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黒の騎士と三原色の少女たち~old testament~  作者: スナオ
第三章 英国王との絆
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第19話 身を隠せ

 白い船は、眠りの底で軋んでいる。


 十三番目の椅子は、水希桜夜を待っている。


 名を失った親友は、その船べりにいる。


 桜夜たちは、名もなき騎士団の帰還任務などという、子どもじみた名をつけて、その椅子から桜夜を帰らせ、同時に親友を連れ戻す方法を探していた。


 だが、世界は桜夜の内面だけで動いているわけではない。


 白い船が人の名と眠りを呑み込もうとしている間も。


 桜夜が、自分はまた独りなのかと問いかけている間も。


 四方院家の権力争いは、静かに、だが確実に進んでいた。


◇◇◇


 四方院家の現宗主、四方院玄武。


 その名を知らぬ者は、裏の世界にはいない。


 長命。


 老獪。


 強権。


 慈悲深さと冷酷さを同じ手で扱える男。


 玄武はまだ退かない。


 あと百年は宗主の座に居座る。


 そんな噂が、四方院家の内外でまことしやかに囁かれていた。


 実際に百年かどうかは、重要ではない。


 問題は、誰もそれを笑い飛ばせないことだった。


 玄武ならあり得る。


 そう思わせるだけの力と実績が、あの男にはある。


 だからこそ、白虎はそれが気に入らなかった。


 四方院白虎。


 四宗家の一角。


 白虎家の当主。


 彼は常に思っていた。


 自分こそが、真の宗主にふさわしい。


 朱雀のように玄武へ寄り添うだけではない。


 青龍のように静かに距離を取るだけでもない。


 白虎こそ、四方院家を前へ進める力である。


 そう信じていた。


 ゆえに彼は、玄武に進言した。


 次期宗主として、自分を。


 あるいは、自分の息子を。


 白虎家こそが、次代を担うべきだと。


 だが、玄武が指名したのは白虎ではなかった。


 青龍家の嫡男。


 四方院一。


 青龍は賛同した。


 朱雀も賛同した。


 玄武も当然、撤回しない。


 反対したのは、白虎だけだった。


 屈辱だった。


 ただの人事ではない。


 この指名は、現在の体制の強化を意味している。


 四方院一。


 青龍家の嫡男。


 だが、それだけではない。


 一は、水希桜夜と兄弟の盃を交わしている。


 一が兄。


 桜夜が弟。


 一が宗主となり、桜夜が相談役として支える。


 それは、今の玄武が作り上げた体制が、そのまま次代へ移るということだった。


 白虎は、水希桜夜が嫌いだった。


 野良犬。


 どこから来たかもわからない子ども。


 水希などという失われた分家の名を与えられ、四方院家の中枢へ入り込み、今では相談役の座にいる男。


 しかも、その野良犬は強い。


 頭が切れる。


 現場で勝つ。


 人を惹きつける。


 それが、なおさら気に入らなかった。


「玄武め」


 白虎は、誰もいない部屋で低く呟いた。


「あくまで、あの野良犬を使い続ける気か」


 彼の前には、複数の資料が並んでいた。


 水希派。


 先代相談役派。


 宗主派。


 白虎家派。


 複雑に絡み合う勢力図。


 だが今、その図は白虎にとって面白くない形へ傾きつつあった。


 白虎はまず、先代相談役に接触しようとした。


 鷹司。


 先代相談役。


 桜夜と反目している男。


 桜夜を四方院家の中枢へ引き入れた張本人でありながら、決して桜夜の味方とは言い難い男。


 あの男なら、水希桜夜を疎ましく思っている。


 そう考えた。


 だが、鷹司は何も言わなかった。


 味方になるとも。


 敵になるとも。


 ただ、無言を貫いた。


 その無言が、白虎には不愉快だった。


 さらに悪いことに、先代相談役派の中にも変化が生じていた。


 ある任務で先代が倒れた。


 指揮系統が一瞬、空白になった。


 その場で指揮を執ったのが、水希桜夜だった。


 桜夜は勝った。


 犠牲を最小限に抑え、任務を成功させた。


 それ以来、先代派の中にも桜夜を認める者が増えている。


 仮に先代相談役を暗殺したとしても、派閥が白虎へ流れるとは限らない。


 むしろ、水希派へ合流する危険性すらある。


 白虎は、机を指で叩いた。


 次に接触したのは、神原家だった。


 自分たちと同じく、白虎を守護神とする家。


 本来なら、白虎家の呼びかけに応じてもよいはずだった。


 だが、神原の宗主は言った。


 水希桜夜には借りがある。


