第二十六話 憑依
「ねぇ、片山君―――?」
悠人にまでこんな現場を目撃されていた。そのことは瑞希をさらに羞恥と情けない思いに駆り立てる。
悠人は、この状況をどう解釈するのだろうか?自分のカノジョが親友に襲われていた?それとも自分のカノジョが親友に危害を加えていた?どちらにしても悠人を傷つけるに違いない。怖くて悠人の目を見れない。
彼の姿を認めた瞬間、杏奈が耳をつんざく悲鳴を上げた。
「いっいやぁあああああーーーー!!ちっ、違うの、悠人君!!私は、私はこの二人に襲われたの!!!ほら見て、私の制服、こんなにボロボロでしょ!?どう見ても、被害に遭ったの私だよねぇっ!?!?」
そう叫び、悠人にすがりつく杏奈を、瑞希は唖然として見つめた。あまりの彼女の変わり様に涙も引き、腹が立つよりも憐れに思えた。
パンッーーー
悠人は、近付いて来た杏奈を無言でひっぱたいた。
「は、悠人君……?」
「……ふざけるなよ……被害者は自分だ?よくそんなこと言えるよな。俺が瑞希を疑う訳ないだろ!!瑞希は俺の大事な親友だぞ!!!」
激昂して叫んだ悠人に、杏奈は叩かれた頬を押さえ、信じられない、とでも言うかのように数度首を横に振った後、蹲り火が付いたように泣き出した。
しかし、号泣する美少女を目の前にしても、悠人の表情は硬かった。
「もうお前には付いて行けない。俺は俺のダチを傷つけるような子と付き合えない。我慢の限界だ。杏奈……別れよう」
きっぱりと言い切った悠人に、その場にいた誰もが目を瞠った。
いつもの温厚な彼からは想像がつかないほど、その表情が冷たかったからだ。
「は、悠人……?」
思わず瑞希は確認するように名前を呼んだ。庇って貰えた喜びよりも、悠人の見せる冷酷な一面に心配の方が先に立った。
呼びかけられ、悠人は瑞希に振り返った。その表情が一瞬で、瑞希を気遣うような優しい顔に変わった。瑞希に歩みより、まだ涙にぬれた頬を優しく拭ってやる悠人。
「瑞希……ごめんな、お前を信じてやれなくて。俺、思い出したんだ、何もかも」
「……えっ」
悠人の言葉に驚き、その真意をはかろうとした矢先―――。
「………そう。………悠人君も、私から離れていくの。今までの人と同じ、私を大切にしてくれないのね………」
ひどくしゃがれた声が、まるで地の底から響いて来たようだった。
その声がしたと同時に、一瞬衝撃波のようなものが走り、理科室内にある実験器具を震撼させた。
異変に、思わず誰もがその声の主に注目した。
泣き崩れていたかのように見えていた杏奈がいつのまにか立ち上がり、幽鬼のように佇んでいた。その瞳は虚ろで、口元は不自然に口角が上がり時折くぐもった笑い声が漏れた。そして何より異常だったのは、いつの間にか杏奈の体から黒い靄のようなものが染み出し、それが少しずつ空間にまるで蛇のように蠢きながら広がり始めていたことだ。
彼女の姿を見て、3人とも悲鳴を上げた。
「か、川口さん!?」
「杏奈!?」
「まずい、物の怪憑きになってる!!」
驚きと恐怖で立ち尽くす瑞希と悠人を庇うように、玲は前に出た。
「寂シい……いツも私フラれちゃウの……みんナ私を一人ぼっチにするノヨ……」
杏奈の口調もおかしかった。所々、割れたような音が混じり、口の動きと言葉が噛み合っていない。
カクリ、カクリ、と首を左右に揺らしながら歩いて来る杏奈は、まるで糸の切れたマリオネットのようだ。
「悠人クンが傍にイてくれナイなら……全部壊しチャッてもイイよね?」
そう言うなり両手を広げ、ニタリと笑った。
再びさらに大きな衝撃波が走り、フラスコやビーカーが共鳴したかのようにあちこちで割れた。破片が風に煽られるように宙を舞い、縦横無尽に駆け巡った。
「危ない!」
玲が、とっさに手で破邪の印を切り、短く真言を紡いだ。真言はそれ自体が力を持つ呪いの言葉だ。すると今にも3人に襲い掛かろうとしていた破片らが、上からたたき落されたかのように地面に落ちた。
杏奈は相変わらず不気味な笑みを浮かべていた。そこには、いつもの可憐な面影は残っていない。
