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三日:午後(1)「視線」




 王宮の門前では、手綱で繋がれた二頭の馬が大人しく待っていた。近寄って、鼻先を優しく撫でる。

 銀色のたてがみが美しい彼らは、そのたてがみのように綺麗で優しい目をして、僕を見つめてきた。


「一緒に出かけるのは久々だね。ヴァル、アズ、今日はよろしく。」


 首の付け根に手を回して、落ち着かせるために交互にぽんぽんと叩きながらそう声をかける。

 喜んでいるのだろうか、二頭は次々と擦り寄ってきて、たてがみや鼻息がくすぐったい。

 思わず笑みがこぼれた。

 

「あははっ! くすぐったいよ、ふたりとも!」


 戯れていると、背後から静かに名前を呼ばれた。振り返ると、コローレが呆れたように笑っていた。

 コローレは僕の脇へ腕を回し、二頭から引き離すようにぐっと後ろへ引いた。そろそろ出発時なのだろう。少しだけ離れた温もりが寂しいが、戯れの時間もここまでだ。


 彼に大人しく体を任せると、ヴァルが耳を後ろへぴたりと伏せた。続けてアズも強く鼻を鳴らした。

 コローレは僕から腕を離して、困ったように首に手を回した。


「おいおい、そう怒んなや。なーんも痛いことしてへんで? それに、今日あんさんらの手綱引くんはボクなんやからな。」


「コローレは昔からこの子たちに好かれてないよね。」


「悪かったな、動物に好かれやすい体質やなくて。」


 そこまで言ったつもりは無かったのだが。


 変に意地っ張りなところに思わず笑ってしまう。

 二頭の元へ戻ると、僕はそっと首筋を撫でながら、頭を優しく下げさせる。


「どうどう……大丈夫。」


 視線が下がるにつれて、二頭は安心したように力を抜き、小さく鼻を鳴らした。

 コローレは不満そうに唇を尖らせると、腕を組んでため息をつく。


「ボクが嫌われる要素がどこにあるんか、不思議でたまらんのやけどな。」


「コローレ様は、少々動きが大きすぎるのですよ。」


 客車から降りてきたリーウェンが静かに言った。チェックが終わったようで、彼はパタパタと服のほこりを払っていた。


「リーウェン。」


「お待たせいたしました、陛下。」

 

 彼は背筋を伸ばした綺麗な姿勢でこちらへ歩み寄り、お辞儀をする。

 ゆっくりと顔を上げると、コローレへ向き直した。


「動きが大きいってなんやねん。」


 コローレは眉を寄せて、少し厚みのある声で彼へ問いかける。


「言葉通りの意味です。ヴァルとアズは他の馬と比べて繊細です。声や動きが大きく急な行動をしてしまうと、驚いてしまうんですよ。」


 リーウェンは踵を返してアズへ近づくと、慣れた手つきで首の付け根に触れる。

 アズは上唇をツンと突き出して空を仰ぐと、気持ちよさそうに口をもぐもぐ動かした。

 そのまま、リーウェンは続けて言葉を放つ。


「ですから、コローレ様のように突然背後から声をかけたり、大雑把に手綱を引いたりすれば、嫌われて当然かと。」

 

「言うてくれなぁ? リーウェン。」


 言の葉に針が包まれたようなことを言う彼に、コローレは眉をピクピクと寄せていた。

 この二人は、気が合わないときは本当に合わない。むしろ合うことが珍しい、と言ったところだろうか。


 二人の間に入って、ヒートアップしそうな彼らの口論を引き止める。


「まあまあ、二人とも! ほら、そろそろ出発するんでしょ? 早く行こうよ。」

 

