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第8話 新たなる日常へ向かう道

「わたしたちをお嫁さんにしてください!」


 夜の庭に、サイカの声が響いた。


 四方院本邸の敷地内。


 永久の桜の下。


 浴衣に羽織を引っかけただけの水希桜夜は、三人の少女を前にして固まっていた。


 サイカ。


 リオ。


 ホムラ。


 三人は白いローブを身にまとっている。


 戦闘用の魔女装束ではない。


 祈りの衣でもない。


 けれど、夜の中で淡く光るその白は、どこか花嫁衣装を思わせた。


 雷の黄。


 湖の青。


 炎の赤。


 三つの色を包む白。


 それは、魔女の終わりを見届けたときの光に似ていた。


 そして、その光を背負った少女たちが、真剣な顔でとんでもないことを言ったのである。


「……もう一度、言ってもらえるかな」


 桜夜は静かに尋ねた。


 自分の聞き間違いであってほしい。


 いや、聞き間違いではない。


 だが、聞き間違いということにしたい。


 そんな気持ちだった。


 サイカは両手を胸の前で握りしめ、顔を真っ赤にしながらも、まっすぐに桜夜を見た。


「わたしたちを、お嫁さんにしてください」


「うん。聞き間違いじゃなかった」


 桜夜は空を見上げた。


 月が綺麗だった。


 できればこのまま月になって逃げたい。


 そんなことを考えた瞬間、胸の奥で鳳凰ひよこがぴよぴよ笑った。


 笑うな。


 桜夜は心の中でひよこに言った。


 しかし、ひよこは笑い続けている。


 焼き鳥にしてやろうか。


 それでも笑っている。


 神獣ゆえに肝が据わっているのか、ただの阿呆なのか、最近わからなくなってきた。


「ええと」


 桜夜は咳払いをした。


 そのせいで、喉の奥に残っていた血の味が少し戻ってくる。


 まずい。


 今、吐血するわけにはいかない。


 この流れで血を吐いたら、三人が絶対に別の意味で取り乱す。


 桜夜は手の甲に残っていた血を、羽織の袖でそっと隠した。


「君たち、いきなり何を」


「いきなりじゃありません」


 リオが静かに言った。


 彼女の声は落ち着いていた。


 だが、よく見れば、指先が震えている。


「ずっと考えておりました」


「ずっと?」


「母とお別れしたあとから」


 不死身の魔女の、いや、母親との小さな別れの儀式。桜夜の奇蹟執行はそのためだった、


「ばばあのやろう。オレが殴る前に塵になっちまった」


「魔女は葬儀をしません。遺体も残りません。……父も行方知れずで母のことを伝えることもできません」


 奇蹟執行を行ったのはいつだったか。昨日か一昨日か。そもそも魔女の庭は時間の流れがおかしかった。桜夜がこちらの世界にもどったとき夜が明け一日が始まった。夕刻に宗主に謁見し、酒を酌み交わした。今はまた夜だが、三日三晩吞んでいたような気もする。カレンダーはないがとりあえず大きな古時計に目をやった。かわたれどきだ。魔女の求婚にはちょうどいい時間帯である。三人の意図を考えた。特にリオの意図を。彼女は聡明だ。男に取り入り、安全を得ようと思いついても不思議ではなかった。しかし、ならなぜ三人一緒なのか、とくにホムラなど「あのバカと結婚するくらいなら死んでやる」とかいいそうだが。そんな疑問に答えるためか、サイカがさらに一歩前に出た。


