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第4話 分霊の秘術

 白井家の夜は、武器の匂いがした。


 赤木家にあった祈りの匂いとは違う。


 磨かれた銃身。


 油を差した機械仕掛けの結界柱。


 廊下の奥に隠された術式札。


 そして、屋敷全体を包む緊張。


 それらが混ざり合い、白井家という分家の性格をそのまま空気にしていた。


 赤木家が祈りの家なら、白井家は備えの家だった。


 だが、備えというものは、万能ではない。


 どれだけ銃を並べても、どれだけ結界を張っても、相手が人間でなければ意味を失うことがある。


 水希桜夜は、客間の巨大なベッドの上で目を開けた。


 強い魔力に精霊たちが混乱し、意識を失っていたらしい。


 右にはサイカ。


 左にはリオ。


 二人は桜夜の両側で、深く眠っている。これまでの疲れと緊張が半ば2人を昏睡させていた。


 部屋の隅では、ホムラがあぐらをかいて座っていた。


 どうにか意識を保っているようだが、かなり朦朧としていそうだ。


 桜夜はしばらく、三人を眺めていた。


 サイカの黄色。


 リオの青。


 ホムラの赤。


 三原色。


 魔女の娘。


 四方院家の敵だった者たち。


 そして今は、自分の保護下にある少女たち。


 それだけなら、まだわかりやすい。


 だが、桜夜の周囲に集まり始めたものは、三人だけではなかった。


 咲夜。


 未来から夢を渡ってきた、自分の娘を名乗る少女。


 エデン。


 生まれないことを救いと呼んだ星。


 アダム。


 サタン。


 アララト。


 消えた子どもたち。


 桜夜がベッドから身体を起こすと、ホムラの眉がぴくりと動いた。そして不機嫌そうな声を出した。


「ん……なんだってんだよ」


「寝てていいよ」


「寝ねえ」


「そうかい」


「ああ……」


 ホムラは目をこすりながら立ち上がった。


 強がっているのが丸わかりだった。


 桜夜は笑いそうになったが、やめた。


 今笑うと、たぶん燃やされる。


 代わりに、窓の外へ視線を向けた。


 夜は深い。


 白井家の敷地にはいくつもの篝火が焚かれ、武装した者たちが巡回している。その動きは悪くない。白井家の当主は横柄だが、備えそのものは堅実だった。


 だが、その堅実さが、かえって桜夜には不気味だった。


 不死身の魔女が、真正面からこの備えを破るのか。


 それとも。


 窓の外で、風が止まった。


 同時に、リオの目が開いた。


「……桜夜様」


 サイカも目を覚ました。


 寝ぼけた表情のまま、しかし魔力だけはすでに鋭く立ち上がっている。


「……来る」


 ホムラが拳を握った。


「くそばばあか?」


「いや、これは……」


 桜夜はベッドから下りた。


 桜吹雪を手に取る。


 公式任務中の黒い着物スーツは、仮眠前に緩めただけで脱いでいない。帯を締め直し、四方印のバッジに指で触れる。金色のバッジには、中央に黄色の宝玉が、四方には青、赤、黒、白の宝玉がはめ込まれている。不思議なえにしだ。今この場には黄の魔女、青の魔女、赤の魔女、黒の騎士が揃っている。白井家を白にカウントしてもよかったが、桜夜はそうはせず、再会を約束した「白」のために欠番とした。