「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません。」


「ったく…まあ、そうやな。そろそろ行こか。」


 コローレが苦笑しながら髪をかきあげると、馬車の御者台へと軽やかに飛び乗った。騎士団長みずから手綱を握るその背中は、いつになく頼もしい。


 リーウェンは僕のために客車の扉を開け、恭しく頭を下げた。


「陛下、どうぞ。道中は少し揺れますので、お気をつけください。」


「ありがとう、リーウェン。」


 リーウェンの手を借りて、僕は弾むような足取りで客車へと乗り込む。ふかふかの座席に腰を下ろして、後ろの窓から外を覗いた。


 コローレが率いる第一騎士団の数名が、馬に乗り馬車の周りを囲むように立ち位置をとっている。

 そこまで厳重にしなくてもいいんだけどな。と苦笑していると、低く重々しい音を立てて、王宮の巨大な鉄門が開き始めた。


 やがて、御者台からコローレの「ほな、出すでー!」という威勢のいい声が響き、馬車がゆっくりと動き出す。

 ゴトゴトと心地よい振動が体に伝わり、窓の外の景色が後ろへと流れていく。白亜の美しい王宮を背に、僕らを乗せた馬車はゆっくりと敷地の外へと進んでいった。


「行ってらっしゃいませ、陛下!」


「行ってらっしゃいませ!」


 門兵が門の端に立ち、ピシッと一礼をする。

 そんな彼らへ手を振って、僕は流れる景色を見つめた。

 こうして馬車に乗って外へ出るのはいつぶりだろうか。昔のようにも感じるが、最近のようにも感じる。


「リーウェン、最近僕が外へ出たのっていつだったっけ?」


「おや、それは王宮から抜け出されたというご報告でしょうか。」


「ち、違うよ!」


「冗談です。」


「なっ…!」


 もしかして、たびたび抜け出していたのがバレてしまったのだろうか。

 焦って身を乗り出すと、リーウェンは横目でちらりと視線を移したあと、目を閉じて微笑んだ。


 は、はめられた……!!


 僕はここで文句をいえばいいのか、言い訳をいえばいいのか。

 結局なんと言えばいいか分からなくて、口をはくはくと開閉するだけになってしまう。

 

 彼はこちらへ顔を向けて笑ったあと、考えるように顎に手を当てている。

 先ほどの僕の質問に答えようとしてくれているみたいだ。

 つられて、僕も腕を組み考える。


 3ヶ月…ほど前のような気がする。コローレの護衛付きで街にお忍びに行ったはずだ。

 …いや、2ヶ月前だったかな? 日付は詳しく思い出せない。


 うーん。と唸りながら、腕を組んだまま背もたれに体を預ける。すぐさま、リーウェンがこほん、と咳き込んだ。

 いけない。移動とはいえ仕事中なのだ。彼の目は鋭い。

 

 どきりとして、慌てて姿勢を正す。横目で彼を見ると、静かに頷いた。

 ああ、よかった。お小言はないみたいだ。

 ほっと胸を撫で下ろすと、リーウェンが言葉を続ける。


「確か、半年前のプリマヴェラ祭が最後かと。」

 

「え、半年前?」


「申し訳ございません。明確な日付までは分かりかねますが、それ以降、私の記録にはございませんので」


 そんなに前だっただろうか。もっと最近の――いや、言われてみればそうだったかもしれない。

 リーウェンは僕のことをほとんど把握している。多分、コローレと行った記憶があるのはプリマヴェラ祭のことか、それよりも前のことだったのだろう。


 うん、多分そうだったはず。

 そう考えると、妙に納得できる感じがした。


「ううん、多分僕の記憶違い。でも、プリマヴェラ祭かぁ…。来年も、すごく綺麗で賑やかなんだろうな。絶対に成功させないと。」


「はい、私も精進してまいります。」


 精進って…そこまで気を張らなくてもいいのに。

 リーウェンは真面目なはずなのに、ふとした瞬間そんなところが面白いと思ってしまう。


 口元を隠しながらくすくす笑うと、彼は不審がるように首を傾げ、じとりとした瞳で僕を見てきた。


「陛下、なぜ笑っているのですか。」


「ごめんごめん。でも、なんだか面白くって…。」


 へらりと笑いかけると、彼は少しだけ不満そうな顔をしていた。が、すぐに視線を落としひとつ呼吸をした後、僕の奥にある外の風景へと目を移した。


「陛下、外をご覧ください。」


 彼に言われて、笑うのを止める。そして、言われるとおりに外へ顔を向けた。

 

「…ここは…。」


 いつの間にか、街の賑やかな中心部を抜けていたみたいだ。

 綺麗に舗装されていた石畳の道はいつの間にか泥や砂利に変わり、辺りにはどこまでも広がる草原があった。

 

