第75話 四方院あずさ
「とにかく、あずさ。お父さんはまだお仕事だから、こっちへ行ってようね」
「うん!」
これでは昔と真逆だ。
まさか自分が、子犬のようになったあずさの面倒を見ることになるとは夢にも思わなかった。
あれほど死者蘇生や転生を望んだというのに、その願いが叶った先にこんな光景が待っているとは考えもしなかった。
しばらく歩いて和風庭園まであずさを連れていくと、そこにはキイロとアヒルとカラスがいた。
一瞬、皇帝アヒルと八咫烏かと身構えたが、アヒルもカラスも、もちろんキイロも、突然人間の言葉を話し始めたりはしなかった。
三羽はなんだか楽しそうにおしゃべりをしているようで、桜夜は縁側に腰かけて見守ることにした。
すると、あずさが当然のように桜夜の膝へよじ登ってくる。
「よいしょ」
落ちないように手を貸して、そのまま膝の上に乗せてやった。
なんとなく背中から抱きしめると、あずさは嬉しそうに鼻歌を歌い始めた。
幼い子どもは体温が高いと聞く。
そのぬくもりは、体温の低かった如月あずさとはまるで違う。
違うはずなのに。
腕の中に「あずさ」がいる。
ただそれだけのことが、桜夜の心に古い傷を思い出させた。
(昔は、僕がこうやって抱きついて怒られてたんだけどなあ)
そこへ、緑色の着物をまとった若き青龍家当主が姿を見せた。
「あっ、パパだっ!」
あずさは嬉しそうに声を上げる。
だが、桜夜の腕の中から飛び出していこうとはしなかった。
一はそれを見て、楽しそうに笑った。
「あずさ。もう桜夜を手なずけたのかい?」
「てなづけた!」
あずさが得意げに胸を張る。
桜夜は困るばかりだった。
「これなら、あずさが宗主になって、桜夜が相談役でもいいな」
その最悪な未来を口にした青龍の頭を、背後から伸びてきた杖が叩いた。
「痛っ!」
「ばかもん」
玄武だった。
「幼女の尻に敷かれた座布団に、相談役が務まるわけなかろう」
「僕はいつから座布団になったんですかね」
「いま」
「あずさ、桜夜は座布団なのか?」
「ざぶとん!」
「教育に悪いんでやめてもらえます?」
一と玄武が笑った。
桜夜だけがため息をつく。
「それで、パパ。お仕事おわった?」
「ああ。終わったよ。帰ろうか」
「うん!」
一が手を差し出す。
しかし、あずさはその手と桜夜を交互に見た。
そして、桜夜の服をぎゅっと握る。
「……桜夜も」
「はい?」
「桜夜もいっしょ!」
一は困ったように笑った。
「だそうだよ」
「いや、僕にも家があるんですが」
「知ってる」
「だったら」
「まあ、いいではないか」
玄武が面白そうに口を挟む。
「今日くらい青龍家へ顔を出してやれ。どうせ、この様子では離れまい」
「宗主まで……」
桜夜は膝の上を見る。
あずさは、絶対に離さないと言わんばかりに服を握っていた。
「桜夜、いっしょ」
その声には、どうしようもなく弱かった。
「……わかったよ」
「やった!」
あずさが満面の笑みを浮かべる。
昔、自分もこんな顔をしていたのだろうか。
そんなことを考えながら、桜夜は小さな身体を抱き上げた。子どもを抱くのに慣れているわけではなかったが、あずさが信頼して身体を預けてくるからか、妙に様になっていた。
「見て!」
「ん?」
あずさが指さした先には綺麗な夕焼け雲があった。如月あずさは世界の美しさが好きだった。それを思い出して、桜夜は感傷的な笑みを浮かべた。
「桜夜ってそう笑うんだ……」
小さなあずさのつぶやきは誰の耳にも届かなかった。




