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第6話 選択と後悔の先を目指して


《後悔しない選択を》


 その声は、誰のものだったのか。


 咲夜だったのか。


 先生だったのか。


 それとも……。


 桜夜にはわからなかった。


 ただ、その声を聞いた瞬間、閉じていた瞼の裏に、白が広がった。


 失った色。


 守りたくて、救えなかった色。


 そして今、視線の先の丘には十字架があった。


 サイカ。


 リオ。


 ホムラ。


 3人は眠っている。


 傷はない。


 血も流れていない。


 だが、黒い茨のような魔力が、彼女たちの手足と十字架を縛っていた。


 それでも桜夜は桜吹雪に触れなかった。


 刀を抜けば、魔女を斬れるかもしれない。


 神殺しの刃なら、不死身の魔女の丹田を貫けるかもしれない。


 だが、その瞬間、彼女の思惑通りになる。


 不死身の魔女は、死を求めている。


 救済としての死。


 解放としての死。


 それを桜夜に与えろと要求している。


 グノーシス主義者が、肉体を魂の牢獄と見たように。


 エデンの民が、生まれないことを慈悲と呼んだように。


 この女は、死を終わりではなく、救いとして欲している。


 それは、桜夜にとってあまりにも馴染みのある願いだった。


 だからこそ、気に入らなかった。


「どうしたの?」


 魔女がほほ笑む。妙齢の女性の色気と少女の無邪気さを兼ね備えていた。きっと彼女はモテただろう。そして魔女だとわかったとたん手のひらを返された。なぜだかそんな気がした。


「あたくしを殺せば、すべて終わるわ。あなたは娘たちとの約束を果たせる。あの子たちは自由になる。あたくしも、ようやく終われる」


 黒いドレスの裾が、夜風に揺れた。


 ユダの木の葉が、音もなく落ちる。


 裏切り者の木。


 救いのために罪を負った者の木。


 この庭園は、あまりにも悪趣味だった。


「殺しなさい」


 魔女が騎士に命じる。不思議な光景だ。王の命令で騎士が魔女を殺したことはいくらでもある。だが魔女が自ら、しかも人質を取ってまで断罪と救済を望むのはおかしい。笑いそうになる桜夜には気づかず、魔女は続ける。


「あなたは神殺しの騎士なのでしょう」


 桜夜はとうとう笑った。


「神殺しの騎士、ね」


 自分で名乗った覚えはない。


 今初めて呼ばれた称号だ。


 だが不思議と馴染む。昔からそう呼ばれていたような気さえした。


「それが「世界意思」のお望みとあらば」


 桜夜は桜吹雪に手かける。わざわざ抜いて見せびらかす必要もない。抜いたら最後。魔女は死ぬ。それが理解できた。


 世界の筋書きに抗うように見えて、結局は筋書きの中心へ置かれる者。


 桜夜は、その役割が心底嫌いだった。


 しかしこの嫌悪感すら「世界意思」が用意した舞台装置なのだろう。


「ひとつ、聞いても?」


「なにかしら」


「あなたは本当に、死にたいのですか」


 魔女の笑みが、わずかに止まった。


「おかしなことを聞くのね。あたくしはずっと、それを望んできたのよ」


「そうですか」


 見つめ合った魔女と騎士の目にはどちらも同じ色を持っていた。


 諦め。


 長い長い旅の終わりに、何も得られなかった老人の目だった。


「あなたはどうなの?」


 魔女が一歩近づいた。場違いなくらいのいい匂いがした気がする。


「あたくしにはわかるわ。あなたも終わりたがっている。生きることに疲れている。誰かを守る形で死ねるなら、それを美しい終わりだと思っている。そのくせ、希望にすがりたいとも思っている」


 不死身になった先輩は、すべてお見通しらしい。桜夜は疲れた笑みを浮かべる。沈黙は肯定だ。


「あなたとあたくしは似ている。終わりを求める者同士、きっと分かり合える。あたくしを殺して(救って)くれるなら、あなたの願いを叶えましょう。死者に会いたいのでしょう?」