 生まれてから15年、ずっと王宮の中で育ってきた僕にとって、それは見たこともない初めての光景だった。

 いつのまにか、窓際によっていた。ゆっくりと手を伸ばし、窓を開ける。

 すると、爽やかな風がふわりと髪をなびかせた。

 空気を肺いっぱいに吸って、吐く。

 

 ――ああ、心地いい。


 心がすーっと静まるようで、すごく気持ちが良かった。

 どうやらこの王国は、僕がまだまだ知らないものばかりであふれているらしい。

 

「王都を抜けたようです。ここから二時間ほどで例のスラムへと到着するでしょう。」


「二時間、か……。」

 

 この国はまだ小さい。故に国境間近まで行くとなっても、そう時間はかからないのだ。

 僕は少しずつ、スラム街へ近づいている。目を伏せて、考えた。


 ――大国に『いらない』と切り捨てられた人々が生きる、スラム街。


 どんな人たちがいるのか、どんな場所なのか。



 『戦争の役に立たない、使い道のない人材だと判断された人々。』


 『汚物として一箇所に押し込め、見捨てた。』


 『作り出したものは、長い時間残らずに消えてしまう。』



 午前中、リーウェンに言われた数々の言葉が頭をよぎる。それを受け止めるたびに、心臓の音が早くなる。

 けれど、僕の胸には不思議と恐怖はなかった。

 

「…早く、助けたいな。」


 その言葉は、声に出ていたのか、心の中で呟いていたのかは分からない。

 けれど、その想いがその人たちに届いたら、と。そう願った。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 




 ガタガタと整備の行き届いていない悪路を進み続けて、約二時間。

 馬車が、ゆっくりとスピードを落とし、そして止まった。御者台からは、コローレが到着したと伝えてくれた。


 二時間前よりも外が暗い気がするな。

 窓に手をついて、顔を近づける。そこには、灰色の雲が広がっていた。

 

 ――雨が降りそうだ。


 すぐに雲が晴れるといいんだけれど。

 心配になって見上げていると、いつの間にか隣にリーウェンは居なくて、ギョッとする。

 外に出たのかな、と僕も扉を開けようと押したが、扉は開かなかった。


 …これ、錠をかけられてるな。

 

 立ち上がり、窓からなんとか下の方を覗こうとする。視界の隅に、ちらりと金色の髪が写った気がした。


「全く…。先に辺りの確認に行くなら、一声かけてくれてもいいのに。」


 リーウェンのことだから、僕に言ったら降りると言い出す、なんて考えたのだろう。

 否定はしない。実際、過去に何度かそのやり取りをして彼を困らせたこともあった。

 

 けれど、置いていくなんて酷いじゃないか。

 ぼふん、と勢いのまま椅子に座り込んで、腕を組む。そうぶつぶつと文句を呟きながら、彼らの合図があるのを待つ。


 …しかし、スラム街というものは書籍通り、荒廃した街のようだ。

 今はもう原型がないから詳しいことは分からないが、周りの様子を見るに、レンガ造りの建物が多かったらしい。

 きっと、繁栄した街だったのだろう。

 

「…人の姿は、まだ見えないな。」


 窓がそこまで大きくないからと言うのもあるのだろう。人影は全く見えない。

 ここから離れたところにいるのかな。


 と、考えていると、ガチャリと錠を外す音が聞こえた。扉から少し距離を取り、開かれるのを待つ。

ゆっくりと扉が開く。その先を見ると、リーウェンがこちらを見上げて立っていた。


「お待たせいたしました、陛下。どうぞ、お手を。」


「ありがとう。…けど、置いていくのは酷いんじゃない?」


「申し訳ございません。いつものように時間を割くことはできませんので。」


 ジトリ。と目を細めて、次は僕が彼を見つめる。彼は苦笑して受け流すように答えた。


 あまり納得はいかないけれど…確かに、ここに時間を割いている暇はない。

 できるだけ早く、長く、この街をみて僕にできることを探すのだ。


 彼の手を借りて、ゆっくりと地に足を下ろす。

 馬車から少し離れて、街を見渡せる場所へ移動した。


「……っ……。」


 ――ひどい。

 

