第81話 『021』
■アメリカ合衆国領、グアム
米領グアム……かつて観光産業で栄えたこの島は資源不況の後、他の多くの地域と同じく経済的に滅びかけた。しかし、その地理的特性がこの地に再び繁栄を齎した。
合衆国の領土であり、周りを海に囲まれた島であり、それらの条件を満たした上で最も赤道に近い場所――――この島の近海が軌道エレベーター『タイタン』の建造ポイントに選定されたのは必然だった。そして、グアムはタイタン建設の物資集積地として、更にタイタン建造に携わる労働者相手のビジネスに注力し……つまりは軌道エレベーターの建設特需によって蘇った。
今では合衆国の……いや、条約機構において最も『ホット』な地として、かつてとは違う形で賑わいを見せている。
――――そんなグアム島に接近する1つの機影があった。民間の旅客機……資源不況以降、航空便のコストは高止まりし続けているが、その需要が完全になくなることは無く、現在でも運行本数を減らしながらも世界の空を結んでいる。
東京発のユナイテッド航空……乗客の多くは日本人だったが、その中に一人、他の乗客とは明らかに様相の違う人物が居た。
がっしりとした体躯、短く刈り上げた黒髪、肌は日に焼け眼孔は鋭い。何よりその男は、自衛隊の常装制服に身を包んでいた。
グアム国際空港へのアプローチの為、高度を下げ始めた旅客機の中、その男は窓へと視線を向ける。眼下に広がるグアム島の光景……その中に目的の物を見つけた彼は目を細めた。
視線の先にあるのは、グアム島中西部の港に停泊する軍艦の数々。
「……あれが駿河か」
男は誰にともなく、小さく呟いた。
■ヘリ空母駿河、医務室
A・W-4討伐から2日、A・W遊撃艦隊は待機を命じられ、グアム島のアプラ軍港に停泊していた。先の戦闘で消費した物資の補給、そして甚大な被害を被ったタイタン警備艦隊が戦力の補充を完了するまでの『つなぎ』として、事が起こらば即座にタイタンへ駆けつける為である。
艦隊総員は緊張感をもってそれぞれの任務にあたっていたが、特に何事も起こることは無く、束の間の穏やかな時間が流れていた。
ヘリ空母駿河の医務室でも、恭司、ローザ、中村医官がイヴの勉強を見るという、いつもの光景が広がっている。
今、イヴが読んでいるのはアメリカの古い冒険小説だ。ミシシッピ川の畔にあるのどかな街を舞台に、少年少女が冒険を繰り広げるという世界的に有名な作品で、映画やアニメなどの映像作品にもなっている。
ちなみに、イヴが手にしているのはタブレット端末ではなく紙媒体の本であり、乗組員の一人から借りたものである。今のご時世、紙媒体の本は高価だが、文学にしても音楽にしても、『ファン』というものはとかく布教をしたがるのが世の習いである。持ち主の乗組員も、『イヴに読ませたいから貸して欲しい』と頼んだら、二つ返事で応じてくれた。
そんな本を、イヴは熱心に読んでいる。まるで本の世界に引き込まれているようだ。その様子を見ながら、恭司は内心で舌を巻いた。
以前はもっと平易な絵本でも、1ページ読むのに何度も質問攻めにされたものだ。それが今では、誰の助けも借りずに黙々と、熱心に文章を読み進めている。
余程感情を入れているのか、時折笑顔を浮かべたり、眉間に皺を寄せたりしている。目まぐるしく変わる褐色の少女の表情から、ただ流し見ているのではなく、内容をしっかり理解しながら本を読んでいる事が分かった。
その様子を見ていた中村医官が驚きを口にする。
「イヴちゃん凄いわねぇ。ついこの前まで、ひらがなばかりの絵本をようやく読んでいたのに……」
中村医官の驚きは尤もだ。イヴが読んでいるのは日本語翻訳版の本だ。日本語は漢字、ひらがな、カタカナという3種の文字が入り混じるため、世界の言語の中でも学習が難しいとされている。
