エマ・リモンテ
雄介は興奮気味に暴れ続けるアリッサを必死に抑えている。腕力などは普通の女の子なのだが、加護によるその脚力が厄介だった。
脛などを踵で蹴りつけられたりしたら一溜まりも無いのだが、頭に血が上っているのかアリッサはただ闇雲に藻掻いているだけだ。しかし念のため足の動きを注視しながら雄介はアリッサを宥め始めた。
「とりあえず一旦落ち着け! ハウス! おすわり!」
「黙れ!! 離せ!!!」
いつものツッコミが来ない。手に負えないと判断した雄介はどうするかと思考を巡らせた。そして強制的に眠らせてしまおうかと腕に力を込めた時、急にアリッサは動きを止めた。
雄介はその様子を見て一瞬だけ力を緩めるが、すぐに注意を払って腕を絞めなおした。
(油断させてから振り払おうってか? そうは……あ?)
病室はアリッサがおとなしくなった事により静寂を取り戻していた。部屋に響くのは二人の呼吸音と、窓から吹き込んでくる風の音、わずかに外から聞こえてくる人々の話し声だけのはずだった。
しかし不意に雄介の耳にポタリ、と雫が零れ落ちるような音が聞こえてくる。不思議に思った雄介は羽交い絞めの体勢のまま、アリッサの横顔を覗き見た。
「……お前」
「……はな、せ……」
アリッサの頬には大粒の涙が伝っていた。雄介は絞めを解き、アリッサから一歩離れる。しかしアリッサは病室から飛び出そうとはせず、そのままその場にへたり込んだ。
ポタポタと涙が床に落ちる音、時折アリッサが鼻をすする音がその場に加わり、二人は口を閉ざしてしまう。しかし固い空気を嫌う雄介は意を決して声を上げた。
「獣人と……なんかあったんだな?」
その問いにアリッサが答える事はない。雄介は尚も泣き続けるアリッサを見やりながら額に手を当て、溜め息を一つ漏らした。そして無言のまま数分が経ち、雄介は再度口を開く。
「……ちょっと頭冷やしてろ。落ち着いたらすぐここを出るぞ」
無駄な詮索はしない。
(一人で抱え込んでんじゃねえよ! とか、俺達仲間じゃねえのかよ! ……とか言えば良いのか?)
非常に難しい問題だが、雄介は吐き出させる事が全てではないと思っている。
(……ははっ、さぶいさぶい、ちゃんちゃらおかしいぜ)
悩みは時間の経過やこれからの経験によって解決される事だってある。
傷を抉るだけ抉って、熱い持論を披露、ヒロインは感動する……。雄介からすればそんな物は茶番でしかなかった。
もし解決できなかった時はどうすれば良い? ただいたずらにその人物を傷付けるだけだ。押し付けがましく正義を振りかざす輩が何より嫌いだった。
そして雄介はゆっくりと病室を後にした。ロビーでしばらく時間を潰そうと階段に向かって歩いて行く。
「お?」
「……あ」
すると階段の所からアリッサの病室を窺っていた先程の少女と目が合い、お互いに声を上げた。
(ふー……よし!)
