第77話 「忘れたくない」
桜夜は四方院あずさと会いたくなかった。少女を通して、如月あずさを見たくなかった。しかしとうとう出逢ってしまった。しかもなぜか懐かれた。
「これからは青龍家行きだけじゃなく、会議も全部ボイコットしよう」
四方院の他の屋敷に近づかなければもう会うこともないだろう。そうすれば彼女も自分を忘れてくれる。仮にそれで四方院家を追放されてもイギリスやイタリアに行けばいい。いやがらせに天皇陛下にこっそり「四方院家に追い出されました。陛下にもう仕えることができず残念でなりません」という趣旨の手紙も送ってやろう。そう心に誓った。
それから数日、桜夜のボイコット生活は続いた。書類仕事やメール対応はたまにするが、前線には出ないし会議にも出ない。立てこもりというか引きこもりというか、そんな生活をしていた。そんなある日庭から大きな声で呼ばれた。幼い少女の声だ。そっと窓から覗いてみる。そこには幼稚園児の服を着たあずさがいた。
「なんで屋敷ばれたの⁉」
誰が裏切者か考えていると執務室のドアが乱暴に開いた。ホムラだった。
「おいペド野郎。お前の大好きな幼稚園児が呼んでるぞ」
「だからそんな趣味ないって。どうせならホムラちゃんに着せた……」
「ああ?」
「行ってきます……」
戦えばホムラより強いはずの男はとぼとぼと廊下に出て庭にいるあずさのもとに向かった。
「あずさ」
「おーや!」
目線を合わせるためにしゃがんだ桜夜にあずさは無邪気に飛び込んでくる。なんとなく大型犬と遊ぶときを思いながら彼女の頭を撫でた。
「むふー」
あずさは満足そうな声を出してますます頭を押し付けた。自分に懐かれた如月あずさもこんな思いだったのだろうかと思いつつ、それとなく裏切者を探ろうとした。
「それでどうやってきたの?」
「幼稚園から車に乗って、桜夜の家に寄ってって言ったら普通に連れてきてくれたよ?」
その運転手を割り出していやがらせをしてやりたいが、兄貴分の一の家の人間にそんなことはできなかった。
(白虎家の運転手だったらいつものお礼できたんだけどなあ)
桜夜がそんなことを考えていると、あずさは彼から離れ、庭に咲いていた白いカーネーションを見ていた。
「このお花なに?」
「カーネーションだよ」
「お花言葉は⁉」
「私の愛は生きている」
「へえ、桜夜ってなんでも知ってるね!」
桜夜の胸がずきりと痛む。それは読書家だった如月あずさに桜夜が何度も言った言葉だったからだ。
『おねえちゃんはなんでも知ってるね!』
「……おーや? どうしたの?」
「……え? ああ、なんでもないよ」
「そっか! ねえ、おなかすいた」
じゃあおうちに帰ろうね。桜夜がそう言う前にサイカとリオが庭に出てきた。リオはあずさに優しく微笑む。
「あずさ様、はじめまして。中におやつがありますよ。よかったら食べて行ってくださいませ」
「ほんと⁉ やったー!」
「リオちゃん……」
桜夜は困った顔で屋敷に入っていくリオとあずさを見送った。不意にサイカが桜夜に近づいてくる。
「ひょっとして、桜夜さんって、子ども、苦手?」
サイカはまだ膨らまないおなかに触れながら少し残念そうに顔を伏せる。
「いや、そんなことは……。それより、僕もおなか触っていい?」
「桜夜さんなら、いつでもどこでもどんな場所でも触っていいよ?」
「……あんまりそんなこと言わないでね」
すこし困りながらサイカの腹部に触る。自分の中にある鳳凰と共鳴すると同時に反発してくる。桜夜は確信した。このおなかの子は光と闇の不死鳥の力を継承している。いつどんな形で生まれてくるかもわからない。母体と胎児の安全性もわからない。それでも……。
「サイカとおなかの子は、ちゃんと守るから」
「ありがとう、桜夜さん」
二人は庭で唇を重ねた。ふと桜夜は二階から視線を感じた。執務室の窓からホムラが鬼の形相でにらんでいた。
◆◆◆
屋敷に入った桜夜はご満悦のサイカと不機嫌なホムラに挟まれながら、あずさとリオを見ていた。あずさが豪快にケーキを頬張り、その口元をリオが拭いていた。
「リオちゃんって世話好きだよね」
「そうですね……。桜夜様のお世話をしていたら好きになりました」
姉妹ののろけ話に、ホムラは「けっ」と悪態をつく。
「ホムラちゃん。あずさが真似したらどうするの?」
「うるせえ、だったらさっさと家に帰せよ」
「いや、そうなんだけど……」
桜夜も困った顔になる。今の彼にとってあずさは四方院の令嬢だ。いわば上司の娘みたいなものなのである。彼が如月あずさを重ねてしまうとしても、来てしまったからには邪険にはできない。その言い訳染みた内心を知ってか知らずかホムラはあずさに見えないように桜夜をつねった。
「い、痛いよ?」
ホムラは無視を決め込み、サイカはニコニコ笑っていた。
◆◆◆
おやつの時間が過ぎ、夕食の時間が近づいても、あずさはリオの話に聞き入っていた。記憶力のいいリオは、いろんな物語や体験を何も見ないで話すことができた。あずさはそんなリオに目を輝かせていた。
