Interlude 〜一日〜
《Interlude:リーウェン》
最後の小言は余計だっただろうか。
2人と別れ、セイランが待つ会議室に向かう道中、俺はそう悩んでいた。
釘を刺してしまったことで、陛下の気が損なわれないといいが…。まあ、エフェメル君のあの様子を見て、二度抜け出すようなことはしないだろう。
しかし、礼儀作法に対してしつこくしてしまうのは控えた方がいいだろう。
エフェメル君はとてもいい子だ。若いながら、頑張って仕事を行ってくれる。厳しくしすぎてしまうのも、彼には悪影響なのかもしれない。
「…陛下が仰ったように、しばらくは控えよう。」
そう自己反省のまとめに至る時には、会議室のすぐ近くに到着していた。
コン、コン、コン、と一定のリズムで扉を叩く。中から入室の許可が聞こえたのを確認し、俺は静かに扉を開けた。
「ああ、やっと来た。お疲れ様、リーウェン。陛下は見つかった?」
ティーカップの中身をゆらゆらと揺らしながら、彼――この国の宰相、セイランは柔らかい笑みを向けた。
その笑みの中には、どことなく楽しむような、期待をするかのような気配を感じる。きっと、待たされていた時間の対価として、先程の世間話を要求されるのだろう。
俺は心の中で深く溜息を吐きながら、彼へ先程の状況を報告した。
「はい。廊下で呆然と空を見上げておりました。会議の途中だったというのに、中断させてしまって申し訳ございません。」
言い終えた後、ソファーに近づき、一礼をしてから座った。
自分の目の前にある冷え切った紅茶に口をつけながら、ふと思う。
あのお方は、本当に空が好きだな、と。
「それで、どんなことを話したんだい? 陛下や…エフェメルくんのことも。」
彼は頬杖をつき、催促するように話題を振る。もう会議するための資料はそっちのけのようだ。
「特には。陛下が少々とぼけていらっしゃいましたので、職務へお戻りいただいただけです。エフェメル様も、私の代役を立派に務めてくださいました。」
先程の出来事をやんわりと話す。多く語ってしまうと、セイランの話は止まらないだろうから。
彼は少しだけそっけない返事をしたあと、頬杖をつくのをやめ、ソファに寄りかかる。
ティーカップを持ち上げると、また揺らしていた。
「んー、そう。まあ、リーウェンがあまり話したくないならいいや。」
「そのようなことは。貴方のお気に召すような話ではなかったというだけです。」」
「あはは、別にそういう話を聞きたかったわけじゃないんだけどね。ただリーウェンが苦労してきたのかな〜って気になって。心配だったんだよ?」
彼が紅茶を飲み、置く。どうやら空になったらしい。カチャ、と小さな食器がかすれる音が聞こえた。
俺は立ち上がり、ティーポットで紅茶をゆっくり注ぎながら、思った。
なんのご冗談を。本当は俺の苦労話を楽しんで待っていたくせに。
そういう俺の思いを感じ取ったか、セイランはおっとりとした目を細めて、微笑んだ。
「リーウェン、何か言いたげだね〜?」
「…いえ、なにも。」
これだから、この男は厄介で仕方がない。
注ぎ終えたポットをテーブルにゆっくりと置き、ソファへ腰を下ろした。
セイランはくすくすと笑ったあと、資料を手に取った。どうやら再開するらしい。
「さてと…それじゃあ、さっきの話の続きをしようか。今までの予算と予算案の話はしたから…明日、来聘する外交官についてだね。」
「はい。…ですが、セイラン様。外交については、アレン様にお話された方がよろしいのでは? 私は今まで立ち会いのみでしたので、詳しいことはわかりかねます。」
「もちろん、会談についてはアレンに任せるよ。彼は外交に関してはプロ並だからね。リーウェンに任せるのは、そっちじゃなくて…シエロの方だ。」
陛下の方、とは、一体…?