イヴは恭司達と行動を共にして以降、半年に満たない期間で日本語での『会話』、『読み』、そしてひらがなとカタカナに限定されるものの、『書き』も習得していた(言葉をメロディとして学習しているイヴにとって、表音文字であるひらがなとカタカナは相性が良いのだろう、とはローザの弁だ)。
「アニングさんも天才だけど、貴女が読み書きを覚えたのはいつ頃だった?」
黙々と本を読み耽るイヴから視線を外し、中村医官がローザに水を向ける。しかし、中村医官の隣に座るローザは何やら深く考え込んでいるようで、宙の一点を見つめたまま微動だにしない。
「ローザ?」
「…………へ? あ、あぁ……私が読み書きを覚えた時期は、他の子達とさほど変わらなかったわよ」
恭司が声をかけると、夢から醒めたように目を瞬かせながらローザは答えた。思考の海に沈みながらも、周囲の会話は聞いていたらしい。『器用だな』と恭司は感心する。
「アニングさん、やっぱりあの『龍』……A・W-5の事が気になる?」
中村医官が再び声をかける。ローザは首を縦に振った。
「ええ。ここの所、世界中の……漁業を主要産業にしている地域のデータを調べていたの。特に漁獲高の推移のデータをね。あの『龍』、あれ程の巨体になるまでに相当な量の……それこそ生態系に影響を及ぼしかねない程の獲物を喰らったはずだけど、例年と比べて極端に不漁に見舞われた地域は無かった……。なら、ヤツはどこに潜んで、何を捕食していたのか…………?」
独白するように言葉を吐き出すローザ。だが、その疑問の答えは既に彼女自身によって示されていた。
「だから、『ヤツは深海をテリトリーにしているんじゃないか』って言ってたよな?」
恭司がそう答えると、ローザは右手で眉間を押さえながら再び考え込む。
「ええ、そう。けれど、話はそれだけで終わらないのよ。未だに姿を現さない6体目…………。A・W-6は何処にいると思う?」
「A・W-6も、深海に潜んでいるという事?」
今度は中村医官が答える。ローザは頷いた。
「ええ、その可能性は高いと考えます。それと――――」
ローザが何か言いかけた時、館内放送が鳴り響いた。
『艦長より達する。第2戦闘艇小隊は艦橋まで出頭せよ。繰り返す、第2戦闘艇小隊は艦橋まで出頭せよ。以上だ』
津川艦長からの呼び出し。恭司は反射的に立ち上がった。
「そう言えば今日だったわね……。行ってらっしゃい、真道三尉」
中村医官が告げる。彼女も、恭司も、この呼び出しが何を目的としたものなのか分っていた。
「キョージ、お仕事?」
いままで黙々と読書していた褐色の少女が恭司を見上げた。恭司はイヴの頭をワシワシと撫でる。
「ああ、すぐ戻るよ」
「うん、行ってらっしゃい!」
イヴの言葉に背を押されながら、恭司は医務室を後にする。
■ヘリ空母駿河、艦橋
恭司が艦橋前の扉にたどり着いた時、すでに宗像三尉と瀬戸二尉の姿があった。第2小隊の臨時隊長である瀬戸二尉は自然体だが、宗像三尉は緊張しているのか、顔を合わせれば飛び出す軽口が聞こえてこない。
……いや、南二尉が戦死してから、宗像三尉はずっと『こう』だった。以前の陽気さは鳴りを潜め、どこか影がさしたように思う。
大なり小なり恭司も同じような状態なのだろうが、宗像三尉の様子は傍目に見て心配になるレベルだった。
「信太郎、大丈夫か?」
「自分なら……大丈夫っス。それより、この呼び出しって……『来てる』んスよね?」
宗像三尉が艦橋へ続く扉に視線を移す。この3人は『顔見せ』のために集められたのだ。
「そうだ、行くぞ2人とも」
瀬戸二尉が『失礼します!』と扉を開き、3人揃って艦橋へと立ち入る。目に入ったのは津川艦長と木崎副長、そして…………がっしりとした体格の、短く刈り上げた黒髪の人物。
海上自衛隊の制服に身を包んだその男は、恭司達を見ると一歩進み出て口を開いた。
「自分は仙波 司郎二尉だ。第二戦闘艇小隊隊長として本日着任した。よろしく頼む」




