第80話 A・W-5/TYPE『Hydrophiidae』
「な……ん…………ッ!?」
突如として現れ、猛禽類さながらに獲物を掻っ攫った巨大なソレに、恭司は見覚えがあった。
「コイツ……イヴの記憶で見た……ッ!!」
成長の度合いが違うのか、記憶している姿よりも小さく思える。しかし、見間違うはずがない。あの時の衝撃は忘れようにも忘れられない。
コイツは――――『龍』だ。
イヴの記憶の中で見た、彼女の故郷である都市国家を喰らい、失陥させた『悪魔』だ。
後部座席から息を呑む気配が伝わってくる。振り返って見ると、褐色の少女が僅かに身体を震わせていた。
――無理も無い。あの龍はイヴの家族の仇……『おとーさん』やイヴの姉妹達を喰らい滅ぼした相手なのだから。
「イヴ、大丈夫か?」
恭司が声をかけると、イヴは彼の右肩に手を置き、ギュッと掴む。
「……うん、だいじょうぶ!」
消え入りそうな声で……しかし、気丈に答えるイヴ。恭司は肩を掴む少女の手に、自身の左手を重ねて軽く叩いた。そうしてから、恭司はメインモニターを振り返る。
モニターに映し出される龍は限界以上に口を開き(恐らく、顎の関節を外しているのだろう)、A・W-4を丸ごと飲み込んだ。そのため、胴体の一部が歪に膨らんでいる。その様子はまるで、自分の胴回り以上の鶏卵を飲み込んだ蛇の様だ。
そして、眼前の化け物の額に亀裂が入り、バクリと左右に割れる。そこから現れたのは第三の目だった。龍は3つの目をそれぞれバラバラに動かし、周囲に浮かぶDSCVに視線を走らせた。
縦長の瞳孔を持つ蛇眼に見据えられた時、恭司の背筋を冷たい物が走る。捕食対象として見られる感覚……これは何度経験しても慣れるものではない。
『クソッ! 何てタイミングで出てきやがるッ!? 全機散開しつつ後退ッ! 後退だッ!!』
マディガン大尉の命令が飛ぶ。全機インジェクション・パイルを使い切り、ありったけのオムニトキシンをA・W-4に注入してしまっていた。深淵より鎌首をもたげ、A・W-4を飲み込んだ目の前の龍――――A・W-5に対抗する手段がない。
命令に従い全機後退し始めると、龍はそれを追撃する事無く、ゆっくりと海の底へ戻って行った。
『……A・W-4を喰って満足したのか? ともかく、命拾いしたが…………』
瀬戸二尉の震える声が無線を介して伝わる。無理も無い。姿を消した龍は、恭司が夢で見た時と同じように、その全容すら掴めなかった。そんな化け物と相対して平静でいられる人間など居ないだろう。恭司ですら、足元の深淵――光の届かぬ海の底であの化け物が蠢いていると思うと、言葉では言い表せない不安とおぞましさがこみあげてくるのだ。
『あいつが次の相手……A・W-5ってわけか…………』
マディガン大尉の低い呟きが届く。誰にともなく口にしたのだろうその言葉は、全員の胸に深く刻まれた。
――――――何もかも、全てが押し潰されてしまいそうな、圧倒的な現実と共に。
■ヘリ空母駿河、戦闘指揮所
A・W-4との戦闘終了から間もなく、A・W遊撃艦隊では駿河、エンタープライズ、ワシントンD.C.とを衛星回線で結び、緊急のブリーフィングが行われていた。無論、その議題はA・W-4の撃破、及びA・W-5との接触報告である。
CICの大型ディスプレイには、エンタープライズの戦闘群司令部指揮所と、ホワイトハウスの瀟洒な部屋の光景が映し出されている。
その画面に映る老紳士……マッケンジー大統領補佐官が口を開く。
『A・W-4の討伐、ご苦労だった。どうにか、各地域の海運アライアンスに面目は立った。直近の危機は回避された……。諸君の奮闘に感謝する』
そう言って謝辞を述べるマッケンジー補佐官の表情は、しかし、厳しいままだ。
補佐官の言う通り、目の前の危機は回避された。だが、未だに問題は山積みなのだ。ついに姿を現したA・W-5、そして日に影に暗躍を続ける緑の解放戦線等…………頭痛の種は尽きる事が無い。