前例として、外交を行う際に陛下について任されたことはない。俺は傍で仕えているだけだからだ。
けれど、彼のことだ。何か策があるのだろう。資料に目を通しながら、彼の意図を必死に考える。
明日の外交内容は領地問題だ。相手国が、国境線の引き直しを求める――つまり、『国境画定』についての交渉だ。
うちの国はそこまで大きな国じゃない。どのくらいかと言うと、地図に描いてあるかないか、分からないほどだ。
国境画定ということは、領地の帰属を決めるということだ。場合によっては、どちらかの国が土地を手放すことにもなる。
しかし、この国はこれ以上他国へ譲ることができる土地があっただろうか。
確か、この国とは交易路で深い繋がりがあった。友好国として、このままの関係を続けたいというのがセイランの考えだろう。
ああ、そういえば…一ヶ月ほど前に、あそこの国は内部戦争が起こったんだったか。離れ街が大きな被害を受けたと聞く。
内部、戦争……もしや…。
「気づいた?」
セイランにそう尋ねられ、俺は資料から顔をあげる。先程までにこやかだった彼は、真剣な表情に戻っていた。
オンとオフの切り替えが速いせいで、温度差で風邪を引きそうだ。
俺はこくりと頷いて、先程気づいた現状について話した。
「あの国は、近日、内部戦争が起こった…それにより、離れ街が大きな被害を受けたと伺っております。今回の国境画定であの国がしたいことは――スラム街となった街の割譲。」
「上出来だ。まあ、割譲というか押し付け合いになってしまうだろうね。けれど、あの国には恩がありすぎる。断ることのリスクを、アレンも知っているだろう。」
セイランは足を組んで、紅茶を一口啜る。それを持ったまま、外の青空を見上げていた。
「おそらく、そのスラム街はこの国へ引き渡されることで画定するだろう。君にシエロを任せるのは――その後の話だ。」
セイランはそう言うと、青空から目を離し、息を詰める俺を真っ赤な瞳で見据える。
彼は静かにティーカップを置いた。
カチャ、と小さく食器の触れ合う音だけが、部屋に響いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
《Interlude:エフェメル》
「えっ、シエロ様の監視、ですか…?」
「はい。お忙しいところなのは承知の上なのですが…。」
書類の束を持ったリーウェンさんは、静かに頷き、苦笑した。
どうやら、セイランさんとお話があるらしい。
正直、不安である。シエロ君は、よく抜け出す癖があるからだ。
昔馴染みのリーウェンさんなら、シエロ君が行きそうな場所がすぐに分かるだろうけど、メルにはそんな技術はない。それが心配で、返事を少し躊躇う。
でも、リーウェンさんが、他でもないメルを頼ってくれたんだ。こんなに喜ばしいことはない。
メルはリーウェンさんと目を合わせ、微笑んで答えた。
「はいっ! 任せてください!」
「ありがとうございます。大変助かります、エフェメル様。」
彼はホッとしたように目を細めて微笑む。
そして、深々と頭を下げた。それにびっくりして、慌てて止める。
本当は、リーウェンさんの方が、メルよりも歳上で王宮に務める歴も長いのに。どうして、彼はメルに対してもそんなに丁寧なんだろう。
メルはただの、近衛兵に過ぎないのに。
けれど、そんなメルには持ってないものを持っている彼が、とてもかっこいいと思った。
「では、これを。本日の職務の書類です。エフェメル様は、陛下が逃走なさらないように監視を。書類の確認は、後ほど私が行います。」
「分かりました! あ、職務が始まったら、リーウェンさんにお知らせできるように手紙を書きますね。」
書類の束を受け取りながら、彼から説明を受ける。それに頷いて、メルも一つ提案してみた。
すると、リーウェンさんは口元を隠しながらくすくすと笑う。
