第十六話 君の名は?
時計の針が十二時を過ぎた頃、夜の闇に紛れ、レオは、離宮へと忍び込んだ。
塀の上から下の様子を伺うと、後宮とは比べられない程多くの人員が警備に当てられていた。
煌々と明かりを放つ松明は、火の粉を散らしてパチパチと音を鳴らしている。
忍び込むことには一級品の腕を持つレオだが、この異常な警備体制にゴクリと唾を飲んだ。
無理ではないが、多少の危険を覚悟しなければならない。
何重にも敷かれた包囲網に危うく引っ掛かりそうになったが、後戻りすることも出来ず、仕方なく前へ前へと進んだ。
そして、やっと天井裏へと入り込むと、水筒に入れた水を飲み、一息ついた。
「はぁはぁはぁ、戦の最中じゃあるまいし、なんなんだよ、この厳重さは」
戦場のような防壁に、レオは、異様さを感じた。
これでは、見つかるのは時間の問題だろう。
レオは、素早く息を整えると、蜘蛛のように手先と足先だけを天井板につけ、ある一方に向かい、迷い無く前進し始めた。
何故なら、レオの鼻が、あの血の臭いを嗅ぎ取ったからだ。
視線の先には、ずれた天井板からもれる蝋燭の明かりが揺れている。耳を澄ますと、猫の鳴き声が聞こえた。
レオは、天板の隙間から、そっと下を覗き見た。
「みゃぁ、みゃぁ」
そこには、ギョッとする程沢山の猫達がまどろみ、その中心に、長い銀髪を床一面に広げる少女が座っていた。
身につけた光り輝く絢爛豪華な装飾品の数々に、目が痛くなる。
「みゃ~~ぁみゃぁ」
身じろぎもせず座る少女に頬を擦り付け甘える猫達。
その中に、あの黒猫を見つけて、ユンは、カッとなった。
死を覚悟しながらここまで来たのに、眼下の穏やかな雰囲気は、助けを必要としているようには見えない。
「ふざけるなよ。取っ捕まえて、釜茹でにしてやる」
レオは、黒猫を睨みつけながら、つい、大きな声で、悪態をついた。
その怒声に、少女が顔を上げた。
「・・・・・・」
少女とレオの視線が、ピタリと合った。
咄嗟のことで、逃げることも出来ず、レオは、彼女の瞳を見つめ返した。
彼女は、レオを恐れることなく目を細めた。
まるで、来ることを前から知っていたかのような落ち着きようだった。
レオは、天板を外し、下へ降りた。そして、少女の目の前に膝をついた。
「その・・・危害を与えたりするつもりは毛頭ない。安心してくれ」
「……」
「お、俺は、レオ。一応、この国の十八番目の王子だ」
顔を隠していた布を取り、レオは、素顔を晒した。
「君の名は?」
問いかけるレオの口元に、少女が、自分の人差し指で触れた。
温かな感触が唇から伝わってきて、レオは、ギョッとする。
その様子に、再び目を細めた少女は、
――しずかに。
と、声を出さずに唇だけを動かした。
その直後、部屋の外から、途切れ途切れに会話が聞こえてくるのに気付いた。
耳を澄ませると、男女一組が言い争っているようだった。
「あんたぁ、あんたぁ、待って」
「さっさとしろ。グダグダすんな」
離宮には相応しくない口の悪さに、レオは、眉をひそめる。
少女は、なかなか動こうとしないレオの裾を引っ張り、隠れるように促した。
レオは、渋々頷くと、部屋の隅に立てられた衝立の裏に姿を隠し、手元に隠した小さな鏡を使って、室内の様子をうかがった。
鏡の中に映り込む少女は、先ほどと変わらぬ姿勢で座っている。
歳の頃は、十代後半。下品なほど煌びやかな衣装を身に纏っているが、本人からは、清楚な気品が溢れていた。
ただ、成長した体に衣装があっていないのか、袖口から腕がかなり出ている。
ここに囚われていることは間違いないようで、外でガチャガチャと鍵を開ける音が聞こえてきた。




