リナ、最初の読者
**20xx年11月4日(月曜日) 高校1年生**
**朝**
11月になった。
窓の外の空は、
少しだけ冬の色に近づいている。
「さむ……」
カーテンを開けて、
すぐに閉めたくなるくらいの冷たい空気。
でも、胸の中は
ちょっとだけあたたかかった。
昨日までの3日間。
ちゃんと続けられた。
**・勉強30分
・創作30分**
自分で決めたルール。
「三日坊主にならなかった」
そう思った瞬間、
胸の奥がじんわりした。
今まで何回も、
「続けよう」と決めては、
すぐにやめてしまったことを思い出す。
英単語帳も、腹筋も、日記も。
一冊目のノートの最初のページだけきれいで、
残りが真っ白なまま終わっていく。
そのたびに、
「どうせ私なんて続かない」って、
自分で自分を馬鹿にしてきた。
だから、たった三日でも、
今回は少しだけ違う気がした。
朝食の席で、
お母さんが新聞をたたみながら言った。
「そういえば、文集の締め切り、いつって言ってた?」
「来週の金曜日」
「出すの?」
「……たぶん、出す」
自分で言って、
心臓がドキッとした。
口に出した瞬間、
引き返せなくなる気がして、
スプーンを持つ手が一瞬止まる。
「小説版『二人の季節』?」
「ううん。
“第一話だけ”にしようかなって」
「いいじゃない」
お母さんが、
にっこり笑った。
「始まりだけでも、立派な作品よ」
その言葉に、
少し救われた。
頭のどこかで、
中学のときに先生に言われた言葉が
よぎる。
「途中までしか書けないなら、
最初からやらなきゃいいのに」
授業中、
ノートのすみに書いていた物語を見られて、
笑われた日のこと。
あのときの、
クラスメイトのくすくす笑いと、
顔が熱くなっていく感じ。
「今回は、あのときとは違う」
自分にそう言い聞かせる。
「いってきます」
カバンの中に、
ノートじゃなくて、
文集用に書き直したプリント用紙をそっと入れた。
紙の端が、
指先に当たる感触がやけに重く感じる。
**午前**
1時間目、英語。
先生の説明を聞きながらも、
頭の中の半分は別のことでいっぱいだった。
(今日、見せよう)
『二人の季節』の第一話。
小説として書き直した、
約3ページ。
その3ページに、
ここ最近の夜の時間、
ぐるぐる考え続けたことが
全部つまっている気がした。
(もし「つまらない」って言われたらどうしよう)
そんな声が、
頭の中でぐるぐる回る。
黒板の英語が目に入っても、
意味が入ってこない。
休み時間、配られたプリントをまとめながら、
小さく深呼吸した。
(ちゃんと「読んで」って言えるかな)
胸のあたりが、
少し締め付けられるように痛い。
2時間目のチャイムが鳴る直前、
現代文の先生が教室に入ってきた。
「文集の原稿、
書いている人は、進捗どうですか?」
教室のあちこちから、
「まだです」「ネタがないです」
という声が聞こえる。
私はといえば――
(“書いてるけど、出すか迷ってます”かな)
心の中で、
小さく手を挙げていた。
「どうせ先生のお気に入りの子の作品だけ
ちゃんと読まれるんだよ」
後ろの方から、
誰かがぼそっと言う声がした。
たぶん、悪気はない。
ただの冗談。
でも、一瞬、
胃のあたりがきゅっとなった。
(そうかもしれない)
どうしても、
その言葉にひっかかってしまう自分がいる。
それでも、
カバンの中のプリントに触れる指先は、
まだ離せなかった。
**昼**
お昼休み。
屋上は、
風が少し冷たくなっていた。
でも、
咲希ちゃんと向かい合って座ると、
あまり気にならない。
「ねえ咲希ちゃん」
「うん?」
お弁当箱のふたを閉めて、
カバンからプリントを取り出した。
少しだけ、手が震えた。
紙が、
かさっと小さな音を立てる。
「これ……読んでほしい」
「!」
咲希ちゃんの目が、
ぱっと丸くなった。
「もしかして、それって」
「『二人の季節』の……
小説版の第一話」
言葉にすると、
急に恥ずかしくなった。
喉の奥が熱くなって、
顔もじわっと熱くなる。
