第59話 オホーツク海、血に染めて
■北緯52度20分、東経145度10分、ロシア連邦サハリン州沖
A・W-4がロシア領内に侵入して丸1日、ロシア海軍太平洋艦隊の艦艇10隻余りがサハリン州を臨むオホーツク海上に展開していた。
領内進入以降、不規則な動きを見せていたA・W-4だったが、現在はある物に惹かれるように、ゆっくりと……だが一直線に移動していた。ロシア海軍の艦艇は、その進路上に陣取っている。
彼等の背後には、サハリン州を経由してロシア東部の各都市に天然ガスを供給しているメタンハイドレート採掘施設『サハリンⅢ』が有る。
サハリンⅢは船舶やメガフロートではなく、脚によって支えられた固定式プラットフォームだ。この洋上プラットフォームが産出するメタンハイドレートは、ロシア全体で消費するエネルギーのうち2割程を賄っており、今も操業中だ。
資源不況が深刻化して以降、ロシアは食料や生活必需品、そして電力やガスなどのエネルギーを配給制に切り替えた。この事が旧西側諸国に『ロシアは共産主義に回帰している』という印象を抱かせる要因の一つなのだが――――ともかく、現状最大の問題はエネルギーの需給が逼迫しているという事だった。
今現在も電力やガスの『計画的配給』が行われているが、それでも冬のこの時期は特にエネルギーの消費が多くなる。こんな状況でサハリンⅢの操業を停止など出来ない。
そして勿論、A・Wに破壊されるわけにもいかない。サハリンⅢが操業停止、或いは失われようものなら、ロシア国内のエネルギー供給に2割の穴が開く。それは、ロシア国民1億4千万人のうち、2千8百万人が飢えと寒さによって生命の危機に直面することを意味するのだ。
■ロシア太平洋艦隊旗艦、ミサイル巡洋艦ジダーノフ、艦橋
ロシア太平洋艦隊司令官、エドアルト・ミハイロヴィチ・バザロフ提督は自席に深く腰掛け、規律正しく任務を遂行するブリッジクルー達の姿を眺めていた。彼の耳に、矢継ぎ早にクルー達の報告が飛び込んでくる。
「A・W、速度、進路変更なし。依然として約10ノットで接近中」
「目標、間もなく雷撃射程範囲に入ります」
「気象状況報告。風向き南南西から北北東へ、風速7ノット。波高3メートル。戦闘に支障なし」
それらの報告を聞き、バザロフ提督の傍らに立つジダーノフ艦長、リヴィンスキー大佐が口を開いた。
「やはり、A・WとやらはサハリンⅢの操業音に惹かれているようですね。ヤツが千島列島を越えた時には多少騒ぎになりましたが……。我々、太平洋艦隊の主力がオホーツクで訓練を行っていたのは幸いでした。我等の力、思い知らせてやりましょう」
バザロフ提督は椅子の肘掛に両肘をつき、胸の前で手を組み『むぅ』と唸った。リヴィンスキー艦長が提督に視線を向け『何か?』と問うた。
「君は随分と楽観しているようだな。自信を持つのは良い事だ、事実、我々はそれに足る訓練を積んでいる自負がある。しかし、相手は正体不明の化け物だ。侮るのは危険だ」
「確かに、A・Wは『常軌を逸した狂暴性と巨体』だそうですが、それでもあくまで生物です。恐竜が現代に蘇ったとしても、我々が負ける道理はありません」
傍らに立つリヴィンスキー艦長は胸を張り、言葉の通り何者も恐れないといった様子だ。
しかし、バザロフ提督の表情は晴れない。
「環太平洋条約機構の遊撃艦隊は、A・W細胞を解析して製造した化学兵器を使用していると聞くが?」
「あのプロパガンダですか……。『A・W恐るるに足らず』と、大々的に流しているようですね。日米の艦隊がやれているのです、その化学兵器が有ろうと無かろうと、我々に出来ない道理はありませんよ」
リヴィンスキー艦長の自信は揺らがない。だが、バザロフ提督は環太平洋条約機構が流すプロパガンダに、艦長とは正反対の感想を抱いていた。
「あのプロパガンダ……。私には条約機構がA・Wを恐れている証左だと思えたがね」
「そういった見方もあるでしょう。しかし、意図はどうあれ時が来たようです」
リヴィンスキー艦長の言葉と同時に、ブリッジクルーの一人が声を張り上げた。
「目標、射程距離内に侵入!」
「武鐘発動! これより本艦は目標A・Wに対し攻撃を行う。砲雷要員、雷撃用意ッ!」
即座に攻撃命令を下す艦長に、バザロフ提督が『待った』をかけた。
「待て艦長! 引き付けて全艦艇で同時攻撃を仕掛けよう。効果観測の為、先行してウォジャノーイを出せ」
「随分と慎重ですね」
リヴィンスキー艦長の言葉に、バザロフ提督は首を横に振る。
「万一、手負いで取り逃がそうものなら後が面倒だ。初手でケリをつけたい」
「確かに。……全艦に打電! 全艦艇で同時雷撃をかける! 発射タイミングはジダーノフより指示! 船尾甲板要員へ通達! ベルーガ隊発艦急げッ!」
「了解ッ!」
