彼女はパンしか見えません
あれから三日ほど経ったが、結局殿下には一度も会っていない。あの日はあのまま家に送り届けられ、問題なく終わった……こいつさえいなければ。
「おはよ」
女は階段を降りてくると、眠そうに目を擦って椅子に座った。
「めしッ!」
女が叫ぶと慌ててメイドたちが準備を始めた。そう、あれからこいつが俺の家に住み着いているのだ。一日五回くらい部屋から降りてきて、その度ご飯を要求する。いわゆる、引きこもりニートである。
俺が睨むように見つめていると、それを気にしたのか笑顔で何か聞いてくる。
「おお、お前もなんかいるか?」
いや、ここ俺の家なんだけど。なんで、全部こいつのものみたいになってんの我が家。
とは言え、別に俺も部外者なんだけどね。
とりあえず……追い出すか!
「帰れ」
「……」
女の笑顔がわかりやすく引きつった。
「いやでもーー」
「帰れ」
俺は一言も喋らせないように、冷たく言い放った。
なんでこんなゴミ女を家に置いておかなきゃならんのだ。
女はしばらく黙っていた。
先ほどまで浮かべていた笑顔は消え、代わりに、捨てられた子犬のような顔をしている。
「……ここ、追い出されたら行くところないんだけど」
「知らん」
即答すると、女は露骨に肩を落とした。
そのタイミングでメイドたちが震えながら、パンを運んできた。
焼きたてのパンの香ばしい匂いが部屋に漂う。女はその匂いにつられるように、焼きたてのパンをチラチラと見ている。
「三日だぞ」
「うん」
「三日間、一歩も外に出てないだろ」
「出たら疲れるし」
「飯は五回食うだろ」
「成長期だから」
「お前、何歳だよ」
「18」
「帰れ」
女は何か言い返そうと口を開いたが、結局何も言わずに閉じた。
そして、恐る恐る机の上に置かれたパンに手を伸ばした。
「……食べていい?」
「帰れ」
「食べてから帰る」
「ほんとか? たく」
女は飛びつくようにパンを掴むと、嬉しそうにパンを頬張った。
どうやら、俺の言葉など最初から聞くつもりがないらしい。
俺は深く息を吐いた。
窓の外では、小鳥が一羽、枝から枝へと飛び移っている。
なんとも平和な朝だった。
だからこそ、余計に腹が立つ。
「……なあ」
「ん?」
「お前、本当に帰る気ないのか?」
女はパンを咀嚼しながら、少しだけ視線を落とした。
「……ない」
その声だけは、妙に静かだった。
いつものふざけた調子ではない。
俺は何も言わず、女を見る。
女は手元のパンを見つめたまま、小さく続けた。
「帰ったらまた、ホームレスなるし」
「知らんわ。帰れ」
俺が顔色ひとつ変えずに言うと、女はとうとう泣きついてきた。パンはガッチリと掴んだままだった。
そして、同情を誘うように上目遣いのうるうるとさせた瞳を向けてくる。
「ひ、ひどいよぉ。ね? いいだろ?」
「いや無理」
「なんでもする。なんでもするからぁ!」
女は俺の肩を掴んで、体を前後に激しく揺さぶった。
「じゃあ出ていけ」
「それ以外で!」
「なんでもするって言っただろ」
「それは無理!」
「なんでもじゃないじゃんか」
俺が呆れていると、女は少し考え込むように顎に手を添える。
「……じゃあ、家事する!」
「お前、三日間何した?」
「寝た」
「飯は?」
「食べた」
「それ以外は?」
「寝た」
「帰れ」
「なんでぇ!?」
女は涙目になりながら、また俺の肩を揺さぶる。
その手には、まだパンが握られていた。肩に乗ったパンくずがどんどん増えていく。
もう、めんどくさくなってきたな。
「お前、そのパン食べ終わったら本当に帰れよ」
俺がそう言うと、女はとても深刻そうに顔を下げた。
ちょっとだけ可哀想だな。家もないんだし、そりゃすがりたくなるよな。
「なんで黙る?」
「……もう一個食べていい?」
死ね。