「ありがとうございます。そうしていただけますと、私も安心できます。」
「それなら良かったです! リーウェンさんの代わり、精一杯頑張ります!」
「はい。陛下のこと、よろしくお願い致します。」
リーウェンさんとそんな会話をしたのが、昼時のことだった。
それから暫くたって、予定通り職務は始まった。シエロ君は、少し…いや、だいぶつまらなそうにしながら、書類と睨めっこをしていた。
メルも小さな紙切れに、シエロ君がちゃんと職務に移ったという報告を書く。確認をしたあと、それを2つ折りにした。
執務室の扉の前で護衛をしている近衛兵にリーウェンさん宛てだと伝え、手紙を届けてもらう。
「了解。届けてくるよ」
「はい、お願いします! …あれ、なんだか嬉しそうですね?」
彼は大きく頷く。話を聞くと、この後は長めの休憩に入れるらしい。久しぶりにお気に入りのカフェに行けると喜んでいた。
一通り話をすれば、彼はすぐに会議室へ向かった。
ふう。と、達成感から小さく息をつく。シエロ君は、次は別の書類で睨めっこを続けていた。
…大変そうだ。王様のお仕事なんて、メルには到底手に及ばないことだろう。
若くして、王様という地位に就いたシエロ君。彼が王様になった当時のことは、メルには分からないけれど…。
きっと、すごく大変だっただろう。慣れない環境で、もがいて足掻いて、今ここに立っているんだろう。
メルと2つしか変わらないのに、堂々としていて、真っ直ぐで。
そんな彼を、メルは心から尊敬していた。
と、いつの間にか物思いに耽ってしまっていた。
ちゃんとメルの仕事をやり遂げないと。
考えていたことを頭から追い払おうと、首を横に振る。
シエロ君の様子を見ようと、デスクの方へ顔を向けた。
「…あれ。」
シエロ君がいない……まさか、逃げ出した!?
「う、嘘、少し目を離した隙に…!? どうしよう、えっと、えっと…!」
頭をぐるぐると回転させて、この後の術を考える。けれど、何度頭を捻っても、焦りで覆われた脳内は満足する答えを出してくれない。
「とりあえず、リーウェンさんに報告しないと…!」
困った時は、リーウェンさんに頼るのが1番だ。彼はシエロ君のことを誰よりもよく知っている。
「急がないと…! うわっ!?」
「おわっ!? え、エフェメル、そんなに急いでどうしたんだよ。」
執務室を飛び出すと、丁度場内の見回りをしていた近衛兵とすれ違った。
メルは口ごもりながら、事の発端を話す。
最初は彼も焦っていたが、次第にメルを落ち着かせようと背中を擦りながら励ましの言葉をかけてくれた。
きっと、気が気ではないメルの様子を見て、逆に冷静になったのだろう。
「じゃあ、行ってくるよ。お前はそこで陛下が帰ってくるのを待っとけ。」
「す、すみません! よろしくおねがいします!」
リーウェンさんのいる会議室へ、急ぎ足で向かう彼の背中に何度も頭を下げる。
その後ろ姿が消えたあと、この後のことを考えようと深呼吸をする。
「すー…はぁ……えっと、メルが今できることは…。」
ふと、デスクが目に入る。彼がどんな仕事をしていたのか、気になったのだ。
近づいて覗き込むように見ると、サインをし終わった書類が広げてあるのに気づいた。
「…すごい、活字がいっぱい…。見てるだけで頭が痛くなるな…。」
陳情書――だったっけ。国の人の困り事が書いてある正式に手続きされた書類だ。
こんな豊かで優しい国でも、誰かが困るようなことが起こっているんだな。
書類の内容を見て、知見を得る。いつの間にか、大分時間が経っていたらしい。時計の針は20分ほど進んでいた。
そうだ、整理しておこう。このくらいのことしか、メルにできることはない。
日付ごとに書類を重ねて、束にする。机を使って
、トントン、と縦と横を揃えながら、シエロ君の帰りを待った。
〇国境画定:国家間で正式に国境を定めるための外交交渉




