三日:午後(2)「王冠」
少女の叫びに、体がビリビリと痺れる。彼女の肩は、激しい呼吸を整えるためか、大きく上下していた。
胸の奥が、熱くて、痛い。書籍で見た時よりも、何倍も苦しい。
声をかけたいのに、かける言葉が見つからない。
今、僕が何を言っても、きっとこの子を不安にさせてしまうだけだ。
「……陛下。そろそろ。」
「……うん。」
…時間だ。この静けさは、もう長くは続かない。
今日は、大人しく帰ろう。また日を改めて、何度も訪れた方がいい。その方が、今何かを言うよりも、信頼を得られる近道になるはずだ。
ゆっくりと立ち上がり、彼女へ背を向ける。そして、土を踏みしめながら、リーウェンの元へと戻った。
「…リーウェン、来るで。」
「はい。…準備は整っております。」
二人は短い言葉を交わすと、剣の柄に手をかける。それをみて、後ろにいる騎士たちも揃って動いた。
「っ…! な、なによ。なにされても、私はあんたたちなんか信じないから!」
威勢のある言葉遣い。けれど、少しだけ震えていた。
その声に、歩を止める。そういうつもりでは、ないだろう。きっと皆も、僕の護衛のために準備をしてくれているだけだ。
傷つけることなんて、決してしない。
僕の騎士たちは、そんな人じゃない。
――あの人たちみたいに、薄情な人間じゃないんだ。
思い出すだけで、腸が煮えくり返りそうになる。拳を握りしめて、その雑念を払おうと頭を横に振った。
そして、僕は振り返り、彼女を心配させないように微笑む。
「大丈夫。君たちに酷いことはしないよ。」
上手く笑えてるかは分からない。けれど――
「っ…!」
彼女の表情を見るに、下手っぴな笑い方をしていたのは確実だろう。もっと、アレンみたいに上手くならなきゃいけないな。
僕はまた背を向けて、歩を進めた。
リーウェンの背後に回り、彼らの顔を見渡しながら僕は静かに言った。
「皆、傷つけちゃ絶対にだめだよ。もし僕になにかあっても――絶対に、剣を抜かないで。」
「…はっ。」
改めて、釘をさしておこう。特にリーウェンは、何をするか分からない。
騎士たちは静かに頷いた。
けれど、リーウェンだけは僕を真っ直ぐ見つめたまま、返事をしなかった。そんな彼の瞳は、とても静かだった。
その奥に葛藤があることだけは、痛いほど伝わってくる。
彼には、酷く無理をさせてしまっているだろう。帰ったら、労ってあげなきゃいけないな。
でも、今はいかに事態を収束するかが重要だ。リーウェンの肩に手を置き、優しく微笑む。
行こう。と彼へ声をかけようとした、その時だった。
――ガラリ。
瓦礫を踏みしめる音が辺りに響く。
その方向へ、視線を向けた。
一人、また一人と、建物の影から大人たちが姿を現した。男性も、老人もいる。ただ、女性や小さな子どもは見えない。
皆やせ細り、ぼろぼろの衣服を身にまとっていた。
戦える者だけが姿を現した、と言ったところだろう。
先程逃げていった少女の叫び声を聞きつけたのか、それとも少女たちがいち早く彼らの元へ戻って報告をしたのか。
少なくとも、この街の人たちは互いを見捨ててはいない。
そのことだけは、少しだけ救いだった。
「…お前たちか。」
体格のいい男が、野太く低い声で言葉を放つ。男が身を構えると、後ろにいる民も揃って構え始めた。
手には、錆びた剣や木の棒、鍬や包丁。
武器とは呼べないようなものを握りしめ、僕らを鋭く睨みつけている。
「じ、ジグルドさん!」
彼女の声のトーンは上がり、ぱっと顔を明るくしていた。彼女は彼の元へ行こうと、その場から駆け出した。
彼はジグルドというらしい。その名にふさわしい、真っ直ぐで意志の強そうな男性だった。
今にも殴りかかってきそうなくらいの威圧感がある。
少しだけ、冷や汗が頬を伝った。
「何をしにここへ来た。簡潔に話せ。」
…そうだ、誤解のないように話すんだ。新しい王になったこと、敵意はないこと、その他にも、色々…。
最善の答えを、最善の選択をしなければ。