 だから味方にはならない。


 かつて宗主と反目していた弟ですら、白虎の側にはつかなかった。


 天皇も動かない。


 皇族も動かない。


 政治家も、表向きの笑顔を崩さないまま、誰も白虎へ手を伸ばさない。


 だが、白虎は諦めていなかった。


 四方院家には敵が多い。


 日本には敵が多い。


 国内にも、国外にも、古い恨みを抱える者はいる。


 利用できるものは、まだいくらでもあった。


 白虎は静かに笑った。


 玄武が長命であるなら。


 自分は待たなければならない。


 だが、ただ待つだけの男ではない。


 待つ間に、盤面を崩せばいい。


 盤面を守る駒を、ひとつずつ外せばいい。


 その最も厄介な駒は。


 水希桜夜。


 白虎は、資料の上に置かれた桜夜の写真を見下ろした。


「野良犬め」


 低く、吐き捨てる。


「お前がいる限り、玄武の盤面は崩れん」


◇◇◇


 白虎が動こうとしていることを、玄武が見逃すはずはなかった。


 四方院本家。


 宗主執務室。


 玄武は、大きな椅子に腰掛けていた。


 その前には、青龍、朱雀、そして四方院一がいる。


 白虎はいない。


 呼んでいない。


 呼ぶ必要もない。


「白虎が動く」


 玄武は短く言った。


 青龍は目を伏せる。


 朱雀は扇を閉じた。


 一だけが、まっすぐ玄武を見る。


「標的は、桜夜ですか」


「第一候補はな」


 玄武は淡々と答えた。


「白虎にとって、水希桜夜は目障りな野良犬であり、同時にわしの体制の要だ。次代においては、お前の相談役となる可能性が高い」


 一は、わずかに拳を握った。


「弟に手を出すつもりなら、許しません」


 その言葉に、青龍が静かに目を開ける。


 朱雀は少しだけ微笑んだ。


 玄武は表情を変えない。


「その弟は、いま個人的な厄介事を抱えている」


「白い船の件ですね」


「そうだ」


 玄武は机の上の資料を見た。


 白い船。


 眠り。


 名を失う者。


 十三番目の椅子。


 水希桜夜。


 桜夜からの報告は、必要最小限だった。


 だが玄武には、それだけで十分だった。


 水希桜夜が危険域にいる。


 それを理解するには、長い報告書など要らない。


「白虎は、おそらくこの隙を使う」


 玄武は言った。


「桜夜が白い船へ意識を割かれている間に、現実側の足場を崩す。あるいは、桜夜を排除するために外敵を利用する」


 一が低い声で言う。


「それなら、私が桜夜の側に」


「だめだ」


 玄武は即答した。


 一が口を閉じる。


「お前が動けば、白虎は喜ぶ。次期宗主候補と相談役が一箇所に固まる。狙う側からすれば、これほど都合のいいことはない」


「では」


「桜夜には、身を隠させる」


 朱雀が扇を開き直した。


「隠すだけで済みますか」


「済まんだろうな」


 玄武は少しだけ口の端を上げた。


「だから、隠れるための表向きの理由を用意する」


 そのとき、執務室の通信端末が鳴った。


 宗主専用回線。


 表示された発信元を見て、青龍の眉がわずかに動く。


 皇室。


 玄武は通信を取った。


 短い会話だった。


 だが、その内容は重い。


 天皇からの勅命。


 名代として、英国王に謁見せよ。追って日本政府からも正式な命令が下る。


 対象は、水希桜夜。


 玄武は通信を切ると、静かに息を吐いた。


「盤面が向こうから動いたな」


 朱雀が目を細める。


「偶然でしょうか」


「偶然であれば面白い。偶然でなければ、なお面白い」


 一は黙っていた。


 玄武は、今度は別の端末を見た。


 そこには、一通の短いメールが届いていた。


 差出人は、英国王リチャード。


 本文は、たった一行。


 桜夜に相談がある。


 玄武はしばらくその文面を見ていた。


 そして、低く笑った。


「まったく、あの野良犬は忙しい」


◇◇◇


 水希桜夜の私邸。


 執務室では、リオが名もなき騎士団に関する断片記録を整理していた。


 サイカは桜からもらったメモで和食の復習をしようと、台所と仕事部屋を行ったり来たりしている。


 ホムラは小春と日和の部屋の前で護衛。


 静馬は鳳凰の弱体化に関する検査値をまとめていた。


 桜夜は、黒い手帳を開いたまま、ぼんやりと窓の外を見ている。


「桜夜様」


 リオが声をかけた。


「この記録ですが、名もなき騎士団の符牒がいくつか残っています」


「うん」


「正式な名簿はありませんが、少なくとも四方院家内部の複数部署に広がっていた形跡があります。本人たちが騎士団員を名乗ったというより、助けられた者が別の誰かを助ける際に、符牒として使ったようです」