「お母さんを見送って思ったの」


「うん」


「わたしたち、もう帰る場所がないんだなって」


 サイカは続ける。


「お母さんは死んだ。お父さんは来なかった。どこにいるのかもわからない。わたしたちは自由になったけど、自由って、どこに行ってもいいってことなんだよね?」


「そうだね」


「でも、どこに行けばいいのかわからなかった」


 なるほど。今まで親の言いなりに生きてきた子どもにはよくあることだ。コンパスを無くした迷子になることは。


「それでわたし、桜夜さんのところに帰りたくなった」


 帰る。


 その言葉をサイカが無意識に選んだのはなぜだろう。


 桜夜は「会いたい」という思いに取りつかれている。しかしかつては違った。桜夜には帰る場所があった。先生の隣、白いあの子の隣。そこが彼の帰る場所だった。

 サイカは桜夜の隣を帰る場所にしたいのだろうか。それは「依存」の兆候ではないのか。ただ家がほしいだけなら、魔女の本場イギリスにある彼の屋敷をしばらく貸しておげよう。そう提案する前に、リオがサイカの横に並び、口を開いた。


「わたくしも同じです」


「リオも?」


 リオの湖の瞳を見る。桜夜の濁った黒い瞳は、リオの心を見透かすことなどできない。だから彼女の言葉を待つ。


「Stand by me」


 きれいな英国式の英語だった。発音の仕方も上流階級のそれに近かった。


「母の遺品、古ぼけた写真の後ろに書いてありました。母と父以外は知らない方々でしたが、母にも、そばにいて支えていてほしい方々がいたようです。


 泣いたあとに残る、素直な疲れの混じった笑みだった。


「でもわたくしは、違う道を選びたいと思ったのです。Stand by meではなく……」


『Be with you』


 リオの言葉がかつての幼い桜夜の言葉と重なる悲しい偶然だった。


「桜夜様、わたくしは、あなた様の傍であなた様を支えたいのです」


 桜夜もかつてあの子に同じことを言った。「支えてほしい」なんて言えない「白」に。「ずっと共に」と誓った。その約束は無残にも打ち砕かれた。


「あなた様は、わたくしたちに死を差し出しませんでした。母にも、死だけを救いとはしませんでした。あなた様のそばなら、わたくしたちは生きることを選べる気がしました。でもただ「支えて」なんて甘えたことは言いません。わたくしが、わたくしたちが、あなた様を支えます」


「強いね」


「桜夜様が弱いんですよ」


 桜夜とリオは微笑みあう。桜夜は困ったなあと思っていた。桜夜を「強い」と評価するものは多くても、「弱い」と評価するものはすくない。彼は大抵のことなら人並み以上にできる。永遠に近い命を持ち、無限の知識を学ぶ時間がある。戦闘能力も高い。個人戦も強いし、指揮官適正もそれなりだ。だがその「核」は「柱」は、支えを失っていた。彼は生ける屍だった。


 最後にホムラが前に出る。


 彼女は腕を組んで偉そうにしていた。


 だが顔は赤い。


 怒っているのか、照れているのか、両方なのか。


「オレは、難しいことは言えねえ」


「だろうね」


「馬鹿にしたな!」


「あははは!」


 この子をからかうのは楽しいなと思いつつ、彼女が次の言葉を紡ぐのを待った。


「くそばばあは死んだ。くそおやじは来ねえ。でもおやじがばばあを……その……」


〈愛していた〉のだと証言したかったが、恥ずかしくてできないホムラはもじもじしていた。結局べつのことを言った。


「まだばばあとおやじと一緒にいたころ住んでいた家に言った。形見は残っていた。掃除すればまた住める。でもよ。ばばあとおやじの席はからっぽだ。あの家はもう、からっぽなんだよ」


「オレはからっぽじゃない方がいい」


 桜夜は、ただ聞いていた。


「桜夜、おれはてめえが嫌いだ。てめえの中にいる神様気取りのひよこも嫌いだ。ばばあを助けなかったタオも、その子孫の四方院家の連中も嫌いだ。そして何より!」


 ビシッと桜夜を指さすホムラ。


「てめえのからっぽの心が大嫌いだ」


 リオとは違う。野生の勘だろう。ホムラは傷つき、壊れ、風に吹かれてなくなってしまった桜夜の心に感づいたのだ。


「そんな奴と結婚したいの?」


「ああ。オレたちが、お前の心になってやる」


 ホムラはまっすぐに桜夜を見た。


 情熱的な告白だった。からかいたかったが、桜夜はなにも言えなかった。


 人間は矛盾した生き物だ。「お前の代わりなんていくらでもいる」と言っていたかと思えば「誰も誰かのかわりになることはできない」とも言う。先生は免許皆伝のときに言った。もっと先生から学びたいと駄々をこねる愚かな子どもを諭すように。


