々玲を振り回してしまっている。元は瑞希が安易に男になりたいなどと願ったせいで、玲は神と名乗る存在と2度も対峙する羽目になった。それだけでなく、瑞希と関わったせいで、悠人と杏奈との三角関係に巻き込まれ、公表するつもりのなかった性自認について暴力的な方法で白日の下に晒されることになった。
そのことで玲が心に傷を負っていて、学校に来れないのだろうか。そう考えると姿を現さない玲に強く問い質すことも出来ない。
瑞希自身、今も校内にいる間、周囲の好奇の視線に気が滅入りそうになっていた。
「これは斎君からの伝言。どんなことがあっても、自分を信じてとにかく今は待っていて、ですって!……なーんか、青春してるのねぇ、いいわねぇ~」
うっとりと微笑む養護教諭に、瑞希は「はぁ」とから返事をしながら、ブレスレットを見つめた。
(玲を信じろって……信じてる、信じてるけど、言葉だけじゃなくて、顔を見て安心したいよ……!)
心を許せる相手がすぐ傍にいてくれることが、それだけでどれだけ支えになっていたかを瑞希は痛感した。
―――遠くで、小さな子が泣いている声が聞こえる。
ぼんやりとした意識の中で、瑞希はそう思った。
うっすらと目を見開くと、まるで映写機が映し出しているように空間の中に一つの風景が浮かび上がった。
(村……?なんか、日本昔話に出て来そうだな)
そこは、うっすらと雪化粧をした小さな集落のようだった。現代の建物とは趣の異なる木造かやぶき屋根の簡素な家々がぽつぽつと並び、小さな田畑の他にはその周りをぐるりを囲むように山々が広がっている。
すぐ傍から見ているようで、遠くから見下ろしているようにも思える。不思議な距離感で瑞希はその空間を漂った。
『……また、エンの小僧、家をおん出されてたな』
ある家の軒下で数人の男が藁を編みながら、何かを話している。
『ひでぇ母親だぜ、てめぇで産んだガキを放り出して男に走っちまうなんざ』
『……ああ。前の亭主との子供だからって邪険にして、男の顔色ばかり窺ってやがる』
『でもよぉ、こんな貧乏な村じゃ、よそんちの子供を面倒見れるやつなんざおらんぞ』
一番の年長らしい男がため息交じりに呟いた。
『今年は特に稲が不作だった。新しい綿を布団に詰めることも出来んだろう。……あいつはこの冬を越せるのかねぇ』
男らの沈痛な面持ちに、瑞希の胸も重苦しくなった。
あいつ……とは、誰の事だろう。
ふと、意識をその人物にはせると、今度は粗末な家の裏で、小さく蹲る影を見つけた。年端もいかない少年のようだった。冷たい剥き出しの地面に裸足で凍えている。
『……お母さん。中に入れて……いい子にするから、邪魔しないから』
涙声でそう繰り返している。
震えるその子供に瑞希は居たたまれず、声を掛けようとした。しかし、口を動かしても言葉を発することが出来ない。
『新しいお父さんと仲良くする。弟達の面倒も見るよ。だから僕を仲間外れにしないで』
しゃくり上げながら、その子はか細い声で漏らす。見ていられない、なんて悲しい叫び声だろう。
その子を抱きしめてあげたい。なのに、体は実感なくゆらゆらと漂うばかりで、見つめることしか出来なかった。
ふと、その少年が幼い顔を上げた。
真っ黒なつぶらな瞳が、やけに印象的だった。
(あたし……この瞳を、見たことがある……?)