 魔女側に桜夜を殺す手段はない。だから「終わり」をプレゼントしてもらえるのは魔女だけだ。悪魔はいつも、天使のような笑みを浮かべて魅力的な提案をしてくる。

 会いたい。もう一度だけでいい。きっと魔女が悠久のときの中で集めた知識の中にはあるのだろう。冥界への道を開く方法が。かつてイザナギが死んだ妻に会いに行けたように。

 桜夜は桜吹雪を抜いた。そして……。



 放り出した。



 師匠の形見を乱雑に扱うのはどうかと思った。だが、今魔女を切り、冥界に行ったら、先生のげんこつが待っている。そしてきっとあの子は……「白」は、笑ってくれない。


「果たせなかった、約束」


 桜夜は誰に聞かせるでもなくつぶやいた。


『あたし、絶対大人になる。そしたらあんたの子どもを産んであげる』


 あの子の言葉、今でもちゃんと覚えている。


『あたしとあんたと子どもたち。もうさみしくないでしょ』


 勝気な笑顔。辛くても、苦しくても、弱音を吐かなかった。


『ごめん。約束守れなそう。あたしのことは忘れて』


 嘘つき。「忘れないで」って言いたかったくせに。


 だから亡骸と指切りをした。小指にからませた誓い。一方通行の約束。


「またね」


「?」


 急に別れの言葉を口にした桜夜に魔女が戸惑う。


「僕はあの子の笑顔が好きだった。だからあの子が怒るようなことはしない。あの子を泣かせるような選択はしない。鳳凰!」


 あの子を、「白」を救うために、一緒の未来を歩くために契約した神獣を呼ぶ。


「______」


「⁉ その言葉……まさか「統一言語」?」


 魔女には聞き取れなかったが、魔女はあらゆる言語に精通しているが、唯一聞き取れない言語があった。それが「統一言語」、バベルの塔を建設しようとする前に使われていた、失われた言語。


 その言語で桜夜は鳳凰の「真名」を呼んだ。


 鳳凰は翼を大きく広げ、いななく。もはやその存在は炎の神獣でも、風の霊獣でもなかった。

 

 太陽の化身


 「神」だった。


 暗い太陽も月もない庭園に夜明けが訪れたかのように太陽神の光が世界を優しく包むこむ。フェニキアは魔獣の中でも最上位、魔王の力を持つ。だが「神」に対抗する力は無かった。

 苦しみながら墜落する。魔女とのリンクが弱まる。魔女も片膝をついた。少女たちを縛る茨すら焼き払い。優しい風が彼女たちを地上に導く。目覚めた少女たちは、ぼんやりと鳳凰を、太陽の化身を見た。

 そして古代人が本能的に理解したように、それが「神」なのだと感じた。その威光の中で、桜夜はのたうち回るフェニキアを見ていた。神を殺すための神器である桜吹雪でフェニキアを切り、塵も残らないほど神聖な炎で焼き尽くす。そうすればフェニキアは消滅する。もちろん分霊や平行同位体、同種は存在するだろうが、「魔女と契約した不死鳥」は消える。そうすれば魔女は不死身ではなくなる。

 しかしそれではおもしろくない。彼の壊れた心は思った。フェニキアが消滅すれば耐用年数をとうに超えた魔女の肉体も消滅する。結局魔女の思い通りなのだ。こういうとき、方法は2つある。なんらかの方法で魔女に「生きたい」と思わせてからフェニキアを消滅させる。もしくは「死にたい」という感情すらなくなるまで閉じ込める。後者の方が簡単かと思い、桜夜は神封じの儀式を行おうと決めた。特殊な術などいらない。魂でつながっている桜夜と鳳凰は、神聖なる炎でフェニキアを焼いた。だがなかなか消滅させない。桜吹雪も使わない。魔女はいら立っていた。


「なにをしているの……? 早く私とフェニキアを殺しなさい」


 立場は逆転し、今は桜夜が魔女を見下ろしていた。魔女は額に汗を浮かべ、苦悶の表情で救いを求めた。桜夜は絶望を与えてやろうと思っていたが、ふとある詩を思い出した。あの子の好きだった祈りだ。それをもじって彼は言った。


