第一章 空白の心と、銀の導き
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この作品は、巨大な大剣を背負った不器用な青年と、記憶を失った少女の、熱い王道ファンタジーです。
第一章では、ついに追手を振り切って王都を抜け出した二人の旅立ちが描かれます。二人が辿り着いたとある奇妙な村と、そこで待ち受ける新たな出会い……。
無骨な鉄塊が切り拓く反逆の旅路を、どうぞお楽しみください!
王都の外壁を覆う深い森の中。朝露に濡れた木々の隙間から、冷たい光が差し込んでいた。
荒い息を吐きながら、シオンは太い木の幹に背を預けて座り込んだ。横たわる大剣『シリンダー・ブレード』の刀身はすでに熱を失い、冷たい金属の塊に戻っている。
視線を上げると、少し離れた倒木の上にルミナがちょこんと座っていた。豪奢な聖女の法衣は泥と木の枝で汚れ、すっかり薄汚れてしまっている。それでも彼女は、まるで他人事のように自分の汚れた裾を不思議そうに見つめていた。
「怪我は、ないか?」
「ええ……。でも、その…あなたの腕、血が」
ルミナは立ち上がり、シオンのそばに膝をついた。彼女の白い手がシオンの傷口に触れる。だが、かつてのように温かい光が灯ることはなかった。
「……ごめんなさい。私、治し方を……知らないの」
「いい。大した傷じゃない」
シオンは短く答え、彼女の手をそっと遠ざけた。傷が痛むからではない。彼女が「治し方を忘れた」という事実そのものが、シオンの心を刃のように切り裂くからだ。
ルミナは自分の両手を見つめ、ぽつりと呟いた。
「王都を出る時、燃えている家を見たの。誰かが泣いていたわ。でも、私……どうしてあの人が泣いているのか、分からなかったの。私の中には、何もないのよ。お父さんとお母さんの顔も、あなたと一緒にいたはずの思い出も、全部。……私、からっぽになっちゃったのかな」
感情の起伏すら奪われた平坦な声。それがシオンには耐えられなかった。
彼は無言で革袋を探り、ひとつの銀色のペンダントを取り出した。無骨な意匠で、真ん中から真っ二つに割れたような不自然な形をしている『片割れ』のペンダント。
シオンは身を乗り出し、それをルミナの首にかけた。
「……これは?」
「ある男から預かったお守りだ。俺たちみたいなはぐれ者の、道しるべになる」
あの日、シオンとメリルが窮地を救ったレジスタンス、レクター。彼が「もし道に迷ったら、これを目印に俺を探せ」と託してくれたものだった。
「お前の過去が教会の奴らに奪われたんなら、今から新しい思い出を作ればいい。このペンダントの持ち主に会いに行く。それが俺たちの最初の目的だ」
「新しい、思い出……」
ルミナは胸元で冷たく光る銀色の欠片を、両手でそっと包み込んだ。空っぽの心に、ほんの少しだけ重さが生まれた気がした。
それから数日後。
追手を撒くために森を抜け、ふたりは国境近くの小さな村に辿り着いた。
教会の監視所を避けて入ったその村は、異常なほどに静かだった。村人たちは畑仕事をし、井戸端で談笑している。一見すると平穏そのものだが、どこか薄気味悪い。
「ねえ、シオン。あそこの人たち……」
ルミナが指差した先では、老婆が花壇の手入れをしていた。しかし、そのすぐ横には真新しい小さな墓標がある。昨日まで飼っていた犬が死んだ墓だと、通りすがりの男が笑いながら話していた。老婆も「そうだったかねぇ」と、ただヘラヘラと笑っている。
「……『供物の村』か」
シオンは舌打ちをした。教会の教えが極端に浸透した村。悲しみだけでなく、少しでも心に波風を立てる記憶は、自ら進んで教会に捧げてしまう狂信者の集落だ。昨日家族が死のうが、彼らはすべてを「捧げ」て、今日をへらへらと笑って生きている。
「私と、同じ……」
「お前は違う! あいつらと一緒にすんな」
無意識に自分を重ね合わせたルミナを、シオンは強い口調で遮った。
とりあえず物資を補給するため、ふたりは村の外れにある古びた食堂に身を潜めた。客はまばらで、無表情な村人たちが無言でスープを啜っている。
「はいよ、裏メニューの猪肉の香草焼き。お兄さんたち、運がいいね。ちょうど今朝、血抜きが完璧に終わったところさ」
テーブルに乱暴に皿を置いたのは、エプロン姿の小柄な少女だった。
