第84話 「忘れない」
四方院家の保管庫で玄武は荒い息をしていた。桜夜のことを完全に忘れた一と京子は玄武を休ませようとするが、玄武はタオの資料の解読をやめなかった。
自分の中の記憶が蝕まれていく。そのたびに玄武は「南無大日大聖不動明王……」とつぶやいた。そうだ、あの男は不動明王のような奴だった。炎を裁きにも癒しにも使った。
「……待っておれ、今、わしが……」
それだけを言い残し、玄武は倒れた。
◆◆◆
そのころ、伊豆での捜索では一行に手がかりが見つけられなかったあずさたちは、伊豆の別荘で顔を見合わせていた。サイカ、ホムラ、リオは、桜夜からもらったアクセサリーを握りしめ、記憶への浸食に耐えていた。あずさは鳳凰が消えても残ったその羽を握りしめていた。そして全員が同時に思った。
――桜夜ははじまりの場所に帰った。
桜夜のはじまり、それは如月あずさだ。そのシンボルとして一番強いのは、墓。ホムラが一番に駆け出し、リオとあずさがそれを追いかけた。サイカは自分のおなかに手を触れ、「大丈夫。あなたのお父さんだもん」とつぶやいてから駆け出した。
ホムラは寝ている運転手を文字通りたたき起こし、横浜の如月あずさの墓へ行けと怒鳴った。運転手はなぜ縁もゆかりもない少女たちを送迎しなければいけないのかと少し不服そうだったが、玄武の命令であることをかろうじて思い出し、しぶしぶ車を出した。
◆◆◆
「……意外と三日って長いね。ねえ、あずさ」
桜夜は如月あずさの墓にそう話しかけた。もう消滅の準備は済ませたのに、なかなかそのときが来ない。
「あんまり、遅いと、生きたくなっちゃうじゃん」
桜夜は芽生えかけた気持ちに蓋をした。そして目をつむろうとした。しかし足音が聞こえた。しかも走るような足音だ。
「走ると危ないよ……!」
誰かはわからないがそう声が出ていた。
「……!」
視線の先には桜夜が逢いたくなかった“現在”がいた。
最初に姿を見せたホムラは思いっきり桜夜の腹に拳を入れた。
「ごほっ……痛いよ、ホムラちゃん」
見上げたホムラの顔は泣きそうだった。
続いてリオが近づいてきて、桜夜に水の治癒魔法をかけてくれた。
「ごめんなさい、ホムラちゃんが……」
リオの手には記録道具はない。ただ端正な顔を涙で濡らしていた。
「……バカ」
次にあずさがそう言って涙を流しながら、桜夜をにらんだ。
最後に来たサイカは、桜夜の決定を受け入れるように微笑んだ。
しかしその手は、自分の腹部を押さえていた。
(ああ、うれしいな。僕のことを探してくれたのかな?)
桜夜の目にも自然と涙が浮かんできた。枯れたと思っていた、涙が。
桜夜はホムラを見る。
(いつも勝気なホムラちゃんの泣き顔は貴重だから、覚えておかなくちゃ)
リオを見る。泣きながら謝る彼女の頭を撫でる力は、もう桜夜にはなかった。
(泣かないで、せっかくの美人さんが台無しだよ)
あずさを見る。涙のせいか、二人いるように見える。
(ありがとう。最期にまた叱ってくれて)
そしてサイカを見る。
(君は最後まで僕とおなかの子を心配するんだね)
桜夜は目をつぶる。涙が頬を伝った。
(幸せだ。幸せな夢だ。最期に、みんなに会えた)
『桜夜』
誰かがそう呼んだ気がした。
(名前。明人先生が、僕を人間にしてくれた名前。もう、呼ばないで)
『桜夜!』
(……そんなに呼ばれると)
『桜夜‼』
(もう少しだけ、その名前で呼ばれたいって思うじゃんか……!)
そのとき、どこかの教会の鐘が鳴った。




