はじめての舞踏会
「お嬢様、今週末に王宮で舞踏会が開かれるそうです」
朝食を終え、紅茶を飲んでいると、傍に控えていた侍女がそう告げた。
私は驚いて紅茶が変なところに入ったせいで、咳き込んでしまった。
「ゲホッ、ぶ、舞踏会?」
「はい。王太子殿下……いえ、第一王子殿下の婚約者であられるお嬢様も、当然ご出席なさることになります」
ま、まあ当然だよな。あれから俺だって勉強したんだ。
令嬢の常識とか、諸々をな。
舞踏会。
着飾って、王子の隣に立って、自分が公爵令嬢であることをこれでもかと見せつける会。
そして、気に入らない令嬢がいれば容赦なく追い払う。
そんな、とても楽しそうな会だと聞かされている。いや、悪魔令嬢やん。
「……そう」
「はい」
侍女が少しだけ身構えている。
最初に見た侍女の人はあまり顔を見せない。あの人は俺に対しても物怖じせず、察してきたが他の侍女は皆どこか怯えている。今更だが、俺がメイドさんと呼んでいた人たちは侍女と呼ぶらしいな。
「ドレスとか、着るの?」
「すでに何着か候補をご用意しております。お嬢様のお好みのものを――」
「適当に選んどいて」
「…………」
侍女が固まった。
私は首を傾げた。
「どうしたの?」
「い、いえ……」
「……?」
「……本当に、お嬢様ですよね?」
「失礼ね」
思わずそう返すと、侍女の顔が青ざめる。
しまった。
やっぱりエレノアは、相当怖かったらしい。
「……冗談よ」
「じょ、冗談……」
侍女は目を丸くしたまま、私を見つめている。
私は小さく息を吐いた。
たく、どうやったらこんな侍女を怯えさせられるんだか。
「あなた、何年くらい侍女やっているの?」
「え」
彼女は吐息のような言葉を漏らす。
そして、ゆっくりと目を瞑ると、すべてを悟ったような穏やかな表情を浮かべた。
まるで、長きにわたる自分の役目を終えたかのような顔だ。
え、なになに。
俺なんかしたか?
「そう、ですか。私も今日で……」
「何言ってんのかしら?」
「今日で解雇、ということでございますよね」
「いや、違う違う! ただ聞いただけだから!」
慌てて否定すると、侍女はぱちぱちと瞬きをした。
「……違う?」
「違うわよ!」
「……左様でございますか」
侍女は胸に手を当て、ほっと息を吐いた。
いや、どんだけ俺に解雇されると思ってたんだよ。
侍女さんたちを解雇しちゃったら、俺はもう生きていけないよ。夢はニートだったしな。
「いつもあなたに手伝ってもらったり、助けてもらったりしているのに、解雇なんてするわけがないでしょう?」
俺は冗談ぽく笑って見せた。
「…………」
侍女は何も言わず、ただ驚いたように目を見開いたまま俺を見つめている。
「……どうしたの?」
「い、いえ……」
そう言いながら、侍女は俯いた。
なんだ?
また変なこと言ったか?
「……ありがとうございます」
「え?」
「いえ。なんでもございません」
侍女は小さく微笑んだ。
その笑顔は、さっきまでの怯えたものとは少し違っていた。
……まあ、いいか。
俺は再び紅茶に口をつける。
「それで、ドレスなんだけど」
「はい」
「俺、そういうの全然分からないから、本当に適当に選んでいいよ」
「……かしこまりました」
「てか、舞踏会ってご飯とか食べてればいいの?」
「舞踏会でございますよ?」
「うん」
「……踊られるのでは?」
「踊るの?」
「…………」
侍女が再び固まった。
そして、少し呆れたように言ってくる。
「……お嬢様」
「なに?」
「舞踏会とは、舞踏をする会でございます」
「…………」
え、色々なご飯をとって食べる会じゃないの?
