二十一作
「おお、直孝殿。
わざわざ祝いの品までお持ち下さりありがとうございます。」
家康の九男の義直が城門の所で直孝を出迎えた。
予想外の出迎えだったため直孝は直ぐに馬を降りた。
「義直様、お出迎えありがたく存じます。
この度はおめでとうございます。」
「う、うむ。
時期が時期なだけに手放しで祝えないのだがな。
だが、あの慎重な父が動いたのだからそれほどの事なのだろう。
まぁ、しばしではあるが宿泊所を用意した。
城外になるのでな。ここで挨拶を済ませておけばそなたらもゆっくりと休めよう。
父が来るまでは兵も含めてゆっくりといたせ。」
「かしこまりました。
ご配慮ありがとうございます。」
挨拶を終え、案内の者に連れられて宿泊所を目指す途中で太左衛門が
「義直様はおいくつなのですか?」
「今年で15だ。
先の大阪の陣で初陣も経験されている。
ここ尾張は、織田信長公が生まれ育った場所。
ここから天下とりは始まった場所であり家康様が人質として幼少期を過ごされた場所でもある。
家康様が重要な土地にお子様方を配しておられる。
おそらくこのまま尾張と美濃等を領国として義直様が治められるのだろう。」
「親藩というやつですか?」
「その中でも更に特別な存在になるかもしれないな。」
これから先の幕府の体制を磐石にするためには徳川家が存続しなければいけない。
鎌倉に幕府を開いた源頼朝公は息子二人で直系が途絶えたために養子を入れたり天皇家から将軍を招いたりしたためにその全権は執権の北条氏が握り最終的にまとまりを失って滅亡した。
足利氏の室町幕府は後継者を決める基準があいまい過ぎたために将軍家の分裂、更に家臣の分裂が加わり大きな戦で幕府が力を失い戦国時代になった。
これらの反省を活かすなら、特別な将軍家を複数残して家康様直系の跡取りがいないという状況を作らない。
将軍に跡取りができない場合にのみ特別な将軍家から年齢や適性を判断して将軍を選ぶ形にする。
『徳川家康の直系』という旗の下で結束を維持する必要がある。
まずは豊臣を潰して外様大名の旗頭を完全に折る。
本望ではないが圧倒的なまでの武力を見せつける事が戦を起こさせない最善の一手なのであれば、その手を使わない方が犠牲が増えてしまう。
きっとこの考え方も間違っている。
犠牲がでないのが最善で最良なのだ。
今の私の至らぬ考えではここまでだ。
いつの世になるかわからないが犠牲もなく誰も悲しませぬような平和の作り方をあみだして欲しいと直孝はこの時に思った。
戦を早期に終わらせ幕府の体制を磐石にするための仕事が待っている。
父のようにいつ死ぬかわからぬ世だからこそ、この瞬間に思った事や考えた事は実行しなければならない。
死ぬまでにやりたい事があるならなおさらである。
直孝の到着の三日後に家康も名古屋に到着した。




