第十九話 玲の好きな人
「………ねぇ、玲。今日この店じゃなきゃ駄目?」
瑞希は自分達の前に長々と続く行列を見ながら、呆れ気味に呟いた。
玲の自宅である葦原崗神社を出た二人は、JRで20分の距離の、中心地である繁華街に来ていた。その一等地に今月オープンしたばかりのフランス産の卵とバターをふんだんに使ったガレットカフェは、現在40分待ちという驚異の人気ぶりだった。
カフェでお茶、という提案には賛成していた瑞希だったが、おしゃれなカフェは他にも沢山あるのに、こんなに長い時間待たないといけない理由が理解出来ない。
「嫌よ、ここには絶対来たかったんだから。一人だとこんな行列並びにくいでしょ、今日可愛くしてあげたお礼に付き合ってよ」
何事にもこだわりが強いらしい玲は、別の店を探そうとする瑞希を押し止めるようにその手を引っ張り列の最後尾に並んだ。
(……)
逃げないようにとしっかり繋がれた手を見て、瑞希はむずむずとした表情をする。落ち着かない。
今は二人とも傍目には女子にしか見えないだろうし、女子同士が手を繋いでいることにそこまで違和感を覚える人もいないだろう。女子特有の距離感にも慣れて来つつある瑞希だったが、それでも気恥ずかしさは否定できない。
(それに、履きなれないスカートの脚もスースーするし……)
肌寒い季節になって来ているというのに素足をだしているせいだろうか、さっきから視線を感じる気がする。
(それとも、やっぱり男だってバレてるとか?)
キョロキョロと辺りにいる行列に並ぶ人たちを見回すが、彼らは来ている者同士で会話をしているか、スマートフォンを見ているかで、特に瑞希達を気にしている様子はない。その時―――。
カシャッカシャッというシャッター音がかすかに聞こえた気がした。
「な、なに?」
ビクッと体を伸ばした瑞希に、玲は気にした風でもなく繋いでいる手を引っ張る。
「何気にしてんのよ?お店を写メってる人じゃないの?べっつに珍しくもないでしょー。ほら、アタシ達も自撮りしよ」
慣れた様子で片手で自分のスマートフォンを取り出し、店を背景に自撮りを始める玲。確かに周囲には、玲と同じような行動をとる行列客が他にもいる。
(気にし過ぎか……)
胸を撫でおろした瑞希は、玲に促されるまま、とりあえずピースサインを作った。
―――一時間後、ようやく席に運ばれて来た名物のガレットを目にして、玲は瞳をキラキラさせた。
「やだぁ、めっちゃフォトジェニック!」
またも忙しなくスマートフォンでスイーツの写真を撮っている玲に、瑞希は呆れながら自分のガレットにフォークを伸ばした。
近年流行になっているハイブリッドスイーツの一つであるそれは、薄く焼かれた香ばしいガレット生地でクレームブリュレを包み、さらにトッピングに季節のフルーツとシナモンパウダー、生クリームで華やかにデコレーションをされている。ガレットのモチモチ食感と、ふわふわのプリン、そして表面のパリパリのキャラメルの層がハーモニーを織りなす、まさに有名店の名に恥じない逸品だった。
「うわ、これ美味しい……」
一口、口に入れると思ったよりも抑えめな甘みと、キャラメルのほのかな苦みが合わさる。それでいて後味もしつこくなく、プリンがすうっと舌の上で溶けていくようだ。
見た目からもう少し甘いかと予想していたが、甘すぎる食べ物が苦手な瑞希にもこれは素直に美味しいと感じた。
「あー美味しいー楽しいー女子会サイコー!」
何とも嬉しそうにガレットを頬張る玲。その姿を見て、あ、これテレビの食べ歩き番組で女性タレントがやってるやつだ、と瑞希は苦笑いした。
自分の向かいに座っている玲は、見た目もその言動もどこからどうみても女子そのもので、クラスの女子が騒いでいるようなミステリアスな『妖精の国の王子』とはかけ離れている。
素を見せてくれている玲に、瑞希も変な気負いも抜けて他の誰といるよりも気が楽に感じた。そう、長年の親友であった悠人よりも。
「あたし、女子と二人でこういうカフェに入るのって初めてだ。いつも男子とばっかつるんでたし、行くのってゲーセンとかコンビニくらいしかなかったから」
「片山君とも?ほんっと色気ないわねーそれじゃ向こうだってアンタのこと女だって意識できないじゃん」
「うん……そういうのが良くなかったんだよね」
少し自虐的になりつつ、瑞希が目線を自分のカフェラテに落とした時。急に玲が瑞希に隠れるように、勢いよく頭を屈めた。
「!?な、何?玲!?」
「……ッシー!!今、アタシの名前呼ばないで!!」
「はっ!?」
人差し指を唇に当て、必死な形相で瑞希に小声で訴えかけた玲の様子に、瑞希は訳も分からず口をぱくぱくさせた。玲の視線が自分の後ろに注がれていることに気付き、瑞希は思わず振り返る。
店の入り口に近い位置にあるこの席から瑞希が振り返ると、丁度会計をしている同い年くらいの女子2人組がいた。どちらも今風の可愛い女の子だが、瑞希に見覚えはない。同じ学校と言う訳でもなさそうだ。
「な、なんなんだよ?一体?」
「ちょっと黙ってて!変に振り返らないで!」
ますます慌てた様子で顔を隠している玲。店のショーウィンドー越しに例の女子二人が出て行ったことを認めると、瑞希は改めて玲に声を掛けた。
「……もう行っちゃったけど、あの二人、玲の知り合い?」
瑞希に促され、ようやく顔を上げた玲の顔は心なしか赤かった。
「髪が長い方……元カノなの」
(…………は?)
