第二十話 恋に落ちる瞬間
ガレットの店を出た後、すっかり辺りは暗くなっていて二人は後に予定していた買い物を断念した。元々はカフェの後に瑞希のためにメイク道具などを見て回る予定だったが、予想以上のカフェの待ち時間と、玲の過去の恋愛話に予定が狂ってしまったのだ。
「……可愛いんだから、そのまま帰ればいいのに。服あげるわよ?」
「いや、さすがにいきなりこの格好で帰ったらうちの親がびっくりするよ」
神社の境内の裏道を通りながら、二人は玲の部屋に向かっていた。
「でも元々アンタは女なんだし、親も記憶いじられてるだけなんでしょ?もしかしたらアンタが女だってこと思い出してくれるかもよ?」
「いやいやいや、今は完全にあたしを息子だと思い込んでるんだよ?そんなん絶対カミングアウトになっちゃうって。あたしまだそんな度胸無いよ」
「えーでもー……」
そんな会話をしながら副殿に二人が差し掛かった時、ふいに暗い外廊下に人影があるのが見えた。
「……玲。また、そんな恰好をしていたのか」
「お、とう、さん……」
灯篭の明かりに浮かび上がったその人物に、玲が一瞬で体を固くしたのを瑞希は気付いた。
「……その子は、前にも来ていた少年だな。お前達はそうやって悪い遊びを繰り返しているのか」
「悪い遊びなんて……そんなつもりじゃ」
どんどん声の勢いが弱まって行く玲に、どれだけこの父親の前で玲が委縮しているかが伝わって来た。その心許ない玲の後ろ姿に、瑞希は胸がきゅうっと苦しくなった。
玲の父親は、確かに玲が話していた通り、言葉少なくそれでいて相手を息苦しくさせる冷たい威圧感に満ちている。こんな空気の中で、玲は誰にも本音で向き合えないまま多感な思春期を過ごしていたのだ。
「お、おじさん!あ、あたし達、悪い遊びなんてしてません!ただ二人でカフェに行って帰って来ただけです!」
「……そのふざけた格好は悪い冗談ではないのかね?止めるどころか仲間を増やすとは……」
暗がりの中でも、玲が羞恥に顔色を変え、悔しそうに唇を噛みしめるのが分かった。次の瞬間、瑞希は玲を庇うように前に踏み出していた。
「冗談でもなんでもありません!玲にとって、この格好がありのままなんです!どうして頭ごなしに玲の人格を否定するんですか!?みんなと同じじゃないと認めないんですか!?人と違うところがあったって、玲は玲です!あたしにとって、代わりのいない、大切な友達です!おじさんにとっても、そうじゃないの!?」
「……そ、それは……しかし……神社の跡取り息子が、変り者だと思われては後援者に示しが」
「自分の家族より世間体が大事なの!?玲はちゃんと周りに合わせる努力もしているし、誰にも迷惑なんてかけてないじゃないですか。一番苦しいのは玲自身なのに、せめて家族のおじさんくらい玲をありのまま受け入れてくれたっていいじゃん!!だいた……いっ!?」
そう叫んだ瑞希の口は後ろから伸びて来た手におもむろに塞がれた。
「……いいから。もう、いいから、瑞希。アンタがそう言ってくれるだけでアタシには十分」
とん、と背中に置かれた玲の頭が、少し震えているのが分かった。
「……お父さん。僕のこの性質のせいで、家族がバラバラになったのは分かってます。これからもなるべく迷惑をかけないようにするし、ちゃんと神社を継げるように修業も続けます。……でも、僕の大事な友達のことだけはそっとしておいて下さい。瑞希はたった一人の僕の理解者なんです」
そう一息に言うと、玲は頭を下げた後、瑞希の手首を掴み歩き出した。
「玲……。待ちなさい、玲。まだ話は終わっていないだろう」
「……話?今まで、まともに話なんてしたことないでしょう。あなたの言いたいことは分かっています。神社の跡取りとして、恥ずかしくない振る舞いをしろ、でしょ?だから出来る限り努力します。それ以上に僕にどうしろと言うんですか。外面を変えることは出来ても、僕は僕以外の人間にはなれません」
振り返らずに再び固い声で一気に言い切った後、玲は今度こそ構わずに瑞希の手を引いて足早に立ち去った。
瑞希は一瞬ためらい、玲の後ろ姿と玲の父親を交互に見る。しかし瑞希の手を引く玲の力は強く、そのまま引っ張られて行く。
「……玲、玲、いいの?おじさんあのままほっといて」
「いいの!どうせあの頑固おやじ変わりっこないんだから!」
玲の部屋に戻って来たところで、やっと玲は瑞希の腕を放した。常にない力で掴まれていたせいか、瑞希が自分の手首を見るとうっすら赤い痕がついていた。
