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顔に醜い皺を寄せているだけなのである

 令嬢が去っていった直後だった。


 再び会場に音楽が響き始める。

 先ほどまで談笑していた貴族たちも、自然と道を開けていく。

 何事かと思ってそちらを見ると、見覚えのある男がこちらへ歩いてきていた。


「うわぁ」

「かっこいい〜」

「憧れますぅ」


 令嬢たちはその男に皆メロメロだった。

 第一王子殿下だ。

 俺も慌てて姿勢を正す。

 殿下は周りをぐるっと見渡すと、俺を見つけて歩いてきた。


「エレノア」


「殿下」


 王子は俺の前まで来ると、周囲を気にするように一度だけ視線を巡らせた。


「今日は随分と大人しいんだな」


「……そうかしら?」


「いつもなら、何人か泣かせていただろう」


 殿下は平然と当たり前のように言った。はぁ?

 

 俺は思わず周囲を見回す。

 すると、近くにいた令嬢たちと目が合う。令嬢たちは怯えるように目を逸らした。

 ……どうやら本当にそうだったらしい。


「ま、まあ、今日のところは勘弁してあげましたわ」


「そうか……」


 殿下は俺の反応を見て、少しだけ不思議そうな顔をした。

 そして、そのまま俺へ手を差し出す。


「では、行こうか」


「……?」


 何処へ?

 俺が差し出された手を見つめていると、殿下が僅かに眉を寄せた。


「……踊るのだろう?」


 ……お、踊る?


「……え?」


「え?」


 殿下と目が合う。

 周囲からも、なぜか妙な視線が集まってきた。


 待て。

 そういえば、舞踏会だった。そして俺はエレノア。


「わ、私がですか?」


「お前以外に誰がいる」


「……ですよね」


 完全に忘れていた。

 俺はゆっくりと殿下の手を見る。


 もちろん、ダンスなんてできない。なんなら苦手分野である。

 しかも、この世界の曲とダンスだ。なんとなく踊るなんてのもよくわからない。


「どうした?」


「い、いえ。少し緊張してしまって」


 とりあえず誤魔化す。

 一番ダメなのは中身が別人だとバレることだからな。


「珍しいな。お前が緊張するなんて」


「そ、そう? ほら、私も一応女の子ですから」


「……?」


 俺は誤魔化すように苦笑いした。

 だが、殿下は不思議そうな顔をしたがそれ以上追及せず、歩き出した。


「では」


「……はい」


 広間の中央へ向かう。

 周囲の視線が一気に集まってくる。


 ……本当に踊るのか。


 俺が内心、必死に冷や汗を流していると、音楽が変わった。


「エレノア」


「はい?」


「手を」


「……ああ」


 俺は慌てて殿下の手を取る。


 するとーー身体が勝手に動いた。


「……え?」


 一歩。

 次の一歩。

 身体を回す。

 足を引く。

 また一歩。


 俺自身は何をしているのかさっぱり分からない。

 なのに、身体だけはまるで覚えているかのように動いていく。


「…………」


 殿下が少し驚いたように俺を見る。


「どうしたの?」


「いや……」


 殿下は何か言いたげだったが、すぐに前を向いた。


「……相変わらず、上手いな」


「そ、そうでしょう?」


 俺は謙遜せず、俺の想像するエレノアの性格を再現して話す。

 多分、謙遜とかせずぐいぐい行くタイプなはず。


「以前より少し変わったようにも見えるが……」


「き、気のせいじゃないかしら?」


「そうか?」


「そうよ。ほら、ちゃんと踊れているでしょう?」


「ああ」


 俺は必死に笑顔を作る。


 この感じ、ピアノを弾いてた時を思い出す。

 俺はピアノを弾く時大抵、楽譜を使わないタイプだった。耳コピしたり、教えてもらったり。

 すると、脳ではなく身体が覚えていくのだ。そしてミスをするともう終わり。

 流れで覚えているから、一度止まると途中から弾くことができないのだ。


 つまり……ミスったら終わり!