 あまりの光景に、言葉を失った。


 家だったのであろう建物は、ほとんどが崩れ落ちていた。壁はひび割れ、屋根は抜け落ち、窓には一枚の硝子も残っていない。

 風が吹くたび、崩れたレンガの隙間から砂埃が舞い上がる。踏みしめる地面には雑草が伸び放題で、かつて道だった場所すら判別がつかなかった。


 鼻をかすめるのは湿った土と朽ちた木材の匂い。風が吹くたび、どこかで軋んだ扉が小さく音を立てる。


 ――まるで、時間だけが止まってしまったみたいだ。


 人の気配はある。例の人たちが生活しているのだろう。けれど、笑い声も、話し声も聞こえない。静かすぎる。

 その静寂だけが、この街に流れた年月を物語っているような錯覚を覚えた。

 

「シエロ。」


 名前を呼ばれてはっとする。顔をあげると、コローレがこちらの顔色をうかがうように近づいてきていた。

 片膝をつき、僕の顔を近くでまじまじと見つめる。

 そして、眉を下げて心配そうに告げた。


「顔色悪いで。無理すんな、客車戻っとくか?」


 その提案に、言葉が詰まる。彼の表情をしっかりと目に焼きつけたあと、静かに隣へ立つリーウェンを見る。

 目を合わないから確実だとは言えないが、きっと僕を心配しているはず。


 …情けない話だ。


 現実を目の当たりにしただけで、心配をかけさせてしまうなんて。

 頭を振って、邪念を払う。両頬を平手でパシン、と叩いた。

 小さく息を吸い込み、心を奮いたたせるように「よし」と呟く。そして、心配させまいと彼へと笑って見せた。


「大丈夫! 覚悟はできてるよ。」


「…なんかあったら、こいつかボクにちゃんと言いや。無理だけはすんな。ええか?」


 言葉に頷く。彼はふっと笑うと、立ち上がり膝に着いた土を払った。

 そのまま僕に背を向けて、第一騎士団の兵士たちを見回す。

 選定するような目。なにか頼み事をするのだろう。


「陛下、では参りましょう。」


「うん。…コローレ、行こう。」


 変わらず兵士を見回す彼に声をかける。彼は振り返ってにっと笑ったあと、少しだけ声量を上げて指示を通した。


「おう。バルバト、ニージュ、ここの見張りは任せたで。」


「はい、承知いたしました。」


「陛下、リーウェン殿、団長、お気をつけて!」


「ありがとう。二人も気をつけるんだよ。なにかあったらすぐに呼んで。」


 後ろを見ると、彼らは僕らが離れるまで頭を下げ、見送ってくれていた。

 いい騎士たちばかりだ。コローレの教育がいいのだろう。

 彼らに手をひらひらと振り、背を向ける。辺りを探索しながら歩いていると、色んなことが分かった。


 まず、建物だ。レンガ造りかつ、街の周りには塀も建てられていたらしい。商店らしきものがあった場所には、腐敗した食べ物やそれにたかる虫やねずみが数多くいた。

 金属物はさびついていて分かりにくいが、売り物としてはどれも高価なものばかりだった。

 きっと、隣国の中でも繁栄していた街なのだろう。

 

 そして、戦争の傷跡。地面に刺さったままの剣や、破片。裁ち切られた衣類。

 壁に寄りかかったまま、こと切れてしまっている人もいた。

 彼らを見ると、なんとも痛ましい気持ちになる。どうして、こんなことが起こってしまったのか。彼らにも、愛する家族や大切なものがあったはずなのに。

 

 せめて、冥福を祈ろう。膝をつき手を合わせる。今の僕には、このくらいしかできることはないのだ。


 その他にも、焚き火の後や壊れた木馬、割れた食器など、人が生活していたという証拠はたくさん出てきた。

 しかし、ずいぶんと見回ったはずなのに生きている人間には、誰一人会わなかった。

 

