リナ、小さな逆流
20xx年11月25日(月曜日) 高校1年生
朝
目覚ましが鳴った。
手を伸ばして止めようとして、
うっかりスマホをベッドの下に落とした。
「……あ」
布団から半分だけ体を出して、
手探りでスマホを探す。
冷たい床に触れた指先が、
一気に現実に戻してくる。
画面を見た瞬間、
通知の数が目に飛び込んできた。
メッセージ、動画サイトのおすすめ、
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(……ちょっとだけ)
先週、
「朝は玄関の棚に置く作戦」を
自分で決めたのに。
今日は、
その前の段階でつまずいている。
気づいたら、
10分経っていた。
「やば」
ベッドから飛び起きたとき、
胸のあたりがズキッと痛んだ。
(また、同じことやってる)
先週の日記の「作戦」たちが、
頭の中で一斉にしゃべり出す。
・朝のスマホの居場所を変える
・玄関の棚に置く
・机には持ち込まない
どれも、
今日の朝には発動していなかった。
制服のスカートを急いではきながら、
ふと思い出す。
中学生のとき、
期末テスト前に
「今度こそ計画通りやる」って宣言して、
結局守れなくて、
友達に「里奈って、言うことだけはかっこいいよね」と
冗談っぽく言われた日のこと。
笑いながら聞いていたけど、
胸の奥がぎゅっとなった。
今日、その感覚が
少しだけ蘇った。
「……いってきます」
玄関を出るとき、
本当は玄関の棚に置くはずだったスマホは、
しっかり制服のポケットの中に入っていた。
午前
1時間目、
現代文。
先生が黒板に、
大きく「努力」という字を書いた。
「みなさん、“努力は報われる”という言葉を
どう思いますか」
教室がざわざわする。
「報われるに決まってるじゃん、
報われないなら努力じゃないし」
前の方の席の男子が、
そんなことを言って笑いをとる。
(いいな、そう言い切れるの)
私もこの言葉が好きだ。
好きだからこそ、
うまくできない日には
重くのしかかる。
先週の10分作戦がうまくいった日。
あの日は、
「努力はちゃんと形になるかもしれない」と
少しだけ信じられた。
でも、
朝からスマホに10分吸い込まれた今日。
(これも“努力が足りない”って
ことになるんだろうな)
ノートに「努力」と書いた文字が、
じんわりとにじんで見えた。
2時間目、保健体育。
女子だけ、
別室で「生活習慣」についてのプリントを配られた。
「女子は将来、
体調の波もあるから、
今のうちから自己管理をきちんとね」
先生は悪気なく言っている。
でも、
「女子は」と言われるたび、
“ちゃんとできない女子”である私が
一人余分にそこに付け足されている気がした。
(自己管理って、
そんなに簡単じゃないのに)
胸の中で、
小さくため息をついた。
昼
お昼休み。
今日は、
咲希ちゃんと屋上へ行くことにした。
風は冷たいけど、
空は高くて青い。
「先週さ」
お弁当のふたを開けながら、
私は切り出した。
「うん?」
「作戦、ちょっとだけ続いたんだよね」
「うんうん」
「でも、
今朝さっそく崩れた」
スマホを枕元に置いたまま寝て、
そのまま10分だらだら触ってしまったことを話した。
言葉にすると、
余計に情けなく感じる。
「またか、って。
何回同じこと繰り返すんだろうって」
自分で口にしながら、
胸の奥がチクチクした。
「……それでもさ」
咲希ちゃんが、
ウインナーを箸で突きながら言った。
「その“またか”って
ちゃんと気づけてるだけ、前と違うんじゃない?」
「え?」
「前はさ、
スマホいじってても、
それを“自分の当たり前”だと思ってたじゃん」
たしかに。
文化祭の前、
脚本を書く前の私だったら、
「だらだらしてる自分」に
ここまで目を向けていなかったかもしれない。
「今のリナは、
“あ、またやってる”って
ちゃんと見てるわけでしょ」
「……見たくないときもあるけどね」
思わず苦笑する。
「見なかったことにするよりは、
よっぽどマシだと思うけど」
咲希ちゃんの言葉に、
胸の奥が少しだけ
温かくなった。
屋上のフェンスの向こうに見える街並みが、
さっきより少しだけ
くっきりして見えた。
午後
放課後。
今日は、
図書室じゃなくて
学校の裏庭にまわってみた。
春には桜が咲いていた場所も、
今は葉っぱがすっかり落ちて、
枝だけになっている。
ベンチに座って、
ノートを開いた。
タイマーは、
あえてセットしなかった。
「10分も30分も、
今はちょっと怖いから」
代わりに、
ノートの端っこに
ちいさく数字の「1」を書く。
「1行だけ書く」
目標としては、
ものすごく低い。
でも、
今日の私には
それくらいでちょうどいい気がした。
『二人の季節』脚本版。
転校生の女の子が、
親友の家の居間で
ぎこちなく座っているシーン。
「テーブルの上のマグカップが、
自分だけ浮いているみたいに感じる」
1行。
書き終えた瞬間、
胸の奥でなにかが
ふっとほどける音がした気がした。
(本当に1行だけで終わらせる?)
