第48話 ただいま、先生
足のしびれと戦いながら、桜夜は鎌倉へ行く準備を始めた。
神前に座る時の衣を脱ぐ。
白に近い着物と袴を丁寧に畳み、所定の場所へしまった。
次に袖を通したのは、黒い着物だった。
宮森明人の形見である。
布地は古い。
けれど、手入れは行き届いている。
袖を通すたびに、背筋が少しだけ伸びる。
明人に見られているような気がするからだ。
前に鎌倉へ行った時は、黒いスーツだった。
白い船へ近づく前に、明人の墓へ行った。
あの時は、行ってきます、と言いに行ったのだ。
名前を失った親友を呼び戻すこと。
死にに行くつもりではないこと。
三姉妹が自分を呼んでくれること。
そんなことを、墓前で報告した。
だが、今日は違う。
行ってきます、ではない。
ただいま戻りました、と言いに行く日だった。
イタリアでの戦い。
魔女の森。
守りの剣。
三原色の祈り。
ケイオスと不死身の魔女。
ローマ教皇との茶会。
そして、アヒルたち。
報告しなければならないことは、多すぎる。
「……先生、今日は笑わないでくださいね」
誰にともなく呟く。
当然、返事はない。
その代わり、廊下の方から少女たちの声が聞こえてきた。
「ですから、秘書としては執務室に隣接する寝室を確保するのが合理的です」
「合理的じゃねえだろ。お前が桜夜の隣を取りたいだけだろ」
「否定はしません」
「否定しろよ!」
桜夜は帯を締めながら、少し遠い目をした。
部屋割りで揉めている。
この屋敷には、いくつか客間がある。
和室も洋室も、数だけなら足りている。
だが、問題はそこではなかった。
主の間。
そう呼ばれる一室がある。
本来は、屋敷の主人とその伴侶が使うための部屋だった。
広さも調度も、この古い屋敷の中では一番よい。
だが、桜夜はその部屋を使いたがらなかった。
彼は執務室と、そこからつながる小さな寝室で生活している。
広くはない。
豪華でもない。
けれど、書類と本と通信機器と、最低限の寝床がある。
桜夜には、それで十分だった。
それを聞いたリオは、当然のように宣言した。
「では、秘書として、執務室とつながる寝室をわたくしと桜夜様の部屋にいたします」
当然、ホムラが切れた。
「なんでそうなるんだよ!」
「桜夜様の業務を補佐するためです」
「絶対違うだろ!」
「ホムラちゃんは、どうせ部屋を散らかすのですから、こちらの物置がふさわしいかと」
「誰が物置だ!」
「散らかすことは否定しないのですね」
「そこじゃねえ!」
リオは冷静だった。
冷静に、火へ油を注いでいた。
いや、油どころではない。
ガソリンだった。
その隙に、サイカは一人で別の方向へ進んでいた。
「主の間……主人と伴侶のためのお部屋……」
小さな声で呟く。
頬が赤い。
目が少し潤んでいる。
「桜夜さんとわたしが結婚して、そこで一緒に暮らして……朝は、桜夜さんがまだ眠そうな顔で……」
「サイカちゃん」
リオの声が低くなった。
「はい?」
「いま、何を想像していましたか」
「えっと」
サイカは、正直だった。
「桜夜さんと結婚して、主の間で暮らすこと」
場が止まった。
ホムラですら、一瞬黙った。
リオの目が、静かに据わる。
「サイカちゃん」
「はい」
「その案は、却下です」
「まだ提案してないよ」
「口に出ていました」
「えっ」
サイカが両手で口を押さえた。
遅い。
かなり遅い。
桜夜は襖を開けた。
「ほら、喧嘩しない。朝ごはん行くよ」
三人が同時にこちらを見る。
サイカがすぐに手を上げた。
「それなら、わたしが」
「今日はいいよ」
桜夜はやわらかく制した。
「これから鎌倉の先生の屋敷と墓に行くからね。朝ごはんは向こうで何か食べよう」
「司さんと桜さんのところ?」