 次の瞬間。


 白井家の上空が、歪んだ。


 空間が破れるような音がした。


 続いて、夜空に黒い炎が咲いた。


 漆黒の巨鳥が、白井家の真上に姿を現した。


 鳥。


 いや、鳥と呼ぶには大きすぎる。


 翼を広げれば、屋敷の半分を覆うほどの巨体。


 黒い羽根。


 黒い炎。


 黄金ではなく、夜そのものを燃やすような魔力。


 フェニキア。


 不死身の魔女に不死の呪いを刻みこんだ魔獣。


 サイカが息を呑んだのと同時に、巨鳥は口を開いた。


 黒い炎が、屋敷へ降り注ぐ。


 白井家の結界が一斉に光った。


 銃声。


 怒号。


 爆発。


 武装した白井家の者たちが、巨鳥へ向けて重火器と術式弾を撃ち込む。しかし黒い炎はそれらを呑み込み、結界の表面をじりじりと焼いた。


「なんでだよ!」


 ホムラが叫ぶ。


「あれ、ばばあの本命だろ! なんでこんな早く!」


「違う」


 桜夜は窓を睨んだ。


「本命じゃない」


「……は?」


「魔力の質はフェニキアそのものだ。だが、あれは本体じゃない」


 リオが目を細める。


「では、分身ですか?」


「違う。西洋魔術の分身や写し身なら、力の総量が落ちる。だが、あれは落ちていない。フェニキアそのものだ」


 黒い炎が再び降る。


 屋敷が揺れた。


 白井家の結界柱が一本、爆ぜ飛んだ。


 桜夜は舌打ちした。


分霊(わけみたま)だな」


 サイカが聞き返す。


「わけみたま?」


「神霊を分ける技法だよ」


 桜夜は窓の鍵を外した。というか壊した。


「日本の太陽神である天照大御神は高天ヶ原に存在したまま、伊勢にも、各地の神宮にも神社にも存在できる。分けられたからといって、薄まるわけじゃない。どれだけ分かれても、それぞれが一柱として百パーセントの力を発揮する。そういう技法、いや「概念」だ」


「そんなでたらめな魔術や魔法、聞いたことない、ですよ?」


 リオの声がわずかに震える。


「西洋魔術にはない。少なくとも、同じ形では存在しない。西洋魔術の分身は、基本的に本体から力を削るか、媒介を通して劣化する。でも神道系の呪術や、各地の民間魔術には、似た信仰が残っている。神様は分けても減らない。祀ればそこに在る。呼べばそこに降りる」


 桜夜は窓を開け放った。


 外から熱風が吹き込む。


「それを魔獣に応用したってとこかねえ」


「お母さんが?」


「そうだろうね。不死身の魔女はあらゆる魔術・魔法に精通しているとは聞いていたが、こんな秘術まで使えるとは。いやはや長生きしてないね」


 桜夜の声は笑っていた。楽しそうだった。でも目は真剣だ。


「フェニキア本体は魔女の中にいる。だが、その分霊を刺客として白井家へ送り込んだ。本体と同質で、本体と同じ力を持ち、本体を失う危険はない。今度からは僕も同じ方法を使うとしよう」


 出張が面倒な時は鳳凰を分霊して派遣する。そうしたら自分は楽ちんだ。ちなみに桜夜の中の鳳凰はすごくいやそうな顔をしていた。どちらも気持ちは1つ。「働きたくない」なのだった。


