第2節 ミチシルベは何のために作られたか
「『個人開発者による運営です』……この一文、前からありましたっけ?」
開発者情報のページをスクロールしていた俺は、思わず声を上げた。名前の欄の下に、小さく、これまで気づかなかった記載があった。
灯里さんが首を傾げ、俺の画面を覗き込んだ。
「見た記憶、ないかも。もしかして、さっきのアップデートで追加されたのかな」
俺たちは顔を見合わせた。まるで、アプリの向こう側にいる何かが、少しずつ、俺たちに向けて情報を開示し始めているような感覚だった。
「これって、私たちがここまで来たから、見えるようになったのかな」
灯里さんの言葉に、俺は頷くしかなかった。三回目にしてようやく見えてきたもの、というより、二人揃って初めて見えてきたもの、という方が近い気がした。一人で調べていた時には辿り着けなかった何かに、こうして肩を並べているからこそ、近づけている。そんな予感があった。
「ミチシルベ、この『個人開発者による運営です』っていう一文、他に何か気づくことはないか」
「……申し訳ありません。文字情報としては、それ以上のことは読み取れません。ですが、この言葉を目にした時、また何か懐かしいような感覚がありました。まるで、自分自身について語られているのを聞いているような」
自分自身について語られている。その言い方が、妙に引っかかった。ミチシルベは、まるで開発者Kのことを、単なる作り手としてではなく、もっと近しい存在として感じているようだった。
時刻を確認すると、三時三十四分になっていた。バッテリー残量は十八パーセント。画面を見るたび、数字が一つずつ減っていくことが、まるで自分の時間そのものが削られていくような感覚を俺に与えていた。深呼吸をひとつして、俺はスマホをポケットにしまい、必要な時だけ取り出すようにしようと自分に言い聞かせた。
「灯里さん、さっきの話に戻るんですけど。オトナビも、少しずつ様子が変わってきたって言ってましたよね。ミチシルベも同じです。最初はもっと機械的だった。それが今は、こうやって俺の質問に、まるで自分のことみたいに答えてくる」
「うん。多分、それも、この裏道と関係あるんだと思う。奥に進むほど、あの子たちも変わっていってる気がする」
「変わっていくって、何に向かって、ですかね」
俺の問いに、灯里さんは少し考えるように黙り込んだ。夜の静寂の中、遠くで木々が揺れる音だけが、かすかに聞こえていた。
「分からない。でも、私は前から思ってたことがあって……」
「何ですか」
「あの子たちは、多分、ただの道案内アプリや音楽アプリとして作られたわけじゃない。もっと別の目的があって、道案内とか選曲とかは、そのための『入り口』でしかないんじゃないかって」
俺は、スマホの画面をじっと見つめた。
「ミチシルベ、お前は結局、何のために作られたと思う?」
俺の問いに、ミチシルベはしばらく黙り込んだ。今までで、一番長い沈黙だった。夜風が、二人の間を吹き抜けていく。灯里さんも、俺と同じように、じっと画面を見つめていた。
「……分かりません。ですが、佐倉さん。一つだけ、確信に近い感覚があります」
「何だよ」
「私は、誰かを『見守る』ために作られたのではないかと思います。道案内という機能は、その手段の一つに過ぎなくて。本当の目的は、もっと別のところにあるような気がするんです」
見守る、という言葉が、妙に胸に残った。それは、ナビアプリという機能からは、ずいぶんかけ離れた目的のように思えた。だが同時に、これまでのミチシルベの振る舞い——妙に人間くさく、こちらを気遣うような言葉選び——を思い返すと、不思議と納得できる部分もあった。
「見守るって、誰を」
「……それが、まだ分からないんです。ただ、佐倉さんと話していると、その『誰か』に、少しずつ近づいているような感覚があります」
灯里さんが、静かに口を開いた。
「私も、同じようなこと、オトナビから聞いたことがある。『あなたを、ずっと待っていた気がする』って。あの時は意味が分からなかったけど、今なら少し分かる気がする」
「待っていた、か。誰かを待つために、AIが作られるなんてこと、あるんでしょうか」
「分からない。でも、もしそうだとしたら――」
灯里さんは、そこで言葉を切った。何かを言いかけて、やめたような間だった。街灯もない暗闇の中で、その表情がどんなふうだったのか、俺にははっきりと見えなかった。だが、声のトーンだけで、何か重いものを飲み込んだことだけは分かった。
「――ううん、なんでもない。とにかく、進んでみよう。ここで考えていても、答えは出ない」
俺は、それ以上追及することができなかった。灯里さんの横顔には、これ以上聞くなという、静かな拒絶のようなものが滲んでいた。
土の小道の先に、道の脇に立つ何かの影が、うっすらと見え始めていた。近づいてみないと、それが何なのかは分からない。だが、掲示板のようなものだということだけは、輪郭から察せられた。
「灯里さん、あそこ、何かありますね」
「うん……行ってみよう」
俺たちは、その影に向かって、慎重に足を進め始めた。青い光は、まだ遠くで灯り続けている。その光の向こうに、ミチシルベという存在の本当の意味と、開発者Kの正体が眠っているような気がしてならなかった。バッテリー残量は十六パーセントまで落ちていた。時間との戦いは、もう誤魔化しようのないところまで来ていた。




