第80話 終焉
如月あずさの墓で永遠の愛を誓い直してからも、桜夜には大きな任務は与えられなかった。世界に火種は多くあれど、彼を前線に呼び出すほどではなかった。
だからサイカとの子どもが生まれるのを、桜夜は穏やかに待った。
リオはそんな桜夜の世話をしながら、次は「わたくしの番ですよね」という圧力を日に日に強めていった。
ホムラは住み着いたあずさに桜夜が手を出さないよう、また妊娠しているサイカに手を出さないよう、毎日のように「したいならオレにしろ」と言い続けた。
あずさは、桜夜が自分の後ろに如月あずさを見ていても気にしなくなった。似ていることも、同じ魂を持っていることも否定せず、それでも自分は自分だと言って笑う。その強さが、桜夜には不思議なくらい「あずさらしく」思えた。
やがて桜夜が伊豆で起きた偽キリスト騒動の様子を見に行った日だった。“それ”が接触してきたのは。
「ここは……」
一面真っ白な世界に桜夜はいた。あずさの白とは違う、まるで病室を思わせる無機質な世界だった。そこに白い衣と光をまとった人物がいた。
「キリスト……?」
桜夜は思わずつぶやいた。まるで宗教画から出てきたかのように、その存在は“キリスト”に見えた。しかし咲夜の警告とヨハネ・パウロ三世との交流が桜夜にその存在が“誰か”気付かせた。桜夜は竹刀袋に入れた桜吹雪に手を伸ばした。
「え……?」
あるはずの桜吹雪がそこにない。続けて体内の鳳凰に呼びかける。
……いない。周囲の精霊を探す。
いない。
誰もいない。
「……っ」
桜夜は血を吐いて膝をつく。全身が痛い。呼吸が苦しい。死ぬはずだった“あのとき”に戻ったようだ。やがてキリストのような男が慈悲深い声で言った。
「今苦しみから解放してあげましょう」
その瞬間男の心臓部分に矢が刺さった。
「天使の矢。上位存在の介入。まあいいでしょう。どちらにしろ、あなたは消滅します。さようなら、水希桜夜。安らかに」
男が姿を消すと、入れ替わるようにガブリエルが降臨した。
「桜夜……!」
ガブリエルが抱き上げた桜夜は、ひどく衰弱していた。本来なら、幼かったあの日に終わっていた命。その先に積み重ねてきた年月そのものが否定されていくように、桜夜の存在は少しずつ希薄になっていた。
「……これで、やっと、あずさの……」
「黙りなさい! 今何か……」
ガブリエルは方法を考える。しかし幼い日に死ぬ運命だった少年を再び生かすほどの奇蹟の執行には父なる神の承認がいる。
「天地にまします我らが主よ。奇蹟執行官水希桜夜に奇蹟を」
しかし神はいつも通り沈黙を続けた。それでもガブリエルが祈ろうとしたとき、もうひとり天使が降臨した。
「よう」
「ルシフェル……!」
「ようやく出来損ないが死ぬらしいな」
「うるさい!」
「昔の上司になんて態度だ……」
かつて神に次ぐナンバー2の座にいた元天使長をガブリエルは息子の敵のようににらんだ。その飄々とした態度が、あずさを喪って壊れ、仮面をつけた桜夜に似ていることも彼女は気に入らなかった。しかしルシフェルは天使の笑みを浮かべた。
「時間を稼いでやろう」
「え……?」
ルシフェルが桜夜へ手をかざした。桜夜の存在の希薄化がほんの少しだけ緩やかになった。
「何をしたの」
「希望の欠片を与えてやった。三日は持つだろう。キリストは死んで三日後に蘇った。この出来損ないは三日間ですべてを失う」
「あんた……」
「せいぜい楽しませてくれよ?」
それだけ言い残し、ルシフェルは姿を消した。苦しそうな呼吸を続ける桜夜を一度強く抱きしめると、ガブリエルは伊豆に桜夜を連れて戻った。その弱った身体に少しだけ癒しの光を与えて安定させると、急いで天界に戻った。
(早く奇蹟の嘆願を……)
ガブリエルの頭にはそれしかなかった。
残された時間は、あと三日。