「……ありがと」
「……え?」
小さな声で、背を向けられたまま言い放たれた言葉に瑞希は目を丸くした。
「……はじめて、あの父親に言い返したの。小さい頃からの刷り込みで、ずっと父さんは怖い存在だったから。両親が離婚する時も、文句の一つも言えなかったのよアタシ。でも今日は、アンタがいてくれたから、アンタがアタシの味方をしてくれたから、勇気を出せた……ありがとね」
半分だけ顔を瑞希に向けて照れ臭そうに呟いた玲に、瑞希は再び胸が締め付けられる思いだった。
自分にとって、玲だけがこの苦しさを知ってくれているように、玲にとっても自分だけが拠り所なのだと思うと、ますますもどかしい切なさが湧き上がって来る。
「水臭いこと言うなよ……あたし達、友達じゃん。お礼なんて言う必要ないよ」
「そっか」
泣きそうな玲の笑顔が瑞希の目に焼き付いてしばらく消えなかった。
―――玲の部屋で男の格好に戻った瑞希は、借りていた服を紙袋に入れて持って帰ることにした。
さっき玲の父親の前で啖呵を切った手前、女装のままで帰ろうかという思いも過ぎったが、やはり心の準備というものがある、最良のタイミングとも思えず断念した。迷う瑞希を見て、玲も瑞希の両親を下手に混乱させる必要もないし、まずは元通りに女に戻れる方法を探そう、と言った。
「じゃ、あたし、帰るね。……また来週、学校で」
「……うん、学校でね。門の所まで、送る」
「……ん。ありがと」
何故だろう、週明けにはまたすぐ玲には会えるのに、今日はやけに別れがたいと思った。そう感じているのは、瑞希だけではないのかもしれない。
境内の砂利道を歩きながら、いつになく二人は言葉少なだった。それなのに、当たり前のように手を繋いで歩いている。今は玲だけが女の子の格好をしているから、傍目には普通の男女のカップルに見えるだろうか。
神社の裏門の所まで来て、瑞希は玲に向き直った。淡い月明かりに照らされた玲は、相変わらずハッとするほどの美少女ぶりだ。その美貌に見惚れているからなのか、瑞希はやけにドキドキと鼓動が音を立てるのを感じた。
見つめ合っているのに、その沈黙を破る言葉は喉を引っかかって出て来ない。
目の前にいるのは綺麗な女の子。なのに、真っ直ぐな視線が力強く、そこに『男』を感じて―――。
どちらからそうしたのか、気付いた時にはもう唇が触れ合っていた。
ごく自然に、目を閉じて、柔らかな感触に神経を研ぎ澄ましていた。不思議と嫌な感じも、驚きも無かった。
どれくらいの時間、そうしていたのか、次に唇が離れた時にそこで初めて、お互いにびっくりしたような顔になった。
「……あれ?」
「……え?」
同時に目をパチパチと瞬き、これまた同時に顔に熱が集まって赤くなって来た。
「え?キス?した、よね?あたし達」
「した、かも?たぶん……ええ?」
お互いに混乱したまま、え?と繰り返す。玲が熱い頬を冷ますためか、手をひらひら煽ぐ。
「で、でも同性同士だから、ノーカンじゃない?」
何か取り繕うように玲が言った言葉に、瑞希はあっけにとられる。
「な、何それ?」
「ほ、ほらぁ、よく言うじゃん。家族とのキスとか、小さい時のキスみたいに、同性同士だったら数に入らないんじゃん?」
疑わし気な瑞希の視線から逸らすように、玲は明後日の方を見ながら捲し立てた。正直、瑞希には良く分からない理屈だったが、玲にそう言われればそうなようにも思えて来た。
それと同時に、瑞希は自分の中で急速に何かがしぼんでいくのを感じた。
「そっか」
「そうよー」
どこか腑に落ちない気もしつつ、瑞希自身これ以上追及すると玲との間にある大切な何かが崩れる気がして、うやむやに終わらせ二人は別れた。
その帰りのバスの中、瑞希は一人唇を指先で触れた。
(……同性同士、なのか?あたし達……体は男で、精神的には女で……だから同性同士?でも同性同士でも恋愛になる人もいるんだよな?あたしは、あたしは玲を、どう見てるんだろう……玲は、あたしをどう見てるんだろう……)
方程式が複雑すぎて、数学の苦手な瑞希には解けそうにない。
でも、ノーカンだと言われて、何だか納得出来ない自分がいるのも確かだ。
(あたしが覚えている限り、さっきのがあたしにとってファーストキスなんだけど……!)
モヤモヤした気持ちは、自分の部屋に辿り着いても消えなかった。