今、彼らに何を言うべきなのか考えるんだ。彼らは大人だ。彼女のように、子どもじゃない。ひとつの間違いが、たくさんの誤解を生む。
目を閉じて、思考をぐるぐると巡らせる。
『――前国王陛下を返せ!』
その声に、ハッとする。目を開けると、そこにはスラムではない、別の光景が映っていた。
月も星も出ていない真っ暗な夜。
赤い松明の炎が、ゆらゆらと網膜に焼き付いている。耳をつんざくような激しい怒号と、皮膚を焼くような熱気。
『こんな子どもに国を任せる気か!』
『安心できるわけないじゃない!』
『返せ! 国王陛下を返せ!!』
王宮の重い扉の向こうから響いていた、あの日の怒号。即位したばかりの僕へ向けられた、冷たい視線。
窓一枚を隔てた外から押し寄せる熱と声に、当時の僕はただ耳を塞ぎ、膝を抱えて怯えることしかできなかった。
今、目の前にいるジグルドの声が、あの日の怒号と重なって脳裏に激しく打ち寄せる。
――そうだ、僕はあの日から、何ひとつ変わっていないんだ。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
はあ、はあ。と、息が浅くなり、胸の奥から込み上げる何かが、とても熱い。
目を閉じて、ドクドクとうるさい心臓を抑える。その指先も、小刻みに震えていた。
目の奥から、赤い炎が近づいてくるのを感じる。その光景だけが、いつまでも脳裏から離れなくて。
あの日と同じ、逃げ場のない赤と暗闇に呑み込まれそうになっていた。
「いやだ……やめて……来ないでっ……!」
掠れた声で、必死に小さく拒絶の言葉を溢す。
目の前を覆う赤と恐怖に、ただひたすら身体を縮こまらせることしかできなかった。
王冠が、僕を逃がさないとでも言わんばかりに、重たくなるのを感じる。そのまま、重さに耐えきれず頭を地面へ付けた。
――呑まれる。
そう思った時には、もう何も出来なくて、ただただ強く目を瞑ることしか出来なかった。
――陛下。
静かな声が、耳に響く。水面にしずくが落ちたみたいに、体がすーっと涼まっていくのを感じる。
恐る恐る目を開けると、そこには赤い炎なんてなくて、リーウェンの広い背中があるだけだった。
彼は僕の異変に気づき、背中に隠すように立ってくれていた。そのまま、ジグルドたちを冷たい金の瞳で見上げている。
僕に背を向けたまま、彼が続ける。
「陛下、息を吐いてください。吸うのではなく、まずは吐くのです。」
彼に言われた通りに、ゆっくりと息を吐く。そして、浅く息を吸った。
それを何度か繰り返すと、だんだん心が落ち着いてくるのを感じる。
「……リー、ウェン…。」
「ご安心ください、陛下。私がおります。」
その声を聞くと、なんだか体の力が抜けていく感覚がした。少しだけよろめくと、いつの間にか騎士たちが傍に駆け寄ってくれていて、背を支えてくれる。
「陛下!」
「陛下、大丈夫ですか!?」
「おうおう、お前ら落ち着き。…まあなんや、ジグルド、やっけ?」
「誰も名を呼んでいいなど言っていない!」
コローレが騎士たちを制しながら、ゆっくりと歩を進める。そして、リーウェンの隣へ立つと、ヘラりと笑ってジグルドへ声をかけた。
彼は眉を引き上げ、地響きがなるくらいの大声をあげる。それを聞いたコローレは、耳を抑えて、「ひゅー。」と口笛を鳴らした。
それにどんな意図があるかは、今の頭では分からないけれど…きっと、まともに受け取ってはいないのだろう。
ヘラヘラと屈託のない笑顔を貼りつけて、言の葉を紡ぐ。
「威勢のええこっちゃ。安心し、そこのガキにもこの街にも、危害を加えるつもりはあらへんよ。」
「誰がガキよっ! バカにしないで!」
「へいへい、すまんなぁ。これは大人の話し合いやから、お前は黙っとき。」
いつの間にかジグルドの側にいた少女が、彼の背に隠れながら、きっと睨みつけ甲高い声をあげる。コローレはそれを軽く受け流しながら、ジグルドを見据える。
