俺は殿下を愛している……わけないだろぉ
「ま、まあ、そんな嫌なら婚約はやめよう」
別にこんなやつと結婚なんてしたくないしな。もっと可愛い女の子だったら考えたが、ただのイケメン男だし。
「あの令嬢が破棄を認めただと?」
「これも何かの策略では?」
「ありえない!」
おいおい、好き放題言ってくれるな? まあ、それだけこいつは悪いことをしたのだろう。
「お、おい? 本当に受け入れるのか?」
「俺は悪者だからな」
「……そうか」
男は喜ぶに喜べないようで、腑に落ちない様子だ。
「じゃあ、それじゃ」
「待て」
男は俺の腕を取った。気安く触らないでくださいですわ! なんてね。
「なに?」
「本当に何も企んでいないのだな?」
まだ疑われてるのかよ。こいつ本当にどれだけしでかしてきたんだ? 信用がまるでないぞ。
「なんも企んでないって」
俺は男の手を払って背を向けた。そのまま適当にバイバイと腕を左右に振って歩く。
その後を、慌ててさっきの付き添いの女性が追いかけてきた。
「お嬢様、今度は一体何をするおつもりですかッ」
その女性は耳元に口を寄せると、小さく力強い声で言った。何かを企んでいる前提らしい。
「本当に何もないって」
俺が笑って告げると、女性は安心するどころかさらに顔をこわばらせる。
そして、今度はみんなに聞こえるほど大きな声で言う。
「それでは奥様はどうなるのですかッ!」
付き添いの女性が初めて顔色を変えた。そのまま手を引っ張られ、個室へと連れて行かれる。
そのまま壁際まで迫られ、女性は俺を見つめる。
「お嬢様……まさか、本当にお忘れになったのですか?」
「いや、忘れたというか……」
そもそも俺は何も知らない。
だが、女性の表情を見る限り、かなり重要なことらしい。
「奥様は……」
女性は苦しそうに胸に手を置き、言葉を詰まらせる。
「奥様は、ずっとお身体を悪くされています」
「……そうなの?」
「はい」
初めて聞いた。
俺はこの身体になったばかりなのだから、当然と言えば当然だ。
「だから、お嬢様は殿下との婚約を……」
「待って」
俺は女性の言葉を遮った。
「もしかして、この婚約って……」
「奥様の治療のためです」
「…………」
俺は黙り込んだ。
イケメン男との婚約。
ただ権力が欲しかったわけじゃない。
ただ贅沢がしたかったわけでもない。
この身体の持ち主は、母親を治すために男との婚約にしがみついていたらしい。
「お嬢様は、奥様をお救いするために……ずっと」
女性の声が震える。
「だから私は、お嬢様がどれだけ無茶をなさっても……ずっとお力になろうと」
「…………」
俺は何も言えなかった。
さっきまで俺は、この身体の持ち主をただのクズだと思っていた。
実際、やったことを聞けば相当なクズなのだろう。
でも――。
「……そっか」
俺は小さく呟いた。
少なくとも、母親を助けたいという気持ちだけは本物だったのだ。
なら、もう分からないことを分からないで終わらせてはいられない。
ただ、この身体の持ち主の努力を、俺は無駄にしたくない。
「だったら……」
俺はすぐさま部屋を出て、男のいる部屋へ走る。男は王様と思われる男に何かを報告していた。
「お前……なんで戻ってきたッ!」
男の叫びで視線が一気に俺に集まる。
俺は大きく息を吸う。
俺は人に好きだと言ったことがない。そして今後も、本当に好きだとしたって絶対に誰にだって言いたくない。
それが俺のプライドで大切な生き方だ。
ーーでも。
そのせいで、俺のこだわりのせいで、誰かの努力を絶対に無駄にしたくない。
薄汚く、卑怯で非道な、小さく弱い少女の足掻きは俺が引き継ぐ。
俺は胸を張り、殿下を指差した。
「私は殿下を愛しています! 故に婚約破棄など断じて認めませんッ!!」
*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*
「ここはどこって……そんなの私が聞きたいよ!」
私は思わず眉をひそめた。
「ではなぜここにいるのですか?」
「だから、急に床が光ったじゃん? そしたら急に草原にいるわけだよ!」
まさか、それは転移魔法陣? つまり今、この少女と男は転移魔法陣に引っかかった。それと重なって、何かしらの原因で私はこの男の身体に入ってしまったってこと?
