108 アンスリウムの困惑
勅任行商人シミオンは、自分が担当する地区で荷馬車を走らせていた。
この地区はアンスリウムの中でも穀倉地帯と言われる場所で、今の時期は麦が金色に実っている筈だった。
だが、道の両側に広がる麦畑では、金色ではなく黒色が目立っていた。
水不足を解消しようとクローヴァー研究主任が開発した環境制御装置を持ち出して各地で雨を降らせてみたが、それでも立ち枯れが解消する事はなかったのだ。
原因は水以外という可能性を考慮してアンスリウムでも有名な植物学者が調べたのだが、病気なのか、植物を食い荒らす害虫なのか原因がまるで分かっていなかった。
アンスリウムの大地は神に祝福された豊な土地なので、だれも土が原因だとは思わなかったのだ。
シミオンは少し離れたところの果樹園を遠見のマジック・アイテムで見たが、果実もあまり実っていないようだった。
その様子に「はぁ」と深いため息をついた。
荷馬車が村に入ると、こちらの姿を見た村長が顔を出した。
「おお、これはシミオン様、いつもご苦労さまですな」
ミシオンを迎えた村長の顔には深い皺が刻まれていた。
「ああ村長、麦畑を見たが、収穫に影響しそうだな」
「ええ、どうしたらいいのか、全く分かりません」
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クロトン地方からやって来た冒険者バイロンは、自分達が護衛する荷馬車隊を眺めていた。
荷台に魔力鉱石を積んだ馬車をやや足の短い馬が引き、それを御者が慣れた手付で手綱を制御していた。
だが、御者の顔には微かに不安が現れていた。
バイロンの認識では、アンスリウムは環境が整い魔物は出ないという物だった。
だというのに、クロトンの冒険者組合にアンスリウムから荷馬車護衛の依頼票が張り出されたのだ。
当初、アンスリウムからクロトンに送られてくる荷物の護衛かと思ったが、どうもそうではないらしい。
首をひねりながらも報酬が良かったので、受ける事にしたのだ。
そしてアンスリウムにやって来て、雰囲気が重苦しい事に気付き、依頼がどうやら本当だったのだと思った。
そしてその気付きが直ぐに現実となった。
斥候として馬車隊の先頭を歩いていたハワードが手を上げたのだ。
それはこちらに注意を促す動作であり、バイロンは直ぐに御者に停止するように声をかけると、隣を歩いていたアレンとアナに頷いてから駆け出した。
バイロンが剣を抜いてハワードの隣に来ると、前方には4足脚の大きな魔獣が現れた。
魔獣はバイロン達を見ると、弱者は去れと言わんばかりに鋭い牙が並ぶ口を開け咆哮を上げた。
その咆哮に馬達が怯えていななき、それを御者が何とか押さえようとしていた。
バイロンは剣を抜き雄たけびを上げて魔獣の注意を自分に向けると、後ろからはアレンが火炎弾を魔獣に向けて放つと、ハワードが魔獣の側面に回り込んで矢を射かけた。
バイロンは勝ったと思った。
だが、次の瞬間、魔獣の長い毛並みに火炎弾が弾かれ、頭を狙った矢はその鋭い牙でかみ砕かれていた。
くそっ、なんだこいつ。
だが、既に勢いが付いた体は止められず剣を振り上げたバイロンはそのまま魔獣に切りかかった。
次に気が付いた時、バイロンの剣は折れ、防具はボロボロだった。
そして仲間達を見ると皆似たような状況で、後ろに居た荷馬車隊も酷い状況だった。
荷馬車は壊され馬は見えず、御者達も姿が見えなかった。
「なあ、バイロン、これって依頼失敗じゃないか?」
「ああ、そうだな」
バイロンはクロトン地方の湖沼や川から出現する甲殻魔物よりも、はるかに強い魔獣に恐怖を感じ、この国での活動を諦める事にした。
「クロトンに戻ろう」
バイロンのその言葉にボロボロになった3人も静かに頷いた。
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アンスリウムの大神殿の周辺に人が集まっていた。
人々は神殿に向かって次々に声を上げていた。
「畑が死んでいる。このままだと食料が無くなるぞ。何とかしてくれ」
「街道に魔獣が出ている。夜も怖くて眠れない。何とかしてくれ」
「井戸が枯れた。水が欲しい」
「神に祈っても何も起こらない。何故なんだ」
「神殿は、アマハヴァーラ神に祈れば、豊かな暮らしが出来ると言った。どうなっているんだ?」
大神殿入口を警備する神殿警護隊の隊員は、民衆の必死の願いに対しても、命令されたとおり無表情な顔で眺めるしかなかった。