サイカがしたいからと夕食の準備に行ってしまったため、取り残された桜夜とホムラがひそひそ話を始める。
「おい、どうするんだよ。帰らねえぞ」
「どうしたらいい?」
「いや車まで連れて行けばいいだろペド野郎」
「大丈夫かな? 泣かないかな?」
「女を泣かせて悦ぶサディストがなにいってやがんだ」
「だからそんなことしてないって」
「ねー、なんで二人で内緒話してるの?」
「いや、なんでもないよ。それより、そろそろ暗くなるから帰ろっか」
「やだ!」
桜夜がどうにか笑顔を作って機嫌を伺うが、あずさは満面の笑みで拒否した。
「いや、お父さんも心配してるよ」
「パパもママもおーやならいいよって言ってたよ?」
「なにがどういいんだろうか……」
自分の兄貴分夫妻の発言の意味が分からず、桜夜は頭を抱えたくなった。そこで滅多に鳴らない桜夜のスマホが鳴った。
「おーや、お電話、でないの?」
「あー、うん」
子どもの前で電話は嫌いだと駄々をこねるわけにもいかず、スマホを取り出す。表示されている名前は四方院一だった。
「はい、水希です」
「そんな固い挨拶はいいから。それより娘がそっちに行ってるよね」
「はい。夕飯までには帰したいので迎えに来てください」
「あずさ本人はなんて?」
「……今代わります」
「あずさ、お父さんだよ」
桜夜がスマホをあずさに差し出すと彼女は弾む声で言った。
「パパ! あずさ、桜夜の家に泊まるね! ……桜夜、パパがOKだって!」
桜夜はあずさからスマホを受け取り、表情を誰にも見せないように後ろを向いた。声も気持ち小さくなる。
「兄さん。この子と僕は……」
「桜夜」
関わらない方がいい、そう言おうとした弟分を一は優しく遮る。
「決めるのはあずさだ」
「……甘やかすのは愛情ではないですよ」
「そうかな? 君はもっと甘やかされるべきだと思うけど」
「今は僕の話はしていません」
「まあとにかく、したいようにさせてみてくれ。どこでなにを止めればいいか、君ならわかるだろう」
「……承知いたしました」
桜夜は不承不承でうなずいた。
◆◆◆
それから夕食の時間まで桜夜は、あずさのすきすきアピールとホムラの冷たい視線に耐えた。だが夕食に時間になると、桜夜は発作的にあることに気付いた。
それはサイカの作ったカレーを美味しそうに食べるあずさを見ていたとき、ふと思ったことが原因だっった。
(あれ? “あずさ”ってなにが好きだったけ?)
病院での食事が多かったから思い出せない。
伊豆での暮らしのときにはもう食が細くなっていた。
それでも好きな食べ物があったはずだ。
なぜ思い出せない?
あんなに愛した“あずさ”のことなのに……!
呼吸がおかしくなるのを感じ、桜夜は立ち上がる。
「……っ」
そして桜夜は逃げ出すように走り出した。全員がポカンとしていたが、一番最初に立ち直ったホムラが舌打ちしながら追いかけていくことにした。
「お前らはメシ食ってろ!」
庭に飛び出した桜夜はまだ一度も花を咲かせたことのない“永久の桜”の幹に手をついて。
「いやだ……忘れたくない」と延々つぶやいていた。
ホムラは頭が痛くなるのを感じながら「おい」と桜夜に声をかける。無視されたので無理やり振り向かせた。その顔を見てホムラはため息をついた。
「おまえなあ……」
桜夜は泣いてはいなかった。しかし迷子の子どものような顔をしている。ホムラがめんどうなやつだなと頭をかくのも仕方なかっただろう。
「ちょっとそこ座れ」
ホムラが椅子を示す。
「えっ?」
「す、わ、れ」
桜夜が所在なさげに大人しく座ると、ホムラがその頭を優しく、それでいて不器用そうに抱きしめた。
「思いつめんな」
「でも……」
「人間は忘れるもんだ」
「僕は……化物だよ?」
そこで世界一の騎士という如月あずさが与えた称号を出せない桜夜を、ホムラはダメなやつだと思った。そして自分がそんなダメな男に好意を向けていることも渋々理解することにした。だから笑い話をした。桜夜の気が少しでも紛れるように。
「化物だってずっとは覚えてられねえよ。うちのババアだって、物忘れ酷かったぞ」
「不死身の魔女が?」
「そうだ」
桜夜はそこで初めて笑った。
「なんだか意外」
「あのまま生きてたら、飯を食ったことすら忘れるババアになってたかもな」
「はは、さすがにそれはないでしょ」
ホムラがしばらく頭を抱いていると、桜夜がおずおずと背中に手を回してきた。いつも気安くベタベタ触ってセクハラするくせに、こんな時は遠慮するんだなと少し呆れた。しかし手は、桜夜の頭を撫でていた。
「あんま自分を責めんな」
「でも……」
「オレの前ででもは禁止だ」
「……うん」
桜夜はホムラのぬくもりと匂いを感じながら、不安そうに聞いた。
「もう少し、こうしていてくれる?」
「たく、しょうのない奴」
しかしホムラは抱擁も、頭への愛撫もやめることはなかった。




