リナ、揺れるペース
**20xx年12月9日(月曜日) 高校1年生**
**朝**
目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。
カーテンの隙間から、
薄い朝の光が差し込んでいる。
「……まだ5分前か」
枕元の時計を見て、
小さく息を吐いた。
先週決めたとおり、
スマホは机の引き出しの中。
手を伸ばしても、
そこには何もない。
指先が空をかく感覚に、
少しだけ不安になる。
(見られないって分かってるのに、
つい触りたくなるんだよね)
布団の中で、
一瞬だけ迷う。
「もう一回寝ちゃおうかな」
そう思った瞬間、
文化祭前に寝坊しかけた朝のことを思い出した。
あのとき、
お母さんに起こされなかったら、
きっと遅刻していた。
「同じことは、
できれば繰り返したくない」
自分にそう言い聞かせて、
布団から起き上がった。
足の裏が、
床の冷たさにびくっとする。
それでも、
今日は自分で起きられたことが
少しだけ誇らしかった。
制服に着替えて、
リビングに行く。
「おはよう」
「おはよう、里奈」
お母さんが、
味噌汁のお椀を並べながら言った。
「なんだか、
最近ちゃんと起きられてるわね」
「……たまたまだよ」
そう言いながら、
胸の奥が少し温かくなる。
テレビからは、
「受験生のための“朝活特集”」が流れていた。
「朝の1時間で人生が変わる!」
大きなテロップ。
(人生は、
そんなにスイッチみたいに変わらないよ)
心の中で、
小さくツッコミを入れる。
私にできるのは、
とりあえず今日も
起きる・着替える・ご飯を食べる。
それだけ。
それでも、
先週より少しだけ
“自分で選んだ感じ”が増えている気がした。
**午前**
月曜日の1時間目は数学。
テスト前ということもあって、
先生のテンションが高い。
「ここは入試にもよく出るところだぞ。
女子も理系にどんどん進出してるからな」
“女子も”という言い方に、
少しだけひっかかる。
(男子は当然、
女子は“も”なんだ)
ノートを取りながら、
心のどこかでそう思った。
理科や実験が好きだと言うと、
「珍しいね」と言われることが多い。
本当は、
珍しいことじゃないのに。
「田中、解いてみろ」
突然、名前を呼ばれて
心臓がドクンと跳ねた。
黒板の前に立つと、
クラスの視線が一斉に集まる。
チョークを握る手が、
少しだけ震えた。
(落ち着いて。
ここは昨日やったところ)
頭の中で
昨日の自習ノートを思い出す。
ゆっくり式を書いていくと、
なんとか答えが合っていた。
「お、いいぞ。
女子でもそうやって
ガンガン前に出てこい」
先生の言葉に、
教室が少し笑いに包まれた。
(“女子でも”じゃなくて、
“田中でも”って言ってくれた方が
嬉しかったかもしれない)
でも、
褒められたことは素直に嬉しくて、
胸の中で小さくガッツポーズをした。
**昼**
お昼休み。
今日は教室で、
咲希ちゃんと一緒にお弁当。
「さっきの解答、
かっこよかったよ」
「かっこよくはないでしょ」
そう言いつつ、
頬が少し熱くなる。
「でもさ、“女子でも”はちょっとムカついた」
咲希ちゃんが、
卵焼きをつつきながら言った。
「私も思った」
声を潜めて、
机越しに顔を近づける。
「なんかさ、
“女の子だけど頑張ってるね”って
上から目線な感じがするんだよね」
「わかる」
話しているうちに、
胸のモヤモヤが
少しずつ言葉になっていく。
「でも、
怒りすぎるのも疲れちゃうし」
「だからさ、
とりあえず今日は
“里奈、すごい”ってことでいいよ」
「……うん」
そう言われると、
素直に照れくさかった。
女子とか男子とかじゃなくて、
“里奈”として見てもらえること。
それが、
やっぱり一番嬉しい。
**午後**
授業が終わって、
今日は演劇部の活動日。
次の公演の予定はまだ決まっていないけれど、
基礎練習と脚本の読み合わせは続いている。
部室に入ると、
ホワイトボードに
「次回公演・脚本案募集」と書いてあった。
「田中、
この前話してた“友情の話”さ、
そろそろプロット持ってこれそう?」
山口先輩がそう言った瞬間、
心臓がドクンと鳴った。
「えっと、
まだ途中なんですけど……」
言い訳が、
口から出そうになる。
先週、
ノートに箇条書きで書いた
『二人の季節』のアイデア。
そこから、
思ったほど進んでいない。
(また、
“言うだけで終わる人”になりそう)
中学のとき、
文化祭の出し物のアイデアを
たくさん出しておいて、
結局どれも形にできなかった自分。
そのとき、
クラスメイトに言われた
「里奈って口だけだよね」という言葉が
頭の中でよみがえる。
胸の奥がズキッと痛んだ。
「田中?」
「……あ、はい」
気づいたら、
みんなの視線がこちらに向いていた。
「冬休み前に、
一度読んでみたいな」
川田先生が
優しい声で言った。
「全部じゃなくていいから、
最初の数場だけでも」
「……はい。
わかりました」
返事をした瞬間、
お腹のあたりがぎゅっと固くなった。
怖い。
でも、
やっぱり嬉しい。
その2つが、
同時に存在している感じ。
部活が終わったあと、
ホワイトボードの「脚本案募集」の文字を
もう一度見た。
「今度は、
言うだけで終わらせたくない」
小さく、
自分にそう言い聞かせた。
**夕方**
帰り道。
駅までの道を、
咲希ちゃんと歩く。
「冬休み前に、
最初の数場提出かぁ」
「うん」
「大丈夫?」
「……大丈夫じゃないけど、
やるしかないかな」
笑いながら答えると、
本当に緊張しているのが
自分でもわかった。
「じゃあさ」
咲希ちゃんが、
急に立ち止まった。
「“脚本用の時間”を、
ちゃんとカレンダーに書かない?」
「カレンダー?」
「スマホ見てる時間ってさ、
なんとなく消えていくじゃん」
図星だった。
「でも、“ここは脚本の時間”って
先に決めちゃえば、
ちょっとは意識変わるかなって」
「……たしかに」
今まで私は、
“空いた時間でやろう”と思っていた。
でも“空いた時間”って、
気づいたらスマホかため息で
埋まってしまうことが多かった。
「じゃあさ、
家帰ったら一緒に時間決めよ」
「オンラインで?」
「うん。
通話じゃなくて、
カレンダーのスクショ送り合うだけでも」
「なんか、
実験みたいで楽しそう」
理科の実験みたいに、
条件を少し変えて結果を見る。
生活の中で、
そんな小さな実験なら
私にもできる気がした。
**夜**
家に帰って、
夕食を終えてから。
机の上に、
学校でもらった年間予定表と、
自分の手帳を広げる。
「脚本タイム」
そう書いた小さな付箋を、
週に3回、
30分ずつ貼ってみた。
月曜・水曜・土曜。
「……できるかな」
不安と一緒に、
ちょっとしたワクワクもあった。
スマホで
その手帳のページを撮って、
咲希ちゃんに送る。
すぐにスタンプが返ってきた。
「いいね!
