リナ、計画と現実のあいだ
**20xx年12月16日(月曜日) 高校1年生**
**朝**
目覚ましが鳴る前に、
うっすらと目が覚めた。
枕の横に手を伸ばしかけて、
空をつかむ。
「あ、そうだ」
スマホは、
机の引き出しの中。
先週から続けているルール。
(えらい、私)
心の中で小さく自分を褒めてみる。
……でも、
次の瞬間に思い出した。
一昨日の土曜日。
「ちょっとだけ」と思って
夕方に引き出しを開けて、
動画サイトを見始めたら、
気づいたら2時間以上
たっていた。
「またやっちゃった」
あのときの、
お腹の奥がヒュッと冷える感じ。
(“ちょっとだけ”って、
なんであんなに信用できない言葉なんだろう)
布団の中で、
一瞬だけ自己嫌悪が顔を出す。
でも、
今日はまだ何も失敗していない。
「とりあえず、起きよ」
布団をめくると、
冷たい空気が入り込んできて、
肩がぞくっとした。
足を床につけると、
ひやっとして目が覚める。
リビングに行くと、
しろが尻尾を振って
とことこ近づいてきた。
「おはよう、しろ」
頭をなでると、
温かくて、ふわふわしていて、
胸のあたりの強ばりが
少しだけほどけた。
「おはよう、里奈」
「おはよう」
お母さんが味噌汁をよそいながら、
私の顔をじっと見た。
「なんか、
ちょっと疲れてる?」
「うーん……
脚本のこと考えてたら
眠れなくなっちゃって」
嘘ではない。
でも、
スマホで動画を見ていた時間のことは
言えなかった。
(“努力は報われる”って、
よく聞くけどさ……)
本当に“努力”って呼べる時間は
どれくらいなんだろう。
スマホを見ていた2時間は、
努力じゃない。
その前の30分の
プロットを書いていた時間は、
努力かもしれない。
「食べて、
学校行ったら少しは切り替わるわよ」
お母さんの言葉に、
「うん」とだけ答えた。
味噌汁の湯気が、
顔にふわっと当たる。
ちゃんと温かいものを食べて、
ちゃんと学校に行く。
こういう当たり前が
できているだけでも、
たぶん悪くない。
そう思いたかった。
**午前**
月曜日の朝礼。
学年主任の先生が、
新年に向けての話をしていた。
「高校1年生のみなさんは、
そろそろ“将来”を意識して
生活してください」
“将来”という言葉が出るたびに、
胸の奥がざわざわする。
(もう?
まだ1年生なのに)
「女子も男子も、
社会に出て活躍する時代です。
ですが、女子は特に――」
“女子は特に”のあとに続いた言葉は、
「礼儀や身だしなみをしっかりと」
だった。
(活躍って、
そういう意味なのかな)
社会に出るって言いながら、
結局“ちゃんとした女の子”でいることを
求められている気がする。
髪型、メイク、スカートの長さ。
「女子なんだから、だらしない格好はするな」
って、
あちこちから言われる。
勉強ができても、
髪がボサボサだと
注意される。
(男子は、
寝ぐせでもあんまり言われないのに)
そういう小さな不公平が
積もっていく。
でも、
そこで大きな声を上げる勇気もない。
せめて、
自分の中で
モヤモヤに名前をつけておく。
「これ、
ちょっと理不尽だよね」って。
2時間目の現代文で、
先生が黒板に
大きく書いた。
「主人公の“違和感”」
(私も、
今の日本で生きてる“主人公”の一人なんだ)
そう思ったら、
さっきまでのモヤモヤが
少しだけ、
作品の材料みたいに
感じられてきた。
**昼**
お昼休み。
今日は、
咲希ちゃんと、
クラスの女子何人かと
一緒に食べた。
恋バナ、
アイドルの話、
最近バズった動画。
「このアニメの新しいオープニング、
めっちゃ良くない?」
誰かがスマホを見せてきて、
音量を小さくして
机の上に置いた。
キラキラした曲と、
色鮮やかな映像。
その中に、
自分たちと同じ制服姿の
女の子たちが走っている。
(アニメの女の子たちは、
髪も制服も
いつもちゃんとしてて、
悩みがあっても
最後にはスッキリしてて)
少し羨ましい。
少し遠い。
「里奈は?