「勝手に増える秘密結社か」


「桜夜様らしいです」


「僕らしいかな」


「はい」


 リオは少しだけ微笑んだ。


「無自覚に人を巻き込みます」


「褒めている?」


「半分ほど」


「残り半分は?」


「苦言です」


「厳しい」


 そのとき、執務用の黒い端末が鳴った。電話嫌いな桜夜が置くことを強制されたもの。


 宗主との回線。


 桜夜の表情が変わる。


 リオも即座に姿勢を正した。


 桜夜は端末を取った。


「水希です」


 通信の向こうから、玄武の声が届く。


 短い。


 いつも通り、余計な言葉がない。


『身を隠せ』


 桜夜は、数秒だけ黙った。


「理由を伺っても?」


『白虎が動く』


「僕を?」


『お前を。あるいは、お前の周辺を』


 リオの表情が硬くなる。


 サイカも台所から戻ってきて、桜夜の顔を見た。


 ホムラが廊下の向こうで気配を鋭くする。


 静馬が検査端末を置いた。


 桜夜は通信を切らず、窓の外を見た。


「宗主様。いま僕は、個人的な案件を抱えています」


『知っている』


「かなり厄介です」


『知っている』


「僕が隠れると、調査が遅れます」


『構わん』


「親友が白い船のそばにいます」


『だからこそだ』


 玄武の声は変わらない。


『白い船は夢の側からお前を狙う。白虎は現実の側からお前を狙う。片方だけならまだよい。両方に足を取られれば、お前は十三番目の椅子へ近づく』


 桜夜の指が、わずかに止まった。


 玄武は知っている。


 すべてではないにしても、核心を掴んでいる。


「宗主様」


『何だ』


「十三番目の椅子は、僕を待っているようです」


『だろうな』


「驚かないのですね」


『お前ほど面倒な椅子に似合う者はそうおらん』


「褒めてませんよね」


『褒めていない』


「でしょうね」


 桜夜は苦笑した。


 玄武は続ける。


『天皇陛下より命が下った。名代として英国王に謁見せよ』


 桜夜は目を細めた。


「リチャード陛下と?」


『同時に、リチャード本人からもメールが来ている』


「内容は?」


『相談がある』


「短い」


『王のくせに、たまにお前のような文を送る』


「僕はもう少し丁寧です」


『そうか?』


「宗主様?」


 玄武は少しだけ鼻で笑ったようだった。


『表向きは、天皇陛下の名代としての訪英。実態は、お前を一時的に国内政治から外す。白虎から隠し、同時に英国側の相談を聞け』


「白い船の件と関係が?」


『あるかもしれん。ないかもしれん。リチャードが短文で相談を寄越すときは、たいてい面倒事だ』


「それはそうですね」


『行け、水希桜夜』


 玄武の声がわずかに低くなる。


『これは逃亡ではない。盤面を移すだけだ』


 桜夜は、しばらく黙った。


 逃げる。


 身を隠す。


 海外へ出る。


 それは、十三番目の椅子から遠ざかることになるのか。


 それとも、別の岸へ近づくことになるのか。


 わからない。


 だが、玄武がここまで短く命じるときは、すでに盤面が動いている。


「拝命いたしました」


 桜夜は静かに答えた。


『一は動かすな』


「わかっています」


『サイカ、ホムラ、リオは連れていけ』


「よろしいのですか」


『お前を独りにするなと、あちこちから言われている』


「誰ですか、それ」


『心当たりが多すぎるだろう』


 通信はそこで切れた。


 桜夜はしばらく端末を見ていた。


 そして、ゆっくり息を吐く。


◇◇◇


「イギリスぅ?」


 ホムラが真っ先に言った。


「なんでいきなりイギリスなんだよ」


「天皇陛下の名代として、英国王に謁見することになった」


「は?」


「ついでに、英国王本人から相談があるらしい」


「ついでがでかすぎるだろ」