「僕は力がほしかった。でも神様は僕に弱さをくれた」


 だから大切なものはなにも守れなかった。


「僕は健康を求めた。でも気づいたときにはお布団と友達だった」


 自分が健康だったら、もっとしっかり先生に修行をしてもらえたのに。


「でも僕すら気づいていなかった本当にほしかったものを、神様はくれたんですよ」


 自分が弱かったからこそ、先生に会えた。あの子に逢えた。短い時間だったけど、今はとてもつらいけど、確かにそこに「幸せ」はあった。


「神様は望んだものはくれない。でも本当に必要なものがなにか知っている」


「……何が言いたいの?」


「あなたにも「死」以外の救いがあるということですよ」


 桜夜を睨んでいた魔女は気配を感じて振り返る。後ろにはできそこないの娘たちが来ていた。


「あなたたち……」


 魔女にとって我が子など駒にすぎない。手足として、便利な道具にするために産んだのだ。魔女術には産みの苦しみを無くす術がいくらでもあった。一時の快楽を得て、魔力で勝手に育つ駒が増える。いいことづくめだ。だが子は親に勝てない。魔女に「死」を与えてはくれない。


「なにをしているの。あなたたちはもう不要よ。失せなさい」


 ホムラが一歩前に出た。


「うるせえ」


 炎が拳に灯る。


「オレたちは、もう道具じゃねえ」


 リオも並ぶ。


「あなたに作られたとしても、あなたの所有物ではありません」


 サイカは涙を拭いた。


「でも、お母さん」


 その呼び方に、魔女の肩がわずかに揺れた。気持ち悪いものを見るように娘たちを見つめる。


「わたしたちは、お母さんの娘だよ」


「おぞましいことを言わないで」


 魔女の声はいらだっていた。子を愛する親の目をしてはいなかった。なのに娘たちの目には憎しみではないものがある。それはかつて魔女に夫が向けていた感情。


「愛」


「……そんな目で、あたくしを見ないで! 気持ち悪い!」


「お母さん……」


「やめて!」


 魔女の癇癪によって闇の精霊たちが暴走をはじめる。だが桜夜は慌てることなく鳳凰を通じて、光の精霊に語り掛け、闇の精霊すらもコントロール下に置いてしまった。


「あなた……闇も使えるのね」


 西洋魔術ではありえない現象だ。闇は悪魔や魔女の支配下であり、光は神の支配下にある。善悪二元論が西洋魔術の基本だ。しかし東洋魔術や古代魔術によれば闇と光は双子のようなものだった。闇が兄で、光が弟。しかし人間は光しか愛さなかった。だが光を極めた魔法使いだけが真の闇の力を引き出せた。闇を極めたものだけが、本当の光を手にした。不死身の魔女も理屈は知っていたが、呼吸くらい簡単にやってみせたのは「はじまりのもの」とタオだけだった。


「あなたはあたくしからフェニキアを、闇の精霊を奪った。なのに殺してくれないの?」


 フェニキアのおぞましい断末魔が響く。まだ消滅はしていないが、太陽神の光の力に、水希桜夜が闇の精霊の力を混ぜてきたことで尋常ならざる苦しみを味わっていた。人間の言葉を使えたなら命乞いをしたいくらいだった。


「わたしたちがお母さんを救う」


 サイカの決意の声を魔女は鼻で笑った。桜夜は無邪気に聞いた。


「殺すの?」


 サイカが首を横に振る。


「違うよ」


『助ける』


 黄、赤、青、それぞれのパーソナルカラーのローブに包まれた少女たちが、膝を折り、祈る。


 祈るのはいつだって聖女の仕事だ。自分の出来損ないの道具たちがその真似事を始めたことを、魔女は嘲笑った。だが、どうしても思い出してしまう。自分のために祈ってくれた少女のことを。少女はいつも似たようなことを祈っていた。


「世界が平和でありますように」

「みんなが笑顔でいられますように」

「泣いている人に寄り添えますように」


 魔女はいつもくだらないと思っていた。だけど……。


「魔女さんの孤独が癒えますように」


 自分のためだけに少女は祈っていた。見返りなどなにもないのに、祈りなど無駄なのに。少女は短命だったけれど、一緒に旅をしている間だけは不老不死の孤独が確かに癒された。魔女は孤独だった。誰からも嫌われた。愛したものは皆自分を置いていく。少女も「はじまりのもの」も、タオも、夫も……。だから心を凍てつかせ、死を願った。そしてフェニキアが消えかけている今、彼女の願い「死」は達成されかけている。なのに祈る姿に、幸せだったころを思い出してしまう。気づけば魔女は泣いていた。

