十五話 もし死んだら、あの猫に取り憑いて、煮えたぎる鍋の中に飛び込んでやる
後宮でのレオは、陽炎のような存在だった。
探しても見つからず、やっと視界に捉えても霞のように消える。
それなのに、痛めつけられる者を見ると馬鹿みたいに庇いに出てきた。
だから当初、兄王子達は、レオをおびき寄せるために別の幼い王子達を虐げた。
そうすると、馬鹿正直にレオがしゃしゃりてで来るからだ。
ただ、そんなことを続けていると、ある違和感を感じた。
彼らは気づいたのだ。
レオをいくら殴っても手ごたえがなく、ボコボコにしても負けたような気分にさせられることに。
その後味の悪さが長年続くと、兄達は、レオが現れても拳を振り上げないようになった。
薄気味悪くて近づきたくないというのが、正直な気持ちだった。
どれほど傷だらけになろうとも、レオの口元は笑いを堪えているように見えたからだ。
こうして後宮内でも独特な立ち位置を確立したレオは、密かに手下となる弟達の数を増やし、徐々に力を付けていた。
とはいえ、国を覆すほどの力はまだない。
――はぁ、一体、復讐するのに、どれだけの時間がかかることやら。
気の長くなるような計画に、レオは自嘲の笑みを浮かべた。
そんな彼女の目に、塀の上を悠然と歩く影が映った。
それは、何処にでもいる、何の変哲もない黒猫。
しかし、雨も降っていないのに、しっとりと体が濡れていた。
猫は、自分を凝視するレオに気付くと、逃げるどころか、塀から飛び降り、こちらに向かって歩いてきた。
臭覚の優れる獣の勘で、レオに豹の獣人の血が流れていることに気づいたのかもしれない。
「みゃぁ」
「お前、飼い猫か?どっから、迷い込んだ?ん?」
足元に擦り寄る猫の頭を、優しく撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らした。
あまりの可愛らしさに、飼う事を考え出したレオが、手にベタリと着いた粘着質なものに息を呑んだ。
それは、凝固し始めている血だった。
「お前、怪我してるのか!」
慌てて、猫を診察するも、何処にも傷口らしき物は見つからない。
この猫は、何処かで、大量の血液を浴びたらしい。
辺りを見回したが、誰かに見られた気配はない。
レオは上着を脱ぐと、それで猫を包み、血の足跡を消しながら逆に辿ってみた。
鼻歌を歌い、あくまでも散歩をしている風を装いながら。
そして、行き着いた先は、立ち入り禁止にされている離宮の近くだった。
「みゃぁ」
「あっ、待て!」
猫は、レオの腕から抜け出すと、ひょいと塀に飛び乗り、離宮の中へと消えて行った。
「・・・ったく、いったいなんなんだよ」
手に残された血染めの上着が、妙に重く感じられる。
今なら分かる。
確実に、あの猫は、自分の意思でレオをここまで導いたのだ。
しかし、レオは、離宮へは行かずに踵を返した。
「厄介ごとに首を突っ込むほど、馬鹿じゃないんでね」
この後宮で生き残るのすら、綱渡り状態。
更に何かを背負う気持ちには、なれない。
しかし、何度洗っても落ちない血の臭いに、レオは、へきえきとした。
あれから三日、離宮に消えた猫の後ろ姿が夢にまで出てくる。
「あーーーっ、ちくしょう。もし死んだら、あの猫に取り憑いて、煮えたぎる鍋の中に飛び込んでやる」
レオは、ブツブツ言いながら、盗賊用の黒装束に着替えた。
あれは、誰の血なのか?
どうして、血を流す羽目になったのか?
猫をずぶ濡れにする程の血を流して、今も、生きているのか?
それらを明らかにしないと、レオは、落ち着いて寝ることさえ出来そうになかった。