推しとかいないの?」
「うーん……
最近は、
科学館の公式キャラかな」
「地味~~!」
みんなが笑って、
私もつられて笑った。
でも、
理系っぽいマスコットキャラが
好きな自分も、
けっこう気に入っている。
「里奈って、
女の子女の子してないとこがいいよね」
誰かがそう言って、
「でも、もうちょっとおしゃれしてもいいのに」
と付け足した。
おしゃれ。
メイク、アクセサリー、
トレンドの服。
嫌いじゃないけど、
全部にちゃんと
ついていく気力はない。
(“女の子だからこうするべき”と
“自分が楽しいかどうか”の間で、
毎回ちょっと迷うんだよなぁ)
今日は、
とりあえず笑ってごまかした。
**午後**
放課後の演劇部。
今日は、
基礎練習のあとで
「脚本タイム」を取ってもらえることになっていた。
部室の隅の机に、
ノートとペンを出す。
胸のあたりが
じわっと重くなる。
(書けなかったらどうしよう)
先週決めた
週3回・30分の脚本タイム。
月曜と水曜は
なんとか守れた。
土曜日は、
最初の10分だけ書いて、
そのあとスマホの誘惑に負けた。
「また全部ダメだったって
思っちゃうんだよね」
咲希ちゃんに
メッセージを送ったら、
「10分できたじゃん」と返ってきた。
“できたところ”を数える。
それが、
今週の小さな工夫。
(10分分の私を、
もう少し信じてみてもいいかもしれない)
深呼吸して、
ペンを握る。
ノートには、
前回までに書いた
『二人の季節』の第一場。
転校初日の教室。
緊張している主人公。
そこに現れる、
明るい女の子。
「ここから、
二人の距離を
どう詰めていくか……」
頭の中で、
自分と咲希ちゃんの
最初の会話を思い出す。
あの頃の私は、
今よりもっと
人の顔色ばかり見ていた。
「嫌われたくない」
「変だと思われたくない」
そんな気持ちで
頭がいっぱいだった。
でも、
咲希ちゃんは
私が理科の話をしても、
脚本の話をしても、
「いいじゃん」と言ってくれた。
(あのとき、
ちょっとだけ生きやすくなった)
だから、
『二人の季節』の主人公にも、
そういう“救われる瞬間”を
ちゃんと書いてあげたい。
ペン先が、
少しずつ走り出す。
> 「ねえ、一緒に帰らない?」
新しい台詞が、
ノートの上に生まれた。
その瞬間、
胸の奥がふっと軽くなる。
(あ、今、
ちゃんと前に進んだ気がする)
隣の机では、
咲希ちゃんが
照明プランのラフを書いていた。
「どう?」
「……うん。
さっき一行分、
新しい会話が書けた」
「一行でも、
前進は前進だよ」
そう言われて、
本当にそうかもしれないと
思えた。
**夕方**
部活が終わって、
帰り道。
冬の夕方の空は、
もうほとんど暗い。
駅までの道を歩きながら、
息が白くなるのを眺めた。
「ねえ、里奈」
「なに?」
「今日さ、
スマホ見たいって
思わなかった?」
図星だった。
「……思った。
めっちゃ思った」
部室の“脚本タイム”のとき、
机に置いたままのスマホが
何度も気になった。
“通知が来てるかもしれない”
“友達のストーリー更新されてるかも”
そう考え出すと、
手がムズムズしてくる。
「でも、
今日は開かなかった」
「それ、
めちゃくちゃすごいことだよ」
咲希ちゃんが、
本当に嬉しそうに笑った。
「明日は、
また負けるかもしれないけどね」
「そしたら、
また一緒に作戦立てよ」
“また”がある。
一回の失敗で
全部終わりじゃない。
そう言ってくれる友達がいることが、
ありがたかった。
**夜**
家に帰ると、
リビングでは
さくらと太一が
テレビゲームで盛り上がっていた。