 サイカが心配そうに桜夜を見る。


「桜夜さん、行くの?」


「天皇陛下と宗主の命令だからね」


「白い船は?」


「逃げてもついてくるかもしれない。あるいは、英国にも別の入口があるのかもしれない」


「そんな」


 サイカの顔が曇る。


 桜夜はすぐに言った。


「でも、一人では行かない」


 サイカが顔を上げる。


「サイカちゃん、ホムラちゃん、リオちゃんは同行。静馬くんにもできれば来てほしい」


 静馬は眉を上げた。


「めんどうだな」


「主治医がいないと、みんなが僕を殴るしかなくなる」


「それはそれで合理的かもしれないな」


「静馬くん?」


「冗談だ。英国側の医療ネットワークにも照会したいことがある。同行する」


 リオはすでに端末を操作していた。


「渡航準備、皇室関連の儀礼確認、英国王室側との調整、警備ルート、偽装行程、通信暗号の更新。すぐに始めます」


「頼もしいね」


「秘書官ですので」


 ホムラは腕を組んだ。


「で、白虎ってやつはどうする」


「現時点では、こちらから潰しには行かない」


「なんでだよ」


「白虎はまだ表で動いていない。こちらが先に動けば、四方院家内部の権力争いが表面化する」


「面倒くせえ」


「うん。とても面倒くさい。でもね。戦争には大義名分がいるんだよ」


 桜夜は悪い笑みを浮かべていた。虎が先に仕掛けてきたから野良犬はもっと怖いものに助けを求めた。そういう筋書きがいい。


「だから身を隠す。白虎が利用しようとしている外敵ごと、別の盤面に引きずり出す」


 リオが顔を上げる。


「つまり、訪英は逃亡ではなく誘導ですね」


「宗主様はそう考えていると思う」


「桜夜様は?」


「僕も、たぶんそうする」


 サイカが桜夜の袖をつまんだ。


「桜夜さん」


「うん」


「また一人で考えてる」


 桜夜は一瞬だけ黙った。


 そして、小さく笑った。


「ごめん」


「一緒に考えるんでしょ?」


「うん」


「帰還任務なんだから」


 その言葉に、桜夜は目を細めた。


 名もなき騎士団、帰還任務。


 十三番目の椅子に座らず、親友を連れ戻し、桜夜自身も帰ってくる。


 その任務が、今度は英国行きと重なる。


 個人的な活動。


 四方院家の権力争い。


 天皇からの勅命。


 英国王からの相談。


 すべてが一つの線につながっているのか。


 それとも、別々の火種が同時に燃え始めただけなのか。


 まだわからない。


 だが、桜夜は独りではない。


「そうだね」


 桜夜は言った。


「一緒に考えよう」


◇◇◇


 出発準備は慌ただしく進んだ。


 リオは各所への連絡を捌き、ホムラは警備計画のうち自分が暴れられる部分だけを熱心に確認した。


 サイカは荷物をまとめながら、途中で台所へ立ち、簡単な夜食を作った。


 桜から教わった味噌汁ではなく、昔から作り慣れたスープだった。


 これから英国へ行く。


 白虎が動く。


 白い船も遠ざかるとは限らない。


 そんな夜に、慣れた味の方がいいと思った。


「桜夜さん、食べて」


「ありがとう」


「無理してない?」


「してる」


「そこは隠さないんだ」


「隠すと怒られるから」


「うん。怒る」


 サイカは桜夜の前にスープを置いた。


「行くの、怖い?」


「少しね」


「英国が?」


「英国王が」


「王様なのに?」


「……友達だから、かな?」


 桜夜はスプーンを手に取る。


「リチャード陛下はとんでもない方だからなあ」


「桜夜さんと似てる?」


「僕は王様じゃないよ」


「でも、面倒なことを抱えてる」


「それは否定できない」


 サイカは少し笑った。


 その笑顔を見て、桜夜はスープを口に運ぶ。


 温かい。


 白い船の眠りとは違う温かさ。


 英国へ行っても、この温かさを忘れなければ戻ってこられる。


