リナ、行き詰まりと図書室
**20xx年9月23日(月曜日) 高校1年生**
**朝**
「うーん……」
目が覚めて、最初に考えたのは数学でも英語でもなく、
やっぱり「二人の季節」のことだった。
昨日、第三場の途中で手が止まった。
転校生の子と、明るい子が、
最初の小さなすれ違いを起こす場面。
ここが、物語の“最初の壁”になるはずなのに、
どう書いても、浅くなってしまう。
「ケンカって、どう書けばいいんだろう」
現実のケンカは、ぐちゃぐちゃで、うまく言葉にならない。
でも、物語のケンカは、分かりやすくないといけない。
そのバランスが、難しかった。
朝食の時、お母さんが聞いてきた。
「最近、新しい脚本の手は進んでる?」
「少しずつ。昨日は、止まっちゃった」
「止まることも、悪くないわよ」
「悪くない?」
「立ち止まるから、見えるものもあるでしょ?」
お母さんの言葉は、ときどき名言っぽい。
「……今日は、立ち止まる日にしよ」
そう呟いて、家を出た。
**午前**
学校に着いて、靴箱で咲希ちゃんに会った。
「おはよう、リナ」
「おはよう」
「顔が“考え込んでます”って書いてあるよ」
「そんなに分かりやすい?」
「うん。脚本のこと?」
図星。
「ケンカの場面で止まった」
「ふむ」
咲希ちゃんは、ちょっと考えてから言った。
「じゃあ、今日の放課後、図書室で研究会しよ」
「研究会?」
「ケンカしてる小説とか、漫画とか、台本とか。
いっぱい読んで、盗めるところ盗もう作戦」
なんだか面白そうで、少しだけ気持ちが軽くなった。
一時間目の英語の授業。
先生が「communication」という単語の説明をしていた。
「人と人が分かり合おうとする時、誤解はつきものです」
「それを乗り越えた先に、信頼が生まれるのです」
黒板に書かれたその言葉が、
なぜか「二人の季節」の二人と重なった。
「ケンカも、信頼の一部なのかも」
そう思った瞬間、少し書きたいことが見えてきた。
**昼**
お昼休み。
図書室の窓際の席で、咲希ちゃんが手を振っていた。
「お待ちしてました、研究会の時間です」
「なんか本格的」
テーブルの上には、何冊かの本が積まれていた。
・青春小説
・演劇の脚本集
・人間関係の心理本
「すご……」
「ケンカの場面が印象的なやつ、適当に持ってきた」
二人でページを開いて、気になったところに付箋を貼っていく。
「この小説、ケンカの原因がすごく些細だね」
「うん。でも、その“ささいさ”がリアルかも」
「こっちは、言葉より沈黙が多い」
「この脚本、台詞は短いけど、舞台指示が細かい」
読めば読むほど、「正解」は決まっていないのが分かる。
でも、一つだけ共通していることがあった。
「どのお話も、“相手の気持ちを分かっていない”ところから始まるんだね」
私がそう言うと、咲希ちゃんが頷いた。
「最初から分かり合ってたら、ケンカにならないし」
当たり前のことだけど、物語の中では見落としがちだった。
「……私の二人も、分かり合ってないところから始めればいいんだ」
転校生の不安。
明るい子の“頼られたい”気持ち。
そのすれ違いが、最初のケンカになる。
「ちょっと見えてきた」
ノートを開いて、赤ペンでメモを書き込んだ。
咲希ちゃんが、じっと私の顔を見ていた。
「その顔、好き」
「どんな顔?」
「“新しい物語を見つけました”って顔」
言われて、ちょっと照れた。
**午後**
放課後、演劇部。
今日は発声と軽い台本読みのあと、解散。
「田中さん、新作はどう?」
帰り際、川田先生に聞かれた。
「ケンカの場面で止まってたんですけど……」
「今日は少し進みそうです」
「いいですね」
先生は笑って言った。
「行き詰まった時は、一度“他人の物語”を読むといいですよ」
「さっき、図書室でそれやってました」
「あら、じゃあ正解です」
正解、という言葉に、少しだけ自信をもらった。