いや、それはただのバイキングか。
「……もももも、もちろん。わかっていたわ」
「……そうですか」
侍女は困ったように微笑んだ。
どうやら俺は、舞踏会についての勉強をもう少しする必要があるらしい。
まあ、踊りくらいならなんとかなるだろ。
たぶん。
おそらく。
確証はないが。
*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*◆*
そして、舞踏会当日。
「……すご」
馬車を降りた俺は、思わず声を漏らした。
目の前に広がっているのは、今まで見たこともないほど大きな建物だった。
夜空の下でもその姿ははっきりと見えて、無数の明かりが窓から漏れている。
入口へ続く道には馬車が何台も並び、煌びやかな衣装に身を包んだ貴族たちが次々と中へ入っていく。
俺も負けじとドレスの裾を軽く持ち上げ、王宮へと歩き出した。
……いや、これ本当に俺が着るのか?
今日のために用意されたドレスは、俺が選んだものではない。
というか、全部侍女に任せた。
正直、どれが高いのかもよく分からない。
「エレノア様」
後ろから声を掛けられる。
振り返ると、侍女が一礼していた。
「どうしたの?」
「……いえ」
侍女は少し困ったような顔をする。
「その……本日は、どうかお気をつけください」
「何に?」
「……色々と、でございます」
何だそれ。
俺が首を傾げていると、侍女はそれ以上何も言わず、静かに頭を下げた。
王宮の中へ入る。
途端に、楽器の音が耳に入ってきた。
広間には大勢の貴族が集まり、壁際には料理や酒が並べられている。天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、会場全体を眩しいほどに照らしていた。
……すげえ。
映画とかでしか見たことのない光景だ。
思わず辺りを見回していると、こちらに視線を向けている人がいることに気づいた。
いや、一人じゃない。
何人もいる。
「……あれが」
「エレノア様よ」
「第一王子殿下の婚約者……」
「今日は随分と大人しいわね」
小声で何かを話している。
聞こえているぞ。
俺は苦笑しながら、適当に会釈を返した。
すると、相手はびくりと肩を震わせた。
……なんで?
普通に挨拶しただけなんだけど。
そのまま歩いていると、今度は一人の令嬢がこちらへ近づいてきた。
とても偉そうな目でこちらを見ている。
艶のある金髪に、淡い青色のドレス。
周囲の令嬢たちよりも少しだけ派手な装いをしている。
「まあ、エレノア様。今日は随分と素敵なドレスをお召しになっていますのね」
「ほんと? ありがとう」
令嬢の笑顔が僅かに固まった。
何だ?
「以前はもっと、ご自分の美しさを強調するようなドレスがお好きだったでしょう?」
「そうなの?」
「ええ。まあ……今のほうが、随分とお似合いですけれど」
「本当? ありがとう」
「…………」
また黙った。
褒められたなら、普通に礼を言えばいいと思うんだけど。
「それにしても、今日は随分と静かですのね」
「そう?」
「ええ。いつもなら、会場に入った瞬間から皆様の視線を集めていらっしゃるのに」
「そうなんだ」
「……」
令嬢の眉が僅かに動く。
俺は特に気にせず、彼女のドレスへ視線を向けた。
「でも、あなたもすごく似合っているわ」
「……はい?」
「その青色、すごく似合ってると思う」
令嬢は完全に固まった。
多分、呼吸もしてない。
「どうしたの?」
「……いえ」
令嬢はしばらく俺の顔を見つめたあと、怪訝そうに目を細めた。
「私が、誰だか分かってるわよね?」
「……?」
俺は首を傾げる。
「ごめんなさい。初対面よね?」
令嬢の顔から笑顔が消えた。
そして、何かを確かめるように俺をじっと見つめる。
「そう、そういうことね。そうやってまた、私をバカにしているのね」
なんか、全然違う解釈になってしまった。
なんだ? こいつ何を勘違いしているのだ。
「なんのことですか?」
「そうね。わからないわよね」
令嬢は苛立つ様子を見せて、拗ねたように離れていってしまった。
なんだあいつ。もしかして、エレノアの親友だったとか? 俺が中身別人なせいで、忘れてるから拗ねてしまったのか。
いーや! それしかない。
たくっ、可愛いやつめ。
あとでもう一回会いにいくか。