 ホムラが顔をしかめる。


「そんな技、ばばあが自分で思いつくか?」


「思いつくかもしれない。だが、術式の組み方が……中国式のような日本式のような……いやむしろ……」


 そこで、桜夜は本気で嫌そうな顔をした。


「誰だ。あの女にこんな厄介な技法を教えた馬鹿は」


 その答えを、桜夜はまだ知らない。


 遠い昔、四方院家の開祖が、不死身の魔女にこの技法の原型を教えたことを。


 神を祀るための知恵が、魔獣を分ける術に転じていたことを。


 それを知るのは、もう少し先の話である。


 今はただ、黒い鳥が白井家を燃やしていた。


「行くよ」


 桜夜が言った。


「サイカ、リオ、ホムラ。外に出たら僕の指示を聞け。特にホムラ」


「なんでオレだけ名指しなんだよ!」


「突っ込むから」


「突っ込まねえよ!」


「10秒後にその台詞を覚えていたら褒めてあげる」


「てめえ!」


 桜夜は窓枠に足をかけた。


 サイカが慌てる。


「ここ、二階だよ!」


「牛乳はよく飲んでる」


 桜夜はふざけた態度のまま飛び降りる


 黒い着物の裾が夜に広がる。


 彼は何の苦も無く庭へ降り立った。P因子により彼の骨は、筋肉は鉄より固くなっている。骨折もしなければ痛みもない。だが外套を置いてきてしまったので少し寒かった。


 少し遅れて、大気中の水分と水の精霊の力を使って降りてきたリオたちが庭にきた。サイカがふわりと桜夜の肩に外套をかけた。


「ありがとう。やっぱり騎士にはマントがないとね」


「桜夜さんは、騎士なの?」


「一応ナイトの称号はもらっているよ」


 かつてイギリス滞在中に巻き込まれた「王太子暗殺未遂事件」。その犯人を捕らえた桜夜は正式にナイトになった。そして王子にこき使われるようにもなった。


 リオがのほほんと手をならす。


「まあ! 騎士様が悪い魔女と戦う。あとは囚われのお姫様がいれば完璧ですね」


 ホムラはそんな物語は興味もなく拳を固める。


「よし、まずはフェニキアのやつをぶっ飛ばす!」


「やめときなって」


「なんでだよ!」


「殴ろうが切ろうが不死鳥にダメージはない。魔法や魔術でもね。封印なら可能かもだが……」


 三人の少女を見る。攻撃型のホムラ、防御・回復よりのリオ、バランスとスピードのサイカ。封印系が使えそうなのはリオくらいだろうか。だが神にも近しい最高位の魔獣に効く封印術が使えるならとっくにしているだろう。

 桜夜はため息を我慢する。桜夜にはある。「神封じ」または「神縛り」と呼ばれる封印術が。それは彼が「神殺し」を可能になったときについでに会得したものだった。神をも殺す力の前では、それよりランクの落ちる魔獣では太刀打ちできないだろう。しかし……。


「あれ、疲れるんだよなあ……」


 桜夜のつぶやきは戦場の喧騒に飲み込まれていった。鳳凰と契約したとはいえ元は病弱。体力には自信がなかった。それに彼の「神殺し」は人間には不可能だと言われたものであった。


「じゃあどうすんだよ!」


 ホムラの叫びで桜夜は現実に戻った。


「とりあえず僕は鳥さんと遊んでくるから、君たちは安全なとこにいて」


 これからふれあいコーナーでひよこを触ってくると言っているような気軽さが桜夜にはあった。


 桜夜は桜吹雪を鞘から抜いた。


 薄紅色の刃が、黒炎の夜に淡く光る。


 神を殺すために、神が最も恐れた「罪の欠片」を使い、鍛冶を司る神々が命を捨てて作り出した凶器。


 美しく、神々しく、そして禍々しい。「人殺し」と「神殺し」を可能にする「凶器」にして「神器」。それが桜吹雪だった。


「あの分霊はただの魔力のかたまりだ。なんとかなるでしょ」


 そのとき黒い巨鳥が桜夜たちに気づいた。


 その目が、夜の中で赤く光る。


 そして、女の声が降ってきた。


『あら。出来損ないのお人形たち。そんなところで何をしているのかしら?』


 その声に、サイカの顔が強張った。


 ホムラの拳に炎が灯る。


 リオの水が震えた。


 母の声。


 だが、母そのものではない。


 分霊を通して届く声だった。


 桜夜は笑っていた。その笑顔は魔女の記憶の中の誰かを思い出させた。宗教裁判により閉じ込められていた自分と夫を解放した「はじまりのもの」。金と女と酒が大好きで責任から逃げ回るために異世界に移動し続けるダメ男。「はじまりのもの」を師匠と仰いだ幼い少年。そして壊れてしまった元大天使。初めて見たはずの四方院家の犬は、彼女が昨日のことのように思い出す「幸せなメモリー」を想起させた。だから魔女の声は優しくなった。どこか嬉しそうだった。


「ふふ。あなたが娘たちをたぶらかした男ね。たしかに悪くない。まあ夫には劣るけど」


「おほめにあずかり光栄です」


「あなたと魔女のお茶会ができず残念だわ」


 黒炎が落とされた。結界を破り、リオが展開した水の盾をも破り、桜夜に直撃する。しかし一陣の浄化の風が吹いたあと、彼は変わらずそこに立っていた。服にも身体にも傷も汚れも見られない。


 黒い巨鳥が翼を広げる。


 フェニキアは毒と瘴気と魔力のかたまりだ。鳳凰という対局の力を有する桜夜や、不死身の魔女の血縁者である少女たちには耐性があった。しかし四方院の血が薄まっている白井家の面々は耐えられず、嘔吐し、倒れ、もがき苦しんだ。