『必要なことはいつも誰かが教えてくれる。お前が学ぼうとすればな。だから一瞬一瞬を、一期一会を大切にするんだ』


 先生はその一週間後永久の眠りについた。あの子も喪った。


 桜夜はいつも失うことを恐れるようになった。一瞬一瞬を後悔で生き、一期一会を恐れた。


 からっぽの心はからっぽのままでいい。そうしたらこれ以上は傷つかない。なのに……。


「魔女は重婚OKだから安心してね!」


 サイカの場違いに明るい声が思考を邪魔する。


「ドクター静馬も、四方院家の権力が妻があれば何人いてもどうにかできるとおっしゃっていました」


 リオも続く。


「あのサイコパスドクターめ……」


 今度は繁殖実験がしたいのだろう。不死身の魔女の子孫と、不死身の騎士の子ども、どんな化け物が生まれるのかわくわくしているに違いない。


「こ、子どもも産めるぞ……?」


 ホムラは真っ赤になって付け足す。その言葉はあの子を思い出させた。


 夜風が吹いた。


 桜の枝が揺れる。


 けれど永久の桜のクローンなのに花はない。


 この木は一度も咲いたことがない。


 それでも異常なスピードで成長し、巨木となり、決して枯れない。


 桜夜の写し鏡のような存在だった。


「僕は、他人を不幸にするのが得意だ」


 先生は桜夜に囲碁や将棋を教えた。みるみるうちに上達した桜夜は、相手が一番嫌がる、徹底的に苦しめる方法を取るのが得意だった。小児病棟でいじめられたときも、陰湿な仕返しをした。それでいて桜夜は、竹刀で先生を叩くことができなかった。躱されたのではなく、怖くてできないのだ。他者を苦しめて悦楽に浸る資質、他者を傷つけることを極度に怖がる資質。だから先生は、防御の業しか教えなかった。心と身体を鍛えることしか教えなかった。そんなだから、桜夜はあの子の笑顔を守れなかった。


「わたしたちも不幸にするの?」


「きっとね」


「わたくしはかまいません。あなた様となら地獄までお供します」


「オレたちは勝手に幸せになる。てめえが馬鹿なことをしたらぶん殴ってやる。だから不幸になることはねえ」


「強いね」


 そして若い。不幸になど、勝てるはずもないのに。


「女の子はね。好きな人のためなら世界最強になれるんだから!」


 サイカが胸を張る。


 リオがほほ笑む。


「オレは嫌いだけどな」


 ホムラはそっぽを向いて小さく付け足した。


「……大嫌いではねーけど」


 三人からは純粋な「好意」を感じる。利用し合う世界では、この子たちは生きれないだろう。この子たちが自分のようなガラクタなんて必要ないと思えるまで、少しだけ寄り道をしよう。あの子の笑顔にまた出会う日まで時間はたくさんある。


「まだ少し寒いな。入りなさい」


 いつまでも庭で話すことではなかった。縁側から立ち上がった桜夜は三人にそのまま屋敷に入るよう促した。日本家屋と洋館を合わせた家、廃墟同然だったが、なんとかリノベーションしたものだった。

 少女たちはお互いを見た。プロポーズの返事を急かすつもりはなかった。でも家に招いてくれるというなら、このまま住み着いてやろうと魔女たちは笑みを浮かべた。だから言った「お邪魔します」ではなく……。


《ただいま!》


 からっぽの少年に与えられた廃墟。先代相談役に捨てられた親友と一緒にきれいにした屋敷。そこは桜夜にとっては遊び場であり寝る場所であった。


 そして今、少女たちの「帰る場所」になった。



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