 探索を中断し、比較的休憩しやすそうなものが置いてある家で、現状やこの先のことについて話を進めた。


「…本当になにもないね。それに、人も…。」


「そうやな。わざと隠れとるんか、ここにはおらんのか…。リーウェン、お前なら分かるやろ? 風からなんか感じへんのか?」


「承知いたしました。試してみましょう。」


 コローレから名指しされたリーウェンは、応じて静かに目を閉じる。

 僕らは、彼が感じ取りやすいように息をひそめた。


 リーウェンが風から気配を感じ取れるのは、彼の属性が『風』であるからだ。それに加えて、能力からも人の気配を読み取れるリーウェンには、人の捜索などお手の物だろう。


 ないものねだりをするわけではないが、羨ましいものだと思う。

 集中している彼を見つめながら、そう考えた。

 しばらくして、リーウェンはゆっくり目を開ける。そして、口を開いた。


「東側に固まっていますね。風の流れる高さから推測するに、街全体を見おろせる場所に集まっているようです。人数は、およそ三十名といったところでしょうか。」


 なるほど、見渡せる場所か…。となれば、ここから少しだけ坂を登った場所になるわけだ。

 ここからは遠く見えるが、あの程度の距離ならそこまで時間はかからないだろう。


 彼の答えに、感嘆の声が上がる。騎士たちは顔を明るくし、意気揚々と声をあげる。


「さすがはリーウェン殿!」


「リーウェン殿は本当に素晴らしいお方です!…団長とは違って。」


「まさにその通りだ。」


「団長にも見習ってほしいよ。いつも俺たちをこき使ってばっかりだし。」


「おい。」


 騎士たちの賞賛の声に、リーウェンは静かに頭を下げた。なにも言わないのも、変に気張っていないのも、彼らしい。

 

