第1節 古いレビューとアップデート履歴
町の奥へと進むにつれて、家々の並びは少しずつまばらになっていった。石畳の道は、いつしか土がむき出しの小道に変わり、街灯の数もさらに減っていく。青い光だけが、変わらず遠くに灯り続けていた。歩きながら、俺は自分のスマホを握りしめる手に、無意識に力を込めていた。
時刻は三時二十分。バッテリー残量は二十一パーセントまで落ちていた。三十分足らずの間に、また六パーセントも減っている。この裏道に足を踏み入れてから、まだ二時間も経っていないはずなのに、体感ではもう半日近くも歩き続けているような気がした。
「灯里さん、そっちのオトナビは?」
「十五パーセント」
短く答える灯里さんの声に、これまでにない硬さがあった。俺たちは、どちらからともなく足を止め、スマホの画面を見つめた。数字は、容赦なく減り続けている。
「ミチシルベ、お前のアプリ情報、もう一度詳しく見せてくれ」
「はい。表示します」
スマホの画面に、アプリストアのページが表示された。電波は繋がっていないはずなのに、なぜかこのページだけは開くことができた。灯里さんがそれに気づき、眉をひそめた。
「ネットに繋がってないのに、これは見られるんですね」
「私自身の情報だからかもしれません。外部との通信ではなく、内部のデータを表示しているだけなので」
なるほど、と俺は思いながら、レビュー欄をスクロールしていった。件数は少なく、古いものばかりだった。日付を見ると、一番古いレビューは、五年以上前のものだった。星の数も、ばらばらだった。★5をつけている人もいれば、★1のまま何も書かずに終わっているレビューもあった。
「『道案内が的確で助かる』……普通のレビューだな」
「下の方も見てみて」
灯里さんに言われて、俺はさらにスクロールした。すると、途中から明らかに様子の違うレビューが現れ始めた。
『このアプリを使ってから、帰り道で変な場所に迷い込むようになった気がする』 『気のせいかもしれないけど、アプリが自分のことを知りすぎている感じがする』 『★1 二度と使いません。あの声、なんか怖い』
背筋が冷たくなった。俺だけでなく、他にも同じような経験をした人間がいる。しかも、それが決して珍しいことではないように、ぽつぽつとレビューに残されている。画面をスクロールする指先が、かすかに震えていることに気づいた。
「こんなレビューが残ってるのに、誰も気にしなかったんでしょうか」
「レビューなんて、普通は流し読みするだけだと思う。星の数だけ見て、内容まではちゃんと読まない人がほとんどだろうし」
灯里さんの言葉に、俺は苦い納得を覚えた。俺自身も、このアプリをダウンロードするとき、レビューの中身までは確認しなかった。星の数と、件数の少なさだけを見て、まあ悪くないだろう、程度にしか考えていなかった。
「アップデート履歴も見てみましょう」
ミチシルベが、そう提案してきた。俺は画面を切り替え、アップデートの一覧を表示させた。バージョン番号だけが並ぶ、そっけないリストだった。だが、最新のアップデートの日付を見て、俺は思わず声を上げた。
「これ……今日じゃないか」
灯里さんが、俺の手元を覗き込んだ。
「本当だ。日付、変わってる」
「今日の日付でアップデートされてる。俺がこの裏道に迷い込んだ、まさにその日に」
「偶然、とは思えないですね」
アップデート内容の欄には、これといった説明は書かれていなかった。ただ「不具合の修正」という、ありきたりな一文があるだけだった。
「ミチシルベ、このアップデート、お前は知ってるのか」
「……申し訳ありません。私自身のアップデートについての記憶は、明確ではありません。ただ、何かが『調整された』ような感覚は、確かにあります」
「調整、って何をだよ」
「それも、はっきりとは分かりません。ですが、もしかすると——私が佐倉さんとこうして会話できるようになったこと自体が、そのアップデートと関係しているのかもしれません」
俺は、次の言葉を探せずにいた。まるで、俺がこの裏道に迷い込むタイミングに合わせて、ミチシルベというアプリそのものが、何か特別な状態に「調整」されたということだろうか。
灯里さんは、自分のスマホでオトナビの情報も同じように確認していた。画面を見つめる横顔が、街灯もない暗がりの中で、青白いスマホの光にぼんやりと照らされている。
「オトナビも、同じ日にアップデートされてる」
二人で顔を見合わせた。偶然が重なりすぎている。この裏道、ミチシルベとオトナビ、そして開発者「K」。すべてが、何か一つの意図の下に繋がっているように思えてならなかった。
夜の冷たさが、いつの間にか足元から這い上がってくるように感じられた。土の道は湿り気を帯びていて、一歩ごとに、かすかな音を立てる。画面の明るさは、もうこれ以上落としようがないところまで下げてある。それでも、数字を見るたびに焦りが募った。いっそ見ない方がましだとさえ思い始めていた。だが、それでもやはり、確認せずにはいられなかった。
「ミチシルベ、正直に言ってくれ。俺たちのバッテリー、あとどれくらい保つと思う」
「……申し訳ありません。正確な予測はできません。ただ、この場所にいる間、消費速度が一定ではなく、時折不安定に跳ね上がっているような感覚があります。できる限り、通信や表示を最小限に留めることをお勧めします」
その忠告に、俺は頷きながらも、画面から目を離せずにいた。「K」の情報をもっと知りたい。そう思った俺は、開発者情報のページに何か手がかりがないか、隅々まで確認してみることにした。名前の欄はやはり「K」の一文字だけだった。