一瞬、瑞希は自分の耳を疑った。
「もっ元カノ!?……って、えっ!?カノジョ!?女の子!?!?」
自分の聞き間違いだと思った。驚きのあまり、出て来た言葉はろれつが回らず、声もひっくり返っていた。
「そーよ、悪い?中学の時に付き合ってたのよ」
「えっ!?だ、だ、だって女の子だったよ!?フツーに可愛い女の子だったよ!?!?」
混乱のあまり瑞希は自分で自分が何を言っているのか分からない。
「そーよ、元カノって言ったでしょ」
「えっ、玲って、両方いける人なの!?」
賑わっているカフェ内が、瑞希の大声に一瞬静まり返った。
「ちょ、瑞希!!声大きいっ!!」
玲が険しい表情で立ち上がり、瑞希の口を手でふさぐ。その後、愛想笑いを周囲に振りまいて誤魔化した。すると再びカフェはそれぞれの席で会話の花が咲き始める。
はー、とため息を吐きながら玲は自分の椅子に腰掛け直した。
「……あのね、トランスジェンダーだからって、必ずしも男が好きってわけじゃないのよ?言っとくけど、アタシの恋愛対象は女の子だから」
「……え」
ええーーーーーっ!!!と再び叫び出しそうになったのを察したのか、瑞希が声を出す一瞬前に玲の両手が再び瑞希の口を覆う。
フゴゴゴゴ、と意味不明な声を玲の両手越しに漏らす瑞希に、玲が威圧的に睨み付ける。その圧に気圧されてようやく瑞希は口を閉じた。
「アタシは女の子の格好してるけど、今まで男を好きになったことは無いの」
「そっそうなの!?」
今度は声のトーンを落として聞き返す瑞希に、玲はぶすっとした表情で頷いた。既に玲の元恋人だった女の子は店を去った後だというのに、何故かひそひそ話になる二人。
「だーから最初から言ってたでしょトランスジェンダーにもいろいろあるんだって!」
「じゃ、じゃあさっきの子のこと好きだったの?」
「そりゃそーでしょ、好きじゃなかったら付き合わないでしょ」
「……じゃあ、あの子、玲の秘密も知ってるってこと?」
瑞希のその問いかけに、玲の顔が一気に翳った。
「……それ込みで付き合えてたら、今もまだ続いていたと思うわ」
悲しい響きを含んだ玲の声に、瑞希は言葉を失った。
「……あ……ごめ、あたし……無神経なこと……」
玲の表情から、玲にとって本気の恋愛だったことが嫌というほど伝わって来た。長い睫毛を伏せて、淡く微笑んだ玲は静かに首を振った。
「……いいのよ。もう、とっくに終わったことだしね。……彼女とは、美鈴とは中学が一緒だったの。2年の時同じクラスになって、話が合ってアタシから好きになった。それから中学卒業まで付き合ったけど、美鈴の前ではアタシ『フツー』であろうとしたの。嫌われたくなかったから。……でも、無意識に出ちゃう仕草ってあるじゃない?アタシがどれだけ『フツー』の男を装っても、美鈴は薄々感づいてたんだと思う。受験の時、高校どこに行くかも教えてくれなかった。はっきりと別れ話は出来なかったけど、卒業と同時に、アタシ達は示し合わせたように、連絡を取らなくなった。避けられてることは気付いてたけど、それでもアタシはやっぱり好きだったから、もう駄目なんだって言葉にはしたくなかったんだよね……」
「……玲」
瑞希は思わずテーブルの上で、玲の手を握った。
「……だから、学校では他の人と距離置いてるの?」
玲と昼ごはんを一緒に食べるようになって、瑞希は玲がその人気に反して孤独なことを気付いていた。その容姿から注目を集めることが多く、たくさん声掛けられているにも関わらず、玲は瑞希以外の生徒と特別親しくする様子はなかった。
「……うん。また誰かを好きになっても、同じように好きになってもらうのは、すごく難しいから。『フツー』じゃないアタシは受け入れてもらえないもの」
「……そんなことない。あたしは、玲が好きだよ。……そりゃ、あたし自身、こんなことになってなかったら玲と仲良くなるきっかけなんてなかっただろうし、あたしもトランスジェンダーとかに対して偏見だらけだったけど、でも、今あたしが玲といて居心地がいいって感じてるのは、ありのままの玲が好きだからだよ」
玲の手を両手で包み込んで笑った瑞希に、玲は一瞬驚いたように目を瞬かせる。心なしか、その瞳は潤んでおり、頬も赤らんでいた。
「……でも、それって、友達としてって意味よね?」
その声は、周囲の会話の音に、かき消された。
「……え?なに?ごめん、ちょっと小さくて聞き取れない」
ぽそっと玲が呟いた声に、瑞希は困惑して耳を近付けた。
「……何でもない!初めての女同士の友情に、感動してただけ!」
無意識に口を突いて出たさっきの言葉に、自分自身で驚きながら玲は誤魔化すように強い口調で重ねた。
(そうよ……瑞希は『女友達』でしょ。瑞希には好きな相手がいるんだから)
なんで自分自身、そんな風に言い聞かせるように繰り返しているのか、分からない。ただ、初めてありのままを受け入れてくれた瑞希とのこの関係は、何よりもかけがえのないもののように思えて、変えたくないと玲は強く思った。