 祈りを言霊に乗せて少女たちが紡ぐ。今降臨している太陽の化身は救いの神ではないが、確かに祈りを聞いていた。


 サイカが紡ぐ。


「お母さんに、本当の笑顔がもどりますように」


 リオが続ける。


「誰かと一緒に生きる喜びを思い出せますように」


 ホムラが歯を食いしばりながら続く。


「殴ってやれるくらい弱体化しますように」


 桜夜は思わず笑いそうになった。さてどうしようか。彼は天使でも神でも「奇蹟執行官」でもない。祈りに応えるすべはない。


『大丈夫よ』


 ふいにガブリエルの声が脳内に響いた。


『あなたは私が奇蹟執行官に登録しておいたから』


 悪魔め! 天使に最大限の侮辱の言葉を返したとき、ふわりと百合の香りがした。ガブリエルの象徴だ。桜夜の手には捨てたはずの抜き身の桜吹雪。ガブリエルは大人の女性の姿で、半透明な姿で、背後から桜夜を抱きしめていた。

 桜夜は静かに桜吹雪を振るい、納刀する。魔女とフェニキアのリンクのみを切ったのだ。そしてフェニキアは鳳凰の炎の中で消え去った。

 フェニキアを失った魔女は倒れた。すばやく動いた桜夜が抱き留め、地面に寝かせる。美しかった肌には皺がより、髪は黒から白に変化し、枯れ枝のようになっていった。だがまだ生きていた。魔女はしわがれた声を絞り出す。


「やっと死ねる」


 桜夜は静かに返した。


「三人の乙女の祈りを受け、父と子と聖霊の御名の下に、奇蹟を執行する」


 少女たちの祈りが混じり合い、光に変わっていく。


 それは「三原色の祈り」には遠く及ばないものだった。


 でもここには祈りを力に変換し、奇蹟を執行できる騎士がいた。


 小さな光を束ね、声なき声を聴き、エネルギーに変え、塵に変わるはずの魔女の身体に送り込んだ。魔女は憑き物が落ちたように微笑んだ。


「あたたかい。なつかしいわ」


「お母さん」


 少女たちが母のもとに集まり、囲んでいた。皺だらけの老婆になってしまった母を見て、泣きそうになっている。


「なつかしいお話、聴かせてくださいませんか」


「殴るのはそれからにしてやる」


「そうね……なにから話そうかしら……」


 その続きを桜夜は知らない。ガブリエルに導かれ、元の世界に帰ってしまったからだ。少女三人分の祈りで執行できる奇蹟などたかが知れている。それでも最後に親子になれたならいいなと、病院のベンチに腰掛けながら思った。キセルを取り出して薬を吸う。

 ガブリエルは半透明ではなく実体化していたが、10歳くらいの少女の姿になっていた。静かに桜夜の隣に座っていた。最初は桜夜も、神を殺す桜吹雪を刺したら天使はどうなるんだろうかという好奇心と勝手に奇蹟執行官にされた復讐に太陽神の炎で燃やしたてやりたい怒りという2つの心があった。だがもうどうでもよかった。「神」から「ひよこ」に成り下がった鳳凰は、今ガブリエルの膝の上でぴよぴよ言っていた。

 桜夜とガブリエル、鳳凰は朝焼けをいつまでも眺めていた……。


◇◇◇


『ねえ、こんなとこで寝てたら風邪ひくよ?』


 懐かしい声がする。あの子の声だ。


『でも泣いてる女の子を見捨てなかった。えらいぞ。男の子!』


 おねえさんぶる態度、懐かしい。ほめてくれてうれしい。


 悪いことをしたら全力で叱ってくれた先生と、よいことをしたらおもいっきりほめてくれたあの子。もう2人がいないから、何もする気がおきなかった。正しくある必要はなくなってしまった。

 身体から力が抜ける。「神降臨」に「奇蹟執行」、どちらも疲れた。ガブリエルは僕をあの子の下に運ぶ義務があるんじゃないかとふと思った。


『あっ、それは無理。クリスチャンしか運べないし、あなたもあの子もお師匠さんも洗礼を受けてないから地獄行きよ』


 なんと優しくない天使だ。きっと受胎告知をされたマリア様も殴りたかったに違いない。


『あとイエス様が再臨されるまで、奇蹟執行のお仕事よろしくー。まったねー』


 ガブリエルを殴りたいが、身体が動かない。その間に天使は消えてしまった。洗礼も受けてないのに働かされて地獄行きって、詐欺だなあと思いながら、桜夜はベンチでまどろんでいた。


 その顔は安らかに、亡くなった人のようだった。

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