リンッ……
澄んだ鈴の音がどこかで鳴り響いた。
「―――くら、新倉。新倉!!起きろ!!」
「……っわ!?」
突然耳元で大きく名を呼ばれ、瑞希は飛び上がった。
慌てて周囲を見回すと、見慣れた教室だった。
「……え?……あれっ?」
気が付くと、担任の中年の男性教員が厳しい表情で瑞希を見下ろしていた。
「お前なぁ~朝イチから堂々と寝るな!!」
「いって!」
教科書で頭をはたかれ、瑞希が小さく叫ぶと周りから笑い声が漏れた。
(あ、そうだ……ホームルームの時間だった)
どうしてだろう、最近、やけに眠い。
夜もしっかり寝ているにも関わらず、瑞希は終始春先のようなけだるい睡魔を感じていた。
「お前ちゃんと説明聞いてたか?今日の地域清掃は男子が正門側、女子が裏門側だからな間違えるなよ」
はいはい、男子は正門ね。まだ少しぼんやりしている頭を片手で押さえながら、瑞希は頷いた。
―――その放課後、今日は月に一度の地域清掃で学校周辺の住宅地の清掃活動が行われる日だった。
不法投棄された空き瓶や缶を集めた重いゴミ袋を運びながら、翠は一人のクラスメイトの事を考えていた。
「新倉君、大丈夫かなぁ……」
クラスメイトの新倉瑞希は少し謎めいた存在だ。男子にしてはやや華奢な印象があるものの、たしか以前はクラスの目立つ男子グループの中心にいる、ムードメーカー的な存在だった。
しかし、2学期に入ってから彼の纏う空気ががらりと変わった。いつからか周囲と距離を取り始め、なにかいつも思い悩んでいるような、張り詰めた表情が気になっていた。
ある日、男子グループの輪から離れた瑞希が突然、自分に声を掛けて来た時は正直驚いた。
戸惑った翠が、訳を尋ねると瑞希はこう答えた。
『女子といる方が落ち着くから』
そう言った瑞希の、弱り果てた表情が目に焼き付いている。
あの時、自分は目立つのが嫌で思わず瑞希を突っぱねるようなことを言ってしまった。
たしか、その直後……
『あたしは……、あたしは女だ!!』
瑞希は、泣きそうな顔でそう叫んだのだ。
そう言えばあの日を境に、瑞希はクラスメイトから孤立して行ったんだった。そのことに、翠はずっと罪悪感を感じていた。
自分がもう少し、瑞希の声に耳を傾けていれば。
「それにあの写真……」
約一週間前の、センセーショナルな出来事。
誰がやったのかは分からないが、学年の掲示板一面に瑞希と5組の斎玲の写真が貼りつけられていた。その中には、女子の格好をした二人の姿の写真も。
先生達は軽い悪ふざけで異性の格好をしていたのだろう、と問題にはしなかった。他の生徒達も数日したらいつもの日常に戻って行った。
でもあの写真を見た時、正直なんて綺麗なんだろうと翠は思った。そして直感した。この姿が、瑞希の自然な姿だったんだと。
本当の所は分からない。でも、あの写真と2学期になってからの瑞希のいつも憂いを帯びた顔が同じ理由から来るのなら、力になりたいと翠は思った。
(あ、新倉君)
ゴミ捨て場に向かう途中に同じようにゴミ袋を持って歩く瑞希の姿が見えた。周囲には誰もいない。
「新倉君!」
翠は思わず声を掛けていた。
「……明石さん?」
「新倉君の班も終わったとこ?見て、ほら裏門の方いっぱいゴミ捨てられてたんだよ~」
翠が一杯に膨らんでいるゴミ袋を瑞希に見せるように持ち上げると、瑞希がそれをひょいっと取り上げた。そして今度は瑞希が持っていた、まだ半分くらいのごみ袋を代わりに渡された。
「え?新倉君?」
「そっちチラシとか、紙ごみだけだから軽いでしょ。女の子が割れたガラスとか持つの危ないし、重いのは俺が運ぶよ」
……あれ?
さらりとそう言った瑞希に翠は面食らった。
何だろう、今のはやたら男前だった。
すでに瑞希は重いゴミ袋を抱えて前を歩き始めていた。
「え、え、大丈夫よ?新倉君、私結構力持ちだし」
そもそも瑞希に押し付けるために声を掛けた訳ではない。慌てて翠はごみ袋を取り返そうと、先に歩く瑞希に小走りに近づく。
「いーって。こういうのは男に任せときなよ」
そう肩を竦めた瑞希の姿に、翠は違和感を覚えた。
(あれ……?新倉君、また、雰囲気変ってる……)
頼もしくて優しくて爽やかで。
それはまるで自分が大好きな乙女ゲームの王子様のようで。
(あ……あれ?な、なんかカッコいい??)
思いがけず、ドキっとしてしまう自分に、翠は困惑するしかなかった。
―――停学処分を解かれ、約10日ぶりに悠人は学校に登校した。
教室に入るなり、一瞬自分の目を疑った。なぜならそこに、あまりに懐かしい光景が広がっていたからだ。
(瑞希……!?)
男子グループの輪の中で、親し気に男子生徒らと談笑する瑞希。1学期までは、当たり前に同じグループで笑い合っていた。何の話題を話しているんだろう、とよく見ると、彼らは周りの目を気にしながら雑誌か何かを読んでいるようだ。
(良かった……瑞希、元に戻ったんだな)
そう考えて、悠人は自分もその輪の中に入ろうと声を掛けようとして―――何かがおかしいと気付いた。
肩、横顔、声、制服―――。
(いや……違うだろ!瑞希は女だったんだから、同じじゃない!)
