退職届と最後の対談
事務所へ入ると、直属の上司が
待っていてくれた。
「……あっという間でしたねぇ」
そう言いながら、直属の上司は
手で、椅子へ座るよう促した。
「あはは……本当ですね
私自身も今日で終わりなんて
まだ信じられません」
そこまで言ってから
私は、少し笑う。
「でも……やっぱり楽しかったです
ありがとうございました」
そう言って、頭を下げると
直属の上司は、一枚の退職届を
私の前へ、静かに置いた。
そして……
「……本当は、こんなこと立場上
言っちゃいけないんですが……」
そう言いながら
直属の上司は、ペンを私へ差し出した。
「……書いてほしくないんですよ」
その言葉は
とても静かだった。
でも、だからこそ
胸に、強く残った。
「そう言っていただけると……有難いです」
そう言いながら
私は退職届へ、名前と日付を書いていく。
静かな会議室に
ペンの音だけが響いた。
すると、直属の上司が
書き終えた退職届に
誤りがないか確認しながら
静かに口を開く。
「……引き留めることは
立場上、出来ないので
退職のお話をされた時も
何も言えなかったんですが……」
直属の上司は
少しだけ視線を落とした。
「もし……あの時、引き留めていたら
残っていましたか?」
その問いに、私は一瞬だけ考える。
「……正直分かりません」
そう答えてから、少しだけ笑った。
「でも……今日を迎えた今
この会社に夜勤があったらなぁ……とは
思います」
軽く深呼吸をして、私は言葉を続けた。
「面接の時にも……少しお話ししましたが
前の会社では人間関係に疲れて辞めました
だから正直……この会社では
出来るだけ人と関わらないようにしようって
思っていたんです」
事務所から見える現場へ
そっと視線を移した。
「でも、仕事の性質上……って
いうのもありますけど
結局、どうしても人と関わることになりました
本当に……色んな方がいますよね」
そう言って
私は、ふぅ…と息を吐く
「でも……どの人も
根っから悪い人じゃなかったんです
だから……嫌だと思ったことは
一度もありませんでした」
そこまで言ってから
私は、直属の上司の目を見た。
「それから……上司の方々も
本当に色んな人がいますよね」
「でも、どの上司の方も
上から押さえつけたりとか
話をちゃんと聞かないとか
トラブルを……
曖昧にするような方はいませんでした」
「だから……
本当に楽しかったですし
仕事……すごく、しやすかったです」
そこまで言ってから
私は
「本当に、お世話になりました
ありがとうございました」
そう言って
座ったままではあったけれど
深く、頭を下げた。
直属の上司は
ここまで何も言わず
ただ、静かに聞いていてくれていた。
そして、小さく深呼吸をするように
息を吐く。
それから、ゆっくりと口を開いた。