「玲……なに、これ……?川口さん、どうなっちゃってるの?」
「怨霊が憑いてるのよ!祓うのは出来るけど、その前に眠らせるなりなんなりしないと、このままじゃ彼女の負の感情が憑いてるものの悪い邪気に作用して、周りにも被害を及ぼすわ!」
玲が舌打ちしながら叫んだ。
簡単な除霊であれば、この場でも出来る。しかし杏奈を大人しくさせなければ、術に集中出来ない。
「くそっ、杏奈、なんでこんなことになってんだよ!!」
「あっ馬鹿!!」
杏奈の前に飛び出した悠人を玲は制止しようと叫んだ。しかし、それよりも先に悠人の姿を認めた杏奈がゆらりと悠人に倒れ込んだ。
「悠人クン……掴まえタァ」
悠人を羽交い絞めするように抱きついた杏奈からより黒い靄が噴出し、悠人ごと包み込んだ。
「はっ、悠人ー!!」
瑞希は思わず悲鳴を上げた。
「瑞希っ!近づいちゃ駄目っ!!」
集中出来ないなんて言ってる場合じゃない、このままでは、悠人や瑞希に被害が及ぶ。そう瞬時に判断すると、玲は床に落ちている割れたガラスを掴み、その鋭利な断面で自らの腕に突き立てた―――!
「れ、玲っ!?」
悠人に駆け寄ろうとしていた瑞希は、玲の行動に立ち止まり悲鳴を上げた。
自らも動揺している胸を無理やり鎮めながら、玲は腕から滴り落ちる自らの血をもう一方の手の指先でとり、机の上に滑らし始めた。
「高天原に神留坐す ……」
血を墨代わりに呪いの陣を描きながら、玲は朗々と祝詞を唱える。その額には脂汗が滲む。
血は、古来より生命力の源泉。邪なるものを焼き尽くす、炎の色。
瑞希はいつかの破魔の儀式と同じように、体の内側から何かが震えるのを感じた。
「アッ……!?アあっ……」
悠人をきつく抱きしめていた杏奈が急に悠人の体を離し、何かに怯えたようにもがき始めた。
玲の描く陣は祝詞に反応して僅かに発光しだす。その光が、杏奈から湧き出ていた靄に触れると、その靄がかすんでいく。
「……天津神 地津神 八百万神等共に 聞こし食せと 畏み畏みも白す」
玲の声が、まるでエコーがかかったかのように、何重にも広がり、空間を清浄な気で満たした。
「杏奈!!」
急に糸が切れたように気を失い、倒れ込んだ杏奈を、悠人が咄嗟に受け止めた。
ほぼ同時に床に座り込んだ玲に、瑞希が駆け寄った。玲はびっしょりと汗をかきながら、深く息を吐いた。
悠人は完全に意識のない杏奈と、瑞希、玲を見比べて困惑した表情を浮かべた。
「……斎……一体これは何だよ。杏奈はどうしちまったんだ?それに……瑞希、瑞希はなんで男になってんだよ?」
「……悠人!?」
「思い出したんだ、本当は瑞希が女だってこと。どうしてこんなことになってんだよ、普通こんなことありえないよな?なんで皆瑞希が男だって思ってんだよ。一体、何が起こってんだよ」
混乱している悠人が、瑞希と玲に疑問をぶつける。今、目の前で見聞きしたことが現実のことか判別がつかない。
「全部、あたしのせいだ」
「瑞希」
玲を庇うように、瑞希は悠人に向き直った。腕の痛みに苦しそうな表情を浮かべながらも、玲は瑞希を制止しようと手を伸ばす。そんな玲に瑞希は静かに首を振った。
「玲、いいんだ、本当のことだから」
瑞希は一度目をつむり、一呼吸置いて話し出した。
「悠人……こんなこと言っても、信じてもらえないかもしれないけど。あたしが自分から男になりたいって、願っちゃったんだ。……お前にカノジョが出来た時、もう親友でいられなくなるって聞いて悲しくて、男になれば全部楽になるって思ったんだ。男になれば……お前への気持ちも忘れて、正真正銘ただの友達関係でいられるって……本当は、ずっとお前が好きだったのに」
「……!!」
瑞希の告白に、悠人は大きく目を見開いた。
「馬鹿だよな……女で勝負することを最初から逃げて、あたしはいっつも自分が傷つかない方を選んで来てたんだ。でも、まさか、本当に神様が出て来て、あたしの願いを叶えてくれるなんて……あとから分かったよ。体が男になっても心の痛みは消えないんだ、って」