**夕方**
家に帰ると、太一がテレビゲームをしていた。
「おかえりー」
「ただいま。宿題終わった?」
「これから!」
「あやしい」
ソファに座りながら、さっき図書室で読んだ本のことを思い出す。
ケンカの場面。
言い合いにならない沈黙。
本音を隠すための冗談。
「現実のケンカって、ほんと、きれいじゃないよね」
そのとき、ふと、中学のときのことを思い出した。
美香ちゃんと、ちょっとしたことでぶつかった日。
私が勝手に傷ついて、相手の気持ちを聞かなかった。
ちゃんと話していれば、もっと早く仲直りできたのに。
「そうだ。あの感じ、使おう」
ケンカを書こうとするんじゃなくて、
「ちゃんと話せなかった二人」を書けばいい。
それが、私の書けるケンカなのかもしれない。
**夜**
夕食のあと、机に向かった。
ノートを開く。
第三場。
二人が、初めて“ズレる”場面。
私は、まずセリフを書かずに、
二人の心の中を箇条書きにしていった。
転校生の子:
・迷惑をかけたくない
・相手に嫌われたくない
・でも、本当は一緒にいたい
明るい子:
・頼ってほしい
・何でも話してほしい
・でも、踏み込みすぎて嫌われたくない
「似てるのに、ずれてる」
その“似てるのにすれ違う”感じが、
なんだか私と咲希ちゃん、中学の時の美香ちゃん、
いろんな人との関係と重なって見えた。
心のメモがまとまってから、やっとセリフを書き始めた。
「なんでも言っていいんだよ」
「……なんでも、なんて無理だよ」
「どうして?」
「だって……迷惑かけたくないもん」
ノートの上で、二人の会話がぶつかっていく。
大声のケンカじゃない。
でも、心がギリッと軋むような会話。
何度も書き直して、気づいたら一時間が経っていた。
「……とりあえず、ここまで」
一度読み返してみる。
完璧じゃない。
でも、前よりも“自分の言葉”になっている気がした。
ペンを置いて、ノートを閉じた。
ベッドに横になりながら、ぼんやりと天井を見つめる。
「物語を書くって、やっぱり、自分のことをもう一回見ることなんだな」
そう思った。
自分の寂しさ、自分のわがまま、
自分の弱さ、自分の優しさ。
それを、キャラクターに分けていく作業。
だから、時々苦しいけど、
だからこそ、楽しい。
## 後書き
**日記**
**20xx年9月23日(月曜日) 高校1年生 田中里奈**
今日は、「二人の季節」がまた一歩進んだ日。
第三場で止まってしまって、
最初は「私ってやっぱり才能ないのかな」とか
ネガティブな考えに落ちかけてた。
でも、お母さんが「立ち止まることも悪くない」と言ってくれて、
咲希ちゃんが「図書室研究会」を開いてくれて、
川田先生が「他人の物語を読むといい」と言ってくれた。
ちゃんと、立ち止まるためのヒントをくれる人たちが、周りにいる。
図書室でいろんな作品のケンカシーンを読んで、
「正解」は一つじゃないって分かった。
でも、どの作品にも共通していたのは、
「相手のことがちゃんと分かってない」こと。
それを見て、
私の二人も「最初から仲良し完璧コンビ」じゃなくていいんだと思えた。
むしろ、分かり合えないところからスタートする方が、
“二人の季節”って感じがする。
第三場のケンカは、
大声で怒鳴り合うケンカじゃない。
「ちゃんと話せない二人」の、
静かなすれ違い。
それは、私自身がよくやってきたことでもある。
自分の経験を、そのまま書くわけじゃないけど、
自分の気持ちを“ヒント”にできるようになってきた気がする。
今日は、たくさん消しゴムを使った。
でも、その消しゴムのカスのぶんだけ、
物語が少しずつ、自分らしい形になっていく。
急がなくていい。
文化祭の時みたいに、締切が決まっているわけじゃないから。
今はただ、ちゃんと向き合いながら書きたい。
どんな時でも笑顔で。
今日は、ノートを閉じたあと、
ちょっと誇らしい気持ちで笑えた。
また一歩、前に進めた気がする。




