第83話 母のように
天界の最も神に近い貴き場所。そこでガブリエルは必死に神に語りかけ、祈っていた。あの日、オメガとルシフェルが桜夜に干渉してきたときから、ずっと。しかし神は応えなかった。
桜夜は不死身の魔女と伴侶を救い、神の愛と恩寵を示した。教皇と魔女の子孫の間を取り持ち、神の御代が来るにふさわしい舞台を作り上げた。立派に奇蹟執行官の務めを果たした。だから褒美に奇蹟を与えてほしい。ガブリエルは言葉を変えながら何度もそう頼んだ。祈った。しかし神は応えなかった。ガブリエルは嘆くようにつぶやいた。
「なぜですか……桜夜は……」
天使に声が枯れるなどという現象はないはずなのに、ガブリエルは言葉に詰まった。神と桜夜を褒めたたえる言葉ももう尽きて来た。それでも祈ることだけはやめなかった。
「お願い、します……どうか、あの子を……」
絞り出せた言葉はそれだけだった。不意に誰かが肩に優しく触れてきた。ガブリエルが顔を上げると、そこには聖母マリアがいた。
「ようやく、素直になりましたね」
マリアはそれだけ言うと、他の信徒が望んだときと同様に、願いの執り成しを行った。すると、イエス・キリストが静かに現れた。いや、最初からそこにいたのに、ガブリエルには見えていなかったのかもしれない。
「ガブリエルよ」
「イエス様……」
「そうまで水希桜夜を救いたいか」
「はい」
「……ガブリエルよ。見なさい」
キリストが両腕を広げると、世界の様々な場面が映し出された。多くの者が泣いていた。血が流れていた。祈っていた。神の沈黙を嘆いていた。
「ガブリエルよ。世界には今も多くの悲劇がある。尊い祈りがある。しかし父はそのすべてにお応えにはならない。にもかかわらずガブリエルよ。お前は九九匹の羊を差し置いて、水希桜夜という一匹の羊を救いたいと言うのだな」
ガブリエルは躊躇わずに答えた。
「そうです。依怙贔屓が罪だというなら、その罰は私が引き受けます」
イエスは瞑目してから言った。
「分かった。これより聖霊が水希桜夜の縁と想いを見定める。多くの者が忘れても彼を覚えていたいと望む者が一人でもおり、かつ水希桜夜自身が生きたいと願うなら、父は相応の奇蹟をもたらすだろう」
ガブリエルはただ祈り、マリアとイエスは並んで地上の様子を見つめた。