「おかえりー!」
「おかえり、里奈」
「ただいま」
ランドセルじゃなくて
通学カバンを置く音にも
だいぶ慣れてきた。
「お姉ちゃんもやろうよ」
太一がコントローラーを
差し出してきた。
「30分だけね。
そのあと宿題と……ちょっと脚本やる」
「え、まじめ~」
「一応、高校生だからね」
そう言って笑うと、
さくらがじっと私の顔を見た。
「お姉ちゃん、
前より楽しそう」
「そう?」
「うん。
なんか、
忙しそうだけど楽しそう」
胸の奥が、
じんわり温かくなった。
(忙しいけど楽しそう、か)
自分では、
まだ“ちゃんとできてないこと”ばかり
数えてしまうけれど。
家族の目には、
別の私が映っているのかもしれない。
ゲームを30分だけやって、
本当にやめられた自分に
少し驚いた。
(……たまには
“できた私”を信じてもいいかも)
お風呂で温まったあと、
机に向かう。
今日は、
“脚本タイム”を
10分だけ延長した。
手帳の「30分」の横に、
小さく「+10」と書き足す。
全部うまくいっているわけじゃない。
スマホにも負けるし、
自分の弱さにも負ける。
でも、
一週間前よりは、
少しだけ“諦めるのが遅くなった”気がした。
## 後書き
**日記**
**20xx年12月16日(月曜日) 高校1年生 田中里奈**
今日は、
“計画と現実のあいだ”で
ゆらゆら揺れた一日だった。
・スマホを引き出しにしまうルールは、
まだ続いている。
・でも、
土曜日は途中で負けて、
動画を見すぎてしまった。
前の私だったら、
「ほらね、どうせ続かない」
「やっぱり私はダメだ」
と、
全部を真っ黒に塗りつぶしていたと思う。
でも今日は、
「30分書けた時間」
「スマホを開かなかった瞬間」
「ゲームを30分で切り上げられたこと」
そういう“できたところ”も
一緒に数えてみた。
日本社会で“女の子”として生きていると、
「女子も活躍する時代です」
と言われる一方で、
「女子は身だしなみをしっかり」
「女の子なんだから、
ちゃんとしてなさい」
と、
いろんな方向から
“こうあるべき”が飛んでくる。
それに
全部応えようとすると、
息が続かない。
でも、
全部を投げ出してしまうと、
それはそれで
自分で自分を嫌いになってしまう。
だから今は、
・ちゃんとしなきゃいけないところは
最低限は頑張る。
・それ以外のところは、
“自分が楽しいかどうか”で選んでみる。
・できなかった日があっても、
“また明日どうするか”を考えてみる。
そういう、
中途半端なバランスで
毎日を歩いている。
演劇部では、
『二人の季節』の脚本が
少しずつ進んでいる。
今日は、
新しい一行の会話が書けた。
たった一行。
でもその一行には、
・中学のときの
「口だけだよね」という言葉に
傷ついた自分
・咲希ちゃんと出会って
少し楽になった自分
・“今度は言うだけで終わらせたくない”と
思っている今の自分
その全部が
少しずつ混ざっている気がする。
物語の登場人物は、
“なりたい自分”と“現実の自分”のあいだで
揺れ続ける。
私も同じ。
完璧なヒロインにはなれないし、
なるつもりもない。
でも、
毎日ちょっとだけ
自分なりの工夫をして、
昨日より少しだけ
諦めるのが遅い自分でいたい。
どんな時でも笑顔で。
今日は、
できなかったことも、
できたことも丸ごと抱えたままの、
ちょっと疲れてるけど
悪くない笑顔だった。
明日の私は、
またスマホに負けるかもしれないし、
もう一行書けるかもしれない。
そのどちらになっても、
ちゃんとノートを開いて、
“田中里奈”の物語を
続けていきたい。