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アンスリウム大神殿内の会議室に集まった特級神官達の顔色は悪かった。
議長であるジェレマイア・スパージョンが集まった特級神官を見回してから、治安担当のクレイグ・ティンダルの前で止めた。
「ティンダル殿、大神殿の周辺に民衆が集まっているようだが?」
スパージョンがそう言うと、ティンダルは僅かに視線を落とした。
「アンスリウムの民衆は豊かで便利な暮らしが当たり前だと思っています。そこで少しだけ我慢が必要とか、ちょっとだけ不便になった暮らしに困惑しているのです」
「ほう、では、その少しだけ我慢が必要な状況について、ニューウェル殿はどうお考えか?」
スパージョンが鋭い視線を農畜産担当の特級神官に視線を向けると、ニューウェルは僅かに視線をずらした。
「中央は豊作なのです。問題は地方なのですが、雨が少ないのです」
「私の記憶が確かなら、環境制御装置とかで雨を降らすのではなかったのか?」
「あの装置は膨大なエネルギーが必要なのです。そしてそのエネルギー源を得るためには膨大な費用も必要なのです」
「つまり、予算の問題だと?」
スパージョンの鋭い声にニューウェルは黙り込んだ。
「では、ちょっとだけ不便になった暮らしについて、バウアー殿はどうお考えか?」
スパージョンが鋭い視線を今度は工業担当の特級神官に視線を向けると、バウアーも僅かに視線をずらした。
「民が使う便利道具は、魔力鉱石を加工して作り出される魔石に頼っております。それが魔物のせいで運べないのです」
「他国ではマジック・アイテムのエネルギー源は魔物を倒して得る魔石だと聞いているが、魔獣を倒して手に入れる事は出来ないのか?」
「他国から雇った冒険者が魔獣に太刀打ちできないのです。全く困ったものです」
スパージョンはそのまるで自分のせいではないという態度にイラついたが、それよりももっと気になる点があったので流すことにした。
「民衆がアマハヴァーラ神の絶対性に疑念を抱いている懸念がある」
神国にとって、その基礎となる神への冒涜は絶対に認められない事案だった。
そこで再び治安担当のティンダルを見た。
「看過できない暴言を吐いた者には厳罰を与えましょう。ですが、そもそもはセンシブル殿がカルテアへ巡行に出した不良神官が持ち出した特級神具の影響なのでしょう。それなら一刻も早くその回収を行うべきではないでしょうか?」
ティンダルのその指摘に、今まで攻められていたニューウェルとバウアーがはっと顔を上げた。
その瞳には贖罪の山羊を見つけたと語っていた。
「そうだ、この悪天候も不良神官が持ち出した特級神具が戻れば正常に戻るのだ」
「然り、国の中にはびこる魔獣も特級神具が戻れば消滅するに違いない」
2人の指摘に、再びティンダルが口を開いた。
「そうなのです。すべてはその不良神官が持ち出した特級神具が戻れば、民衆も元の生活に戻れるのです。そうなれば神への冒涜が神への感謝に変るでしょう」
そして集まった特級神官全員が頷くと、その視線が指摘された渉外担当に向いた。
ロドニー・センシブルは少し居心地が悪いのか体を揺らしていた。
「現在、私の補佐官が不良神官の顔を知っている3名を連れて後を追っております。
「それで特級神具は回収できたのか?」
「いえ、それが、その不良神官は何故か愚直に我が命に従い、カルテアに向かっているのです」
「「「はぁ」」」
スパージョンも他の特級神官と同じように驚いたが、直ぐにその理由が知りたくなった。
「何故だ? その者は神国から国宝を盗んだ重大犯罪人ではないのか? それが何故カルテアに向かっているのだ?」
「いや、待たれよ。ひょっとして、カルテアに亡命するためではないのか?」
その指摘にセンシブルが首を横に振った。
「そのつもりなら、行く先々でその地の環境を整えたりはしないでしょう。そんな事をすれば自分が此処に居ることを我々に知らしめてしまうのですから」
「それはどういう意味だ?」
「カルテア巡行の道順となるユッカは、どんなに整地して畑を作ろうが、家を建てようが、それを拒否するかのように雑草が地面を覆い、樹木が家の屋根を突き破る状態でした。ですが、今では畑では作物が実り、人々には夜安心して眠れる家があるのです」
それを聞いた特級神官達は驚いて目を見開いた。
「それではまるで、神の代行者ではないか」
「何故、そんな事をするのだ?」
スパージョンのその問いに、センシブルは首を横に振った。
「それは、不良神官を捕まえて理由を問うてみないと分からない事です」