雄介は沈んだ気持ちを切り替え、少女へ歩み寄っていく。
「やあやあ! さっきはごめんね! あいつちょっとヒステリックなとこあるからさ! ところで俺の娘にならない?」
「いえいえ、って娘!? さっきは妹だったのに!」
「試しにお父さんって呼んでくれ!」
「いや、あの……」
少女は突拍子もない事を次から次へと言い出す雄介に困惑していた。しかも雄介はオロオロする少女の頭を再び堂々と撫で始める。たまに手に当たるネコ耳の感触が心地良く、夢中になっていた。
「まあまあ、先っちょだけだから」
「先っちょ!? 何のですか!?」
「おとうさん、セイ!」
「う……お、おとう、さん?」
「はぅあ!!」
はにかみながら上目遣いでその言葉を言ってくれた少女。とんでもない破壊力に雄介の心は崩壊寸前まで追いやられた。フラフラと壁にもたり掛かりながら己を理性をフル稼働させる。
「俺は紳士だ……俺は……よし!!」
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫! あ、俺雄介! 君の名前は?」
ブツブツと呟いている雄介に少女は心配そうな表情で声をかけてきた。普通なら気味悪がるところだが、この子は相当に純粋で良い子だった。雄介は自らの名を名乗り、少女にも名前を尋ねた。
「あ、私は……エマ・リモンテです」
「エマちゃんね! そう言えばエマちゃんは俺の言葉遣いとかに驚いたりしないね?」
「えっ? 言葉……ですか?」
「うん、俺ほら、猫人族の言葉喋ってるでしょ?」
「えっ? いや、普通に人間の言葉ですけど……」
「おっと……?」
現在はエマが雄介に合わせて人間の言葉で話しているので、雄介の『自動翻訳』もそれに対応して翻訳していた。自分の話している言語が把握できないという思わぬ弊害に少し戸惑う。
今後その辺りの事は深く考えないようにしようと決めたところで、雄介はエマの訝しむような視線に気づいた。
「今のってどういう意味で……」
「ところでさっきは病室に何の用だったの? お母さんとはぐれちゃったのかな?」
「違います! うう、子ども扱いしないでください!」
雄介を見上げながらプンプンと怒るその姿もとても愛らしい。そして話を逸らす事にもバッチリ成功した雄介は満足げに微笑んだ。しかし次のエマの一言でその微笑みは驚愕の表情へと変わる。
「私はこの診療所の所長ですよ!」
「ええ!? ま、まままマジで!?」
「あれ!? 割とスンナリ信じてくれるんですね……?」
エマはかなり大げさに驚いた雄介にむしろ驚いてしまった。雄介は「ふぅ」と息を吐き、流れてもいない額の汗を拭う素振りをした後、その理由を告げた。
「いや、まあこの世界ってそんなもんだよねって。とんでもねえ爺さんの妖精が知り合いに一人いるし」
「は、はあ……すごいですね、妖精の知り合いなんて……」
「それで話の続きを」
「ああ、すいません。えっとですね……あの人がかなりまずい状態だったので、きちんと治っているかを確認しに来たんです」
「まずい状態? そうは見えなかったけど……」
先程も雄介に羽交い絞めにされながらも暴れていたぐらいだ。特に怪我をしているようには見えなかったため、雄介は首を傾げた。エマは少し口篭った後、どこか気まずそうに口を開く。
「えと……実は私、回復魔法使いなんです」
「なんだってぇぇ!?」
「キャ! もう! 診療所では静かにしてください!」
「あ、すみません。一応やっとこうかなって」
「それでその……あの人はかなり上空から地面に叩きつけられたので……その……グッチャグチャでして」
グッチャグチャ。その衝撃的な一言にさすがに雄介も黙り込んでしまった。しかしエマはそのまま言葉を続ける。
「いやー、脳と心臓が無事だったのでなんとかなりましたが、その他の部位は見事にひしゃげ……むぐ!?」
「もういい」
雄介は思わず真顔でエマの口を塞いでしまった。とにかく回復魔法が凄いという事だけはわかったのでこの件に関してはもう聞く事は何もなかった。
とりあえず今雄介が安堵できるのは自分にそっちの趣味が無いとわかった事ぐらいだ。
「とりあえずうちの仲間が世話になった。ありがとう。そしてさっきはごめん」
「いえいえ、お気になさらないでください。それにしても良かった。なぜか魔法の効きが遅かったので心配だったんです」
「うん……大丈夫かな、あと二人は……」
雄介を猛烈な不安が襲う。ゴンザレスは大丈夫かもしれないがソフィアは……。少し想像したところで気分が悪くなったので雄介は現実逃避を始める。
「さあ! じゃあお父さんとお話しようかエマちゃん!」
「え? お話って?」
「まだ仕事が残ってるのかい?」
「いえ、今日はもう……」
「なら行こう! とりあえず所長室でお茶でもしましょう」
「それ私が言う言葉ですよね……? あ、ちょっと、頭撫で、ふぁぁ」
猿飛 雄介、所長室への侵入に成功。




