四作
慶長10年(1605年)4月26日深夜
秀忠の私室に元服し名を直孝と改めた弁之介はいた。
「征夷大将軍の就任、おめでとうございます。」
「父上がまだご健在で駿府に入られる。
なら、まだまだ現役で政治も行われるだろう。
私の就任は単純に徳川が世襲で政治を行っていく事を知らしめるために過ぎぬ。
必要な事ではあるが未だに問題は山積みのままだ。」
「それこそが大事なのです。
跡継ぎが決まらないままで当主が死ぬ事で家の中で分裂がおきます。その対応ほど頭を悩ます事もありませぬ。」
「直政の死で学んだ事か?」
「私も別に兄上を押し退けて藩主になろうとは思っておりませんでした。何より井伊谷の頃からの家臣は兄上の成長を側で見ていた者ばかり。
私につこうとはしないでしょう。」
「しかしおぬしは、将軍の後継たる私の近習として仕えておったわけだから、私の機嫌をとる意味ではおぬしを井伊家の当主とした方が良いと感じる者がいたとしてもおかしくはない。誠に難しい話だな。」
「甲斐武田氏の遺臣達はお家がなくなるという苦い経験がございます。その者達からすれば主家を失わないためにはどうすれば良いかを考えてしまうのでしょう。」
「なるほどな。そういう考えもあるか。
直継が臣下をまとめきれておらぬ事に父上もお心を砕かれている。特に慎重すぎるその姿勢は戦の先陣を駆け続けた直政と比べて愚鈍と言われる事もあるとか。
片面のみを見て物事を判断する者の浅はかな事。
人とは難しいな、直孝。」
「人柄について悩めるようになったと喜ぶべきなのかも知れませぬ。」
「それはどういう事だ?」
「戦国の世であれば、人柄ではなく武勇や知略、謀略によって人間関係を図らなければいけませんでした。
当主が愚鈍なら討ち取って下剋上をなせばそれで片がついたわけです。『愚鈍だからどうしよう』と考える事が平和になった証なのかもしれません。」
「なるほど、それはなかなかにおもしろい視点だな。
だが、豊臣がまだあり秀頼が残っている今はまだ安泰とはいかぬ。秀頼に器がなくとも秀吉様に恩を感じている者は多い。今はまだ父上が健在だから従っているが父上が亡くなられたらどうなるかはわからぬ。
今しかないのかもしれぬな。」
秀忠は静かに言ったがその目には覚悟を決めたような力強さが宿っていた。




