普通の一話
「――今日をもって、お前との婚約を破棄する!」
大広間に、よく通る声が響き渡った。
「…………」
俺は目の前に立つ男を見つめる。
金色の髪に整った顔立ち。
さっき、付き添いみたいな女性から説明された第一王子殿下とやらだ。
どうやら俺は今、このよくわからんやつに婚約破棄を宣言されたらしい。
周囲からは、ざわざわと声が聞こえてくる。
「ついに……」
「あの令嬢も終わりね」
「当然の結果だ」
好き勝手言っている。
だが、俺には一つ疑問があった。
「……お前、誰?」
「……はっ?」
男は固まった。
周囲も一瞬にして静まり返る。
「いや、お前誰だよ」
なぜか誰も答えない。
俺は昨日まで普通に暮らしていた。
それが目を覚ましたら知らない女になっていて、知らない屋敷にいて、知らない女性から「お嬢様」と呼ばれた。
そして王城に連れてこられたと思ったら、今度は知らない男から婚約破棄を宣言された。
意味が分からない。
そもそも俺は、この男と婚約した覚えがない。男は震えた声で何か言ってくる。
「き、貴様……私を誰だと思っている?」
「だから、それを聞いてるんだけど」
また、沈黙。
なんか空気が悪くなってしまったようなので、盛り上げようと俺は男に近づく。そして背中を叩きながら言った。
「お前さ〜、ヒョロイ体して。そんなんじゃ女の子にモテないぞ」
俺は1人であははっと笑った。
「…………」
返事がない。
「ん?」
周囲を見る。
俺以外誰も笑っていない。
「……どうした?」
なんなら、みんな青ざめた表情をしていた。
「お嬢様……」
後ろから、聞き覚えのある声がした。
「何?」
「殿下のお身体に触れるのは、その……」
「ダメなの?」
「…………」
さっきの女性は何も言わなかった。
「まあ、いいじゃん。友達みたいなもんなんだろ?」
「友達ではない!」
男はそんな告げると同時に俺の腕を振り払う。
「ええ、もしかして潔癖症? ごめんって」
そう、言いながら俺は肩を叩いた。あ、間違えた。
まあええか。
「ふざけるなッ!」
「うわっ! びっくりした。急にでかい声出すなよ」
俺は耳を塞ぎながら一歩後ろへ下がった。
なんだこいつ。
急に怒鳴るなんて、怖すぎだろ。
「貴様は……! 自分が今まで何をしてきたのか、本当に分かっていないのか!」
「だから分からないって」
「この期に及んでまだふざけるか!」
「いや、ふざけてないけど」
俺は本気で困っていた。だって謝ろうにも、何をしたのか知らないからだ。
「お前は……私の婚約者という立場を利用し、他の令嬢たちを脅し、侍女たちにも無理難題を押し付けた」
「へえ」
「さらに、私の婚約者だというだけで平民を見下し、気に入らない者がいれば父親の権力まで使って――」
「ちょっと待って」
「なんだ!」
「それ、俺がやったの?」
「そうだ!」
「……マジか」
俺は自分の手を見る。
細い指。
白い肌。
とても可愛らしい見た目をしている……。
こいつ……クズじゃねぇかぁぁ!!
*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
お、お兄ちゃん?
誰かに揺さぶられ、私は体を起こした。
「やっと起きた」
目の前には見知らぬ少女がいた。
「……あなたは誰です?」
「え?」
「誰と聞いているのです」
少女は驚いたように目を丸くした。
「何言ってるの? 私だよ。妹のーー」
「妹?」
私は眉をひそめた。
私の妹にこんな娘はいない。
それにまず、ここはどこなの?
見渡す限りの草原。
先ほどまで私は王城にいたはずだ。
すると、その娘は心配そうに私を見た。
「お兄ちゃん?」
「お兄ちゃんではありません!」
私は思わず声を荒げる。
私が誰だかわかっているのかしら?
「私はーー」
そこで胸に手を添え、大きく腕を振る。
私は違和感に気づいた。
大きな手、血管の浮いた腕、高い視線。
「わた……しは」
「大丈夫?」
私は何度も自分の体を確認する。
どう見ても私の身体ではない。
なぜこんなことになっているの?
私はさっきまで王城にいたはず。
「……何も思い出せない」
記憶が抜け落ちているわけではない。
ただ、そこから先に何が起きたのかだけが分からない。
私は目の前の少女を見る。
どうやら、この男の妹らしい。
「……あなた」
「なに?」
「ここはどこなのです?」
「え?」
「私はなぜここにいるのですか?」
少女は困ったような顔をした。
「……お兄ちゃん、大丈夫?」
「だから、私はお兄ちゃんではありません!」
「…………」
少女は黙り込んだ。
私も黙る。
何が起きているのか、さっぱり分からない。
ただ一つだけ分かることがある。
私は今、とんでもなく不愉快な状況にいる。
「……平民ごときが、私に触れるなど……」
「え?」
少女が目を丸くする。
私はそんな少女を睨みつけた。
……いや、今はそんなことを気にしている場合ではない。
立場が上の者に従うのは当然。
私は今まで、そう考えて生きてきた。
けれど今の私は、どこの誰とも分からない男の身体にいる。
公爵家の令嬢という立場も、王子の婚約者という立場も、今は何の役にも立たない。
ならば、今はこの少女に頼るしかない。
「ここはどこなのか、教えてくれませんか」
私はプライドを押し殺して頭を下げた。
こんなところで立ち止まってはいられない。
私は絶対に殿下と結婚する。
そして――お母様を救うのだ。