「まさか……そんな」
「お兄ちゃん、全然大丈夫だって言ってたじゃん!」
「……黙ってください」
私は口を押さえた。
「んんっ!」
少しずつ状況を整理する。
先ほどまで、私は王城にいた。
そして昨日、いつも通りベッドで眠りにつくといつの間にかこの草原で、この男の身体になっていた。
そして目の前の少女はこの男の妹で、転移魔法陣に飛ばされてここに来た。
「……あり得ない」
そんなこと、聞いたことがない。
転移魔法陣によって別の場所へ飛ばされることはある。
だが、他人の身体に入る?
そんな魔法、存在するの?
「お兄ちゃん?」
「……私は、あなたの兄ではありません」
「またそれ?」
少女は呆れたようにため息を吐いた。それにしても、兄弟とはいえこの言葉遣いはなんなの? 兄にはもっと敬意を示すものでしょう。
「何度も言っているでしょう。私は――」
そこまで言って、私は口を閉じた。
……待って。
もし私がこの男の身体に入っているのなら。
私の身体は?
「…………」
嫌な予感がした。
「あなた」
「なに?」
「魔法陣が現れた場所には、他に誰かいましたか?」
「え?」
「いたのですか?」
少女は少し考え込む。
「……いなかったと思うけど」
「本当に?」
「うん。私とお兄ちゃんだけだったよ」
「…………」
私は言葉を失った。
それなら、この身体の本来の持ち主は、どこにいる?
いや、決まっている。私の身体に入っているのだ。
私はゆっくりと拳を握った。
「……お兄ちゃん?」
少女は心配そうに私を見つめる。
そうだ。
何が起きていたとしても、私の目的は変わらない。
今すぐ王城に向かって、男から話を聞くしかない。
「あー、えっと。ごめん、少し混乱しちゃったです」
私は一つずつ言葉を選んで、なんとか男のふりをしてみる。
「まあそれならいいんだけど……」
少女は少し怪しむような視線を向けてきた。それにしても、珍しい見た目だ。ここまでしっかりとした黒い髪を持つ少女は初めてみた。普通黒髪は茶色がかっていたり、赤っぽかったりとするものなんですが。どこの国の少女なのでしょうか。
「とりあえず……あっちのとこに向かって……アルコウゼ!」
「なにその喋り方……キモ」
少女は可愛い見た目からは想像できないほど、冷めた目で強烈な言葉を吐いた。
「あ、あなた! 私はお兄ちゃんですのよ!」
「うん」
「俺様はぷんぷんしてるですの!」
「ちょ、ほんとにキモいんだけど」
こ、この娘。再教育が必要なようですね。
「こっちに来なさい!」
「もう、なにぃ?」
少女はめんどくさそうにしながらも、のそのそとこちらへ来た。
「悪い子はお尻ぺんぺんです」
私は少女を担ぎ上げて、お尻を軽く叩いた。
「……は?」
「ふん、効いたみたいだぜです」
これで少しは反省しただろう。
「下ろして」
その時、本能が私に今すぐ下ろせと告げた。
私はビクッと震えて、逃げるように手を離す。
「な、なんですの?」
「このッ! 変態ゴミ兄貴ぃッ!!」
その瞬間、顎にとてつもない衝撃が走った。
「――ッ!?」
視界がぐるりと回る。
そして私は、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「たくま、しい……妹……です、のね……」
お父様にも、打たれたことがないのに……。