少女はまだなにか言いたげに口を開いたが、ギュッと手を握りしめて歯ぎしりをする。そのまま八つ当たりをするかのように地団駄を踏んでいた。
「ボクらはイマティア王国から来た。お前らの前の国王から、この街を引き渡されたんや。」
「本日はこの街の現状を把握するために伺いました。こちらにおられる御方こそ、貴方がたの新たなる王――シエロ様です。」
その言葉に、住民たちの視線が一斉に僕へと向けられる。
値踏みするような目。
疑うような目。
敵意と警戒心が入り混じった視線が、肌に突き刺さった。
…少しだけ、怖い。
けれど、ここで目を逸らしてはいけない。これ以上、僕の騎士たちに迷惑をかけるわけにもいかないのだ。
「陛下…。」
「大丈夫。…もう、大丈夫だから。」
自分に言い聞かせるみたいに呟く。
震えそうになる指先をぎゅっと握りしめて僕はまっすぐ彼らを見つめ返した。
そんな僕を見て、ジグルドは鼻で笑うように息を吐いた。
「誰が貴様らの言うことなど信用できるか! 楽にのうのうと生きてきた貴族共が、オレたちのなにがわかる! 今もそんな状態で、なにができるっていうんだ!」
「っ…!」
「そうだ! 王宮へ帰れ!」
「二度と来るな!」
続けて浴びせられる雑言と共に、石が投げられる。
決して早くも力強い訳でもない、石の軌道。きっと、力があまり入っていないのだ。
それは、リーウェンが鞘に収められた剣で、僕に届く前に全て簡単に切り落としてしまっていた。
街が一気に騒がしくなる。騎士たちも、僕を庇ってそばに立っていてくれた。
「リーウェン殿、本日は撤収を…!」
「…そうですね。その方が、なにかと都合が良いでしょう。コローレ様、撤収の合図を……コローレ様?」
リーウェンの疑問の声に、視線が一気に集まる。そのまま、彼が見つめる瞳の先にいるコローレへと視線が流れた。
思わず、息を飲む。コローレの表情は、言葉を失うほど酷く冷酷で、その瞳の奥にどんな思いを抱いているのか、僕には測りきれないほどだった。
途端、彼がそっぽを向き、その表情を窺うことができなくなる。そして――。
「……楽にのうのうと、ね。」
そんな声が耳に入った。それは、コローレが呟いた…のだと、思う。顔が見れなかったし、周りに視線を移して様子を伺っても、他の者には聞こえてなかったみたいだから、確信はない。
ごくりと唾を飲んで、僕は掠れた声で彼の名前を呼んだ。
「ん? なんや、シエロ。なんか言うたか?」
彼はこちらの声に気づくと、ヘラりと笑って言った。その笑顔に、出かかった言葉が喉にひっかかる。
深くは、聞かない方がいいだろう。きっと、僕の気のせいだ。
僕は口を閉じて、首を横に振った。
「…ううん、なんでもない。」
「そーか。んじゃ、帰るとしますかねぇ。」
コローレはヘラヘラとした笑みを浮かべたままそういうと、ぐっと腕を伸ばした。
その後ゆっくりと腕をおろし、僕らの元へ歩み寄る。
僕の正面に来ると、彼は少しだけ腰を曲げる。そのまま、頭にぽん、と手を置いて、ぐしゃぐしゃと撫で回してきた。
普段なら、子供扱いはしないでと手を払うけれど、今はそんな悪態がつけるほど余裕はない。
僕は大人しく、コローレにされるがままになった。
「コローレ様。」
「へいへい。」
リーウェンの制止する声が聞こえると、コローレは聞き分けよく僕から手を離した。
彼は姿勢を正すと、手袋を締め直しながら僕の横を通り過ぎた。
そして、右手を高く掲げる。指先までピンと伸ばされたその姿からは、彼のカリスマ性が溢れ出ていた。
同時に、勇ましく威厳のある声で告げる。
「騎士団撤収、陛下のお還りだ!」
「はっ!!」
彼に負けじと騎士たちの威勢のいい揃った声が街に響く。
先頭で指揮を執る彼の広い背中は、とてつもなくかっこいいと思った。
あんなに大きな背中なら、誰もがついて行きたいと思うし、安心できるだろう。
僕の前ではあまり見せない、騎士団長としての圧巻の威厳だ。
――それに比べて、僕はなんだ?