 すかさずコローレのことを呟いた彼らは、コローレからギロリと睨まれていた。

 冗談だ。かっこいいと思ってる。と彼をおだてるような声が次々に飛び交うも、コローレは納得せずに騎士一人一人のこめかみを両手でグリグリと強く押していた。


 すごく痛そうだ。あれは受けたくないなぁ。なんて考えたが、彼らの触れ合いにいつの間にか笑みがこぼれていた。

 その時だった。


 ――視線。


 誰かに見られている。そう感じて顔を上げた。

 …どこだ。どこから感じるんだ。僕の様子に勘づいたのか、今までの団らんの空気は消え去り、みな真剣な顔つきへと戻っていた。

 辺りを見渡す。崩れた建物の影。割れた窓の奥。細い路地。

 あちこちから、小さな瞳たちがこちらを窺っていた。


「…こども?」


 そう呟くと、一番近くの影に隠れている女の子と目が合う。少女はビクリと肩を揺らして、さらに奥へと隠れていった。


 声をかけてみよう。僕が近づこうとすると、リーウェンが手を伸ばし静止する。

 どうやら、近づかせまいとしているみたいだ。けど、こちらがそんな怖い表情をしていたら、彼女たちはもっと怖い思いをするだろう。


 僕はリーウェンの方に手を置き、諭す。


「リーウェン。そんな怖い顔しないで、彼女たちが怖がっちゃうよ。」


「しかし、陛下。いくら児童とはいえ、何をしてくるかは分かりません。陛下はあまり近づかぬよう。」


「大丈夫、僕もそこまでやわじゃない。…ここが、今後の分岐点になるかもしれないんだ。だから、行かせて。」


「…承知いたしました。陛下の後ろはお任せください。」


 リーウェンは少し納得のいかぬような顔をしていたが、すぐに腕を下ろし、僕の言うことを聞いてくれた。お礼を言い、彼女にゆっくりと近づく。


 …怖がらせないように。優しく、笑顔で。


 心で何度も唱えて、彼女から少しだけ離れた場所に来ると、片膝をついた。できるだけ穏やかに笑って、声をかける。


「こんにちは、おじょうさん。僕はシエロ、君たちの新しい王様だ。よければ――。」


「王様…? い、いやっ……!」


 女の子が悲鳴にも似た声を上げた。顔を青ざめながらガタガタと震え、叫ぶ。


「みんな、逃げて!」


 その一言を合図にしたように、建物の影や路地裏から覗いていた子どもたちが一斉に駆け出す。足音が瓦礫の街に響き、あっという間に姿は見えなくなった。


「ま、待って!」


 思わず手を伸ばす。けれど、その手が届くことはなかった。

 …怖がらせてしまった。何がいけなかったんだろう。

 失敗したことに、肩を落とす。リーウェンは隣に着くと、手を差し伸べてくれた。


「陛下、お気を落とさずに。まだこれからなのですから。」


「…うん、そうだね。」


 彼なりのフォローだろう。僕は微笑んで、彼の手を支えに立ち上がる。

 そうだ、まだまだこれからやらなきゃいけないことがあるのだ。ここで挫いてはいられない。それに――。


 膝に着いた汚れをはたいて、姿勢を正す。

 振り返り、歩を進める。騎士たちの間を通り過ぎて、歩を止める。瓦礫の影のその奥――そこには、逃げずにいてくれた者がいた。


「…………。」


 齢10くらいの、少女だ。

 茶色い髪が、所々跳ねている。服もみすぼらしく、汚れがついていた。

 こちらを睨みつけるような鋭いペリドットの瞳。

 逃げようとする様子はない――いや、逃げないのではない。


 逃げるものか、と言わんばかりに、細い足を踏みしめていた。

 シワになるくらい、強く服の裾を握っている。


「…こんにちは。逃げないでくれて、ありがとう。」


 再度膝をつき、彼女と目線を合わせた。

 絶対に逸らしてはいけない。ここで逸らしたら、きっと嫌なことが起きる。そんな予感がしたのだ。


「……。」


 少女は小さな口をぎゅっと結んだまま、睨みつけるだけでなにも言葉を話さない。

 きっと、酷く恨みを持っているのだろう。僕らが王族の者だから、敵対心を向けているのだ。


 少しだけ胸がちくりと痛むが、それでも笑みは崩さず、声をかけ続けた。


「僕はシエロ。君たちの新しい王様だよ。…よければ、君の名前を聞かせてくれないかな?」


「……あんたみたいな、よわそうなのが、王様?」

 

 意外と口が悪い。確かに、弱いのは事実なのだが…小さな子に言われると、大人に言われるよりも余計傷つく。

 頬をかきながら苦笑して、頷いた。


「……ふん、あたしとおなじ子どもじゃない。なにが王様よ。」


「… 陛下の高潔さを理解しておられないようですね。」


「アホ、剣に手ぇかけんな。」


「り、リーウェン殿! どうかおしずみください!」


「相手はまだこどもですよ!」


 後ろは後ろで、なんだか面白いことになっているみたいだ。リーウェンは、子どもに対してもあんな感じなのが、逆に清々しいというか、なんというか…。

 まあ、無愛想なのには、変わりないのだが。


 気持ちを切り替えて、僕は彼女に声をかけた。


「…お名前、聞いてもいいかな? 君たちと仲よくなりたいんだ。」


「…なかよく?」


「うん。僕らはこの街の復興のためにここへ来た。よければ、ほかの住民たちがいる場所へ案内してくれないかな?」


 できるだけ、やさしく、簡単に。

 誤解を生まぬよう、細心の注意を払って発言するんだ。

 けれど、彼女は僕の言葉に俯いてしまった。

 傷つけてしまっただろうか? どうしよう、なんて言うのが正しいのかな。


 少女の顔色をうかがうようにすると、彼女は唇を強く噛みしめていた。

 よく見ると、握り締めた拳や力の入った肩が、小さく震えている。

 やがて堪えきれなくなったように顔を上げると――。


「ふざけないで。なにが《なかよく》よ! あんたもどうせ、あたしたちを邪魔にするくせに!」


 少女は叫ぶように言葉を発して、こちらをキッと睨みつけた。

 その目には、怒り、憎しみ、悲しみ――そんな負の感情が、込められているように感じる。どれだけ裏切られれば、こんな小さな子がそんな目をするのだろう。


 僕は言葉を失い、自責の念に囚われる。浅はかな発言をしたと、考えが甘かったと。……そう思われても、当然なんだと。


 この人たちは、王にも、大人にも、世界にも見捨てられてきた。

 そんな相手が突然現れて『仲よくしたい』なんて言っても、信じられるはずがない。


 どこへ視線を向ければいいのか分からなくて、宙をさまよう。それでも落ち着く場所は見つからず、結局、彼女の顔を見るしかなかった。

 

 …謝らないと。


 でも、なんといえばいいのか分からなくて、言葉がたどたどしくなってしまう。


「………そう、思わせて、しまったんだね……。…ごめん。」


 少女の瞳が大きく揺れる。

 けれど、その揺らぎはすぐに怒りへと塗り替えられた。僕へ向けられる視線は、さっきよりもずっと鋭い。


「帰れ! あんたたちなんか、この街にはいらない! あたしたちだけで、やっていけるんだからっ!」


 少女の悲痛な叫びだけが、静まり返った街に響いた。



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