「うん。帰ってきた報告をしておきたい」
ホムラの顔が明るくなる。
「バーガーにしようぜ!」
「ホムラちゃん」
リオが眉を寄せる。
「もう少し古都の風情というものを考えてください」
「腹に入れば一緒だろ」
「違います」
「じゃあ何がいいんだよ」
「落ち着いた和食、あるいは甘味処などがよろしいかと」
「甘味は飯じゃねえ」
「場合によります」
サイカが楽しそうに笑った。
「わたし、前に行った時も思ったけど、鎌倉って不思議な感じがする」
「古い街だからね」
桜夜は言った。
「先生の屋敷の近くも、悪くないところだよ」
「先生って、桜夜さんの師匠だよね」
「うん」
「また緊張する」
「墓参りだからね。向こうから怒鳴られることはないよ」
そう言ってから、桜夜は少しだけ考えた。
「……たぶん」
「たぶんなんだ」
「先生だから」
サイカが不安そうな顔をした。
リオは少し興味深そうに桜夜を見る。
ホムラは、面白がっている顔だった。
四人は騒がしく屋敷を出た。
駐車場へ向かう途中も、部屋割りの話は続いた。
「そもそも、桜夜様が主の間を使われれば解決するのでは?」
「使わないよ」
「なぜですか」
「落ち着かないから」
「主人の部屋なのに?」
「主人らしくない主人だからね」
「それは否定しませんが」
「リオちゃん、そこは否定して」
ホムラが笑う。
「じゃあ、執務室の寝室はどうすんだよ」
「僕が使う」
「一人で?」
「一人で」
「却下」
「なぜ」
「危ねえから」
「屋敷の中だよ」
「お前の場合、屋敷の中でも危ねえだろ」
桜夜は否定できなかった。
実績がありすぎた。
車に乗り込む。
運転席に桜夜。
助手席には、なぜかリオが当然のように座った。
後部座席でサイカとホムラが抗議する。
「リオちゃん、ずるい」
「助手席は秘書席です」
「そんな決まりあんのかよ」
「今できました」
「勝手に作んな!」
桜夜はエンジンをかけた。
朝の光の中で、古い屋敷がゆっくり後ろへ流れていく。
門を出て、鎌倉へ向かう道に入った。
宮森家の祖先は、神と契ったと言われている。
だから、宮森家は神道の信仰が強い。
明人の墓も神道式だった。
寺院墓地ではない。
宮森家の屋敷の裏手にある。
今、その屋敷には、桜夜の弟分であり、明人の孫でもある宮森司と、その婚約者の桜が住んでいる。
かつて司は、桜夜に言った。
この屋敷は兄さんが相続していい。
祖父の弟子であり、家族同然だったあなたが住むべきだ、と。
桜夜は、それを固辞した。
理由はいくつも言えた。
宮森家の血筋ではないから。
司が継ぐべきだから。
自分には四方院の仕事があるから。
どれも嘘ではない。
けれど、全部でもなかった。
この屋敷には、思い出が多すぎる。
明人の声がある。
庭の稽古場がある。
縁側で食べた焼き魚の匂いがある。
将棋盤がある。
勝てなかった囲碁がある。
早起きで負けた朝がある。
何度も叱られた廊下がある。
桜夜という名の由来になった、夜桜の記憶もある。
そして、桜夜が手放せなかった執着がある。
だから、捨てた。
捨てたつもりで、司に託した。
車を走らせながら、桜夜はそんなことを考えていた。
リオが横から静かに声をかける。
「桜夜様」
「何?」
「緊張されていますか」
「少しね」
「お師匠様のお墓参りだから、ですか?」
「それもある」
「他には?」
桜夜は、まっすぐ前を見た。
朝の道はまだ混みきっていない。
信号の向こうに、淡い空が広がっている。
「先生には、報告しないといけないことが多すぎるから」
「守りの剣のことですか」
「うん」
桜夜は小さく頷いた。
「それと、僕が先生の教えを少し読み違えていたかもしれないことも」
リオは黙った。