亜麻色の髪を無造作に後ろで束ね、動きやすそうな軽装に身を包んでいる。年齢はルミナと同じくらいだろうか。しかし、その瞳にはこの村の住人にはない、野生動物のような鋭い光が宿っていた。
シオンが銀貨を渡そうとしたその時。
少女の視線が、ルミナの胸元に吸い寄せられた。首から下げられた、銀色のペンダントの『片割れ』に。
「……ちょっとアンタたち」
少女の声色が一瞬で氷のように冷たくなった。
彼女はシオンの腕をガシッと掴むと、周囲に聞こえないギリギリの声で凄んだ。
「それ、どこで手に入れたの。……答え方によっては、その無駄にでかい剣を抜く前に、アンタの首の骨を折るわよ」
見れば、少女のエプロンの下、腰の左右には鈍く光る双剣の柄が覗いている。ただの村娘ではない。その構えと殺気は、幾度も死線を潜り抜けてきた者のそれだった。
「……ある男から託された。背が高くて、右目に火傷の痕がある男だ。『灰の降る砦』にいると聞いている」
シオンが低い声で答えると、少女は大きく目を見開き、掴んでいた手をパッと離した。
「右目の痕……アンタ、リーダーの知り合いなの!?」
「リーダー? レクターのことか」
「静かに!」
少女、メリルは慌ててシオンの口を塞ぎ、周囲をギロリと睨みつけた。村人たちは相変わらず無関心にスープを啜っている。
メリルは大きくため息をつき、エプロンを乱暴に外してテーブルに放り投げた。
「アタシはメリル。レジスタンスの連絡員をやってる。まさか、あの堅物のリーダーが自分の『片割れ』を他人に渡すなんてね。よっぽどアンタ達を信用したんだ」
「……お前、この村の人間じゃないな」
シオンの言葉に、メリルは自嘲気味に鼻を鳴らした。
「アタシも昔、こういう『供物の村』にいたのさ。悲しみを捧げて、自分の名前すら忘れて笑ってるようなイカれた村にね。アタシも全部抜き取られる寸前に、リーダーに助けられた。……『痛みを忘れるな。それはお前が生きている証だ』ってね」
そう言って、メリルはルミナを見た。
メリルの鋭い視線に、ルミナは怯えたように目を伏せる。
「……ねえ。さっきから思ってたんだけど、この子、なんでこんなにからっぽなの?」
「……教会に、両親の記憶を全部抜かれたんだ。『聖女』という名のバッテリーにするためにな。俺が助け出した時には、もう手遅れだった」
シオンの言葉に、メリルは息を呑んだ。
記憶を捧げてへらへら笑っている村人たちとは違う。無理やりすべてを奪われ、悲しむ権利すら奪われた少女。かつて自分が辿るかもしれなかった最悪の末路が、そこにあった。
「アンタ……名前は?」
「……ルミナ。ルミナよ」
メリルは乱暴に頭を掻きむしると、ルミナの手をぐっと強く握った。
「泣けないのは、アンタのせいじゃない。アンタの痛みを奪った、教会のクソ野郎どものせいだ」
「え……?」
「リーダーのところに、アタシが案内してやる。それまで、アンタのことはアタシが守ってやるよ!」
姉御肌全開で啖呵を切ったメリル。
しかしその直後、食堂の入り口の扉が蹴り破られた。
「見つけたぞ、反逆者シオン! そして聖女ルミナ!」
村の静寂を切り裂く怒声。
入り口には、王都の紋章を刻んだ鎧を着た教会の追討部隊が、剣を抜いて立ち塞がっていた。
食堂の狭い空間に、抜刀した教会の兵士たちが雪崩れ込んでくる。
「反逆者シオン! 剣を捨てて聖女を渡せ! さもなくばこの場で処刑する!」
怒号が響く中、真っ先に動いたのはシオンではなくメリルだった。
「せっかくの料理が冷めちゃうじゃないの!」
メリルは両腰から二振りの短剣を抜き放つと、テーブルを蹴って宙を舞った。
先頭の兵士が反応するより早く、死角からの鋭い峰打ちが兜の隙間を的確に強打する。鈍い音と共に兵士が昏倒し、その体を踏み台にしてメリルは次々と兵士たちの群れの中へ飛び込んでいった。
「な、なんだこの小娘はッ!」
「アタシは裏メニューの案内人よ!」
狭い屋内では長剣を振り回す教会の兵士より、双剣を操るメリルの圧倒的なスピードに分があった。蝶のように舞い、蜂のように刺す。殺しはせずとも、確実に手足を刈り取って戦闘不能にしていく。
「ルミナ、俺から離れるな!」
シオンはルミナを背後で庇いながら、背中の『シリンダー・ブレード』を抜き放った。
狭い食堂でこの規格外の大剣を振り回せば、天井がつっかえて致命的な隙ができる。だが、シオンはその重さと頑強さを利用し、大剣を「巨大な盾」のように構えて突進した。
「どけぇっ!!」
ドゴォォォンッ!