『礼には及びません。我々は、我々の職務を果たしたまでです。現在我が艦隊はDSCV隊の収容を終え、補給のためにグアム本島へ航行中です。ところで、戦闘直後に遭遇したA・W-5ですが……、アニング博士の推測では、あの質量のモノが今まで捜査の網に掛からなかったところを見るに、深海層を主な活動域としているのだろう……とのことです』
ウェルズ司令が報告する。『深海層』とは、深度3000メートル以深を指す。海洋開発が進んでいるとはいえ、そこまでの深度で活動している拠点はハワイ沖深海鉱床を含め、両手の指で数えるほどしかない。
つまりは、殆ど人の手が入っていない領域なのだ。画面の中の老紳士が『ううむ』と唸る。
『そうか……。アニング女史の推測が正しいのなら、今の水上艦艇中心の捜索態勢を見直す必要があるな……。全く、GLFの活動も一向に収まらんし、問題が減った気がせんな』
深く嘆息するマッケンジー補佐官。画面越しにその姿を見つつ、『さらに心労を増やしてしまうな』と申し訳ない気持ちになりながら、津川艦長は口を開いた。
「そのGLFの件ですが、先のフィリピン海での戦闘で気になる点があります」
『聞こう』
老紳士が一言、先を促す。
「フィリピン海でのGLFとの戦闘中、敵の指揮官である『ウォッチャー』と名乗る男が口走った言葉があります……『我らは神と祖国の兵士だ』と」
『神と祖国の兵士……? 聖戦主義者が使いそうな言い回しですね』
ジョンソン艦長が首を傾げる。同時に、マッケンジー補佐官は机上にあるノートPCで今の言葉を検索し……その結果に目を細めた。
『成程な……スーダン共和国。恐らくは、ダルフール紛争の被害者か』
『どういう事ですか?』
ウェルズ司令が問いを発し、それに津川艦長が答えた。
「『我ら、神と祖国の兵士』……これは、スーダン共和国の国歌です。戦闘中に『思わず』口走ったにしても、偶然とは思えません」
『成程……よくご存知でしたね』
感嘆の言葉を口にするウェルズ司令。津川艦長は軽く首を横に振った。
「いえ、大したことではありません。若い頃、ソマリア沖の海賊退治に従事しましてな。その時にソマリアとその周辺国の情報を叩き込まれた事がありまして……。昔取った杵柄というヤツです」
かつて、アフリカ大陸東端に位置するソマリア連邦共和国は内戦によって荒廃し、困窮した漁民が海賊行為に手を染め国際問題化した事がある。ソマリアは紅海に繋がるアデン湾に面する国家であり……つまり、紅海の先――海運の大動脈であるスエズ運河へと至る『出入口』にあたる国なのだ。
事を重く見た国際社会は各国の海軍を派遣し、共同で海賊の取り締まりにあたった。日本もその中の一国だ。
そして、スーダンはエジプトの南と国境を接し、紅海に面する国家である。このスーダン共和国は幾度もの内戦やクーデターを繰り返しており、特にスーダン西部のダルフールで起こったダルフール紛争は、近年やっと暫定合意が結ばれて終結した。
だが、その紛争の爪痕はあまりにも深かった。戦中、最も忌むべき戦争犯罪が繰り返されたからだ。
――――その戦争犯罪とは『民族浄化』。
スーダン政府派のアラブ系民兵組織が、非アラブ系民族の大虐殺を行ったのだ。非アラブ系の村々は焼き払われ、40~50万人の命が失われた。
擬態戦闘艇のアビスウォーカー……ウォッチャーは、この紛争の生き残りである可能性があるのだ。
マッケンジー補佐官が重々しく口を開く。
『FBIから上がってきている報告の中に、GLFの実働部隊として動いていた連中に、アフリカ系の男が確認されている。さらに、サイモン・ウェイクマンを追い落とし、GLFの実験を握った人物は『とある武装勢力の出身』で、『アメリカを始めとする列強国を激しく憎んでいる』そうだ』
補佐官はそこで一旦言葉を切り、何かを振り払うように首を振った。
『FBIの報告の人物と、君達が接触したウォッチャーという人物が同一であるのなら……。この人物は衆生を救わんとする救世主気取りでは無い。世を憂う革命家でも無く、聖戦主義者でも無い。ダルフールに介入した東西の列強諸国を憎み、復讐を断行する復讐者だ』
海の底の化け物と、人より出でし復讐の鬼。その両方を相手にしなければならない。3者の間に緊張が走った。