後部座席のサイカとホムラも、声を落とす。
桜夜は続けた。
「執着を捨てろって、先生は何度も言った。でも、それは諦めろって意味じゃなかったんだと思う」
車内が静かになった。
「僕は、わざと間違えていたのかもしれない」
「わざと?」
サイカが聞く。
「うん。諦めた方が楽だから」
桜夜は苦笑した。
「望まなければ、失わずに済む。手を伸ばさなければ、縛らずに済む。最初から諦めておけば、執着しないで済む」
「桜夜さん」
「でも、アヒルたちは違った」
ホムラが少しだけ顔を上げた。
「勝てるはずがないのに突っ込んだ。無意味なのに、何度も。馬鹿みたいに」
「馬鹿みたいだったな」
ホムラが言った。
その声は、少しだけやわらかかった。
「でも、見捨てなかった」
桜夜は言った。
「僕は、あれを先生に報告しないといけない気がする」
車は鎌倉へ向かって進んでいく。
窓の外の景色が、少しずつ変わっていく。
海に近い空気。
古い街へ向かう道。
記憶のある場所。
捨てたはずの場所。
それでも、帰らずにはいられない場所。
桜夜は、ハンドルを握る手に少しだけ力を込めた。
「たぶん、先生は笑うだろうね」
「なぜですか」
「僕が、アヒルに剣を教わって帰ってきたから」
サイカが吹き出した。
ホムラも笑った。
リオは、少しだけ目を伏せて、それから静かに微笑んだ。
「よろしいのではありませんか」
「何が?」
「宮森様なら、きっとお喜びになると思います」
「そうかな」
「はい」
桜夜は少し黙ってから、前を向いたまま言った。
「だといいね」
◇◇◇
鎌倉に着いた頃には、朝の街がゆっくりと動き出していた。
観光客の姿はまだ多くない。
店先では暖簾を出す準備が始まり、細い道には古い木戸の匂いと、海から来る湿った風が混ざっていた。
桜夜は、宮森家の屋敷へ向かう前に、通り沿いの店へ寄った。
朝から開いている小さな店だった。
軽く朝食を取れる。
和食もある。
甘味もある。
そして、なぜかハンバーガーもあった。
ホムラが勝ち誇った顔をした。
「あるじゃねえか、バーガー」
「古都の風情はどこへ行ったのでしょう」
リオが少し疲れた声で言う。
「店が出してるなら古都の風情だろ」
「その理屈は強引です」
「わたしは甘味も食べたいな」
サイカが品書きを見ながら言った。
「朝ごはんと甘味は別腹だよね」
「サイカちゃんまで」
リオがため息をつく。
桜夜は笑って、店の奥の席に座った。
「好きなものを頼んでいいよ」
「桜夜様は?」
「僕は焼き魚定食」
「まともです」
「リオちゃん、僕を何だと思ってるの」
「時々とても不健康な方です」
「否定できない」
朝食は、思ったより賑やかになった。
ホムラは本当にハンバーガーを頼んだ。
リオは和定食を選び、サイカは小さな甘味がついた朝粥に目を輝かせた。
桜夜は焼き魚を箸でほぐしながら、少しだけ昔を思い出す。
明人は焼き魚がうまかった。
ただ焼くだけなのに、なぜか違った。
火加減。
塩加減。
皮の香ばしさ。
それを何度真似しても、桜夜は同じ味にできなかった。
「先生は、こういうのも勝ち逃げなんだよなあ」
「勝ち逃げ?」
サイカが聞く。
「焼き魚で、最後まで勝てなかった」
「桜夜さん、焼き魚で勝負してたの?」
「先生とは何でも勝負だったよ」
桜夜は少し笑った。
「将棋も、囲碁も、釣りも、庭掃除も、焼き魚も、早起きも」
「早起きまで?」
「負けた」
「桜夜様は、朝が弱いのですか」
リオが興味深そうに聞く。
「弱いというより、寝るのが下手だった」
桜夜は何でもないことのように言った。
「先生は、そういうところも容赦なかったから」
ホムラがハンバーガーをかじりながら言う。
「いい師匠じゃねえか」
