第六章 白亜の塔と、漂白されし者(前編)
仲間たちに背中を押され、ついに教会の本拠地、中枢塔上層へと乗り込んだシオンとルミナ。
しかし、そこで二人を待ち受けていたものとは…。
激動の第六章、どうぞお見逃しなく!
王都へ乗り込む直前、シオンたちはかつて自分に魔剣を託した師匠、元王宮守護職であり、ケスラーとも旧知の仲であった老剣士バルガスのもとを訪ねていた。
王都外れの隠れ里。古い庵で出迎えた師匠の姿を見て、シオンの脳裏に、すべての始まりとなったあの夜の出来事が鮮明に蘇る。
ルミナが聖女として中枢塔の中層に幽閉され、その記憶を理不尽に抽出されたあの夜。
『シオン、これを持っていけ。ケスラーが造り出した魔剣……お前の不器用な剣術を補う、反逆の牙だ。いいか、ルミナを抱えて窓から飛んだら、ワシの合図に合わせて真下へ全力で剣を振れ』
中枢塔に登る前、そう言って師匠は漆黒の大剣『シリンダー・ブレード』と一欠片のメモリア結晶をシオンに託した。その後、単身塔に登ったシオンは、ルミナを救い出し、絶望的な包囲網から逃れるために塔の窓から夜闇へと身を躍らせた。
あの無謀な脱出劇が成功したのは、長年培ってきた師弟の阿吽の呼吸と、絶対的な信頼が生み出した規格外の荒業によるものだった。
夜の闇を落下するシオンの耳に、風切り音を裂いて地上のバルガスからの鋭い一喝が届く。
「振れぇぇッッ!!!」
事前の指示通り、声が響いた一瞬のタイミングで、シオンは大剣を真下へと渾身の力で振り下ろした。全く同時に、地上で待ち構えていたバルガスもまた、二本の長剣を天に向かって猛烈な速度で振り上げる。
五十キロ近い鉄塊の質量と、落下の凄まじい加速度。そのシオンが放つ暴力的なまでの豪風と、地上から迎撃するバルガスの洗練された双剣の剣圧が、空中で完全に同等の力となって激突した。
二つの相反する暴風が相殺し合い、生み出された強烈な反発力が、一瞬の空気のクッションとなって落下衝撃を殺したのだ。
互いの剣の威力と、師の合図を信じてギリギリまで待つ胆力がなければ絶対に成り立たない、命懸けの神業。
そうして命を拾ったシオンは、そのままルミナを背負い、血を吐くような思いで王都を後にしていたのだった。
「……あの夜、師匠が囮になってくれたおかげで、俺たちは逃げ延びることができました」
「気にするな。追手はワシが適当にあしらって、こうしてのんびりと隠居生活を楽しんでおったのだ」
師匠は静かに笑うと、シオンが新たに携えてきた黄金の魔剣を見つめ、静かに目を閉じた。
「……そうか。ケスラーは逝ったか……。シオン、その剣もまた重かろう。だが、それはお前が背負うべき意志の重さだ。……ワシも共に行こう。若者が未来を掴もうとしている時に、年寄りが座して待つ道理はない」
心強い後ろ盾を得た一行は、隠密行動の末、ついに王都の中心、天を貫く中枢塔へと辿り着いた。
塔の内部は、外観の荘厳さとは裏腹に、まるで巨大な機械の胎内のようだった。壁や床には無数の透明なパイプが張り巡らされ、人々から抽出された青白いメモリアが脈打つように上層へと流れていく。一つ一つの光の粒が、誰かの大切な思い出であり、悲しみであり、喜びだったものだ。
「……こんなの、間違ってる」
ルミナが胸元を強く握りしめる。
「人の心を燃料にして作られた平和なんて、絶対におかしいよ」
『侵入者を検知。第肆エリア、防衛プロトコルを起動します』
無機質なアナウンスと共に、通路の奥から自律機動型騎士が重い足音を立てて現れた。シオンがオリジン・シリンダーを抜き放ち、一撃で数体を粉砕するが、警報を聞きつけた増援が、無限とも思われる数で全方位から押し寄せてくる。
「これほどの数の自律機動型騎士を用意するとは……最早隠す必要もないというわけか。では、ここは引き受けるとしようか。シオン、お前はルミナを連れて上へ行け!」
バルガスが古びた二本の長剣を抜き、嵐のような剣気を放つ。
「師匠! でも、この数は……!」
「案ずるな。ワシもかつては、王宮守護職に名を連ねた一人。そう簡単に不覚は取らん。それに、その剣の力はここで消耗するべきではない……行け!」