瑞希は自嘲気味に自分の体を抱きしめた。悠人は大きく目を見開き、ごくりと喉を鳴らした。
「うそだろ……じゃあ、俺達は最初からお互いの気持ちを勘違いして……?俺が、よそ見なんてしなければ……俺達は……!」
「……悠人?」
愕然と口元を押さえて絶句した悠人に、瑞希は心配そうに声をかける。その様子に、玲は一瞬睫毛を伏せた。その時―――。
「……駄目だなぁ、瑞希。結論に辿り着くのにはまだ早いんじゃない?」
幼い声が、どこからともなく聞こえた。
「!!?」
驚いた3人はその声の出所を探る。すると、気を失っている杏奈の体から、再び黒い靄がずるりと染み出して来て、それが煙のようにゆらゆらと宙に浮かぶと、幼い子供のような影を形作った。
「エン!!!」
「この姿では久しぶりだね、瑞希」
現れた狼の耳と尾をもつ少年神は、にたりと笑った。
「お前が川口さんを操ってたのか!?」
「フフフ……半分あたりで半分はずれかな。君と同じさ。僕は彼女の欲望にすこーし力を貸してあげただけ。彼女の行動は、彼女のものだよ。カレシを独占したい。近付く人間をどんな手をつかっても排除したいってね……アハハ浅ましいよねぇ、人間の女って!!」
幼い声で瑞希の問いに答えながら、エンは無邪気に笑った。
「この子はね、今までのカレシにも毎回ひどいフラれ方をして、すっかり人間不信と依存の虜になっていたんだよ。でも……フフ、愚かだよねぇ、毎回その不安な気持ちから、悪い方の未来を引き出してるのは自分だということにも気付かないでさ!!……まぁいいや。瑞希、僕は君の願いを叶えて上げるために、君に関わりのある人間達の記憶を操作する暗示をかけた。そこに、ちょっとばかし種をしこんでたんだよ」
「種……!?」
「そう……自分の気持ちに正直になれるおまじないだよ。フフフ……ね?悠人?」
意味深に含みのある視線をエンは悠人に向けた。途端に、悠人は何か思い当ったのか、顔を赤らめ視線を落とした。
(……あ!!)
ふいに悠人から強引に口づけられた場面を思い出し、瑞希も身を固くする。しかし、横で自分を見つめる玲の視線には気付かなかった。
「一番イイ反応をしてくれたのはそこの彼女だけど、これからもそんな人間は現れるかもね?人間の欲望は際限ないからね……特に女どもの利己的な『お願い』は質が悪い。瑞希、早く心も男になっちゃった方がいいんじゃない?」
「そんなことさせない!邪な力で魂を歪めることは、自然の理に反している!瑞希の事はアタシが元に戻して見せるわ!」
「おおこわ!玲、君、随分霊力を高めたんだねぇ。君の魂の色はかなり『陰』から『陽』に変わって行っているよ。そんな君になら、僕の考えも理解してもらえると思うのになぁ!……フフフ、まぁいいや。僕の方は今日の所は大成功だからね。……ねぇ、瑞希?」
幼き神は、くつり、と笑った。
「君、また心の中で『願った』よね?」
「……!!」
エンに尋ねられ、瑞希は心臓を鷲掴まれたような気がした。
さっき、杏奈に襲われた時。男の反応を見せる自分の身体への嫌悪感から、自分の心を守るために『女』であることを否定した―――!?
「瑞希、アイツの言葉に惑わされちゃ駄目!!自分の気持ちをしっかり持つのよ!!」
玲が苦し気な表情で、瑞希の肩を掴み揺さぶる。杏奈を正気に戻す印を結ぶために、自ら怪我を負った玲の顔色は青白かった。
「玲……あたし、どうしたら……」
「瑞希!しっかりして!アンタはアタシが何があっても守るから!!」
「玲……!」
その時、理科室にものすごい突風が吹き、暗幕がたなびいた。室内に差し込んで来る太陽光が、チカチカと3人の視線を遮った。
「フフフ、何をやっても無駄さ!!瑞希、早く観念しちゃった方がいいよ!君が完全に男になるまで、この術は未完成だ。それはつまり、その間君の親しい人間達は術の影響下に置かれ続けるってことさ!第二、第三の犠牲者が現れるんじゃない?そこの彼女のように!!」
実に楽しそうに笑いながら、少年神は光の中に溶け込み、姿を消した。