周りの騎士たちが撤退の陣形を整え、僕を守るように素早く動き出す中で、僕の足だけが冷たく地に張り付いていた。
民の前に立ち、王として言葉を届けるはずだったのに。
差し出された手に、希望を語るはずだったのに。
突きつけられた敵意と、脳裏に焼き付いたあの日の赤い炎に怯え、僕は息を詰まらせて震えることしかできなかった。
先程叩きつけられたジグルドの怒号が、頭の中で何度も何度も再生される。
それは、痛いほどに正論だった。そう、僕はあんな状態で、何もできなかった。
信じられないというのも、頷ける。…いや、正確に言えば、こんな僕なんかに、頼ることなんてできない。それが彼の意見だろう。
民を守るはずの王が、守られてばかりだなんて。
――情けない。
王宮で温かい部屋に守られ、書籍で知識だけを詰め込んで生きてきた僕に、今日まで彼らが味わってきた飢えや苦しみの何がわかるというのだろう。
『なにかあっても、絶対に剣を抜かないで』なんて、格好つけて釘を刺した自分が恥ずかしくてたまらない。
それ以前に、僕は今日、何もできていないじゃないか。今、この場所で一番頼りなくて、一番子どもだったのは、他ならぬ僕自身だ。
悔しくて、情けなくて、下を向いたまま唇を噛み締める。
ぎゅっと強く握りしめられた手は、小刻みに震えていた。
王冠は、僕を沈めるように重たく、存在感を増していく。地面に張り付いた足の動きを、よりいっそう鈍らせた。
動けない。そう思うくらい、足取りは重く、錆び付いたように感じる。
その最中、隣に暖かい気配を感じた。
「陛下、お気を確かに。」
「…リーウェン……。」
「これだけで根を上げてしまってはいけません。私が想像していたものよりも、状況は良好です。」
その言葉に驚いて、顔をあげる。僕の隣を歩くリーウェンの横顔は、相変わらずの硬い表情で、どこか遠くを見ていた。
現状は悪くなかった。ということは、彼はもっと、悲惨な事態になると思っていたのだろう。
今でこれなら、彼の想像していた中にいた僕は、どんな状況だったんだろう。
考えるだけで悪寒が走る気がした。
「…本日は、ゆっくりお休みください。また明日から、この街をどうするのかを陛下自身がお考えになるのです。」
「……そう、だね。」
そう、小さく頷いた。
歩を進めながら、僕は最後に一度だけ、吸い寄せられるように後ろを振り返る。
瓦礫の影、ジグルドの背後に隠れるようにして――あの少女が、こちらじっと見つめていた。
さっきまでの威勢のいい怒りや警戒だけではない。本当に帰るのかと言いたげな、どこか毒気を抜かれたような、困惑の混ざった瞳。
僕と視線がぶつかると、彼女はハッとしたように身を引いて、彼の影へと完全に身を隠してしまった。
彼女には、下手っぴな笑顔しか向けられなかったけれど。恐怖で情けなく震えてしまったけれど。
あの子の瞳に映った僕の姿を、絶対にこのままにしておくことはできない。そんなの、ものすごくかっこわるいじゃないか。
前を向き直し、僕は踏みしめる足に少しだけ力を込めた。
自分の中にある悔しさと、ちっぽけな覚悟をしっかりと抱きしめながら、僕は王宮への帰路についたのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
王都に入り、王宮への道を登っていくと、見慣れた光景が広がっていた。
帰ってきたという安心感からか、肩の力がすっと抜けたような気がする。
ずっと伸びていた背中を椅子の背もたれに預け、ふぅ。と息をついた。
「陛下、遠征部隊がお帰りのようです。」
窓の外を見ていたリーウェンから、そう声がかけられる。遠征騎士団は、セイランの指示で1ヶ月ほど前から盗賊団の鎮圧に向かっていた。
いつ帰るかと心配していたが、まさか今日が帰還日だったなんて。
僕はリーウェンの傍まで行くと、彼につられるよう窓から外をのぞき込む。
彼の言うとおり、確かに門前では遠征騎士団の面々が門兵たちと話をしているようだった。
「すごく急な帰りだね。手紙が来なかったから、まだ先なのかと。」
「ミレア様は波がございますので、今回もそうだと。」
「あははっ、やっぱり気分屋さんだね。」
騎士団の遠征部隊 指揮官――ミレアは、自由奔放でいつも明るい女性だ。喋りだしたら止まらないくらい話すのが大好きで、いつもにこにこと笑顔が絶えない。