五十キロ近い鉄塊の質量とシオンの突進力が、入り口を塞いでいた三人の兵士をまとめて店の外へと吹き飛ばした。
「……ねえ、嘘でしょ」
乱戦の最中、敵を打ち倒したメリルが信じられないものを見るような声を上げた。
武装した兵士たちが店内で暴れ回り、怒号と悲鳴が飛び交っているというのに。店内にいた村人たちは、誰一人として逃げようとせず、無表情のまま黙々とスープを啜り続けていたのだ。
一人の兵士がテーブルに叩きつけられ、木っ端微塵に砕けても。
「おや、スープがこぼれてしまったねぇ」
老婆はただ、へらへらと笑いながら空になった皿を見つめているだけだった。
「……これが、記憶と感情を奪われた人間の末路か」
シオンが苦々しく吐き捨てる。
メリルは寒気を覚えたように両腕をさすると、短剣を鞘に納めた。
「狂ってる……! シオン、裏口から出るわよ! 増援が来る前に村を抜ける!」
「ああ。ルミナ、走れるか?」
「うん……っ」
シオンはルミナの手を強く引き、メリルの先導で食堂の裏口から飛び出した。
村の広場からは、早くも教会の増援を集める甲高い鐘の音が鳴り響き始めている。
「こっちよ! アタシが猟に使ってた獣道を通れば、鎧を着た教会の犬どもには絶対に追いつかれないわ!」
メリルは迷いのない足取りで村の外れへと向かい、鬱蒼と茂る深い森の中へと飛び込んでいく。シオンとルミナもそれに続いた。
それから、どれほどの時間を走り続けただろうか。
木々の間から差し込む光が、夕闇から深い夜の闇へ、そして再び白み始めるまで、三人は教会の追手を撒くために道なき道をひたすらに進んだ。
「……はぁっ、はぁっ……」
ルミナの息が上がり、その小さな足が木の根にもつれて転びそうになる。
「ルミナ!」
シオンが咄嗟に彼女を抱き留めた。
「……ごめんなさい、シオン。私……足手まとい、ね……」
「馬鹿言うな。よくここまで走った」
シオンはルミナを背中に負い、再び歩き出す。その背中越しに、ルミナはシオンの温もりと、彼が放つ不器用な優しさを感じ取っていた。心は空っぽのはずなのに、この背中にいる時だけは、不思議と安心できた。
「少し休もう。追手は完全に撒いたはずよ」
先頭を歩いていたメリルが、湧き水のある小さな開けた場所で足を止めた。
シオンがルミナをそっと下ろすと、メリルは水筒に水を汲み、ルミナに手渡した。
「……ありがとう、メリルさん」
「さん、は不要よ。メリルでいい」
メリルは少し照れくさそうに笑うと、シオンの方へと向き直った。
「さて。これからリーダー……レクターのいる『灰の降る砦』へ向かうわけだけど、一つだけ厄介な関門があるの」
「関門……大渓谷を渡るのか?」
「ええ。この森を抜けた先に、王都と北の地を隔てる巨大な渓谷があるのは知ってるわよね。砦に行くには、そこを越えるしかない」
メリルは地面に木の枝で簡単な地図を描いた。
「渓谷を渡る唯一の橋。そこには、教会が管理する巨大な関所があるわ。ここをどう抜けるかが、最初の正念場ね」
「……なるほどな。関所を避けては通れない……か」
シオンは背中の大剣を横たえ、鋭い視線で北の空を見据えた。
「日が昇りきったら出発するわ。しっかり休んでおきなさい」
メリルの言葉に頷き、三人は短い休息を取った。
木々のざわめきだけが響く静かな森。しかし、シオンの胸の奥には、これから待ち受ける過酷な戦いへの予感から、冷たい緊張感が渦巻いていた。
第一章、最後までお読みいただきありがとうございました!
ついに王都を脱出したシオンとルミナですが、今回は頼もしい新メンバー、メリルが合流しました。
無表情でスープを啜る異常な村人たちをよそに、狭い店内で巨大な大剣を盾代わりに突進するシオンの脳筋っぷりと、双剣で的確に敵を狩っていくメリルの対照的な共闘シーンは、書いていて熱が入りました!
次回は巨大な渓谷の関所が舞台になります。引き続き、彼らの過酷な旅にお付き合いいただければ嬉しいです。