「うん」
桜夜は素直に頷いた。
「いい先生だった」
それ以上は言わなかった。
朝食を終えると、店で手土産も買った。
司と桜に渡す分。
前回のような緊張した訪問ではない。
今日は、帰還報告と土産を持っていく日だった。
車に戻り、少し走る。
やがて、宮森家の屋敷が見えてきた。
純和風の平屋建ての屋敷。
派手ではない。
だが、凛としている。
庭の木々は手入れされ、門の前の石畳には朝の光が落ちていた。
桜夜は門の前で車を止めた。
少しだけ、息を整える。
「桜夜さん?」
「大丈夫」
サイカの声に、桜夜は答えた。
大丈夫。
その言葉が本当かどうかは、自分でも少しわからなかった。
門をくぐる前に、奥から人の気配がした。
玄関の戸が開く。
宮森司が顔を出した。
明人の孫。
桜夜の弟分。
以前より少しだけ落ち着いた顔になっている。
その後ろから、桜も姿を見せた。
桜は、桜夜を見るなり目を丸くした。
「兄さん」
司がそう呼んだ。
桜夜は、少しだけ笑った。
「ただいま、司」
司の顔が、ゆっくりとほころぶ。
「おかえりなさい」
その言葉を聞いた瞬間、桜夜は胸の奥が少しだけ痛んだ。
痛いのに、温かい。
不思議な痛みだった。
桜も深く頭を下げる。
「ご無事で、何よりです」
「うん。心配かけたね」
「本当にです」
桜は少しだけ責めるように言った。
桜夜は苦笑する。
「ごめん」
サイカ、リオ、ホムラも挨拶をした。
司と桜は、三人を自然に迎えた。
前に会った時より、空気は少しやわらかい。
それが、桜夜にはありがたかった。
「中へどうぞ」
司が言う。
「先に先生のところへ行くよ」
桜夜は首を横に振った。
「それから、ゆっくり話そう」
司は少しだけ表情を引き締めた。
「わかりました」
桜夜は手土産を桜に渡した。
「これ、イタリアと鎌倉の土産」
「両方ですか」
「うん。どちらも本物」
「本物?」
桜が首を傾げる。
ホムラが横で笑い出しそうになった。
リオが小さく咳払いする。
サイカは、わかっているのに黙っていた。
白虎家の土産のことは、ここでは言わない。
言わないのが礼儀である。
桜夜はそういう顔をしていた。
司が少し不思議そうにする。
「兄さん?」
「何でもない」
「そうですか」
「そう」
桜夜は庭の奥へ向かった。
宮森家の屋敷の裏手。
そこに、明人の墓がある。
寺院墓地ではない。
神道式の墓。
静かな木々に囲まれ、朝の光が細く差し込んでいる。
桜夜は墓前に立った。
黒い着物の裾が、風にわずかに揺れる。
サイカたちは少し後ろで立ち止まった。
司と桜も、そのさらに後ろに控える。
桜夜は、ゆっくりと膝をついた。
手を合わせるのではない。
神道式の礼に従い、深く頭を下げる。
「先生」
声は小さかった。
「ただいま戻りました」
木々の葉が、かすかに鳴った。
返事のようにも、ただの風のようにも聞こえた。
桜夜は、しばらく頭を下げたままだった。
やがて顔を上げ、墓前を見つめる。
「白い船から帰ってきて、イタリアへ行って、また帰ってきました」
少し間を置く。
「忙しかったです」
後ろでホムラが小さく笑いかけ、リオに目で制された。
桜夜は続ける。
「守りの剣を使いました」
その言葉だけは、少し声が変わった。
「先生が教えてくれた剣です」
斬れる相手を斬らない剣。
殺せる相手を殺さない剣。
相手を壊せる時に、壊さずに済ませる剣。
おまえを殺戮者にしないための剣。
あの日の明人の声が、胸の奥で蘇る。
「ちゃんとできたかは、わかりません」
桜夜は苦笑した。
「血は吐きました。何度も倒れました。烏とアヒルに助けられました」
木々の葉がまた揺れた。
「笑わないでください。真面目に言っています」
サイカが、そっと口元を押さえた。