彼女の実力については、遠征の成果報告でしか分からないが…コローレが言うには、その明るさに伴わないくらい、剣を握る彼女は凛々しく勇敢。まさに瞬発力がある騎士らしい。
きっと、門兵たちは彼女のおしゃべりに付き合わされているのだろう。早く解放してあげないとな。
想像したら、どこか面白くて思わず笑ってしまう。リーウェンは小さく頷くと、ふっと目を細めて微笑んだ。
「ミレア様のお話が長くなりそうでしたら、私がお相手になりますので、陛下はごゆっくりお休みください。」
「ありがとう、リーウェン。でも、あんまり無理はしないでね。」
「お気遣い、ありがとうございます。」
リーウェンは僕を気遣ってくれているのだろう。確かに、あまり長時間は話せそうにない。
けれど、リーウェンも疲れているはずだ。僕の方から、比較的話を短く収めるようにしよう。
彼の礼儀正しい返事に、小さく頷いた。
そんな会話をしていると、どうやら門前まで着いたようで、馬車の振動がゆっくりと停止していく。
停止しきったころには、ヴァルの綺麗な鳴き声が響いていた。王宮についたという合図だろう。
リーウェンは席を立つと、扉を開けてゆっくりと下へおりた。そのまま周囲を確認し、僕を見上げて手を差し出してくれる。
「陛下、お気をつけて。」
「ありがとう。」
彼は、どこまでも気遣いの行き届いた人間だと思う。その仕草は抜かりなく、当たり前だと言わんばかりだった。
お礼を言ってその手を取り、馬車からゆっくりと飛び降りる。これがまた、結構段差があるのだ。だから彼の手の支えがあると、転ける心配をせずに降りることができる。
地面に足をつくと、すぐさまこちらへ駆け寄る足音と声が聞こえてきた。
「あ! シエロ様〜〜!!」
桃色のポニーテールをゆらゆらと揺らして、ミレアがぶんぶんと大きく手を振っている。
いつもと変わらない様子に微笑んで手を振り返すと、すぐ側に来た彼女からその手を両手で握られ、勢いよく上下に振り出された。
「聞いてよシエロ様! 私さー今回の遠征でたっくさん盗賊団の身柄を捕まえて〜! あ、何人倒したと思う? 実はね〜、なんと38人! 凄いでしょっ、凄くない!? 過去最高記録〜!!」
「わ、分かった、分かった! ちょっと一旦止め、」
「それにねそれにね! ちょーー良いものも手に入ったんだよ! この国では珍しい宝石! 盗賊団の荷物を確認したら、これがもうどっさり入ってて! 私も少しだけ貰っちゃおうかな〜って! あ、それとね!」
「ミ、ミレア、ちょっ…!」
繋がれた手がまるで振り子のようにブンブンと激しく揺さぶられ、僕の体まで一緒に上下に揺れる。
視界がグラグラと揺れて、ミレアの桃色のポニーテールが残像に見えるほどだ。
「この前ちょーーおっきい鳥をみつけてさぁ! それがもう、ぶっくぶくに太っててちょーー可愛くて! 連れて帰ろうとしたんだけど、逃げられちゃってさ〜! いやぁ、あんなにぶくぶくなのにすーっごい早さで飛ぶから、ビックリしちゃって!! あ、そうそう、しかもその鳥を追いかけたらさ、ぽちゃんって川の中に落ちちゃって! あははっ、ほんとかわいいよね〜!」
ダメだ、一向に止まる気配がしない。
次から次へと来る彼女のマシンガントークに完全に圧倒されてしまう。
会話の隙間を見つけては「あのね」、「待って」と口を開くものの、その度に彼女の弾丸のような言葉にかき消されてしまった。
助けを求めようと、バタバタと空いた左手を泳がせながら隣のリーウェンへ視線を送るも、視界が揺れすぎて彼の顔すらまともに捉えられなかった。
次から次へと頭の中に流し込まれる情報と、止まらない手振りに頭がパニックを起こしそうになる。目も回り始めてきた。
スラムで感じていた重苦しい暗雲が一瞬で吹き飛ぶくらいの、まさに嵐のような光景だ。
「ミレア様、そのくらいに。陛下はお疲れなのですから。」
揺さぶられていた手にリーウェンの手が重なり、ピタリと止まる。僕が苦労していたそれを、彼は涼しげな顔で止めて見せたのだ。
彼女は手を振るのを辞めると同時に言葉を止める。
目をぱちくりとさせて、僕の顔とリーウェンの顔を交互に見ると、首を左へ右へと傾げ始めた。
「ありゃ、シエロ様疲れてるの? なんでなんで? 久々に外に出たから?」
「う、うん、まあね…。」
疑問の声にへらりと笑いかければ、彼女はまたぱちぱちと目を瞬きさせる。