「休み時間とか、家とか、
時間あるときでいいから」
そこまで言いかけたところで、
「今読む」
咲希ちゃんが
迷いなく言った。
「え、ここで?」
「ここがいい。
“作者の顔を見ながら読む”の、やってみたかった」
そんなの、
恥ずかしすぎる。
昔、作文コンクールで選ばれた子の作文を
みんなの前で先生が読み上げて、
大げさにほめたあと、
「ほかのみんなも、このくらい書けるといいのに」
って言ったことがあった。
あのとき、
教室中の視線がその子に集まって、
一部の子が羨ましそうにして、
一部の子が冷ややかな目をしていた。
「目立つのって、怖い」
その記憶が、
一瞬だけよぎる。
でも、
もう断れなかった。
ベンチの上で、
咲希ちゃんが膝にプリントをのせて、
目で文字を追っていく。
私は、
落ち着かない。
自分の指先が、
やたらと視界の端でうごめいているように感じて、
膝の上でぎゅっと組んだ。
風の音がやけに大きく聞こえたり、
遠くのチャイムが気になったり。
(どこで笑うかな)
(どこで止まるかな)
息をするのも忘れそうだった。
少し呼吸が浅くなって、
胸のあたりがきゅっとする。
(もし眉をひそめたらどうしよう)
(ページをめくる手が止まったらどうしよう)
数分後。
最後まで読み終えた咲希ちゃんが、
静かに顔を上げた。
「……好き」
その一言で、
全身の力が抜けそうになった。
「え?」
「このお話、すごく好き」
言葉を選ぶみたいに、
ゆっくりと言ってくれた。
「転校生の気持ち、すごく分かる。
“教室にいるのに、外にいるみたい”ってところ」
「あ、そこ……」
その一文は、
自分の中学のときの気持ちを
そのまま書いた部分だった。
教室のざわざわした音の中で、
自分だけ別の世界にいるような、
あの浮いた感じ。
「それに、もう一人の子も素敵。
明るいのに、
ちゃんと“見てる”感じがする」
「見てる?」
「うん。
“声をかけるタイミングを迷ってた”ってところ。
ただ明るいだけじゃないんだなって」
言われてみて、
自分でも気づく。
(あ、これ、
咲希ちゃんと初めてちゃんと話したときの、
あの感じかも)
あのときも、
何度もこっちをちらっと見て、
でもすぐに視線をそらして、
やっと話しかけてくれた。
「ねえリナ」
「なに?」
「これ、文集に出そう」
「やっぱり、そう思う?」
「思う。
“続きが読みたい”って、
きっと思う人、いっぱいいるよ」
「途中までしかないのに?」
「途中までだから、
“想像できる”のかも」
その考え方は、
目からウロコだった。
「私、
一番最初の読者でうれしい」
「……ありがとう」
風が冷たくても、
胸のあたりだけ、
じんわりあたたかかった。
(また「どうせ途中で投げ出すんでしょ」って
自分で自分に言う前に、
誰かに読んでもらえた)
それが、
とても大きなことに思えた。
**午後**
放課後。
現代文の先生のところへ向かう途中、
何度も戻りたくなった。
(やっぱり今日はやめますって言ったら、
どうなるかな)
想像すると、
すこしだけ安心してしまう自分もいる。
「ほらね、結局出せなかったじゃん」
そんな自分の声が、
頭の中で小さく笑う。
(でも、もう同じ後悔はしたくない)
文化祭の脚本だって、
怖かったけど出したから、
あの日があった。
職員室の前で、
ノックをする。
「どうぞ」
「失礼します。
文集の原稿のことで……」
先生の前の机に、
プリントをそっと置いた。
「小説ですか?」
「はい。
短いものですけど」
声が少し震えているのが、
自分でも分かった。
先生が、
ざっと目を通す。
その数秒が、
永遠みたいに長く感じた。
喉がからからになって、
背筋にじわっと汗がにじむ。
「いいですね」
「え?」
「最初の一段落で、
“この子の世界”が見えてきます」
「ほ、本当ですか」
「ええ。全部はまだじっくり読めませんが、
文集にはぜひ載せましょう」
あっさり言われて、
逆に実感がわかなかった。
(そんな簡単に「載せましょう」って言われるものなの?)