桜夜は墓前を見つめたまま言う。
「先生。僕は、先生の教えを少しはき違えていたのかもしれません」
空気が静かになる。
「執着を捨てろって、先生は何度も言いました」
声は穏やかだった。
「僕は、それを諦めることだと思っていました。いえ、違いますね。そう思うことにしていました」
桜夜は目を伏せる。
「諦めた方が楽だったからです」
誰も口を挟まなかった。
「望まなければ、失わずに済む。手を伸ばさなければ、縛らずに済む。最初から諦めておけば、執着しないで済む」
墓前に、静かに言葉が落ちていく。
「でも、たぶん違いました」
桜夜は顔を上げた。
「諦めないことと、縛ることは違う」
風が吹いた。
「手を伸ばすことと、閉じ込めることは違う」
黒い着物の袖が揺れる。
「誰かの名が戻るまで隣にいることと、その名を自分のものにすることは違う」
桜夜は、小さく息を吐いた。
「そんなことを、アヒルに教わりました」
今度こそ、後ろでホムラが噴き出した。
サイカも耐えきれずに笑った。
リオは目を閉じていたが、口元がわずかに震えている。
司と桜も、困ったように笑っていた。
桜夜は振り返らない。
「先生も笑っている気がします」
それから、少しだけ表情をやわらげた。
「でも、悪くないと思いました」
墓前の空気は、穏やかだった。
「烏たちは、最後まで道を見ていました。アヒルたちは、勝てない相手に突っ込みました。サイカちゃんたちは、祈りました。リオちゃんは名を呼びました。ホムラちゃんは奪わせないと怒りました」
後ろで、三人が静かに聞いている。
「そして僕は、ケイオスさんを斬らずに済みました」
桜夜の声が、少しだけ低くなる。
「完全には救えませんでした。彼は、最後に命を渡して消えました。でも、父親として戻ってきました。奥方様のところへ行けました」
桜夜は深く息を吸った。
「守りの剣は、無駄ではありませんでした」
その一言を言うために、ここへ来たのかもしれなかった。
明人に言いたかった。
あなたの教えは、まだ生きている。
あなたの剣は、まだ僕を殺戮者にしなかった。
そう言いたかった。
「先生」
桜夜は、もう一度頭を下げた。
「ありがとうございました」
長い沈黙があった。
木々の奥から、鳥の声がした。
黒い鳥ではない。
普通の鳥だった。
それでも、桜夜は少しだけ笑った。
「次は、平塚へ行く予定です」
司がわずかに顔を上げた。
桜夜は墓前に向かって続ける。
「応神天皇に挨拶して、アヒルたちにも礼を言わないといけません」
また、後ろでホムラが笑った。
「先生。僕は本当に、変なものにばかり縁があります」
桜夜は立ち上がった。
膝に少しだけ力が入らない。
正座の直後ほどではないが、今日の足はよくしびれる。
サイカがすぐ近づいてきた。
「桜夜さん、大丈夫?」
「大丈夫」
「また足?」
「違う」
「ほんと?」
「少しだけ」
「やっぱり」
サイカが笑った。
リオがそっと桜夜の袖を支える。
ホムラは墓前を見て、少しだけ真面目な顔になった。
「なあ」
「何?」
「いい師匠だったんだな」
桜夜は、墓を見た。
少しだけ間を置いて、頷いた。
「うん」
その声は、短かった。
けれど、迷いはなかった。
「最高の先生だったよ」
司が、後ろで静かに頭を下げた。
桜もそれに続く。
サイカ、リオ、ホムラも、それぞれの仕方で頭を下げた。
風が吹く。
鎌倉の朝の空気が、黒い着物の袖を揺らす。
桜夜は、もう一度だけ墓前に目を向けた。
「ただいま、先生」
そして、今度はほんの少し笑って言った。
「行ってきます」
まだ報告しなければならない相手がいる。
師に礼を告げた騎士は、次に、あきらめないアヒルたちのもとへ向かう。