 そう思えた。


◇◇◇


 深夜。


 すべての準備が一段落した頃、桜夜は一人で仕事部屋にいた。


 いや、一人ではない。


 サイカは隣の部屋にいる。


 ホムラは廊下。


 リオは通信室。


 静馬は医療品の確認中。


 それでも、その瞬間だけは一人だった。


 机の上には、黒い手帳。


 名もなき騎士団のページを開く。


 親友の文字が、そこにある。


 僕は、君と何かを始めるのが好きだった。


 君はいつも唐突だった。


 桜夜は指先で、その文字の横をなぞった。


「また唐突なことになったよ、相棒」


 小さく呟く。


「今度は英国だってさ」


 白い船の岸にいる親友に届くわけではない。


 それでも、言いたかった。


「十三番目の椅子は僕を待っている。白虎も僕を狙っている。宗主様は身を隠せと言う。天皇陛下は名代として行けと言う。リチャード陛下は相談があると言う」


 桜夜は苦笑した。


「君なら、もう情報を集め始めているんだろうね」


 返事はない。


 だが、手帳の紙がわずかに震えた気がした。


 風のせいかもしれない。


 白い船のせいかもしれない。


 あるいは、ただの錯覚かもしれない。


 桜夜は手帳を閉じた。


「待っていて」


 声は静かだった。


「いや、違うな」


 桜夜は少し考え、言い直した。


「迷子のまま、勝手に船へ乗るな。名もなき騎士団の最初の相棒命令だ」


 その言い方が少し馬鹿らしくて、桜夜は自分で笑った。


 だが、笑えるならまだ大丈夫だ。


 白い船の音は、今夜も遠くで聞こえる。


 十三番目の椅子は、水希桜夜を待っている。


 だが、桜夜はその椅子へ向かう前に、英国へ行く。


 現実の盤面が動いた。


 なら、夢の岸だけを見ているわけにはいかない。


◇◇◇


 出発の朝。


 空港へ向かう車の中で、桜夜は短いメールを受け取った。


 差出人は、英国王リチャード。


 本文は、やはり短い。


 お前にしか頼めない。


 桜夜は、それを見てため息をついた。


 隣のサイカが覗き込む。


「何て?」


「お前にしか頼めない、だって」


「桜夜さんが言われると断れないやつだ」


「男に言われても嬉しくはない言葉だけどね」


 ホムラが後部座席で腕を組む。


「王様だろうが何だろうが、無茶言ったら殴っていいか?」


「外交問題になるからやめて」


「じゃあ睨む」


「それくらいなら」


 リオは隣で予定表を確認している。


「到着後、表向きは皇室名代としての公式行事が優先です。その後、英国王との非公式会談。警備上、動線は三重に偽装されています」


 静馬は医療鞄を抱えたまま言う。


「機内では寝ろ」


「努力する」


「努力ではなく寝ろ」


「サイカちゃんみたいなことを言う」


「全員同じ意見だ」


 サイカが桜夜の手を握った。


「一人で寝なくていいよ」


「うん」


「白い船に行きそうになったら呼ぶから」


「ありがとう」


 車は空港へ向かう。


 日本を離れる。


 白虎の盤面から、一時的に身を隠す。


 だが、これは逃げではない。


 盤面を移すだけだ。


 玄武はそう言った。


 桜夜は窓の外を見た。


 遠ざかる街。


 薄い朝の光。


 その白は、眠りの白ではない。


 旅立ちの白だった。


 そして、どこか遠く。


 白い船が、また軋んだ。


 桜夜は目を閉じない。


 十三番目の椅子が待っていても。


 白虎が狙っていても。


 英国王が面倒な相談を抱えていても。


 帰還任務は続いている。


 名もなき騎士団は、いつの間にか増えてしまうものだから。


 今度は、日本の外へまで広がるのかもしれない。

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