風前の灯
アリッサとビトールの攻防は続いている。明らかに劣勢のアリッサは汗を垂れ流しながら力を振り絞り、なんとか凌いでいた。
しかしそれも時間の問題だ。見ればアリッサの足が赤く腫れ上がっている。
精霊の力による突出した脚力と、それに付随して強化された鋼のような足も、ビトールには通用しない。
とうとう戦う武器までも失いかけているアリッサは、必死に思考を巡らせた。
(まずい……このままじゃ……!)
元々、アリッサは感情が顔に出やすいタチである。その表情を見て思考を読み取ったビトールは鼻で笑った。
「ふっ、無駄ですよ。策なんかありません。おとなしくついてきてくれれば、痛い目に合わなくて済みますよ?」
「はっ、ナメんじゃないわよ!」
虚勢を張るものの、一向に状況を打開する術が思いつかない。すると、ビトールは呆れたように溜め息を吐き、首を左右に振りながら口を開いた。
「はぁ、やれやれ。それじゃあ」
ビトールの眼差しが恐ろしく冷たいものに変わる。
「強制的に、行きます」
「っ!?」
今度こそ、ビトールの姿を捉えることができない。為す術もなく殴り飛ばされ、アリッサは民家に突っ込んだ。
「ぅ、うぇ……!」
突っ込んだ先の壁が薄い木材でできていたため、激突のダメージは少なかったが、腹部に感じたあまりの衝撃に吐寫物を撒き散らす。
しかしすぐに顔を上げ、ビトールの姿を見失わないように目を凝らした。
「はぁ、はぁ……あいつ、は?」
姿が見当たらない。すぐにでも追撃を仕掛けてくると踏んでいたアリッサは、この予想外の間を訝しむ。
だが、次の瞬間に聞こえてきた悲鳴で全てを悟ることとなった。
「いやぁぁ!! 離して!!」
アリッサの体がピクリと跳ねる。慌てて外に飛び出してゆくと、屋根の上でビトールがエマの腕を掴み、ブラリと持ち上げていた。
「ちょっと……なにしてんのよ!!」
叫んだ後、駆け出そうとする。しかし……。
「っえ?」
体が言うことを聞かず、その場に前のめりに倒れ込んでしまった。
既に体は限界を超えている。ギャビンの時とはまた違う、今まで感じたことのない感覚に戸惑いを覚えるアリッサ。
「ぬ、あああああ!!」
それでも歯を食いしばり、ビトールとエマの所まで飛び上がってゆく。それを見てビトールは少し驚いたような表情で言う。
「……今度のは効いたと思ったんですがね……意外とタフなんですね……」
「その手を、離しなさいよ……!!」
「ほう?」
ビトールは恐怖ですすり泣いているエマを一瞥した後、アリッサの方に向き直った。
「この子を助けるために? ……あなたの嫌いな獣人ですよ?」
「……うるさい!!」
アリッサは蹴りを繰り出すも、完全にいつものキレは失われていた。それは片手が塞がっているビトールでも簡単にいなせるほどで、足を振り抜いた後も体がよろけてしまっている。
ビトールはアリッサを見下しながら、軽くそのわき腹を蹴り上げた。
「あぅっ!」
「アリッサさん!」
呻き声を上げながら地面にゴロゴロと転がってゆく。ビトールもそれを追うように屋根からストンと下りた。
「く、そ……」
「おや?」
アリッサは再び立ち上がる。足もプルプルと震えており、風が吹けば倒れそうだ。しかしそれでもアリッサは折れなかった。
「しぶといですね……まあ本気を出せばすぐに終わるのですが……ここは趣向を変えましょうか」
「……性格、悪いわね。速やかに目的を遂行するタイプかと思ったわ……」
「ええ、意外と。人の苦しむ姿は良いものです。そうですね……」
パン、と思いついたように掌を叩いたビトール。これまで微妙な変化しか見られなかったその表情が醜悪に歪む。
「あなたは……確か獣人の盗賊団に両親を殺された。そうですね?」
「え……?」
一歩ずつアリッサに近寄りながら、ビトールは語りかける。しかしそれに真っ先に反応したのはアリッサではなく、宙吊りにされているエマであった。
ビトールはエマを無視しながら、言葉を続ける。その口調はまるで、アリッサの心を揺さぶるかのような説得じみたものだった。
「家族で旅行に出てる途中の出来事だったと聞いてます……それ以降、あなたは獣人を見るだけで殺意が芽生えるんでしょう? たとえそれが、完全な獣人じゃなかったとしても」
「……なんで知ってんのよ、あんたと言い、あのジャックってやつと言い……」
「重要人物の情報ですからね……この程度、聞き込めば簡単なものですよ……そしてその情報は組織全体に回っている」
「……チッ」
アリッサは舌打ちの後、バツが悪そうに顔を背けた。ビトールはその目の前で立ち止まり、空いている手でアリッサの顔を掴み、強引に目線を合わせる。
「それが……どうしたことでしょう? ご両親のことなど、もうどうでもよくなったのですか?」
「違う!!」
「じゃあほら……はい」
そう言ってビトールは、掴んでいたエマをアリッサの方に寄せた。その意図がわからず、お互いに目を合わせながら戸惑うエマとアリッサ。
「殴りなさい」
「……は?」
しかし次に飛び出たビトールの発言に、アリッサは顔をしかめる。ビトールは尚もニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。
「ほらこの子、ずっと泣いているでしょう? 目障りなんですよ。あなたが気絶させてくれたら、恨みも晴らせて一石二鳥じゃないですか」
「ふざけんな! 誰が! その子は関係ない!」
「なにを怒っているのです? こんな不完全な種族、こうしてしまえばいいんですよ」
ビトールはあろうことか、エマを地面に向けて放り投げる。
「あうっ!」
「エマ!」
ゴロゴロと地面を転がってゆくエマに、アリッサは慌てて駆け寄ろうと足を踏み出した。しかし、ビトールはアリッサの腕を掴み、それを阻む。
「なにすんのよ! 離せ!」
「いいですか、ラストチャンスとしましょう」
笑いながらも、ビトールの目に強烈な殺気が籠った。そのあまりの威圧感にアリッサは足が竦み、黙り込む。
「あのガキを黙らせておとなしくついてこい」
「っ……!」
「そうすればお前の身の安全は保障してやろう」
心が揺れる。ここで逆らえば何をされるかわからない。超人的な力を手にした時から感じたことのない恐怖に、アリッサは屈してしまいそうになる。
エマの方を見やり、思い悩んだ。
――獣人なんて死ねばいい、アタシは自分の身が大事なの。
アリッサの弱い一面が顔を出し始める。なんとかこの場を凌いでおけば、いつかは仲間が助けに来てくれるだろう。エマのことなんて見捨ててしまえばいい。
それでも……。
「イヤよ」
「あぁ?」
アリッサは首を横に振った。
「あの子のことを任されてるの。ここで裏切ったりしたら、アイツや、仲間達に顔向けなんてできない」
「……そうかい」
言葉を交わした直後、ビトールの拳が突き刺さる。アリッサは体をくの字に曲げながら飛ばされてゆき、とうとう意識を失った。
「さて、足でも切り落として持ってくか……目覚めた時、抵抗されても面倒だ」
ビトールの魔の手がアリッサに迫る。地面に転がったまま、エマは顔を上げてボソリと呟いた。
「……アリッサ、さん……」
そのエマの手に、光が灯る。