分かってくれたみたいだ。やっと静かに――。
「あー!! よく見たらちょっと顔色悪いね!? ごめんごめんっ、全然気づかなかった!」
と、思ったのも束の間。わずか2秒で静寂は消し飛んだ。
ミレアの大声が耳にキーンと響く。反射的に耳を抑えて目を閉じた。
「もー、そうなら早く言ってよ〜!! 私のせいで余計悪化させるところだった〜!!」
「もう悪化させとるけどなぁ。」
後ろから肩をポンポンと叩かれ、目を開けると、綺麗なオッドアイが映り込む。コローレがこちらを見て笑っていたのだ。
どうやら、ヴァルとアズに餌を上げていたらしい。コローレの手元には彼らの餌が握ってあった。
他の騎士たちに連れられて、ガタガタと音を立てながら馬車が王宮の中に入る。後でヴァルとアズにもありがとうと言いに行こう。
その光景を流し目で見ていると、コローレが僕の顔を見ておかしそうに眉を下げて笑った。
そして、ミレアの方を向くと余った餌を軽く放り投げる。
彼女は慌てながらそれをキャッチすると、ふぅ。と安堵の息を漏らしていた。そして表情を変え、むすくれたように頬を膨らます。
「ちょっとコローレ団長〜! この餌なんですか、私に食べろって言うんですか〜!?」
「ミレア、口チャック。」
コローレが手を使って口を締める動作をすれば、彼女はビシッと固まり、彼の真似をするように口を締める。
その光景に、僕とリーウェンは顔を見合せたあと、くすくすと笑った。
コローレは腕を組み、「よし。」と満足気に頷くと、こちらを向いて話を進めてくれた。
「こいつの話に付き合うんはボクがやるから、ふたりは先に戻りや。」
「いえ、コローレ様もお疲れでしょう。私が引き受けますよ。」
「ボクが珍しくやる言うてんねやから、素直に言うこと聞けばええの。」
引き下がらないリーウェンに、コローレはぐっと顔を近づけて、彼の眉間へ指を置くと、ぐりぐりと押す。
リーウェンはそれが嫌そうに眉を寄せ口を閉じると、軽く手で払い除けた。そのまま、ジトリとコローレを睨みつける。
「…おやめください。」
「おーおー、怖い怖い。ほら、シエロ。はよリーウェン連れて行き。」
「ありがとう、コローレ。お言葉に甘えて、そうさせてもらうね。」
先ほども考えていたが、正直、今彼女の相手をする余裕はあまりない。コローレの厚意に甘えるとしよう。
僕は彼へ向かって微笑んで、お礼を告げた。
少しだけ機嫌が悪そうなリーウェンの腕を軽く2回叩いて、行こうと先導する。
彼は少しだけ不満そうな顔をしたが、ゆっくりと目を閉じて、一呼吸する。彼が目を開ける頃には、いつもの表情に戻っていた。
切り替えが早いものだ。その様子に感心していると、リーウェンは小さく頷き、コローレとミレアの顔を交互に見つめたあと、深くお辞儀をした。
「それでは、コローレ様、ミレア様。失礼致します。」
「またね、二人とも。」
「おう、ゆっくり休みや。」
「〜〜!!」
ミレアが声を発さないまま、腕をぶんぶんと振って別れを告げてくれる。動きだけでも、本当に元気だ。
一ヶ月も遠征していたというのに絶えることがないその元気が羨ましい。
二人に手を振って、僕たちはやっとのことで王宮へと帰還した。
その後は、ヴァルとアズの小屋へ行き二頭を労ったあと。
王宮を守ってくれていた騎士や近衛兵たちのすれ違う者と軽く話をした。心配する者も多かったけれど、みんな僕の帰還を安堵してくれていた。
夜、ベッドに潜り込んで、天井を見ながら考える。
僕は、とても愛されているな、と。改めてそう実感する。彼らの気持ちに応えられるよう、日々精進しなければ。
…その前に、まずはスラムの現状をどうにかしなければ。
でも、何から考えればいいんだろう。どうすれば、あそこに住む彼らは安心し、心を開いてくれるのだろうか。
疲れているからか、どんどんと瞼が重くなってくる。考えたいのに、思考もろくにまとまらない。
ただ、眠たい。今はただ、そう思うばかりだった。
――絶対に、嫌われたままで終わらせたりしない。
脳裏に浮かんだのは、ジグルドの背後からこちらを覗き込んでいた、あの少女の困惑した瞳。
胸の奥で小さく燃えるその誓いを抱きしめるように、僕は深く息を吐き、静かに目を閉じた。
明日からまた、王として足掻くために。あの王冠を、重たいままに、しないために。
僕は柔らかな闇の中へと、ゆっくりと意識を沈めていった。