『ジリリリ』と武鐘の音が鳴り響き、ブリッジクルー達が忙しなく動き始める。ジダーノフ後部甲板の様子を映すディスプレイに視線を移すと、ロシア海軍が運用するDSCV『ウォジャノーイ』が海に飛び込み、大きな水柱が立つ様子が目に入った。
「目標、距離12000!」
「全艦、雷撃用意良し!」
「距離4000で攻撃を開始する! 各員、計器から目を離すなッ!」
リヴィンスキー艦長の号令が飛ぶ。俄かに緊張が高まった艦橋内に、A・Wとの距離を告げるソナー要員の声が響く。それは、魚雷発射のカウントダウンでもあった。
「距離8000…………距離6000……距離5000!」
「雷撃用意ッ!」
「距離4000ッ!!」
「撃てッ!!」
艦長の号令と同時に、全艦の魚雷発射管から魚雷が発射される。『ボン! ボン! ボン!』と、少しばかり間の抜けた音と共に撃ち出された魚雷は次々に着水し、キャビテーションの尾を曳きながらA・Wに殺到する。
――――そして、断続した爆発音が響き、前方の海面が広範囲にかけて激しく泡立った。
「ベルーガ1、目標に接近し効果観測!」
再び、リヴィンスキー艦長の号令が飛ぶ。
■同海域、深度150メートル
ベルーガ隊1番機――ベルーガ1は命令を受け、A・Wに接近する。ロシア海軍が運用するDSCV『ウォジャノーイ』は、寒冷で、更に荒れる事が多い極北の海で活動するために高精度のセンサーとソナーを備えている。しかし、そのセンサーをもってしても、多数の魚雷が巻き起こしたキャビテーションの渦を見通すことは出来なかった。
『こちらジダーノフ。ベルーガ1、報告を』
無線から催促の声が響く。ベルーガ1のアビスウォーカーは呆れながら答えた。
「派手にやったな……。こちらベルーガ1、キャビテーションが酷い。少し待って――――――ん?」
報告の途中で、彼は眉をひそめた。ウォジャノーイのメインカメラが捉えている映像…………派手に泡立つキャビテーションの渦の中で、何かが動いたような気がしたのだ。
「何だ…………ッ!!?」
次の瞬間、映像は暗転し。ウォジャノーイを大きな振動が襲った。
■ロシア太平洋艦隊旗艦、ミサイル巡洋艦ジダーノフ、艦橋
「ベルーガ1、何があった!? 応答しろッ!!」
ジダーノフの艦橋は騒然としていた。突如としてベルーガ1のソナー反応が消え、同時に通信も途絶えたのだ。通信担当のクルーが必死に呼びかけ続けると、やはり突然に通信が回復した。
聞こえて来たのは金属が軋み、破断する不協和音と、そして――――。
『がぁああああああああぁぁぁぁぁぁッ!? あ、あじいぃぃぃぃぃッ!! オレの、足ぃがああああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!』
耳を塞ぎたくなるような、アビスウォーカーの断末魔だった。
『ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――』
通信はプツリと途切れた。ブリッジクルーの一人が『まさか、食われた……?』と不安げに呟く。A・Wに食われ、足を……そして全身を、コクピットごと噛み潰されたのだろう。
皆が言葉を失った一瞬の間、A・Wは次の獲物に襲い掛かった。
「も、目標急速接近ッ!」
ソナー要員の報告――――いや、悲鳴が響く。すると、ジダーノフの右舷に展開していたフリゲート『アドミラル・イサコフ』から爆音にも似た、大きな『異音』が響き渡った。
「何だッ!?」
バザロフ提督始め、ブリッジの全員が右舷に顔を向けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
――――アドミラル・イサコフが、巨大な『ツノ』で串刺しにされている。
巨大で硬質なツノによって船底から艦橋を貫かれ、アドミラル・イサコフは『ヘ』の字のように船体が歪んでいた。
それだけでは終わらず、巨大なツノは貫いた船ごと左右にゆらゆらと揺れると、勢いをつけてアドミラル・イサコフを引き倒し、その船体を真っ二つに引き裂いた。
「ぜ、全艦散開ッ! 急げッ!!」
あまりの光景に全員が言葉を失っている中、真っ先に我に返ったバザロフ提督が叫ぶ。
しかし、時すでに遅し……。アドミラル・イサコフを沈めたA・Wは再び海に潜り、今度は海底から勢いをつけ浮上する。そして、その勢いのまま大きくジャンプし、その巨体を宙に躍らせた。
……ザトウクジラは『ブリーチング』と言う、大ジャンプを行う習性がある。最大全長で20メートルに満たないザトウクジラのブリーチングでもかなりの迫力だが、A・W-4のブリーチングはザトウクジラの比ではない。
つまり、着水時のエネルギー…………破壊力も想像を絶するものになる。
視界いっぱいに映るA・W-4の巨体。それが、バザロフ提督以下、ジダーノフ乗員が見た最後の光景になった。