私は火・木・日でやってみる」
「かぶらないようにしたの?」
「うん。
どっちかがサボっても、
どっちかはやってるように」
その発想に、
思わず笑ってしまった。
「じゃあ、
お互いに観測者だね」
理科の授業で習った、
“観測者”という言葉が頭に浮かぶ。
誰かが見ていると思うと、
少しだけ頑張れる。
でも、
見張られているわけじゃなくて、
ただ“気にかけてくれている”感じ。
そういう距離感なら、
私も息苦しくない。
手帳を閉じて、
『脚本術入門』を10分だけ読む。
ページの端に、
気になった言葉を書き写す。
> 「物語の登場人物は、
> “なりたい自分”と“現実の自分”の間で揺れる」
(それ、
そのまんま今の私じゃん)
なりたい自分。
・ちゃんと時間を管理できる人
・約束を守れる人
・“口だけの人”にならない人
現実の自分。
・スマホをダラダラ見てしまう
・計画を立てても崩す
・言ったことが形にならなくて落ち込む
その間で、
毎日ぐらぐら揺れている。
「……登場人物としては、
悪くないかもしれない」
そう思ったら、
少しだけ気が楽になった。
胸のあたりの締めつけが、
ほんの少しだけゆるむ。
ベッドに入る前に、
机の引き出しにスマホをしまう。
「明日の私が、
ちょっとだけ楽になるように」
そう願いながら、
引き出しを閉めた。
## 後書き
**日記**
**20xx年12月9日(月曜日) 高校1年生 田中里奈**
今日は、
“なりたい自分”と“現実の自分”の間で
ぐらぐら揺れた日だった。
数学の授業で、
黒板の前に立った。
答えが合って、
先生に褒められた。
でもその言葉は、
「女子でも」
という枕詞付きだった。
嬉しさと、
ちょっとしたモヤモヤ。
両方同時にあって、
どっちか片方だけに
決めつけることはできなかった。
演劇部では、
『二人の季節』の脚本を
冬休み前に読みたいと言われた。
嬉しい。
怖い。
逃げたい。
やってみたい。
全部が混ざって、
お腹のあたりが
ぎゅっと固くなった。
中学のとき言われた
「口だけだよね」という言葉が、
頭の中で響いた。
そのたびに、
自分のことを
“信用できない人”みたいに
感じてしまう。
でも今日は、
・咲希ちゃんと一緒に
“脚本タイム”を手帳に書いた。
・週に3回、30分だけ。
・それを写真に撮って、
お互いに送り合った。
たぶん、
これもすぐに崩れるかもしれない。
スマホをまた
枕元に持ち込んでしまう日も、
きっとまた来る。
でも、
「どうせ続かないし」と
最初から何もしなかった昔の私とは、
少し違う。
今の私は、
・崩れるのを分かった上で、
それでも一度は試してみようと思っている。
・失敗したとき、
誰かに話してみようと思っている。
・“全部ダメ”じゃなくて、
うまくいった数分だけでも
覚えておこうとしている。
日本社会の中で
“女の子”として生きていると、
「女子でもがんばれる」
「女の子なんだからこうしなさい」
「学生なんだから、
まずは勉強でしょ」
そんな言葉が
あちこちから飛んでくる。
たしかに、
勉強も大事だし、
ある程度“ちゃんとする”ことも必要だと思う。
でも、
それだけじゃ
息が詰まってしまう。
私は、
・理科の実験が好きで
・脚本を書くのが楽しくて
・しろをなでる時間と
・太一とゲームする時間も大事で
・それでいて、
スマホにも負けがちで
計画もよく崩してしまう。
そんな“中途半端な女の子”として、
日本で生きている。
完璧じゃなくても、
揺れていてもいい。
『脚本術入門』に書いてあったように、
登場人物は、
“なりたい自分”と“現実の自分”の間で揺れるものらしい。
だとしたら、
今の私は、
ちゃんと物語の中を
生きているということかもしれない。
どんな時でも笑顔で。
今日は、
「うまくできたところもあって、
まだまだ怖いところもある」自分を
そのまま抱えたままの、
ちょっと弱気な笑顔だった。
明日の私は、
また別の顔をしているかもしれない。
それでも、
その全部を
“田中里奈”という一人の女の子の
物語として、
ちゃんと書き続けていきたい。