「シオン、ここは任せろ」
レクターが機械式狙撃銃を構え、師匠の傍らに並び立つ。
「数が多すぎる。俺とメリルで彼を援護する。……中枢塔の稼働を止められるのはお前だけだ。行け、シオン!」
「……頼んだぞ、みんな!」
メリルの双剣が風を切り、レクターの狙撃が騎士の駆動部を正確に貫く。仲間たちが道を切り拓き、シオンはルミナの手を引いて、上層へと繋がる大昇降機へと飛び込んだ。
静まり返った昇降機の中。上へ向かう振動だけが響く中、シオンは背中の大剣を強く握りしめていた。隣に立つルミナの不安そうな横顔を見つめ、ただ前を見据える。
中枢塔の上層。静寂に包まれた円形の広間で、扉が開いた。
そこで二人を待っていたのは、白銀の装甲を纏った一人の騎士だった。
その騎士は、かつて愛用していた剣と盾を足元に無惨に投げ捨て、代わりに、教会の紋章が刻まれた白金の『長槍』を手にしていた。
騎士の構えは、シオンの知るかつての親友のそれとは全く異なっている。重心を低く保ち、一切の隙がない、冷徹な処刑人のような構えだった。
「……ユーゴ、なのか?」
シオンが問うが、返ってくるのは冷たい沈黙だけだった。
「……対象シオン。及びルミナ。教会の秩序を乱す不純物として、即刻、処理を開始します」
騎士がゆっくりと顔を上げた。その瞳は完全に濁り、生気が失われている。
「処理……? ユーゴ、ふざけるな! 俺だ、シオンだ! ルミナもいるんだぞ!」
「ユーゴ・ブランという個体は、大渓谷での失態……すなわち、友情という名のバグによって、システムの信頼性を損ないました」
騎士の声には、怒りも哀しみもなかった。
「よって、教会の慈悲により、その不純な記憶はすべて漂白されました。今の私にあるのは、純粋な命令遂行の意志のみです」
「漂白された……だと?」
シオンが戦慄する。
ユーゴが自ら望んで記憶を捨てたのではない。あの大渓谷で、親友である自分を斬れずに、迷いを見せたがために、教会によって強制的に心の中身を洗い流されてしまったのだ。
「そんな……私のせいで……っ」
ルミナが膝をつき、両手で顔を覆って嗚咽を漏らす。
「私がいたから……シオンのあんなに大切だった友達が……心を、消されちゃったなんて……っ!」
「不純物の排除を継続します」
ユーゴの体が、風のように動いた。
剣よりも遥かに長い間合いから放たれる、神速の突き。シオンは咄嗟に大剣で受け止めるが、槍の先端から放たれた高密度の魔力がシオンの肩を強く弾き飛ばした。
「ガハッ……! ユーゴ、お前……剣を捨てて、槍を……」
「剣は迷いの象徴。盾は弱さの象徴。今の私には、ただ敵を貫くための鋭利な刃があれば事足ります」
親しんだ剣技も、共に歩んだ日々も、すべてはバグとして処理され、消去された。
目の前にいるのは、シオンの知っている親友ではない。教会のシステムによって作り替えられた、ただの残酷な兵器。
「……思い出せよ、ユーゴ。お前は、真面目で、優しくて……。自分が盾を取った理由すらも忘れちまったのか!!」
シオンが血を吐くような叫びと共に、黄金の大剣を振り回す。
だが、ユーゴの槍は冷酷にその隙を突き、シオンの太腿を深く貫いた。
「感情は不要です。記憶は無価値です。……私は神の剣、ユーゴ・ブラン」
無機質な言葉を吐きながら、ユーゴは再び槍を構える。その姿に、シオンは激しい怒りと、それ以上の絶望を感じていた。
教会のシステム。人の心さえも部品のように扱い、壊れれば取り替え、不都合があれば消去する。
その狂気が、かけがえのない親友をここまで無惨な姿に変えてしまった。
「……赦さねぇ。ユーゴをこんな風にした教会の連中も……アイツを守れなかった、俺自身も!」
シオンの手の中で、オリジン・シリンダーがかつてないほど激しく黄金色に咆哮を上げた。
それは、親友を取り戻すための戦いではない。
すでに心と記憶を消され、ただの兵器に成り果てた親友の抜け殻を、これ以上教会に穢させないために、自らの手で引導を渡すための、最も悲しい死闘が幕を開けた。
第六章(前編)、最後までお読みいただきありがとうございました。
ここから中編に続きます…。