「リオちゃんたちは救助を」


「はい!」


 リオとサイカは指示に従った。だがホムラだけは桜夜の隣に立ち、フェニキアの分霊を、それを影から操る母をにらんだ。


 魔女の声は慈悲深かった。


「救済を与えてあげる」


 黒炎が再び降る。


 今度はホムラを狙っていた。


 ホムラは炎の弾丸となって、黒炎を打ち破り、黒い巨鳥へ突っ込んだ。


「やると思った」


 桜夜はため息をついた。


 ホムラの炎をまとった拳が黒い翼に叩き込まれる。


 赤い焔にフェニキアは包まれた。


「どうだ!」


 着地したホムラは満足そうだ。しかしフェニキアは赤い焔を穢して黒い炎に変えると何倍にも増幅してホムラに放った。彼女は死を悟り、目を固く閉じた。普通の炎ではやけどすらしないホムラだが、母にフェニキアの炎で虐待されたときの苦痛は知っていた。怖くて叫びそうになるのを耐えその瞬間を待つ。しかしその瞬間はいつまでも来なかった。ホムラが恐る恐る目を開く。目の前には外套をたなびかせている桜夜がいた。

 病弱なまま鳳凰と契約し命をつないだ彼の身体は小さい、細い、その背中は十字架をゴルゴダの丘に自力で運ぶこともできなそうなほど弱弱しい。しかし桜吹雪をもっていない左手のひらを前に突き出しただけで死の炎を受け止めていた。


「おまえ……」


 ホムラが呆然としている。救助のために駆け回っていたサイカとリオも見入ってしまった。


 桜夜は失われた神々の言葉で聖句を紡いだ。


『悪魔よ、退け』


『あなたの神である主を拝み/ただ主に仕えよ』


 かつてキリストが誘惑に来た悪魔を追い払ったとされる聖句。それだけでフェニキアは苦しみ、墜落した。白井家の屋敷を半壊させのたうち回る。


『あらあら』


 魔女の楽しそうな声。おっとりした声。リオやサイカとどこか似ていた。


『あなたエクソシストなの?』


「バチカンの公認を受けられるわけないでしょ」


 桜夜はのたうち回るフェニキアに近づく。分霊の多くは依り代があるはずだ。神社のご神体にあたるものが。容赦なくフェニキアの心臓あたりを桜吹雪で切ると、穢れた水晶がでてきた。そこにはサイカたちに似た、しかしはるかに禍々しい魔力が込められていた。消えゆくフェニキアの分霊を無視し、水晶を手に取る。触るだけで呪われそうなアイテムだったが、鳳凰の聖なる神通力が桜夜を守った。


 水晶から魔女の声がする。


『その刀、どこで手に入れたの』


 魔女はその刀を見たことがあった。遥かな昔、昨日のような思い出。「はじまりのもの」の「最期」。「やがってもっとも傲慢な種族の中から使いこなす者が現れる」。その言葉とともに謙虚な弟子に託した呪われた神器だった。


「お師匠様から生前贈与された。免許皆伝記念だって」


『ふうん……』


 魔女はもう忘れてしまった愉しいという感情を少しだけ思い出した。


『魔女のお茶会に招待してあげる。新月の夜に、その水晶の欠片が導いてくれるわ』


 水晶は砕け散り、小さな欠片だけが桜夜の手に残った。遠くから救急車のサイレンがする。毒と瘴気に当てられた白井家の人間を四方院お抱えの病院に運ぶためのものだろう。桜夜は欠片をポケットにしまうと。桜吹雪を鞘に戻した。

 飛び込んできた救急隊員の恰好をした四方院の人間が手際よく白井家の人間を運んでいく。サイカとリオが桜夜に近づいてきた。


「会うのですか。母と」


「まあせっかく招待状をもらったんだしね」


「危ないよ!」


「しかし不死身の魔女は自分からはなかなか表には出てこない。一度会ってみたい。美人だと聞くし」


 リオはため息をついた。サイカは驚いている。そんな二人にかまわず、膝をついて地面を殴っているホムラの方にむかった。


「くそ! ちくしょう!」


「なに悔しがってるのさ。親に負けるのは初めてじゃないだろ」


「っ!」


 ホムラが顔を上げて桜夜をにらむ。その辺のチンピラなら土下座して財布を差し出しそうな眼力だったが、桜夜は笑っていた。そしてホムラの頭をぽんと撫でた。


「よく生き残った。えらいぞ」


「髪にさわんな!」


 ホムラは顔を真っ赤にして桜の手を払いのけると立ち上がった。


 代わりに桜夜が倒れた。病弱な身体が悲鳴を上げていた。休息のいらない身体だと思っていたが、鳳凰と同格のフェニキア相手ではそうもいかないらしい。


「おい! どうした!」


 ホムラの声、駆け付けるサイカとリオ。その存在を感じながら、桜夜は意識を失った。

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