「なんか汗がすごいぞ?」


「え、うそ」


 俺は思わず手を離して、服で汗を拭いた。


「あ……」


 俺はそのままバランスを崩して、尻餅をついてしまう。

 すると、それを待っていたかのように、くすくすと笑いが起きる。


「……」


 俺は尻餅をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。


 最初は一人。

 それから二人。

 やがて、あちらこちらから小さな笑い声が聞こえてくる。


 誰も俺のほうを真正面から見ようとはしない。

 けれど、口元を扇で隠したり、隣の人へ顔を寄せたりしている。

 どう見ても俺の話だ。


「エレノア様が転ぶなんて……」

「ふふっ。あんなに偉そうにしていたのに」

「今まで散々、人の失敗を笑ってきたものね」

「自分が笑われる側になるなんて、思ってもいなかったでしょうね」


 聞こえる。

 嫌になるくらい、よく聞こえる。

 わざと聞こえるように言ってるのだろう。


 俺は立ち上がりながら、服についた埃を軽く払った。


 別に、このくらいならどうってことない。

 転んだ。ただ、それだけだ。

 誰だって転ぶ。


 ……まあ、舞踏会のど真ん中で転ぶ奴はそういないだろうけど。


「まったく、何をしに来たのかしら」

「殿下の隣に立つ資格があるのかしらね」

「踊ってる最中に転ぶなんて…!」


 みんなどこか満足げ、楽しげだった。

 俺の笑っていた口元が、ほんの少しだけ引きつった。


 殿下の隣に立つ資格がない。まあ、それについては否定できない。

 何せ俺は異世界から来た健全な男子高校生。まずまずエレノアじゃない。


 ……いや、そういう話じゃない。


 さっきまでなら、適当に聞き流せていた。

 でも、今の言葉は妙に胸に残った。


「第一王子殿下も可哀想に」

「あの方ほどの殿下なら、もっと相応しい婚約者が――」

「やめておいたほうがいいですわよ。また怒り出してしまいますわ」

「そうですわね。短気お嬢様は怖いことね」


 その言葉に、胸の奥がずきりと痛んだ。

 俺は思わず俯いた。

 床がやけに近く見える。さっきまで眩しいくらいに輝いていたシャンデリアも、今はまともに見る気になれなかった。


 ……なんだよ、これ。

 別に、俺はエレノアじゃない。こいつらが嫌っているのは、俺じゃない。

 それに俺は悪口なんて効かないはずなんだけどな。


 何も言えない。

 口を開けば、何か余計なことを言ってしまいそうだった。

 だから、ただ笑った。


「……あはは」


 自分でも分かる。

 酷い笑顔だ。

 口元だけを無理やり持ち上げている。


 太宰治の言葉を借りるなら、今の私は顔に醜い皺を寄せているだけである。


「エレノア」


 隣から声がした。


「……なに?」


 俺は殿下のほうを向いた。

 すると、殿下は何も言わず俺の顔を見ていた。


「……」


 目が合う。

 殿下の眉が僅かに寄った。


「笑う必要はない」


「え?」


「無理に笑うな」


 その声は静かだった。

 俺は反射的に笑顔を作り直す。


「別に、無理なんて――」


「しているだろう」


 言葉が詰まった。

 殿下は俺から視線を外す。そして、周囲をゆっくりと見渡した。

 さっきまで笑っていた者たちは、一人、また一人と目を逸らしていく。


「随分と楽しそうだな」


 殿下の声が広間に響いた。

 笑い声が、ぴたりと止まる。


「第一王子殿下……」


 誰かが小さく呟いた。

 殿下はその声の主へ視線を向ける。


「私の婚約者が転んだことが、そんなに面白いか?」


「い、いえ! 決してそのような――」


「では、何を笑っていた?」


「……」


 答えられない。

 殿下はそれ以上追及しなかった。

 ただ、少しだけ目を細める。


「人の失敗を笑うのは勝手だ」


 そこで一度言葉を切り、私を見た。


「だが、本人に聞こえる場所で好き勝手言うのは、貴族として随分と品のない行為だな」


 誰も何も言わない。

 広間には、さっきまでとは比べ物にならないほど重い沈黙が落ちていた。


「それに」


 殿下が一歩、俺の前へ出る。

 俺の視界から、周囲の貴族たちが殿下の背中で隠れた。


「エレノアは私の婚約者だ」


 その言葉に、俺は目を瞬いた。


「彼女を侮辱するということは、私を侮辱しているのと同じだと思え」


「……っ」


 誰かが息を呑む音が聞こえた。

 殿下はそれだけ言うと、俺へ振り返った。

 そして、優しく手を差し伸べる。


「行こう」


「……」


 何か感謝の言葉を伝えたほうがいいのかもしれない。

 もしくは、なんで助けてくれたの? なんてセリフを吐いたほうがいいのかもしれない。

 それでも、私は何も言わずに殿下の手を取る。


 そして、私たちは勝手に会場を後にした。

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