そうだ、よく見たらやっぱり全然違う。以前の瑞希は、男勝りで男子と同じようなノリでグループに混ざっていたけれど、紛れもなく女子だった。瑞希が話の輪にいると、やっぱり思春期真っただ中の自分達は意識してしまって、彼女の前では絶対にあからさまな下ネタは言わない暗黙のルールがあった。ましてや、今彼らがしているような、グラビア雑誌のページを堂々と皆で広げたりなんてなかったじゃないか。
「お前ら、何見てんだよ」
思わず、悠人は棘のある口調で声をかけた。
グループの面々が一斉に振り返る。
「お!悠人、久しぶりーもう体調良いのか?」
「おー、悠人ーお前どの子がタイプ?ってかどんくらいが丁度いいと思う?B?C?D?それ以上?Fくらい?」
わざとらしく胸の形を示すようなジェスチャーをしたクラスメイトを悠人は横目でにらんだ。
「お前ら、やめろよ。下品だろ」
悠人は問答無用とばかりに雑誌を閉じた。
「何だよ、悠人。せっかく皆で盛り上がってたのに……もしかしてお前、照れちゃってんの?」
雑誌を取り上げた悠人に、瑞希がからかうように片手を口に当てた。
は?と悠人が瑞希を疑うような目で見ると、瑞希は一瞬怯んだ顔になる。
「な、なんだよ?」
「……お前、こういう話平気なのかよ?」
「は?どーいう意味?」
「だから!下ネタとか、嫌じゃねーのかって!」
どことなく噛み合わない会話に悠人がいらいらと問い質す。すると瑞希は心外、とでも言いたげに口を尖らせた。
「あったりまえだろーが。俺だって男子高校生だぞ。グラビアくらい見るわ!」
その言葉を聞いた途端、悠人は瑞希の腕を掴み有無を言わさず教室から連れ出した。
「いて、痛い痛い痛い、悠人何だよ、放せよ!!」
「うるせー!黙って付いて来い!!」
抗議の声を上げる瑞希に、悠人は一喝する。
生徒の行き来の少ない中庭の手洗い場まで来て、やっと悠人は瑞希の手を離した。
「お前、どーなってんだよ!あれじゃ男っぽいどころか、男そのものじゃねーか!!」
「はぁ!?悠人、何言ってんだよ?」
悠人の台詞に瑞希はムッとした様子で言い返した。その姿は悪ふざけをしているようには見えない。だが質の悪いジョークにしか悠人には思えなかった。
「お前、俺の前でまで変な猿芝居はやめろよ。もう思い出したって言っただろ!お前から事情も話してくれたじゃねーか」
「何だよ、事情って?」
「……え?……お前が、妙な子供の姿をした神様ってやつに、女から男に変えられたってことだよ」
「……俺が、男に……?」
瑞希は不思議そうに悠人の言葉をおうむ返しにし、―――表情を強張らせた。
「え……?俺、は、男だよな……?最初か、ら……?」
「違う!お前は女だろ!瑞希、しっかりしろよ、思い出せ、お前は女だ!!」
何かを確かめるように額に手を当て、俯いた瑞希に悠人は必死で叫んだ。瑞希の両肩を揺さぶり、問いかける。
「瑞希、どうしちゃったんだよ、お前、俺に言ったじゃねーか。俺にカノジョが出来るのが嫌だったって、男になって楽になろうって考えたって。でも、結局苦しかったって!それ聞いて俺マジですげー後悔したんだぞ?はじめからお前に告っときゃ良かったって、何度も、何度も……!でももうお前の気持ちは俺にないって分かったから、俺は……!!」
「は、悠人……!そんないっぺんに色々言うなよ、何言ってんのか分かんねーよ……!俺……じゃ、ない……あ、たし……っ!?」
酷く混乱した様子で、瑞希は頭を抱え、上体を九の字に曲げた。
「そうだよ、瑞希、あいつは……斎はどうしたんだよっ!!お前をどんなことがあっても、守るって言ってただろ!!」
「いつ、き……?れ、玲……!?あっ、あああ……!!」
瑞希は頭を大きく左右に振った。同時に動いた左手の手首で、じゃらっと小さな石が打ち合い音を鳴らした。パワーストーンのブレスレットだ。初めて見るそれに、悠人は何か引っかかった。
「瑞希?この、ブレスは何だ?」
「触んないでっ……」
瑞希は無意識に、悠人の手を払った。何故か、これだけは肌身離さず身につけておかなければならないと思った。
もう一方の手で、隠すように、ブレスレットを押さえた。その指先が、石と鈴に触れた。
「あ……!?瑞希!?!?」
悠人は仰天し、大きく目を瞠った。
突然―――そのブレスレットに触れた瞬間、瑞希がふっと意識を失い、背中から地面へと傾いたのだ。
「瑞希!!」
咄嗟に手を伸ばし、瑞希の上体を受け止める。完全に力を失った男子の体の重みが悠人の腕にのしかかり、悠人は同時に地面に尻もちを着いた。
「瑞希……お前、大丈夫なのかよ……」
呼び掛けてもすでに意識のない瑞希は反応をしない。閉じた瞳からつうっと一筋涙が零れた。
返事なく昏倒している幼馴染に、悠人は言い知れぬ不安を胸に抱いていた。