自分で自分に聞いてみる。
ちょっとだけ考えて、
もう1行だけ書いた。
「『好きにしてていいよ』と言われても、
“好きにする”が分からない」
書きながら、
自分のことを考えていた。
「好きにしてていいよ」と言われて、
うまく動けないのは、
私も同じだ。
「自分の時間、好きに使っていいよ」と言われても、
スマホに吸い込まれたり、
不安ばかり増えたり。
(“好きにする”の練習、
私もしてる途中なんだな)
そんなことを思ったら、
少しだけ
自分のことを責める気持ちがゆるんだ。
夕方
家に帰ると、
キッチンから揚げ物の匂いがした。
「今日はコロッケよ」
お母さんがエプロン姿で振り向く。
「やった」
コロッケは、
私の好きなメニューのひとつ。
「女の子なんだから、
揚げ物はほどほどにね」
お母さんがそう言って笑う。
冗談半分なのは分かってる。
でも、「女の子なんだから」がつくと、
急に現実味を帯びてくる。
「太ると大変よ」
「高校生のうちから気をつけないと」
雑誌やテレビでも、
同じような言葉を何度も聞いてきた。
(女の子って、
“ちゃんと痩せてて、ちゃんと可愛くて、
ちゃんと努力してる”のが
当たり前みたいに言われるよな)
心の中で、
小さくため息をついた。
「でも今日は、
頑張った日のごほうびってことにする」
そう宣言して、
コロッケを一つ多めにお皿に乗せた。
誰かに怒られるわけでもない、
小さな反抗。
夜
夕食後、
スマホをリビングの棚に置こうとして、
一瞬ためらった。
(また失敗したら嫌だな)
先週うまくいった作戦が、
今日また続けられるかどうか。
成功体験は、
ときどきプレッシャーにもなる。
「……今日は、
“完全スマホ禁止”まではしないでおこう」
自分で、自分に条件を緩める。
・机に向かう10分だけ、
スマホを棚に置いておく。
・そのあとは、
戻してもいい。
「最初から全部やろうとすると、
またゼロになるから」
そう言い聞かせて、
リビングの棚にスマホを置いた。
部屋に戻って、
タイマーを10分にセット。
数学の問題を解く。
途中で、
スマホのことが気になって、
2回くらい時計を見た。
それでも、
10分間、
机から立たなかった。
タイマーが鳴ったとき、
肩から力が抜けた。
「よし。
今日はここまで」
創作までは、
手が回らなかった。
本当はやりたかったけど、
頭の中が数字でいっぱいになっていた。
(また“勉強だけの日”になっちゃった)
少しだけ落ち込んだけど、
「それでも10分はちゃんとやった」という事実を
日記帳に書き残すことにした。
後書き
日記
20xx年11月25日(月曜日) 高校1年生 田中里奈
今日は、
先週うまくいった作戦が
うまくいかなかった日。
朝からスマホをだらだら触ってしまって、
玄関の棚作戦も発動しなかった。
「またか」と思った。
わかっているのにできなくて、
自分にイライラした。
でも、
先週と違ったのは、
そのあと全部投げ出さなかったことかもしれない。
・屋上で咲希ちゃんに
失敗したことを話せた。
・裏庭のベンチで、
脚本の1行+1行を書けた。
・夜、勉強10分のために
スマホを棚に置けた(10分だけでも)。
「たったそれだけ」と言われたら、
その通りだと思う。
でも、
前の私だったら、
失敗した瞬間に全部をゼロに戻して、
「やっぱり私には無理」って
ドラマみたいに諦めていた気がする。
今は、
ジタバタしながらも
もう少し粘っていたいと思っている。
「ちゃんとした女の子」に
なりたいわけじゃない。
でも、
自分の時間を
全部スマホとため息に食べられるのは、
やっぱり嫌だ。
努力は報われるかどうか、
まだよく分からない。
でも、
「努力できなかった自分」を
全部まとめて嫌いになるんじゃなくて、
「それでも1行書いた自分」や
「10分だけ机に座った自分」も
ちゃんと見てあげたい。
日本のニュースや大人たちは、
「女子は真面目」「最近の子はスマホばかり」と
簡単にまとめるけれど、
そのどっちのラベルも、
私の全部を表せはしない。
私は、
女の子で、
高校生で、
スマホに負けそうになるし、
それでも脚本を書きたいと思っている
田中里奈。
その“中途半端な感じ”を
ちゃんと抱えたまま、
少しずつ
自分なりのリズムを探していけたらいい。
どんな時でも笑顔で。
今日は、
「うまくいかなかったけど、
全部ゼロにはしなかった日」の
苦笑い混じりの笑顔だった。
それでも、
笑えたことだけは
ちゃんと覚えておきたい。