今まで、
何かを出す前から自分でダメ出しして、
勝手にやめていたのは
全部自分だったんだと思い知らされる。
「ほかの人の原稿が出揃ったら、
配置を考えます」
「はい……」
職員室を出た瞬間、
ふぅっと大きく息を吐いた。
(出しちゃった)
後戻りできない。
でも、
その“後戻りできなさ”が、
どこか心地よかった。
胸の中で、
小さなこわさと、
小さなうれしさが、
同じくらいの大きさで並んでいた。
**夕方**
帰り道。
西の空が、
オレンジから群青に変わっていく。
冷たい風が頬をなでていくたびに、
今日一日の感覚が
少しずつ落ち着いていく。
(文化祭のときは、
“みんなで作る物語”だった)
今度は、
“読む人に渡す物語”。
舞台の拍手とは違って、
読んだ人の反応は、
すぐには返ってこないかもしれない。
「面白かったよ」って
直接言ってもらえないかもしれない。
むしろ、
何も言われない可能性の方が高い。
でも、
それでもいい。
誰かの手の中で、
静かにページがめくられて、
心のどこかに
すこしだけ残ってくれたら。
それだけで、
十分かもしれない。
(どうせ誰も読まない、って
自分で先に決めつけて、
最初から出さなかった頃よりは)
ずっと、まし。
そう思えた。
**夜**
家に帰って、
いつものルールを守る。
まず、勉強30分。
今日は、英語の単語を20個。
本当は、
50個くらいやりたい気持ちになる。
「もっとやらなきゃ」って。
でも、
それをやるとだいたい三日目で倒れる。
それも、
もう何度も経験した。
(分かってるのに、つい増やしたくなる)
自分の悪いクセを
意識してブレーキをかけるのは、
少ししんどい。
覚えながら、
(この子たちもいつか、
物語のセリフの中で使えるかも)
なんてことを考える。
タイマーが鳴ったら、
次は創作30分。
『二人の季節』の脚本版のほうも、
ちょっとだけ進めた。
文集用の小説と、
舞台用の脚本。
同じ物語なのに、
書き方が違う。
「こっちは“観客に見せる”言葉」
「こっちは“読者に渡す”言葉」
そう考えると、
書くことが
ますます面白く感じた。
途中で、
スマホに手を伸ばしたくなる。
SNSを開いて、
なんとなくスクロールしたくなる。
(またここで逃げたら、
いつものパターンだ)
自分で自分にツッコミを入れて、
机の上にスマホを伏せる。
それでも、
数分後にはまた手が伸びそうになって、
そのたびに戻して。
「わかってるのに、やめられない」
その感覚に、
少しだけイライラする。
でも、
今日はなんとか30分
机にくぎ付けになれた。
創作タイムが終わって、
日記帳を開く。
今日あったことを、
一つずつ書いていく。
文集の原稿を
出したこと。
咲希ちゃんが
「好き」って言ってくれたこと。
現代文の先生の一言。
そして、
最後の一行。
> 「最初の読者に“好き”と言ってもらえたから、
> これから読む人のことも、少しだけ信じてみる」
ペン先が、
紙の上をゆっくり動いていく。
昔なら、
こういうことを書いたあと
「でもどうせすぐ落ち込むんだけどね」
みたいな一言を
つけ足していたかもしれない。
今日は、それを書かなかった。
書かないままにしてみることにした。
ペンを置いて、
時計を見る。
**22時ちょうど。**
布団にもぐる前、
天井を見ながらつぶやいた。
「次の月曜日の私、
ちゃんとまた、書けてますように」
未来の自分に、
小さな宿題を出した気分だった。
目を閉じると、
転校生の女の子と、
明るい女の子が、
まだ続きのページの向こうで
私を待っているような気がした。
(あの子たちを、途中で放り出したくない)
そんな小さな気持ちが、
胸の奥で
静かに灯っていた。
## 後書き
**日記**
**20xx年11月4日(月曜日) 高校1年生 田中里奈**
今日は、大きな一歩を踏み出した。
文集に、小説版『二人の季節』の第一話を
出した。
たった3ページ。
でも、
今の私にとっては、
すごく大きな3ページ。
一番最初の読者は、
咲希ちゃんだった。
> 「……好き」
あの一言を、
きっとずっと忘れないと思う。
その前の数分間、
息が浅くなって、
心臓がバクバクして、
逃げ出したくなったことも。
前だったら、
「やっぱりやめよう」って、
プリントをビリビリに破いていたかもしれない。
現代文の先生にも、
> 「“この子の世界”が見えてくる」
と言われた。
「世界」なんて言葉、
自分に向けられるなんて思ってなかったから、
少し怖くなった。
「そんな大したものじゃないのに」って、
心のどこかで
自分を責める声も聞こえた。
それでも、
うれしかった。
文化祭のときのアンケートの言葉と、
今日の言葉。
少しずつ、
「書いてもいいんだ」
って思えるようになってきた。
もちろん、
まだ怖い。
クラスメイトが読んで、
「何これ」と思うかもしれない。
背後でひそひそ話されて、
笑われるかもしれない。
中学のときみたいに。
でも、
それでも出してみたい。
“誰にも読まれないまま、
机の中で眠っている物語”より、
“誰かの手の中で、
好きか嫌いか分からないけど、とにかく読まれた物語”のほうが、
少しだけ前に進んでいる気がするから。
新しく決めたルールも、
今のところ守れている。
**・勉強30分
・創作30分**
本当は、
もっとやりたい気持ちと、
何もしたくない気持ちが、
日替わりでやってくる。
「今日はもういいかな」と
スマホに逃げたくなる自分もいる。
「ここでやらなかったら、
またいつものパターンだよ」と
止める自分もいる。
どっちの声も、
本物だ。
今日は、
止める方の自分が
すこしだけ勝った。
今日は、
両方とも「やって良かった」と
思えた。
次にこの日記を書くとき、
・文集の校正が進んでいるか
・『二人の季節』の脚本版が少し進んでいるか
そのどちらかでも、
前に進んでいますように。
もし進んでいなくても、
「またやっちゃった」と
自分を全部否定するんじゃなくて、
「まあ、そんな日もあるよね」って
少しだけ優しくなれていますように。
どんな時でも笑顔で。
今日は、
「最初の読者に“好き”と言ってもらえた日」の笑顔だった。
その笑顔を、
ちゃんと覚えていたい。




